第三話 汝の隣人を愛せよ(1)

 最後にクリスマスのプレゼントをもらったのは十一歳のときだった。

 十二歳と十三歳の時はお札の入った茶封筒が、テーブルの上に無造作に置かれていた。わたしはもちろんそんなものに手をつけなかった。だってクリスマスイブの日に子供が一人で欲しいものを買いにいくなんて、いくらなんでも惨め過ぎるから。

 父に初めて暴力を振るわれたのは十三歳のクリスマスだった。泥酔して帰ってきた父は手つかずの茶封筒を見て、怒り狂った声でわたしを呼び出した。これはわたしへの当てつけか、お前もわたしを詰まらないやつ、労う価値もないやつだと馬鹿にしているんだろう? わたしからのプレゼントも、サンタの変装も鼻で笑ってたんだ! などと一方的に罵声を叩きつけ、必死に宥めても効き目がなかった。むしろより激昂し、頬への痛みとして結実した。

 それでいよいよタガが外れたのだろう。翌朝には涙ながらに謝られたけど、次に酔って帰ってきた時にはまた暴力を振るわれた。

 父は暴力の虜になった。だから服で隠しきれない場所に傷跡が残る理由を作る必要があった。

 四度目の暴力の後、わたしは喧嘩っ早い不良学生になることを決心した。



「夜不可視の次回活動内容が決まりました」

 キララは教室に入ってくるなりそう宣言し、わたしとサオリにスマホの画面を見せてくる。表示されているのは虹色の髭を生やしたサンタクロースの目撃証言だった。

「また変な話を拾ってきたなあ」

 わたしは素直な感想を口にする。よくも毎回毎回、一捻りしたネタを用意できるものだと感心してしまった。

「そうですか? 虹色の髭というのは確かに奇妙ですが、十二月にサンタクロースが現れるのは普通ですよ」

「そんなものかな?」

「そんなものです。調べてみたところ、今月の始め頃から活動を開始しているようでして、ラッピングされたプレゼントを枕元に置いていく姿が何件か目撃されています」

「プレゼントを配るのが趣味の変人じゃない?」

 サオリが身も蓋もない意見を口にし、キララは無駄に胸を張る。その可能性も考慮済みと言わんばかりだ。

「そのサンタクロースですが、十五階の窓から飛び出して行ったという証言もあります。単なる変人にそんなことはできないですから、怪奇現象に間違いありません」

 それはサンタというより、むしろ妖怪みたいなものだ。そんなのが突如として家にやってくるのはちょっと……いや、かなり嫌だ。できれば遭遇したくない。

「わたしたちの目的は虹色の髭をつけたサンタクロースを見つけ、写真に収めることです」

「つまり、いつも通りってことか」

 天邪鬼に酷い目に遭わされたのはつい最近だというのに立ち直りの早いことだ。いや、だからこそ積極的に怪異を追っていつものペースを取り戻すつもりかもしれない。

 わたしはサオリの様子をうかがう。ここ最近はいつも以上に真剣な顔をすることが多く、疲れを溜めている様子だから良い息抜きになると考えたのだが、なんと真面目な物思いに耽っていた。

「もしかして、結構危険なやつなのか?」

 心配になって訊ねるとサオリは重く頷く。

「サンタってかなり強いのよ」

 サオリの発言にキララは目をぱちぱちさせる。

「えっと、サオリ先輩ってまさかサンタクロースと戦ったことがあるんですか?」

「わたしじゃなくておじいちゃんなんだけどね。今から半世紀ほど前、空からプレゼントを撒いてクリスマスを徹底的に広めようとしたサンタクロース、大老のニコラスを数人の退魔師と協力して追い払ったの」

 なんとも壮大でトンチキな話だが、サオリの顔は真剣そのものだった。

「これは極端な例だけど、海外の、しかも強固な信仰から生まれた存在が揉め事を起こさないはずがなく。多くの暗闘を経て渋々、この国で活動することが認められた」

「つまり、サンタっているんですね」

 キララはサオリの話を単純化し、無邪気に瞳を輝かせた。

「この国に根差す神仏、妖、霊、その他諸々の多くに比べれば圧倒的にいる。多くの子供たちに信じられているから」

「でも、実際にプレゼントを贈るのは家族ですよね?」

「そういう約束が交わされた。信仰のバランスに配慮した結果として。他の国ではどうか分からないけど、この国でサンタがプレゼントを配ることはない。そんなことをすれば指導が下される」

 なるほど、だからサオリは真剣だったわけだ。無断でプレゼントを配る虹髭のサンタクロースを止める役割を担う必要があるから。

「つまり夜不可視の活動とも一致しているってことですか?」

「そうね……気は乗らないけど」

 本来ならじっちゃんの役目だが、代役として対応せざるを得ないのだろう。他人事ながら面倒なしがらみだなと同情したくなる。

「では今日の十八時、神社に集合でどうでしょうか。予定があるならリスケしますけど」

 キララはわたしをちらと見る。この中で予定が決まっていないのはわたしだけのようだ。

「今夜は大丈夫、バイトも喧嘩も予定はなし」

「では、夕食を一人分多く作って待ってます」

「それ、うちの食材なんだけど」

 キララはサオリをまあまあと宥め、わたしに目配せする。キララはいま、サオリの家で家事手伝いのバイトをしているのだが、元々定期的に家のことを手伝っていたのに加え、持ち前の要領の良さでいまや食卓を完全掌握している。だからサオリも不満こそ口にするけど、キララの意見を却下することはない。胃袋を掴んでいる者はいつだって強いわけだ。

「材料費くらい払うけど」

「いらない、貯めときなさい」

 サオリはわたしの提案を即却下する。冷たい言い草だがわたしの事情を考えてのことだろう。

「夕食、宿題、作戦会議で二時間を見て、二十時から活動開始。二十三時終了ということで良いですか?」

「構わないけど、サンタクロースって子供が寝静まった時間に来るんだろ? その時間帯だと起きてる子供もそこそこいそうだけど」

「それなんですけど、出現時間帯がそれくらいなんですよね。寝静まっていない時間に来るからこそ、目撃証言も結構あるわけで」

 行動パターンも通常のサンタと違うらしい。いよいよ気味が悪いし、関わりたくないやつだ。

「今回は面白い絵が取れると良いですね」

 十一月は活動なし、十月は腹痛の呪いという撮れ高なしの怪異だったため、二ヶ月ぶりの真っ当な活動ということになる。気味の悪いものなど出会いたくないけど、成果なしが続いてキララが落ち込んでいくのを見るのもしのびない。

 だからわたしとしては穏当かつ撮れ高のあるものをと願うほかなかった。



 学校が終わると家に戻り、夜回り用の荷造りに取りかかる。といってもウェストバッグに財布、スマホ、小型の懐中電灯、ハンカチ、ティッシュ、絆創膏と必要最低限のものを入れるだけだ。わたしは付き添い兼ボディガードなのでいつも荷物は少ない。

 サオリはもっとシンプルで財布とスマホ、退魔用の札だけをポーチに入れて持ち歩く。梟のように夜目が効くらしく、明かりの類は一切持ち歩かない。対するキララは大きめのリュックにウェストバッグという登山に行くかのような出で立ちで、リュックにはタオル、替えの下着、レインウェア、モバイルバッテリー、非常食、個包装の菓子、ペットボトルの麦茶などが入っている。そのままアウトドアにも行けそうだ。

『怪奇現象を追いかけていれば、異世界に迷い込むことだってあるはずですよ』

 というのがキララ談。異世界を想定するならテントや寝袋などのフル装備を準備しないといけないはずだが、そこまでは徹底していない。新しいカメラと配信機材を買うお金を貯めている現状ではとても手が届かないのだろう。

 準備はすぐに終わり、手持ち無沙汰になる。ここから教導神社までは十分ほど、まだ四時を少し回ったところだからあと一時間半くらいある。

 宿題は一教科だけ、期末試験も終わっているから内容も軽いもので、十分もしないうちに終わってしまった。あと一時間二十分。

 わたしは教科書とノートをしまい、運動用のタンクトップとショートパンツに着替えてからリビングに移動し、テーブルを端にどける。空き時間でイブさんに習ったトレーニングを反復することにしたのだ。

 現代は教本が豊富だし、道場やジムに行かなくても格闘技を学ぶことができる。そもそも喧嘩をしたいというわたしのような人間を受け入れてくれるところなどあるはずもないから、全て独力で学ぶしかなかった。喧嘩仲間にはホーリーランドかよと言われたが、返す言葉もなかった。

 ただ、全てが自己流のせいか最近は行き詰まりを感じ始めていた。教本やネットの情報をどれだけ反復しても、名人の技を擦り切れるほど繰り返し見ても、方向性の定まらない鍛錬には限界が来る。ジムや道場に入り、周りからの刺激を受け続け、大会にも出て、まっすぐに強くなる人たちには敵わなくなる。

 わたしが勝てるのは喧嘩だけだ、しかも人間相手の。普通に生きていくだけならそれでも良いかもしれないが、人ならざるものと渡り合うような用心棒としては明らかに不足している。

 イブさんはそんなわたしの前に現れた初めての師匠だった。



 突如として教導神社で暮らし始めた謎の女。縁あって滞在しているとのことだったが、真っ当な社会人とは思えなかった。荒んだ生活をしていると、同類がなんとなく分かるようになるのだ。

 この人はわたしよりもずっと、暴力に慣れているに違いない。

 その認識が正しいと分かったのは先月末、父から逃げて神社に転がり込んだ時のことだ。真夜中だというのに黒いスーツを着てどこかに出かけようとしている彼女にばったり遭遇した。

『深夜に神社参りだなんて、呪いたい相手でもいるのかしら?』

 自分こそどこかに出かけようとしているのに、とんだ挨拶もあったものだと思いながら脇を通り過ぎようとする。どうにも近寄り難い人だったし、夜闇に黒だというのにやけにくっきりと見えるのはなんだか気味が悪かったからだ。

 そんなわたしの気持ちを読んだかのように、彼女はにやにや顔で話しかけてきた。

『酷い怪我ね』

『分不相応な喧嘩をしただけです』

『いいえ、違う。喧嘩したならあるはずの、暴力を振るった痕跡が何もない。あなたはただ一方的に殴られた。相手がとても強くて敵わないから戦意喪失したのかしら?』

『じゃあ、そういうことにしといてください』

 面倒臭い絡み方をしてくるこの女を遠ざけたかった。だが、彼女は立ち去るどころかすっと近づいて来てわたしの肩や腕を触り始めた。逃れようとしたが彼女の手は巧みにわたしの全身をまさぐり、手で振り払おうとした時には既に距離を取られていた。

『実によく練り上げられている。日々の鍛錬を欠かしてない証拠ね。それなのに戦えなかった』

『つまり心が足りてないってことですか?』

 不貞腐れたように言うと、鼻で笑われた。

『人が心を鍛えたところでたかは知れてるのよ。簡単な洗脳にすら抗えないし、脳に針を指して電気を流せば感情を捏造できる。腸内環境を変化させるのも実に効果的かな。酒やクスリの過剰摂取などは言わずもがなよね』

 何を言いたいのか分からず黙っていると、彼女は玩具を見るような目をわたしに向ける。

『伸びしろが少ない、鍛えてもほぼ意味がない。心とはいわばエンドコンテンツよ。若くて未熟なあなたには他に鍛えるところがいくらでもある。わたしならあなたの暴力を指導し、明確な方向性を与えられる。自分の力に自信を持てれば、今は立ち向かえない相手にも立ち向かえるようになるかもしれない』

 魅力的な提案だったし、彼女にはそれができるだろう。あらゆる面がわたしより上で、教えを垂れるのにも慣れている。それでもすぐには首を縦に振らなかった。心配なことがあったからだ。

『力を伸ばして心がなければ、天狗になりそうな気がします』

『はっ、天狗大いに結構じゃない!』

 そんなわたしの問いを彼女は大いに笑い飛ばした。

『自分に満足し、褒めそやされる、それこそがスタート地点なの。自他ともに認められる力をつけられないでいるうちから驕り高ぶることを恐れるなんて、それこそ傲慢というもの。少女よ、まずは天狗になりなさい』

『天狗になって、その後はどうなるんですか?』

『どうにかなるとしか言いようがないわね』

 断言したかと思えば、次にはふわっとした答えが返ってきた。

『所詮は人間なんだから天狗になることは避けられない。それからはまあ、鼻っ柱を折ってくれるライバルに出会えるとか、友人が諌めてくれるとか、ふと自分で気づくとか、そういうイベントに遭遇することを祈るしかない』

『運ゲーってことですか?』

『端的に言えばそうね。そういうイベントを起こしてくれそうな関係を予め築いておけば回避できる可能性は高くなるけど、それでも確実とは言えない』

『正直なところ、運にはあまり自信がないんですけど』

 おおよそくじや懸賞で当たった試しがない。キララにソシャゲを勧められてもプレイできないのはその点が大きい。ガチャで低確率を引ける気がしないのだ。そんな躊躇いを見せていると、彼女は小さく首を傾げる。

『そう? 確かに家庭内暴力はよろしくないけど衣食住に困っていない、駆け込み寺がある、心の内を明かせる友人がいると、恵まれている部分もあると思うけど』

 お前の悩みなど大したことじゃないと言われたようで少しかちんと来たけど、その通りだ。それにあと一年三ヶ月我慢すれば、家を出て一人暮らしできる。喧嘩仲間のつてで就職のあてもある。できれば大学に進学したいけど、学を修めるのは大人になってからでも良い。

『少し考える時間をください』

『ふむ、前向きな返事だと受け取っておくわ』

 話がまとまったところで丁度、サオリが巫女服姿でこちらにやってくる。もしかするとわたしたちの会話が終わるのを待っていたのかもしれない。

『こんな時間に出かけるってことは本業か?』

『ちょっと修行しに』

 サオリの答えはわたしの予想から大きくずれていた。

『彼女はわたしの最新の門下生なのよ』

『というわけだから。家は自由に使って頂戴』

 わたしが引き止める間もなく二人は鳥居を潜り、どこかへ出かけてしまった。



 サオリが戻ってきたのは深夜三時を過ぎた頃だった。全身ボロボロで、足をひきずりながら部屋に入ってくるので慌てて肩を貸し、ベッドの縁に座らせた。なんとか服を脱ごうとしたが、それすらも辛いようだから、帯を解いて白衣と袴をゆっくり脱がせる。

 そして思わずうっと声をあげた。体の至るところに紫色の痣ができていたからだ。サオリをここまでぼろぼろにできるなんて、あのイブという女はいよいよ只者ではなかった。

『あの女、手加減を知らないのか?』

『これでも手加減したし、服で隠せない傷は治してくれた』

『そんなことできるなら全部治せば良いのに』

『痛みなくして得るものなし、だって』

 なんともスパルタなことだと思いながら、わたしは棚からパジャマを取り出し、着せてやった。痣をそのままにしているのは痛々しいし、半裸で放置というのは目に毒だったから。

『あと、治すのも訓練の一環みたい。人ならざるものを相手にするなら、人のほうから近づかないといけないって理屈を説かれたけど』

『サオリは人間だろ』

 わたしの言葉にサオリは何も返さなかった。つまりこの訓練は絶対に必要なことなのだ。人から離れていくことも。

『人をやめるつもりはない。死ぬつもりも』

 わたしはきっと酷い顔をしていたのだろう。サオリはわたしを慰めるように微笑んだ。

『だからいま、死ぬほど頑張るの。それだけのこと』

 サオリはなんて強いんだろう。それに比べてわたしはどうだ。天狗になることさえ恐れ、尻込みをしているなんて情けないにもほどがある。

『わたしもあの人に鍛えてもらったら強くなれるかな?』

 そんなことを訊くとサオリは痛みを我慢している時よりも嫌な顔をした。

『あいつは普通の人間にも容赦しない』

『望むところだよ』

 何に立ち向かうつもりかは知らないが、今より少しでも強くなれればサオリの負担を減らせるかもしれない。

『ユウコはいま辛いんだから。別の辛さまで抱える必要はない』

 サオリが辛いのはどれだけ殴られるよりも、痛めつけられるよりも辛い。

 そう言いたかったけど口に出せなかった。赤面しない自信がなかったからだ。

 朝まで休ませてもらったあと、プレハブ小屋を出て境内でラジオ体操をしている彼女に声をかけ、鍛えて欲しいと頼むと親指をぐっと立てた。

「わたしのことはイブと呼んで。本名はちょっと物々しくて親しみが足りないから」

 かくしてわたしはイブさんの門下に入ったのだった。

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