第二話 柔らかな牢獄(4)
授業の時間を除けば、その日のわたしはヒナタとヒカゲの機嫌を取っていた。わたしにきつく言われたことがひどく堪えたようで、狼に追われた羊のようにビクビクしていたからだ。言葉だけのフォローでは足りず、手を握ったり軽くハグしたりのスキンシップでも好意を示して、なんとか放課後にはいつもの気やすさに戻ってくれた。
部活に向かう二人を見送り、一人になったところで息をつく。たった一言、されど一言、下手をすればこれまでに築いていた良好な関係を崩してしまうのだ。分かっていないわけではなかったが、改めて思い知らされた。
やはり両親を不仲にするのはやめるべきだと、決意を新たにしてから下校しようとすると、門の近くでユウコ先輩から声をかけられた。
「どうしたんですか? 今日は夜不可視の活動はないはずですが?」
「うん、それは知ってる。サオリに予定は中止だと言われたからな」
「すると、今日は予定があったということですか?」
「わたしの記憶にはないけど、サオリが言うなら予定はあったんだろう」
からっと断言されてしまい、わたしは呆れと戸惑いを半ばしながらユウコ先輩に同調する。
「わたしも覚えてないんです」
「うーん、まあそういうこともあるかもな」
サオリ先輩との約束を二人とも忘れているのだとしたら明らかに奇妙なことだ。もしや、何らかの存在がわたしたちを欺いているのだろうか。
日本人形もどきの姿を思い浮かべたが、ユウコ先輩も忘れているならそいつとは違うのかな……。
「それよりさ、キララは放課後空いてる?」
そんなことを考えていたらユウコ先輩が予定を訊いてくるのでびっくりしてしまった。夜不可視の活動抜きで誘われるなんてあまりないことだから。
「大丈夫ですが、なにか奢ってくれるんですか? もしかしてくじでも当たったとか?」
「宝くじもサッカーくじも未成年は購入禁止だよ」
ユウコ先輩はわたしの額をぺちんと叩くふりをする。様々な異名を持つ人だし、周囲から恐れられてはいるものの、わたしにはこんな感じで適度に気安かったりする。
「サオリの家に行くんだ。じっちゃんが入院して大変だから家事の手伝いをするんだけど、キララにも手伝ってもらえると助かるかなって」
「んー、まあ良いですよ。サオリ先輩にはいつもお世話になってますからね」
ここで後輩としての甲斐甲斐しさを見せておくのも良いかなと思い、あっさりと引き受けた。
「普段から家事手伝いとかしてるんですか?」
「たまに泊めてもらってる。ほら、家に居づらい時とかさ」
「あー……そういうことか」
ユウコ先輩の家庭事情ならよく知っている。逃げたくなることもあるだろう。
「場所代とかメシ代とか、そんなとこ。等価とは言い難いけど」
「ああ見えて情に厚いところがあるんですね」
「サオリは良い顔をしなかったけど、じっちゃんがオッケーしてくれたんだ。お前を頼ってくる友人なんて次はいつできるか分からないから大事にしろって。その時のサオリの顔ときたら、ハシビロコウよりへんてこだったよ」
その時のことを思い出したのか、ユウコ先輩はおかしそうに笑う。やむを得ない事情とはいえ、そんな二人の関係が少し羨ましかった。
「わたしも見てみたかったですね」
「どうかな。キララは後輩だから」
「それってどういうことですか?」
「ああ見えてサオリは先輩風を吹かせたいと思ってるんだよ。だからキララの前で変顔はしないはず」
いつも澄まし顔で冷静なのはそんな理由だったのか。少しは理解が及んできたのかと思っていたが、わたしはまだサオリ先輩のことをよく分かっていないらしい。
「キララはもっと気安いほうが良いと思うかもしれないけど、そういうとこがサオリにとって精一杯の友情というか、親愛の表現なんだ」
「そんなもんですかね」
そんなもんだよと返されてもいまいち納得できなかったが、サオリ先輩に疎まれていないと分かって内心かなりほっとしていた。
わたしのほうから無理矢理押し掛け、無茶なお願いばかり聞いてもらっているという自覚があったからだ。
サオリ先輩の家は○○高から十五分ほど歩いたところにある。小高い丘のてっぺんに建っているから百段ほどの階段を登る必要があり、最後に鳥居を潜るとこじんまりした社殿、御手水、社務所兼住居などが目に入ってくる。
教導神社といえばこの辺りでは非常に有名だ。どう有名かといえば、見栄えはそのまんま神社のくせに神様を祀っていないのである。教導神社というのもそう呼ばれているだけであって、そもそも正式名称は存在しない。
『皆が好きなように祈り、参れば良い。何もないというのはそういうことだ』
というのがサオリ先輩のじっちゃん談。どうしてそんなものを建てたのかは知らない。聞く機会はあったのだが、話せば長くなると言われてじゃあいいですと断った記憶がある。
神を祀っていないといっても馬鹿にしているわけではない。近隣の神社に勤めている神主がサオリ先輩のじっちゃんを訪ねてきて、仲良く悪口を言い合っているのを見たこともある。それでも神を祀ることのない施設を作ったのだ。
戦中戦後と色々あったみたいというのがサオリ先輩談。その色々はじっちゃんが望めばわたしにでも誰にでも話してくれるのだろう。
社務所兼住居はこじんまりとした平屋で、その奥にほぼ接する形でプレハブ小屋が建っている。年頃なら個室がいるだろうとサオリ先輩のために用意したものらしい。
「キララは社務所に掃除機をかけてくれ。わたしは社殿のほうをやるから」
ユウコ先輩は押し入れから取り出した掃除機を預け、バケツと雑巾を持って外に向かう。
わたしは掃除機を手に持ち、台所、居間、じっちゃんの寝室、廊下と順に片付けていく。最後がサオリ先輩の部屋で、社務所とプレハブ小屋は繋がっていないから靴を履いて外に出る。ユウコ先輩は手慣れた様子で社殿の掃除をしており、ここに来て家事手伝いをしているのは本当だということがよく分かる。
ノブに手をかけてから鍵を持ってないのに気づいたが、不用心なことに錠はかかっていなかった。いつでも冷静そうだがスマホの充電の件といい、じっちゃんのこととなればサオリ先輩も人並みに粗忽なところを見せるらしい。
何度か上がらせてもらったことはあるが、わたしの部屋と間取りはさほど変わらない。目立つ違いはクロゼットが一回り大きいことくらいだ。制服、私服のほかに仕事用の巫女服も入っているから、大きなクロゼットが必要なのだと説明してくれたことがある。
あとパソコンがかなりごっつい。わたしはBTOでそれなりのスペックのノートを使っているのだがサオリ先輩は自作勢であり、いわゆるハイエンド構成となっている。教導神社のサイトを始めとして寺社仏閣向けにいくつかサイトを制作した実績があり、ネットや電話で軽い運用や保守も受け付けているのだとか。
以前に神社らしからぬ副業だと指摘したら、不動産業やマンション経営よりはずっと地道だと返されてしまった。年金は安くなる一方、税金は増える一方、本業は不定期で安定しない、しかも神社だけど宗教法人じゃないし、などと説明され、更に踏み込んだところまで丁寧に解説されそうだったから途中で遮ってしまった。いつもはもっと冷静なのに、珍しく愚痴多めだったからびっくりした。
そんなことを思い出したのでパソコン周りの電源コードに引っ掛けないよう、他の部屋より慎重に掃除機をかけていく。無事に一通り終わったところでユウコ先輩が戸口にひょっこりと顔を出した。
「鍵を渡し忘れてたなと思って来たんだが、開いてたのか?」
「うん、入ったらまずかった?」
「そんなことはないが、サオリらしからぬ不用心さだなと思ってな。部屋のパソコンにはプログラムのソースや顧客情報も入ってるから。頑丈なチェーンをつけてるし、外付けデバイスは使えなくしてるから情報は簡単に盗めないとは思うけど」
「じっちゃんの入院で忘れてたんですかね」
「だろうなあ。サオリはおじいちゃんっ子だし」
サオリ先輩はじっちゃんに対し、割と塩対応っぽかった記憶があるけど、あれは一種の照れ隠しなのだろうか。
「掃除が終わったなら鍵をかけとくか」
ユウコ先輩は鞄から鍵束を取り出し、サオリ先輩の部屋の鍵をかける。
「信頼されてるんですね」
家の鍵だけでなく、部屋の鍵までとは相当だ。
「おじいちゃんを起こすのはしのびないからってしぶしぶ渡してくれたんだ。わたしはほら、夜中の訪問になることが多いから」
「なるほど、サオリ先輩なら大丈夫ってことですね」
普通制の学校に通い、副業に精を出し、しかも本業のため夜を徹することもざらにある人だ。
平均三時間しか寝ていないとの話にナポレオンみたいですねと返したら、彼は代わりに昼寝していたみたいだけどと知識を訂正された上で、能力持ちの特権だと軽く片付けられてしまった。わたしなんて三時間睡眠を三日続けただけで肌荒れが悲惨なことになったのに。
「まあ、じっちゃんはよく夜更かししてるんだけど。最近はVの耐久ゲーム配信を見るのが趣味らしい」
ユウコ先輩の言葉にわたしは思わず息をつく。もうじき九十になる老人の趣味ではない。サオリ先輩も超人だけどこちらも負けてはいないわけだ。足の骨にヒビが入ったとのことだけど、案外あっさりと退院してくるかもしれない。
「こっちも終わったし、次は夕食の準備だな。ご飯炊いて冷めても美味しい煮物を作って、あとは適当」
適当と言いながら、ちょっと摘ませてもらった料理はとても美味しかった。わたしはお米を研いで、少しばかり野菜の皮を剥いて、残りは全部ユウコ先輩がやった。
それでも恐縮するくらいに感謝された。至って常識人だし、ややぶっきらぼうだけど優しいし、美人だし、遠巻きに見てるだけってのは勿体ないんだよね。
まあ、ヤバい人なのも本当なんだけど。
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