第二話 柔らかな牢獄(3)
「なんか元気ないみたいだけど、大丈夫?」
「また夜更かししたの?」
登校して早々にヒナタとヒカゲから続けて指摘され、我ながら分かりやすくて驚いてしまったし、じっと覗き込まれてどうにも落ち着かなかった。
「目の隈はないし肌荒れやニキビの兆候もなし」
「お腹痛いんだったらカイロ使う?」
「いや、大丈夫だって」
「でも体育祭の時はずっと調子悪そうだったし」
「最近は寒暖差が激しいから体を冷やしやすいんだよね。気をつけないと」
先月の体育祭で具合が悪かったのは伝染する便意という微妙かつ厄介な怪異に襲われていたからだ。体育祭を中止にしないと恐ろしい呪いをかけるという脅迫を無視して決行した結果、サオリ先輩の懸念通り酷いことになったのだ……主にわたしが。
伝染すれば唐突かつ速やかに、大小ともども爆発する……という事態の連鎖を防ぐためサオリ先輩の作成したお札に護られたわたしが呪いを引き受け、トイレに運ぶことを繰り返した。お陰で体育祭が汚物塗れの惨状になることは防がれたが、わたしの尊厳は破壊された。サオリ先輩が呪詛返しをしたため、呪いの主が世間に顔向けできなくなったことだけが唯一、胸のすくことだった。
怪異絡みのことを話すわけにはいかず、どう誤魔化そうか考えているうち無性に苛々してきた。
「そういうの、余計なお世話だって」
つい口に出してしまい、慌てて謝ろうとしたがやめた。わたしにきついことを言われて顔を青くしている二人を見ていると、なんだか無性に楽しくなってきたからだ。
もっと傷つけるための言葉を考えていると、普段あまり話をしない女子が近付いてきた。
「草那さん、上級生の人が……」
はっきりしない物言いだが、指さした方を見てすぐ納得がいった。サオリ先輩が立っていたのだ。あちらから訪ねてくるのは珍しいことで、そして喫緊の問題だと相場が決まっている。
わたしが席を立つ前に、ヒナタとヒカゲが二人揃ってサオリ先輩に突進していく。
「モトコに何の用ですか?」
「連れ去り事案はお断りですよ」
「そんなことしない」
犬のように追い払おうとするも、ヒナタとヒカゲはサオリ先輩を鋭く睨みつける。
「すみません、ヒナタもヒカゲも何か勘違いしているみたいで」
慌てて声をかけるとサオリ先輩はごく僅かに頷く。気にするなということだろう。この謎多き先輩と関わりを持ち始めてから約半年、ようやく言外の意図を少しだけ汲めるようになってきた。ユウコ先輩に比べたらネイティブと短期ホームステイくらいの差があるのだけど。
「まずいことでもあったんですか?」
「おじいちゃんが悪い転び方をして、足の骨にヒビが入ったの。それで即日入院ってことになった」
「それは一大事ですね。年を取ってからの足の怪我は良くないと聞きますし」
怪我自体は治るとしても老いが重なるとリハビリが難しくなる。もうすぐ九十の大台に乗るし、僅かな環境の変化で一気に老け込みかねない。サオリ先輩もそのことを理解しているのか憂いを帯びた顔を浮かべ、それから小さく頭を下げた。
「色々やることができたから今日の用事はキャンセルってことで」
「今日の用事、ですか?」
サオリ先輩と約束をした覚えはないし、夜不可視の活動も予定していなかったはずだ。
「すみません、記憶にないです」
「そう、ならわたしの勘違いかな」
「サオリ先輩の記憶ほど信用できるものもありません。きっとわたしがど忘れしたんだと思います」
もっと些細なことなら兎も角、サオリ先輩との約束を忘れるなんて相当だ。メモや予定表なんて面倒だと思っていたが、今後は使っていくべきなのかもしれない。
「でも、直接会いに来るなんて珍しいですね。いつもはメッセージなのに」
「充電を忘れたの、ゴタゴタしてたから。ユウコは機種が違うからケーブルが合わなくて」
「じゃあ、わたしのを貸してあげますよ」
林檎印は規格が統一されてるから、こういう時に融通が利きやすい。
「助かる。病院から連絡があるかもしれないし、他に手がなかったら先生に事情を説明して職員室で充電させてもらうつもりだった」
自分の席に戻り、鞄からバッテリーを取り出す。スマホはあらゆるシーンで必須、夜不可視の活動では動画撮影にも使うから、セールを機に容量と充電速度が優れたものを買っておいたのだ。本当は撮影専用のアクションカムを買いたいけど、高いやつは迂闊に手を出せない。そして半端なものを買うくらいならスマホのカメラで事足りる。
「この恩はいずれ返すから」
「恩だなんて大げさですよ。わたしとサオリ先輩の仲じゃないですか」
サオリ先輩はいつもより少しだけ強く頷いた。照れているのだとしたらもっとからかってやりたいという悪戯心が首をもたげたけど、わたしが何か言う前にさっと背を向けてしまう。かと思えばほんの僅かだけ振り向いた。
「しばらくは困ったことがあってもすぐに対応できないかもしれない。念のために言っておくけど、妙なものを見ても一人で追っちゃだめ。わたしに報告して」
いつも通りの物言いなのになんだかむかっと来た。心配されてるのは分かるけど余計なお世話って感じ。夜不可視の活動を始めて大分経つし、修羅場もいくつか乗り越えてきたんだからもう少し信頼してくれても良いのに。
そんなことを考えていたらじっとりした視線を感じた。振り向けばヒナタとヒカゲが不安そうな目をこちらに向けていた。
「貸したバッテリーって返ってくるの?」
「カツアゲだったらわたしたち、カチコミだってなんだってやるよ」
「さっきのどこにいじめの要素があるのよ。ごく自然な先輩と後輩の会話じゃない」
ヒナタとヒカゲはなおも怪訝そうだったが、少しすると揃って暗い表情を浮かべた。
「ごめん、くどくど言われるの嫌なんだよね」
「これまでにも嫌なことがあったの?」
妙に深刻な物言いだった。わたしが何か変なことを言ったのだろうかと会話を遡れば、すぐに妙な感情ときつい言葉に辿り着き、自分でも当惑するしかなかった。
「わたしこそごめん、酷いこと言ってた」
慌てて謝ると、ヒナタとヒカゲは逆に恐縮した様子だった。
「ヒナタとヒカゲのことを嫌だと思ったことなんて一度もないよ」
構われ過ぎるのが鬱陶しくて邪険に扱うことはあったが、いつも仲良くしてくれる二人のことを嫌いだなんて考えるはずがない。
「ちょっと……うん、両親が喧嘩しちゃってさ」
言い訳のように口にしてから、わたしは日本人形とぬいぐるみの合いの子みたいなやつのことを頭に思い浮かべた。わたしには確かに行きあたりばったりなところがあるけど、サオリ先輩の忠告をあっさりと無視し、あいつの口車に乗ったのも今から考えれば妙なことだ。
もしかしてあいつ、わたしの心もいじくったのか?
「そう、なんだ。確かに嫌だよね、親の喧嘩って」
「居心地が悪くて心細くなっちゃう」
不安そうな表情を浮かべたところを見るに、ヒナタとヒカゲも両親の不仲で悩んだことがあるらしい。むしろこれまで一度も経験したことのないわたしのほうが珍しいのだろう。
「前に両親が仲良すぎて困るって言ってたけど、喧嘩はするんだ」
「そりゃそっか、喧嘩しない親なんていないよね」
両親が喧嘩するのは今朝が初めてとは言い出せない空気だった。繕い方も分からず曖昧に頷いたが、ヒナタとヒカゲはそんなわたしの態度を同意と受け取ったようだ。
「うちの場合は年に一、二回だしすぐ仲直りするんだけど。やっぱ怖いし、色々と考えちゃう」
「もし離婚したらわたしたち別々になるのかな、とか。転校しなくちゃいけないのかな、とか」
二人の言葉にわたしはぎくりと肩を震わせる。現実でも創作でも離婚の危機はありふれているけど、わたしには関係のない遠い出来事だと思っていた。
でも、今はそうじゃない。
あの変なやつに両親の仲が悪くなるのを止めさせないといけない。そんなことを望むべきではなかったのだ。
サオリ先輩に話せば、きっとすぐに探し出してくれるだろう。でも、まずはわたしだけでなんとかしてみることにした。家族が入院していて大変だろうし、身から出た錆なのだからまずは自分で落とそうとするべきだ。
別に難しいことじゃない。家に帰ってあの奇妙なやつに両親の仲を元に戻してと頼めば良い。
それで全てはきっと元通りだ。
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