第二話 柔らかな牢獄(1)
「みんなの学校には七不思議ってあるかな?」
不自然で甲高い声がそう問いかけると、少し間を置いて回答が雪崩れていく。そんなもの物語だけの話でしょう、一つか二つ程度かな、昔はあったけど今はないなあ、うちは七つあるよ、七つじゃ足りないくらい、などなど。
答えがここまで割れると幅広いアクセスを得られてるんだなって、ちょっとにんまりしてしまう。盛り上がりやすい話題のお陰というのもあるんだろうけど。
《今日はスタンダードなんだね。いつもヘンテコなことばかり追いかけてるのに》
「たまには王道も良いかなと思って。わたしの通ってる学校だと六つ、だからなーんか中途半端なのよね。誰かが嘘でも良いから盛って七つにしそうなものなんだけど」
《不思議のくせに誠実ってこと?》
《七不思議にルールは無用だろ》
《やっぱ怖いっすね、七不思議は》
治安の悪いコメントが流れていくのを楽しみながら、どう話を膨らまそうかなと考えていると、奇妙な発言が課金枠で流れてきた。しかも赤色の一万円だ、わお。
《東京の○○高に七不思議の八番目ってあるんだけどさ、みんな知ってる?》
感謝を口にしようとして、ぴたりと止まる。見過ごせない情報が含まれていたからだ。
○○高はわたしの通っている学校だ。プライバシーを知られているのかと一瞬焦ったが、配信をやっていることは大っぴらに語らなくても隠しているわけではないし、サオリ先輩やユウコ先輩との会話を聞いてピンと来る人もいるかもしれない。アバターと変声器はあくまでも薄っぺらな仮面にしか過ぎないのだ。
とはいえわざわざ、自分から正体を明らかにするつもりはさらさらない。
「赤チャありがと、太っ腹だね。ボーナスにはまだ少し早いと思うけど」
今は十一月下旬、冬のボーナスは来月支給のところがほとんどだ。いつでもお金が余ってて、あちこちに意味深な発言をばら撒いている物好きなんだろうか。それともお前を特定しているぞという合図だったりする?
色々な可能性を考えながら相手の反応を待っていたが、一分経っても返事はなかった。
「リクエストってことで話を続けるけど、心当たりのあるリスナーっている? 学校バレに繋がるから答えは沈黙、でもいいんだけど」
回答は期待してなかったが、二つも返事があり、どちらも六つしかない不思議を語った。しかもわたしが収集したのとは全く異なる話だった。
「六つしかない不思議ってうちだけかと思ったけど他にもあるんだねえ」
白々しい発言だったが、もしかしてキララも○○高の生徒なの? とは誰も訊いてこなかった。もっとオープンに個人情報を語り合うようなスペースもあるのだが、わたしのチャンネルではみんなできるだけ個人が特定されるような情報は避けている。そのルールはわたしには適用されないはずだけど、配慮してくれてる。ありがたいね。
それにしても、こんな偶然で通ってる学校が特定されそうになることなんてあるんだろうか。もしかすると不思議が六つしかないというのでピンと来てかまをかけられた? でも、六不思議だって探せばそれなりにありそうなんだけどな。
何が正しいかは最後まで分からないままだった。あの発言をした何者かはそれから一度も反応がなく、沈黙を保ち続けていたからだ。
六不思議の件は曖昧になり、それぞれの学校で噂されている不思議の話に入れ替わると、気まずさで凪ぎかけていたコメントは新たな風を得て活発になった。ギャグのような話から洒落にできないような話まで、皆が学校の不思議で盛り上がり、気付けば三時間が過ぎようとしていた。
普段の配信は二時間上限、よほど興が乗ったときだけ一時間延長するのだが、そのことを忘れてしまいそうになるところだった。
「みんな盛り上がってるとこ申し訳ないけど、明日も平日だしそろそろお開きにするね。チャンネル開きっぱなしでチャットできるようにしても良いんだけどさ、みんなを寝坊させたら悪いし。夜更かしは三白眼の吸血鬼に気に入られた時だけ」
父が最近気に入ってる作品のネタを入れたら分かる人が何人か反応を返してくれた。わたしはああいうの観ないんだけど、仄めかすと喜んでくれる人がいるからついやってしまう。
とはいえ今更、流行りのドラマが普通に好きなんて言えない。妙な設定をくっつけるんじゃなかったと、そこだけは後悔しているのだった。
配信切断、変声器オフ、カメラとヘッドセットの接続を切って戸棚にしまう。それから一時間ほどかけ、次の配信の準備を済ましてからパソコンの電源を切る。
もう、深夜一時に近かった。
「さてさて、六時間は寝ないとね」
もう少しネットを漁りたかったが、夜更かしするとお小言のうるさい友人の顔を思い出し、寝支度に取りかかる。といっても歯を磨いて小用を足すだけだ。
でも、そんな簡単なことさえできなかった。リビングから両親の声が聞こえてきたからだ。わたしはドアをそっと閉め、頭から布団を被る。歯磨きは明日の朝にすれば良いし、用を足さなくても大丈夫だろう。同じ理由でたまに我慢するけど、これまでにおねしょしたことはない。
「わたし、十六なんだよ。多感な時期ってやつ。それなのにさあ、遠慮なく……」
わたしの父と母は仲が良い。十六の娘がいるとは思えないほどに。お互いに飽きることなく、今でもまるで新婚のような熱を帯びている。
両親の仲が良いのは悪いことではない。不仲だったり、離婚して片親であるよりはずっとましだろう。
それにわたしを蔑ろにしたことは一度もない。参観日にはいつも父か母のどちらかが来てくれた。誕生日は毎年二人で祝ってくれるし、記念日におねだりすれば大抵のものは買ってもらえる。厳しく怒鳴られたことも、叩かれたことも一度もない。
愛に溢れた家庭だと皆が評価するだろう。わたしもそう思う。ユウコ先輩やサオリ先輩のことを考えると、不満を口にするのはもちろんだし、心に浮かべるだけでも贅沢なんだろう。
そうなんだけどさ。そういうことする時はせめて部屋に戻ってからにして欲しい。リビングのソファで始めるだなんてさあ、わたしが通りかかるかもしれないことくらい、考えられないのかな。夜更かししない良い子だという認識のままでいるんだろうか。
まあ、いいんだけどさ。
どうにも目が冴えたし、意識するとむずむずしてきた。一時間もすれば一通り終わってるだろうし、それまではトイレを我慢し、頑張って起きていることにした。スマホで調べ物をしたり、配信を観たり、零時更新のソシャゲデイリーを消化したり、やることはいくらでもある。
眠らなくても、トイレに行かなくても生きられる体になれたら良いんだけどな。サオリ先輩の知り合いには結構いそうだけど、わたしはちょっとだけ厄介ごとに出会いやすい普通の女の子だからきっとなれないんだろう。
それはうん、残念なことだなあと思う。
「あっ、モトコったらまた夜更かししたでしょう?」
「夜更かしはダメって昨日言ったばかりだよね?」
教室に入ると間髪入れず、ヒナタとヒカゲが声をかけてきた。今日は朝練する運動部員よりも早く登校したが、それでも遅かったようだ。二人に顔を見られないよう、小休憩はトイレが近い振りをして教室を抜け出し、朝と昼休みはずっと先輩の所で過ごすつもりだったのに。
「ごめんごめん、動画を観てたらつい夢中になって」
「いいえ、許さない。有罪確定」
「よってむにむにの刑に処す」
ヒナタとヒカゲはそれぞれ右と左からわたしの頬を摘んでむにむにを始める。別に罰じゃなくても挨拶代わりで同じことをされるんだけど、約束を破ったのでしばらくはなすがままにされた。いつもはさっさと手で払うのだが。
二人とも気が済むと鞄からチークと鏡を取り出し、わたしの目にできていた隈をちょいちょいと隠す。それから乱れていた髪を直し、鏡のように頷き合った。
「これでよし、カワイイヤッター」
「でも夜更かしはダメ。隈は癖になるから」
「分かった、今度こそ気をつけるから」
両親があれやこれやしてて、トイレを我慢したから眠れなかったなんて、仲の良い友人にも言えるはずがない。それに用を足してからもしばらくネット散策を続けていて、純粋な夜更かしもしたから言い訳はできなかった。
「朝早いってことは、先輩たちの所に行くの?」
「うん、ちょっと用事があってね」
昨夜の配信で話題になった七不思議の八つ目の件で相談するつもりだった。
「お昼は空いてるよ」
「そっか、じゃあ良し。食堂? それともパン?」
「今日は唐揚げ定食って気分かな」
予定が大体組み上がったところで、そろそろサオリ先輩とユウコ先輩のクラスに向かうことにした。二人とも部活には入っていないが、登校は早いので会の活動の話をするには朝が最も都合良いのだ。昼休みはわたしと同じでクラスの付き合い優先、放課後は何もなければさっさと帰ってしまうから朝のうちに話をつけておかないと、その日の予定が立てられない。
授業と授業の合間に小休憩があるけど、大体は次の授業の準備に使うものだし、余白が足りない。サオリ先輩曰く不要な話が長過ぎる、要点だけちゃちゃっと話せば良いとのことなんだけど、わたしは寡黙キャラじゃないから無理なんだよね。最近はちょっとだけ意識してるけど。
「タマ取られないように気をつけてね」
「ヒカゲったら先輩たちのこと、クマとかイノシシとかヤクザみたいに思ってない?」
「似たようなものじゃない?」
ヒナタの答えに苦笑せざるを得なかった。二人とも猛獣どころかわたしが霞むくらいの美人なんだけどな。ユウコ先輩は背が高くしゅっとしてて、髪の毛一本まで凶器になりそうなタイプ。サオリ先輩は美の全てがコンパクトにまとまったタイプ……と説明したら、モトコの可愛いは分かりにくいって言われたけどそんなことはないはずだ。
例えばヒナタとヒカゲは髪の毛から爪先までふわふわして柔らかそうなタイプの美人で、しかも双子だから神社に鎮座する
そんなわけでわたしは阿吽に見守られる巫女のように教室を出るのだった。巫女はわたしではなくてサオリ先輩なんだけど。
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