第一話 エコーチェンバー(2)
じっと見られている気がして机に伏せていた顔をあげると
「起こしてごめん。後にしろって言ったんだけど」
教導さんはいかにも気怠げで、うんざりといった調子を隠そうとしていない。そんな先輩に気付いていないのか、それとも気付いていて我を押し通しているのか、後輩ちゃんはわたしの顔をじっと覗き込んできた。
「その頬の傷って喧嘩でついたんですか?」
物言いも実にまっすぐで遠慮がないし、わたしの評判を知っているはずなのに物怖じする様子がない。一つ年下なだけなのに若いなあと思ってしまった。
「そんなとこ。で、何が知りたいの?」
「実はわたし、エコーチェンバーを探してるんです」
つい眉間に皺を寄せると後輩ちゃんは咄嗟に半歩退く。恐れが全くないわけではないらしい。
「わたしは音響施設に詳しくないし、ネットの炎上にはあまり興味がない」
「ええ、存じていますよ。わたしが探しているエコーチェンバーとはコピー怪人のことなんです」
きちんと説明しているつもりだが、わたしには後輩ちゃんの言いたいことが全く理解できなかった。
「特撮ごっこなら余所でやって欲しいんだけど」
「いえ、これは特撮の話ではなく怪奇現象の話なんです。わたしとサオリ先輩は夜の街に不可思議を視る会、略して
同じ教室にいれば彼女と教導さんの会話は嫌でも聞こえてくるし、不思議を求めてフィールドワークごっこをしているのもなんとなく知っている。
だがわたしには一切関係のないことだ。これまで十六年と数ヶ月を生きてきたし、夜の街を歩くこと数え切れないけど、怪異の類に遭遇したことは一度もない。
「エコーチェンバーと怪奇現象に何の関係が?」
そして何故、わたしに声をかけてくるのか。後輩ちゃんの中でそれらは完全に繋がっているらしく、すぐさま答えが返ってきた。
「スポーツ漫画や格闘漫画で良く出てきますよね、相手の技をすぐさまコピーして使いこなしたり、コピーした技を増幅する能力者が」
「ああ、ようやく理解した。そういうやつね」
強者ムーブからのかませになって早々に退場していくやつだ。それを最初から言ってくれればすぐ答えることができたのに。
「そんなやつ、見たことも聞いたこともないよ」
「ふむ、不良界隈に顔が利くということでしたが」
「界隈と言っても広いからね。わたしが把握してないことなんていくらでもある」
「ネットの情報にあったんですよ。◯◯の辺りで相手と全く同じ動きをして倒すやつを見たって」
曖昧な発言だし、ただでさえネットの情報なんて嘘偽りがいくらでも溢れている。そんなものを信じて、わたしのような人間にまで声をかけるだなんてよほど純真なのか、さもなければ頭のねじが外れているとしか思えない。
「それ、どこ情報なの?」
「そこそこ信頼できる筋とだけ言っておきます」
胡散臭いと思ったが、軽く息をつくに留めておいた。
「最初は男にナンパされていたそうで、あまり評判の良くないやつだから目を合わせないようにして通り過ぎようとしたんですが、そいつはナンパ男を挑発するようなことを繰り返しまして」
「ナンパ男がかっとなって手を出したと。そのエコーチェンバーってのは女なのか?」
「それはお堅い決めつけですが、今回はそうですね。ナンパ男は軽く脅すつもりでこづいたのですが、強めにこづき返されまして。次に顔を赤くして殴りにかかったら塀に叩きつけられるほど強く殴り返された」
話の雲行きが変わり、先が気になってくる。最初は支離滅裂だと思っていたが、分からないことを分からないまま話して徐々に情報を埋めていく語りを好むのだということが分かってきた。
「なんとも珍しい光景につい見入ってしまったわけですが、そのうちに二人が全く同じ動きをしていることを発見したわけです。男が殴り、女が全く同じ動きで少しだけ強く返す。女のほうも攻撃を受けていたから無傷ではないはずですが、男がついに倒れてしまったあとはしっかりとした足取りで去っていったそうです」
「女の圧勝だったってことか」
倒された男がどんなやつかは知らないが、先程の話から喧嘩慣れしていることがうかがえる。そんなやつ相手に、後の先を貫いて勝つなんて余程の実力が必要だ。
「驚異的で人智を越えているように思えますが、わたしは暴力に詳しくないのでそういう喧嘩をする人がいないとは言い切れませんでした」
そこで喧嘩慣れしていて顔が広いわたしに声をかけてきたということか。衝動的なようで色々と考慮して行動しているわけだ。
だからわたしもしっかりと考えて質問に答えた。
「あなたが語ってくれた怪人のような動きができるやつだけど、わたしにはやはり心当たりがない」
「じゃあ、そいつは人外ってことで確定ですか?」
後輩ちゃんは期待に目を輝かせているが、わたしは小さく首を横に振る。
「あくまでもわたしの知る範囲ではいないってだけだよ。その女を他にも目撃したやつがいないかどうか、伝手を頼って訊いてみる。あと怪人に倒された男の情報も」
「ほんとですか? ありがとうございます。実はそうしてもらえると助かるかなと思ってたんです」
やはり彼女は頭の回転が早い子だ。興味本位でオカルトを追い、夜の街を歩くのは感心できないけど、単なるミーハーなら教導さんが参加するようなこともないはずだ。
「勇気を出して相談して良かったです。実を言うと良くない噂を色々と聞いていたんですが、少なくともわたしの話を馬鹿にしない人だということは分かりました」
なんとも包み隠さないなあと思ったが、不快とは感じなかった。
情報交換のためチャットツールで相互になると、すぐに《これからもよろしくお願いします》とメッセージが飛んできた。これが単なる社交辞令なのか、本当にこれからも世話になるつもりなのか。
どうも後者のような気がしてならなかったけど、後輩ちゃんのまっすぐな笑顔を見てると何も言う気にはなれなかった。
「もうすぐ朝礼なので教室に戻りますね。そうだ、これからユウコ先輩って呼んで良いですか?」
「好きに呼んでくれて構わない。わたしはキララって呼べば良いのかな、それとも……」
以前に彼女のクラスメイトがここに来たとき、別の名前で呼んでいたことを思い出して訊いてみた。
「キララって呼んでくれると嬉しいです」
するとこれまでの明るい表情が遠のき、怯えるような視線と表情が突き刺さる。
「分かった、これからそう呼ぶようにする」
明るく真っ直ぐな子だと思っていたが、何かしらの冥い事情を抱えているらしい。それが何かは分からないが、相手の気持ちに寄り添うことはできる。
面倒だけど、世の中は面倒でできている。避けることは決してできない。そういうものだ。
キララが教室を後にすると、わたしはずっと黙っていた教導さんに目を向ける。いつもの仏頂面だがほんの僅かだけ口角が緩んでいるように見えた。
「ありがと、キララの我侭につきあってくれて」
次の瞬間にはいつもの調子だったから錯覚だったのかもしれないけれど。
「悪い子じゃないの。ただちょっとだけ色々なものに触れやすくて、それでいて好奇心を隠そうとしない」
「だから教導さんが側についてるの?」
「キララの追いかける問題は結局のところ、わたしが対処しなければいけない問題になる」
それはまるで教導さんが怪異の起こす問題を解決しているかのようだ。神社の巫女というのはそんなことまでやらなければいけないのだろうか。
「じゃあ、あの子に協力するのは教導さんの役にも立つってこと?」
わたしの問いに教導さんは目をぱちくりとさせる。どうやらわたしの指摘は彼女にとって、思いもよらなかったことらしい。
「わたしに協力するのは嫌?」
「違う違う、むしろ逆だって。教導さんには同じクラスになってからいつも世話になってるし」
教導さんはわたしの評判を知っているのに物怖じすることなく、グループ行動ではいつも声をかけてくれる。面倒なことで時間を取りたくないからと前置きされたけれど、本当に面倒が嫌ならわたしやキョウカのような面倒の塊と組んだりはしないはずだ。
「わたしはキョウカみたいに知識で貢献できないし、かといって腕っぷしを披露するわけにもいかないだろ。だからこれまで何もできなかったんだよな」
割と切実な思いなのだが、教導さんはそんなわたしのまごつきようを軽く鼻で笑うだけだった。
「それ、笑うところなのか?」
「ええ。それよりキララへの協力、頼んだから」
「はいはい。そうだ、教導さんも相互になっといたほうが良いかな?」
迷惑かなと思いながら訊ねてみると、教導さんは素早くスマホを取り出した。そして相互になったことを確認すると満足そうに頷き、何も言わず自分の席に戻っていく。
相変わらずよく分からない人だなと思う。成績優秀、きつく細めてもなおくっきりとした目元、すらっとした鼻梁に薄めだけど形の良い唇、指で軽く弾いただけで折れそうな細いあご。肩までの無造作に切り揃えられた髪はわたしと同じ黒髪かよと思うくらいに細く艶やかで、猫のような痩身と相まって爪先まで隙がない。
テレビに出るような人たちを別枠として、教導さんほど綺麗な人をわたしは他に知らない。浮き世離れしていると言えるほどだ。誰も声をかけられなくて、わたしやキョウカのような厄介ものと一緒になったことでその不可侵性は覆せないものになった。
そのことを申し訳ないと思う気持ちがなくもない。もっと明るい生徒とグループになってちやほやされることもできたはずなのだ。わたしは貴重な青春の一年間を彼女から奪ったのではないか。
今更過ぎるなと思いながらキララに聞いた内容を適度に脱臭し、二つの質問にまとめ、グループに流した。
一つ、喧嘩が妙に上手い女の噂を知らないか。
二つ、喧嘩に負けていらいらしてるやつがいないか。場所は◯◯の辺りで素行や評判が悪いやつ。
一つ目は雲を掴むような話だったが、二つ目に関しては有力な返答が得られるという自信があった。どんなやつであれナンパした女に喧嘩で負けたとあれば上機嫌でいられるはずがない。
はたして放課後までに同一人物を差していると思われる複数の返答があった。
《よほど悔しい負け方をしたのか、視線を向けられたと思うたびに因縁をつけられたと絡みにいくんですよ。誰がやったか知らないけど面倒なことになってます》
《誰がやったのかみんな気にしてます。姐さんはご存じなので?》
《もしかしてあいつをやったの姐さんなんですか? だとしたらもう少し徹底的に性根を叩き直してくださいよ》
これらのメッセージをキララに転送したら速攻で返信があった。
《いや、こうも早く情報が集まるとは感謝です。となると襲われた何者かがいるのは間違いなさそうですね》
《襲ったやつが人間か、そうでないかははっきりしないけど、相当の強者であることは間違いない》
《不良同士、話を聞くことって可能ですか?》
《プライドの高そうなやつだし、喧嘩に大負けした話を語ってくれるとは思えない》
女に負けたとあったら尚更だ。一応あてがないわけではないのだが、昨日わたしが倒したばかりの相手に頼むのは気が引けて言い出せなかった。
《では、わたしとサオリ先輩で当たってみます》
そんなことを考えていたらキララはとんでもないメッセージを送ってきた。
《さっきのメッセージを読んでないのか? 近付くだけで噛みつく狂犬のようなやつなんだぞ》
《ただの人間でしょう? なら大丈夫ですよ》
キララに暴力への耐性があるとは思えなかった。これまでに暴力を振るったことがないのはすぐに分かったし、わたしの軽い反応に怯えて半歩引くくらいなのだから。
《お前だけなら良いけど教導さんを巻き込むなよ》
《だから大丈夫なんです。サオリ先輩はめちゃ強ですよ。ユウコ先輩も腕に自信はあるようですが、サオリ先輩には敵わないと思います》
悪い冗談か何かと思ったが、キララはいつまで経っても前言を撤回しなかった。
チャットを閉じて教導さんの席を見たが、ついさっきまでいたはずの彼女の姿はどこにもない。今からなら追いつけるだろうと思って席を立ったところで、メールが届いた。
わたしにメールを送ってくるのは二人しかいない。一人はわたしの父、もう一人は担任の先生だ。
きっと顔についた傷のことだろう。タイミングが悪いなと思いながら、わたしは職員室に向かう。無視しても構わないが、それはやはり不誠実だと感じたからだ。
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