1-②

 教員からは、とにかく許可をもらった褥婦さんのカルテ情報を記録にまとめ、最悪見学はビデオ学習でも単位が取れるように配慮するから、と言われているが。



 ハルの前に実習に来ていた男子の同級生たちが、皆実習できていたのに……自分だけ受け持ち拒否されたことも、正直つらかった。




「個室の妊婦さんが、試しに話してみたいって」


 指導者(病棟スタッフ)からオファーを受け、挨拶に伺った先には、加山カヤマ菜摘ナツミさん・二十六歳・初産婦が待っておられた。


 入院したものの、陣痛が止まってしまい、現在陣痛促進剤の点滴中である。


 顔を見るなり、


「あ、そうそう、この子。可愛いなって思っていたんだ。いいよ。受け持ちしても」


 と即答された。



 どうやら外来で実習してた時に見かけたらしく(申し訳ないが、ハルは覚えていなかった)、指導者から打診があって、ピンと来たという。


 折よく、一人目の受け持ち褥婦さんが退院した女子学生とともに、受け持ちが決定した。



 それが昨日の水曜日の夕方の話。



 そして、今日は分娩。


 日中に分娩に当たるのは、かなりラッキーである。しかも、朝一番から。


 出産は二十四時間、いつ始まるか分からない。


 女子学生でも受け持ち妊婦さんの正常分娩に当たらず(陣痛は始まっていても、というか始まって入院してくることが多いンだけど、特に初産の場合、長引くことが多い。十~十五時間、二十時間以上かかる人もいる)、他の学生と一緒に受け持ち以外の分娩を見学することも多い。




 さて、日中の分娩に当たったラッキーなハルが、先程から恋バナに(不本意ながら)耳を傾けているのは、分娩室に入れてもらえないからである。



 最初は分娩見学も許可されていたのだが、陣痛が進み、痛みが最高潮のタイミングで、立会中の旦那さんが「まだ時間がかかるのかな」のポツンと漏らした一言が逆鱗に触れた。




「出てけ! こっちは死にそうな思いをしてるのに! キー! 男は出ていけー!」




 突如、立ち会いを拒否されてしまった夫・俊明トシアキさんとともに、ハルまで分娩室から追い出されてしまった。


 とんだとばっちりである。



 俊明さんは立ち会いをしたいとごねて、再入室を打診したが、


「うるさい! 入ってくるなー!」


 と、菜摘さんにこちらも再度追い出されたのである。




「……ギリギリになったら、また声かけますから。土岐田君、も、ね」


 と、助産師に言われ、分娩室の外にある待合用のソファーに腰かけて、二人の男は待つ羽目になった。


「ずっと腰をもんでいたのにさあ、肝心な所でのけ者だよ。ヒドイよねえ」


「はあ、でも陣痛の痛みはスゴいらしいんで……奥さん、気が立っていたんですよ」



 不用意な一言が原因とは言え、ずっと付き添って菜摘さんに気を遣っていたのはハルも知っているので、何とか慰めようと答える。



「そうかい? そんなに痛いの?」


「らしいです。たとえば」


「わあ、いいよ! 聞いたら夢に出そう。俺、痛いのダメなんだ。……よかった、君がいてくれて。俺一人でここで待たされていたら、正気保てないかも」



 扉の向こうから、菜摘さんの泣き叫ぶ声と叱咤激励する助産師や看護師の声が、途切れ途切れ聞こえてくる。


 その恐怖を紛らせるためなのか、単に間が持てなかったからなのか、ポツポツと俊明さんは父親になる期待や不安を口にし始め、やがて……冒頭の恋バナ披露につながる。



 不意に、菜摘さんの叫び声が途絶えた。二人で耳を澄ましながら、音沙汰を待つが、中からは誰も出てこない。


 ふう、と俊明さんは疲れたようにため息をつく。


 心配そうに顔をのぞき込むハルに気付いて、大丈夫、というように微笑んだ。



「土岐田君、だっけ? マジ最初、何で男の子が産科の実習なんだ、よりによって男の子に受け持ってもらうなんて、って反対したんだよ」


 確かに愛妻が寝間着姿で若い男と過ごす様子は夫として耐えがたいのかもしれない。


「でも菜摘が、すごく真面目で家族想いの優しい子だから、承諾したんだって言うから。助産師さんや看護師さん達が小さい頃からよく知っていて、そこだけは保証しますって」



 ……そんなやりとりがあったとは知らなかった。


 確かに、亡き母が、この産科病棟の隣にある小児科病棟の個室を特例で使わせてもらっていた時、家に帰るより先に母の病室に帰る毎日だった。


 メイの出産で産科に移る前から、よく看護師さん達には、声をかけてもらっていた。


 キリ・ナミは時々オヤツまでもらっていたので、二人の手を引いてステーションにお礼に行くこともあった。


 三兄弟も実はこの病院で産声をあげたのだ。




 母の死んだこの産科病棟は、悲しい場所であると同時に懐かしい場所でもある。



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