産科病棟の異邦人~エトランゼ~

1-①

「でね、彼女が泣き出して、今まで何度も叱ったのに泣かなかった人が、がんばっていたからだね、って褒めたら泣いちゃって……可愛いなあって、惚れ直しました」


 頬を赤らめて、頭を掻きながら興奮ぎみに男性は話し続ける。


 黙っていれば生真面目そうなビジネスマン風だったのに、今はその面影はどこかに放り投げられてしまったらしい。



(それはよかったですね……)



 内心飽き飽きしているのをおくびにも出さず、笑顔を張り付けたまま、ハルは頷いて相槌する。


「それがきっかけで、何かイイ感じになったって言うか……」


(知ってます。初めてのデートで遊園地行ってはぐれたことも、動物園に行って大雨に降られたことも。雨宿りしていたライオンのオリの前でキスしちゃったことも)


 現在、というか、過去二十年間、生まれてこのかた彼女なんてものが出来たことのないハルにとって、人の恋バナ、というか、ノロケ話を聞かされていて、面白い訳がない。


 しかも、彼女サイドから同じ話を既に聞かされているのだ。


 もっとも、男側は彼女が仕事に妥協しない男らしい面に惚れて、と思っているようだけど。



『もう、怒鳴ってばっかで、このオヤジウザイ! て感じィ? でも負けるもんか! 泣くもんか! ってェ。ソレが、がんばっているから、なんて急に褒められて、緊張の糸がプツンってしてェ。泣いちゃってェ、そしたら彼慌てちゃってェ、粗品用のタオル、ビニールはがして渡すじゃない! おい、いいのかソレ? って言うか普通ハンカチだろ? ってもう呆れちゃてェ……でも、可愛いなあってェ』



 ハイハイハイハイ……。



 思い出しただけで、頭が痛くなる。


 既に食傷気味なところに、また同じ話で、正直、いい加減にしてくれ、と言いたい所ではあるが。


 相手が受け持ち患者さん(とその夫)である以上、ハルは笑顔で応えるしか、ない。




 産科病棟実習中、である。



 正確には母性看護学実習、で、どうにも、男子学生には非常にやりにくい実習である。


 ハルは子供が大好きだし、ハルの同級生も子供好きが多い。


 新生児に関わるのは、正直楽しみでしょうがない。


 しかし。



 何と言っても、受け持ち患者さん(正確には妊産婦さん、または褥婦じょくふさん、と呼ぶ。出産は病気ではないので)あっての臨地実習なのである。


 つまり、相手はすべて女性なのである。


 デリケートな場面で、男子がどう思われるのか怖いし、何より妊産婦さんたちに拒否されたら、と考えるだけで、とても気が重い。



 だから、ハルの学校では男子学生は、母性看護学実習を男女の区別なく習得することを定める一方で、可能な限り病棟スタッフや教員とともに病室(この場合は褥室じょくしつという)に訪問することが定められている。


 また、授乳、乳房にゅうぼうマッサージ、悪露おろ処置等々、受け持ち対象の女性にとって大きな羞恥心を伴う援助や見学に関しては、「可能であれば」する、ということになっており、普通分娩は原則背後もしくは側方から見学、帝王切開その他の見学・援助も女子学生とペアで行なうことが基本である。


 妊産婦さん達の気持ちに最大限の配慮をしつつ、何とか男子学生にも学びを、という、試行錯誤の結果である。




 ところが。



 今回の実習で、女子学生の受け持ち妊婦さん・褥婦さんが皆さん、男子の同伴をお断りになられた。


 というか、大部屋への立ち入りを拒否する方が、各部屋にいたため、実質受け持ち出来なくなってしまったわけである。


 産科病棟の入院日数はトラブルがなければ出産後五日、帝王切開でも一週間と、回転が早いので、実習期間中には何とか受け持ち出来るのかも、と楽観していた、が。



 二週目に入っても中々決まらず、正直焦って来ていた。待っている間、ちょうど開催されていた父親教室に参加したり、外来で妊婦さんと関わることはできたし、新生児室実習もできた。



 が、肝心の出産前後――分娩・産褥さんじょく期実習ができていない。



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