2-②

 もし瑛比古テルヒコさんが私立の大学、しかも医歯薬学系を志望したとすれば、ちょっと全てを遺産で賄うことは難しい……。



 国公立なら何とか足りるかな、という程度は確保されていたのである。


 叔父の会社は社員十二名の(その内家族が三人)の印刷会社で、流用した金額は安いとはいえないが、瑛比古テルヒコさんの生活費と考えれば、決して高すぎる訳ではない。


 実父の妹である叔母の曄古ヨウコさんは、瑛比古テルヒコさんに遺された財産は瑛比古テルヒコさんの将来の為に費やすもの、生活費は引き取った責任で自分達が負担する、と心に決めていた。


 なので、学費や空き家になっている家の維持費以外は、財産に手をつけないでいた。


 曄古ヨウコさんの夫である叔父もそれは理解していたが、会社の運転資金の苦しい時に、瑛比古テルヒコさん名義の通帳を持ち出し、上手いこと融通出来たものだから、頼るようになってしまったのだ。



 ……三回目には曄古ヨウコさんにバレてしまったが。



 会社の台所事情が厳しいことは曄古ヨウコさんもわかっていたから、板挟みになり、悩んだ。


 会社が倒れてしまったら、瑛比古テルヒコさんの財産まで危うくなるかもしれない、という夫の言葉に乗せられて、流用を黙認してしまった。



 ……という旨を騒動の最中、曄古ヨウコさんが瑛比古さんに一部始終を話してくれた。



「じゃあ、その分はお貸ししておきます。催促なしのある時払いで」


「何を言うの! あなたがここを出て自立するなら、耳を揃えて返さないと! 生活するにはお金もかかるんだから」


「そんなにかかるんなら、僕の生活費分、ちゃんと引いてください」


「バカ言わないで。あなたは身内よ。あなたが稼いだお金ならともかく、兄さん達があなたのために遺したお金を……使い込んだのは、あの馬鹿だけど……ともかく、もらえません」


「だって、耳を揃えて、なんて、無理だと思うけどなあ」


「……それは……」



 図星を指され、曄古ヨウコさんは二の句が継げなくなる。そもそも、自分がもっと早く気づいていれば、という後悔が、再び胸に渦巻き、しょげる。



「それは、一遍には無理でも、きちんとするから」


「それに、僕、大学行きませんから」


「え? だって……」


「高校だって卒業させてもらえるかわからないのに」


「それは、確かに難しい問題だけど……、不可能ではないわよ。もったいないわよ。頭いいのに。……進学は、すぐには難しいかもしれないけど、あきらめることはないわよ」


「そこまで勉強好きなわけじゃないし。大学出てなくても、働くことはできますよ。僕も男として、妻や子を養う責任があるんです」


 決意を込めて、言い切った瑛比古テルヒコさんを、途端、曄古ヨウコさんが白けた顔で見返す。



「あのねえ、責任、って……後先考えず、子供が出来るようなこと、やらかす方が無責任じゃないの?」



 ごもっともな科白に、今度は瑛比古テルヒコさんがしょげて見せた。



「……スミマセン。自分もここまで後先考えなくなるとは思ってませんでした。ホント、恋って、すごいですね」



 両手を胸に、瞳をきらめかせる瑛比古テルヒコさんに、ため息混じりに、肩をすくめる曄古ヨウコさん。


「もっと上手く立ち回ると思ってたけどねえ……」


「……叔母さん…………」


「兄さんにそっくりだと思っていたのに、意外と純情なのね。あ、でも、夢中になると周りの迷惑考えないのは、まさに兄さんゆずりなのかもね。龍比古タツヒコ兄さんは、瑛美アケミ……恋人までいた、あなたのお母さんを、あの手この手で攻略してついに陥落したのよ、妹の私まで利用して。それなのに修羅場にならなかったのがすごい所よ。裏で相当画策したんじゃないかしら」



 実の兄にそこまで言わなくても……。



 と瑛比古さんは一瞬思ったが、息子相手にも容赦なく、あることないこと……いや、ほぼ「ないこと」ばかりを吹き込んでは、もてあそんでくれた在りし日の父の姿を思い出す。


 もっとも、代わりに母が優しくフォローしてくれたから、瑛比古さんは、歪むことなくちゃんと真っ直ぐ育った(はず)。

 



「まあ、あなたはそんなんで見事に落とされた瑛美アケミの血も入ってるから、少し詰めが甘いのかもね」



 高校生の分際で子供が出来るなんて、ふしだらな! と叱られるならともかく。



 立ち回りが下手だとか、詰めが甘いだとか、どうして言われなければならないのか。


 やはりあの父の妹である、と心の中で何度もうなづきつつ。



「言い訳になっちゃうけど、子供は、早く欲しかったんです。彼女も両親を早くに亡くしていたし。早く家族になりたかった。だから、彼女の妊娠自体は、びっくりしたけど、うれしくて。だから、詰めが甘くてもいいです」


 まあ、こんなにも直ぐに出来るとは思ってもみなかったけど。


「もともと僕が高校卒業したら、入籍しようって話してたんだけど。まあ、ギリギリ籍を入れてから出産なんで、結果オーライ、かな?」


「じゃあ、あちらは、特に反対は無いのね」


「反対も何も、縁談持ち上がっていたのを、乗り込んでいってぶち壊したんだから、責任取るのが筋だと思ってるんじゃないかな」


「縁談?」


「彼女の父方の実家」


「?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る