1-③

 そんなある時、泣きじゃくるナミを抱き締めたのは、まだやっとしゃべり始めたメイだった。


 あれは、美晴ミハルさんが亡くなって、じきに2年が経とうとしていた頃だった。


「ちい? いたた?」


 懸命にナミの頭や腹をなでて、


「たあい、たあい、のんでけー」


 痛い痛いの飛んでけ、と舌っ足らずなおまじないをするメイごと、瑛比古テルヒコさんは抱き締めた。


 おまじない、それは、生前に、美晴ミハルさんがしていたのと、同じ仕草で。


 ふたりが愛おしくて。


 それ以上に、メイの中に、あやまたず、美晴ミハルさんの姿を見出して。


 この時初めて、瑛比古テルヒコさん自身が、メイが美晴ミハルさんの未来を引き継いでいることを、きちんと受け止めることができたのだった。



 ナミはますます泣いたし、メイまで泣き出した。


 瑛比古テルヒコさんも泣いた。


 堰を切ったように、声を上げて泣いた。





 何事かと覗きに来た長男次男が見たのは。



「お母さん」と泣く弟を泣いて抱き締める妹。


 ふたりを抱いて泣く父の姿。



 何となく状況を察し。


 母が死んだ時にも、子供達が泣いていた時も、決して涙を見せなかった父が、声を上げて泣いている……。



 2年経って、やっと泣けるようになったことに、二人は安堵した。




 ……泣きつかれて。


 そのまま寝入ってしまった瑛比古テルヒコさんが目覚めた時、既に日は暮れていた。


 慌ててキッチンに向かう。


 と、テーブルには卵焼きと目玉焼きが五人分、用意されていた。



「冷蔵庫に、卵しかなかったから。ご飯も炊いたから」


 ぶっきらぼうに、ハルが言う。


「俺、目玉焼き焼いた。父さん固めが好みだろ?」


 キリが誇らしげに言う。




 ごはんはべちゃべちゃで。


 卵焼きは甘過ぎて。


 目玉焼きは固めを通り越して焦げていた。



 けれど。



 瑛比古テルヒコさんは「うまい、うまい」と平らげた。



 泣きすぎて、翌日ナミとメイは仲良く揃って熱を出してしまったというオマケがついてきたけれど。



 ナミが母のことで泣くことが、なくなったわけではないけど。



 だんだんと、やさしい思い出になっていったことは、確かだ。


 その日を境に、笑顔でメイに、在りし日の母の思い出を話したり、兄達に尋ねて、嬉しそうに聞き入る姿が増えた。



 母・美晴ミハルの思い出を家族五人で笑顔で話せる時間が、少しずつ増えていき。

 

 悲しみは、消えてなくなるわけではないけれど。


 それでも、笑顔で家族五人が過ごす日々を、きっと天国の美晴ミハルさんも、笑顔で見守っていてくれるから。




 今朝も、瑛比古テルヒコさんは、美晴ミハルさんの仏前に向かって、子供達の様子を話す。


 時には、泣いたり怒ったりすることもあるけれど。


 いろんな出来事を、様々な感情を、美晴ミハルさんと共有するのだ。



 大切な、夫婦の時間。





 後日談。


 それ以来ナミはせっせと料理の腕を磨いている。


 今では兄ふたりよりご飯を炊くのも、卵を焼くのも上手だ。


 よほど兄達の料理に懲りたらしい。


 と言うか、兄ふたりの料理にたいして進歩が見られないことに、瑛比古テルヒコさんは若干不安を感じている。



 まあ、余談である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る