街で噂の有名人~セレブリティ~

1-①

 

 月曜日。


 朝七時前後ともなれば、一般的に、どこの家庭でも、仕事に行く社会人も、学校に行く児童生徒も、大変忙しい。


 世の中には、朝の準備もばっちり、余裕をもって早起きをしているご家庭も多々あることは承知していますが。


 世の中には、朝からドタバタ忙しく、時間がいくらあっても足りないご家庭も、同じくらい多々あるわけで。


 ここ土岐田トキタ家は、どちらかと言うと、後者のご家庭であったりする。



 何と言っても、月曜日は特別忙しい。



 今週もしっかり頑張ろうと声を掛け合い、朝ごはんをしっかり食べて、丁寧に歯を磨き、念入りに服選び……しているわけではなく。



 目は半開き、行動はスローモー、でも時間は待ってくれない、あくびしながら、次にやることを、ワンテンポ遅れで考える、というわけで。



「……っ前ら! いい加減目ぇ覚ませ!」



 一人だけ朝から働き回ってエンジン全開なのは、この土岐田トキタ家のお母さん、ではなく。


 いつまでたってもエンスト状態の家族に対して、主夫、兼大黒柱の土岐田トキタ瑛比古テルヒコさん、三十八歳、が声を荒げることになる。



「ハル! 今日から実習だろ! キリ! 試験終わって朝練あんだろ! ナミ! ウサギ当番って野菜持ってくのか? ……メイちゃん、テレビはご飯を食べ終わってからね」



 ようやくエンジンがかかり、みんながやるべきことを猛スピードで取りかかり始めたのを確認し。


 ここまでくれば、あとはそれぞれ、勝手に動いてくれるので。


 瑛比古テルヒコさんはゆっくり愛妻と向かい合って、お茶を啜りながら、お喋りを始める。



美晴ミハルさん、今日からハルは病院実習です。メイちゃんの産まれた市立病院ですよ。大丈夫かな」


「親父……恥ずかしいからやめろよ。実習は初めてじゃないンだよ」



 二分で朝ごはんを腹に納め、歯を磨きながら服を着る、という器用な技を繰り広げているハルが、横槍を入れる。


「だって、男のお前が妊婦さん、ちゃんと助けられるのか? 迷惑かけるんじゃないのか? だからこうやって母さんに、守ってもらうよう……」


「だーぁ! 男だってみんな実習行ってんの! 気にしてンだから言うなよ! もう行くよ!」



 勢いよくタオルを洗面所に放り込み、勢いよく飛び出した、と思ったら、すぐに引きかえしてきた。



「忘れ物か?」


「今日! 燃えないゴミ!」



 そう言って、キッチンの隅に置いてあった、赤字の指定袋に詰めておいた不燃ゴミを引っ掴む。


 再び飛び出した長男を見送り、愛妻に話しかける。



「いい子に育ったなあ」


「親バカ! 俺も行くよ! 今日は遅いから! 夕飯、肉ね!」



 兄に負けない素早さで支度を済ませ、キリが後に続く。



「贅沢言うな!」


 既に消えた次男の背中に怒鳴りつける、と。


「メイちゃんは、今日は、ハンバーグが食べたいでしゅねー」


 一人娘が、愛らしさ大全開の笑顔で言う。


「そうかー? メイちゃんもお肉がいいのかー、そうだねー、おお兄ちゃんも、ちゅう兄ちゃんも、知力体力使うしねー、ハンバーグなら、何とか……」



「ったく! メイには甘いんだから!……まあ、僕もハンバーグには、賛成だね。」


 こちらは若干余裕があるので、落ち着いて身支度しているナミ。



 瑛比古テルヒコさんに怒鳴られてはいたが、兄二人に合わせていただけで、実のところ準備万端だったりする。


 というか、朝も瑛比古テルヒコさんより早く目が覚めて、今週の授業の予習などしていた余裕っぷりである。



「チイにいも、さんせいでしゅ!」


 メイの返事に笑み崩れながら、ナミはフムフムと算段し、告げる。


「まあ、予算的なこと考えて……ジャガイモと玉葱はあるし、合挽き五百グラム、付け合わせ用に、にんじん買っといて! 忙しいなら、帰りに商店街に寄ってくるけど」


「あ、多分大丈夫。でも、一個百グラムとして……ハルとキリは二つで、ひい、ふう、みい……って、ナミ、足りるのか、それだけで」


 不安げな瑛比古テルヒコさんの言葉に、ナミはどや顔して見せる。


「任せて!」


「……メイちゃん、にんじんさん、ダメでしゅ……」


 今度は悲しげな妹の声に、ナミは優しげな笑顔を浮かべ。


「大丈夫。この間調理実習でも作ったんだ、にんじんのグラッセ。クラスで一番美味しいって言われたよ」


「ぐらっしぇ?」


「甘くて、柔らかいから。そうだ、形も可愛くしてあげるよ」


「メイちゃん、お花の形がいいでしゅ!」


「うん、お花と、お星さまも作るから、ちゃんと食べるんだよ」


「はい! ちゃんとたべましゅ!」


「うん、メイはいい子だね、じゃあ行ってきます」


「いってらっちゃい」



 妹の頭をひと撫でして、手を振りながら、キャベツのクズ葉の入ったビニール袋片手に、ゆったりと出発していった。




「……どっちが甘いんだか……」



 語尾にハートマークが幾つついているのやら……。


 まあ、メイに甘いのは、土岐田トキタ家の男性陣の共通点だから、仕方ない。




美晴ミハルさんの遺した、一番の宝物だからね」



 居間全体が見渡せる位置に、仏壇代わりに置いてある、小さな机。


 子供達が作った折り紙の花や動物や、母の日の似顔絵や、運動会でもらった賞状や……いろんな物に囲まれて、その中心で微笑んでいる、穏やかな表情の、三十代くらいの、まだ若い女性の写真。




 瑛比古テルヒコさんが今も愛してやまない、妻の美晴ミハルさんだった。




 享年39歳。







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