失せ『者』探し、いたします~明知探偵事務所のイクメン調査員は超イケメン【改訂版】

清見こうじ

プロローグ

私の失くし『者』

「平凡なのが、一番」

 

 それが、母の口癖だった。


 その言葉通り、特別裕福ではないけれど、穏やかな生活は、心地の良いものだった。


 真面目だけど寡黙な父と、その三倍もおしゃべりで陽気な母、そして私、三人での生活は、平凡そのもので、どこにでもある光景で……幸せだった。



「平凡なのが一番」



 気が付けば、それは私の口癖になっていた。



「夢がないなあ。もっと我儘言ったっていいのに」


「あら、平凡で普通で幸せな生活を過ごせることって、実はとっても大変で特別なことなのよ? そんな家庭を築ける人と出会えることだって、すごく特別なことなんだから」


 当時の恋人にプロポーズされた時にも、そんな風に答えて、彼は半分あきれていたけれど。


「そうだね。約束するよ。君と、平凡すぎてお話にならないくらい、ありきたりで、当たり前の、穏やかな家庭を築くって。そして、子供が生まれて、育って、結婚して、孫が生まれて……最後に、ああ幸せな人生だったね、って振り返ることができるような夫婦になろう」


 その言葉通り、彼はよき夫となり、やがてよき父となった……。




 あの日が来るまでは。





 赤ちゃんを授かり、すくすく成長して。


 そろそろ二人目が欲しいね、一人目は男の子だったから、次は女の子が欲しいね、でも男の子兄弟もいいなあ、なんて話が出始めた頃。



 夫と息子は、ある日突然、姿を消した。



 三歳の誕生日に買ってもらった三輪車に乗って、夫と散歩に出た、夏の終わりの夕暮れ。


 週末も終わりを迎え、また忙しい月曜日が始まる、前日。


 日曜日の夕方。




 恒例のテレビ番組を時計がわりに聞きながら、私はてんぷらを揚げていた。


 夫の好物だ。


 大好物の玉葱のかき揚げが出来上がるころには、今やっている番組が終わり、夫と息子は帰ってくるだろう。


 夫と子供が好きなアニメ番組が始まる頃に合わせて夕食の準備を整えるのは、日曜日の習慣だった。


 てんぷらは揚げたてが一番だけど、いくつか種類を揚げるとなると、少し手間がかかる。


 下ごしらえや揚げるタイミングを間違えると時間がかかってしまうし、かといって余裕を持たせすぎると、冷めてしまう。


 二人が帰ってくる時間に出来上がるように、細心の注意を払って、私はキッチンで、てんぷら鍋に向かっていた。


 その成果が出て、タイマー代わりの番組のエンドロールが流れるのと同時に、調理は終了した。


 すでに食卓には、食器や箸も並べてあり、あとは、ご飯を盛りつけて、てんぷらを盛り付けた大皿を置くだけ、という状態。


 数分の余り時間に、使い終わった調理道具を洗って片付け、私はしゃもじを片手に、待機していた。



 ……けれど、次の番組が始まっても、それが終わっても、二人は帰ってこなかった。



 携帯電話は電源が切れていてつながらなかった。


 うっかり充電を忘れていたのかもしれない。


 だって、すぐそこの公園に行くだけだから。

 仕事用の携帯電話は、充電したまま、パソコンの隣に置いてあるし。


 まだ外は明るいから、時間を忘れて遊んでいるのかも。


 でも、そろそろ帰ってきてほしいな。


 冷めたてんぷらは、大皿のまま、ラップをかけて、冷蔵庫に入れた。


 ほうれんそうのお浸しや、わかめとキュウリの酢の物は、小鉢からタッパーに移して、ふたをして冷蔵庫へ。


 お味噌汁は……悪くなったらあきらめよう。


 とにかく、二人が帰ってきたら、すぐにご飯が食べられるようにして。


 お腹を空かせたままでいなくて済むように。

 いつだって、お腹減った! って大騒ぎしながら帰ってくるんだから。



 いつもそう。



 今日は、たまたま、遅いだけ。



 ……遅い、だけ。


 そう、自分に言い聞かせて。




 日が暮れて。


 迎えに行った公園に、ぽつんと残されていた、三輪車。


 ピカピカの、まだ新しい、黄色い三輪車。


 夫のお手製のネームタグが、グリップの根元に揺れていた。


 ……人影はまばらだったけれど、無人ではなかった。



 でも、私の大切な二人の姿は、どこにもなかった。




 冷蔵庫で、誰も食べなかったてんぷらは、腐臭を放つようになっていた。


 私の代わりに、気が付いた母が処分してくれた。


 炊飯ジャーのご飯も、鍋のお味噌汁も。


 食べてくれる人が帰ってこないまま、捨てられた。




 三ヶ月が過ぎて、半年過ぎて……。


 いまだ、手がかり一つない二人の行方。


 誰かが車ではねて、事故を隠蔽するために二人の死体を持ち去ったのだ、とか。


 見てはならないものを見て、連れ去られ、口封じされたのだ、とか。


 聞きたくもないのに、耳に入ってきた噂話。


 やさしかったはずの、周囲の人々が、夫と息子の死をほのめかす。


 違う、そんなこと、あるはずない。


 大騒ぎになってしまって、出てくるに来られないのだろう。


 ひょっこり、心配かけてごめんと、バツが悪そうに帰ってきて欲しい。


 決して、恨み言など、言わないから。


 そう思っていたいのに。


 夫が、そんな無責任な人間でないとわかっているから。


 それでも、何かの事情で、身を隠しているのだと思いたいのに。




 ……私は待っている。


 今も待っている。


 ……大きくなった息子を連れて、夫が帰ってくる日を。


 そうしたら、私は、夫の大好物の、玉葱のかき揚げを作ろう。


 息子の大好きな竹輪のてんぷらを揚げよう。



 それまでは。


 私は決して、てんぷらを揚げない。


 食べる人がいなければ、ただ腐ってしまうだけ。


 私の幸せは、止まってしまった。


 これ以上、腐らせたくはない。


 望むのは、二人との平和な日々、だけ。


 それは、悪いことなんだろうか?


 そんなはず、ない。


 平穏で、平和な、三人の生活。


 望むのは、それだけ、なのだから。





 私は、他に、何も、望んではいない、の、だから。




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