第4話 公爵家
獣人ニナは俺の手を治療した後、聖堂を出て行く。
どんどん小さくなる背を見送りながら、俺はものすごく久しぶりに離れがたいような感覚を味わう。
こんな感情は前世妻と出会った頃ぶりくらいだろうか。
まぁ、あいつには浮気されたわけだが……。
「司教」
「どうしました?」
「今のニナって子は、ここで働いているのか?」
「あの子はこの聖堂に併設されている孤児院で働いています。子供たちの面倒を良くみてくれるだけではなく、聖堂の雑務の手伝いも率先して行ってくれる、優しい子です」
「料理もうまかったりする?」
「上手ですよ! 孤児院で働くようになってから覚えたと言っていますが、どの料理もプロみたいな味なんです! あなたにも食べてみてほしいくらい!」
「う、うらやましい」
思わずこぼしてしまった独り言に、司教が素早く反応する。
「この聖堂で司祭見習いとして私の手伝いをしてくだされば、毎日ニナに会えるだけでなく、彼女の手料理を食べれます! 真面目に働いてくださった暁には、神学校への紹介状を書いてあげてもいいですよ!」
「ニナの料理は食べてみたいけど、神学校……だるそうなイメージしかないな」
聖職者なんて、自分に一番向いていない職業ではないだろうか?
前世から現世の今までの人生、近しい人間に裏切られ続け、人類に不信感を抱いている。それなのに、何が楽しくて人々を宗教的に正しい方向に導くような職に就かなきゃならない。
いくらニナに毎日会い、彼女の手料理を食べれるとしても、向いてない仕事をし続ける苦痛を前世で嫌というほど味わっている。
それに、今更イキった奴ばかりいそうな神学校とかいうのに行きたいわけでもない。
「悪いけど、俺に聖職者は無理だ」
「……そうですか。とても残念ですが、そこまで断言されてしまっては無理強いできませんね」
本当に残念そうな様子を見せる司祭の姿から目を逸らし、俺は逃げるようにして出口から出た。
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エルコズモ派の聖堂からアホネン公爵家の邸宅まではそれなりに距離がある。
運動不足の脚では移動に時間がかかり、家に辿り着いたのは、陽が沈み、空に浮かぶ雲を少しばかりオレンジ色に染める頃あいだった。
門からエントランスまでがまた広い……。
無駄なほどの規模の大邸宅はその権威を誇示するため。
アホネン家はルベリック公爵領を治める名家だ。
その昔、アホネン家出身の聖霊術士が王家の国家統一を助け、初代国王から公爵位と広大な領地を授かったらしい。
このような歴史から、数百年の時を経た今でもアホネン家の者を名乗るのであれば、精霊に愛されていなければならないとされている。
俺のように精霊術をいっさい使えないどころか、精霊が寄り付くことすらないような奴だと、家族や使用人たちから不審者を見るかのような目を向けられてしまう。
今日も、聖堂から帰って来た俺を出迎える者は誰もいない。
廊下ですれ違ったとしても、見向きもされない。
(ニナやあの司教と話した後だと、人間性の差を感じてしまうな)
「でも、金持ちな家に転生できたのは不幸中の幸だな。一応
幼少期までは精霊術が使えないのがバレていなかったから、それなりに大事にされていた。変化したのは、俺に精霊術の教師が付けられ、俺のダメさ加減がバラされたことと、この家自体に精霊があまり寄り付かなくなっていることが判明したのが原因だ。
俺を”悪魔憑き”と決めつけてしまい、アホネン家に起きている異変について調べないのでは、何も解決しないわけだけどその辺はどうでもいいらしい。
「精霊術頼りだったせいで、どいつもこいつもアホばっか。アホネンだけに」
自分の駄洒落にうんざりしながら自分の部屋へと入り、鍵をかける。
デスクの方に僅かな光を感じ、そちらに視線を向ける。
すると、そこで光を放っていたのは俺の日記帳だった。
なぜか物心ついた時から俺のそばにあったそれは、前世使っていた10年連続タイプの日記帳だ。
祖父が1年間だけこの日記帳を使っていたのだが、ちょうど1年分使い終わった次の日––––– 1月1日に亡くなり、彼の遺言で俺が引き継ぐことになった。
なんで祖父が日記帳を俺へ渡したかったのかは不明だったけど、日記帳の全ページの大半が空欄なのが気になり、残りの年数を俺のつまらない日常で埋めていた。
そして9年分の日記を書き終わった次の日–––– 1月1日に、妻の浮気相手に殺されたのだった。
改めて考えてみると、呪われた日記帳と言っても過言じゃない。
しかも俺の転生について来たわけだから、半端ない粘着力である。
だからだろうか、今更その日記が光ったとしても大して驚かなかった。
スマホ画面が着信で光るのを見るくらいに何の感動も衝撃もない。
「本当にわけのわからない日記帳だな。なんで光るんだよ」
日記に顔を近づけると、日記の最上部、つまり祖父が書いた部分が金色に輝いていた。その下の年々会社で不当な扱いを受け、妻に浮気相手が発覚して……の部分を視界に入れた後、金色の文字を読む。
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