ファイル1 肆屍のリリキルス

11 おかえり、私。

 ――日曜、夜。時刻は22時を過ぎている。

 頭に装着したフルダイブ機器を外し、少女は起き上がった。

 眠そうな顔、ボサボサのロングヘアー、肉付きが良いとは言えない小柄な体付き。

 ツギハギ顔、透き通るような白髪はくさつ、小柄だが肉付きの良いリリキルスとは面影はあるもののまるで違う。

 それが、志倉ゆりねである。


 デイドリーム・オブ・ファンタジオからログアウトしたゆりねは、自身の細い腕を眺めて拳を作った。


「あぁ、おかえり……ゆりね


 真っ暗なゆりねの部屋はパソコンやエアコンの無機質な音が響く。 

 1LDKの壁一面に張り巡らされた多数のゲームポスターやタペストリーが、かろうじて孤独感から解放してくれていた。


 ――ここは、第一の現実。

 人である以上、切り離すことが出来ない束縛の呪いの名だ。


「う……声カサカサだ。加湿器の電源入れ忘れてたな……失敗した。みずみず……」


 明かりをつけ、てとてと歩いて部屋を出る。

 キッチンルームの冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、その冷たい水を喉へ流し込んだ。


「……さてと。調べ直すか」


 部屋に戻ったゆりねはデスクに向き合い、ヘッドホンを装着する。

 調べ物をする時は最小音量の作業用BGMと共にネットサーフィンだ。


(スタート地点バグだけならまだしも、とんでもないエクストラスキルのせいで理想系が台無しだ……とりあえず、まともなスキルパレットを組まないと)


 ゆりねはDoFの非公式サイトに訪れる。

 エクストラスキルに限らず、スキルは条件達成で獲得されるDoFは有志が作成した非公式スキルリストなるものが存在していた。

 そこにはスキル効果や獲得条件が事細かく記載されており、ゲーマーにとってこれほどありがたいものはない。


「……お、エリアヒールか。ギルドにも入ったし範囲回復は便利だよね」


 スクロールして眺めていると、いくつか良さげなスキルが見つかった。


「HP極振りに加えてINT上げが必要か……本当は防御力も欲しいけど、回復力でカバーするとして…………」


 最小音量で音楽を聴き流しながら、バトルをイメージして悩んでいく。


 時計の針がてっぺんを過ぎ去り、時刻は深夜1時。

 数時間もモニターとにらめっこしていたゆりねは、遂に背もたれに寄りかかった。


「――はぁぁ~……まぁこんなもんか。明日アルタイルにでも相談して……って、もう明日か」


 時計をちらりと見たゆりねは、カチカチと静かに時を刻む秒針をじっと見つめる。

 既に、月曜日がやって来ていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 朝を迎えたゆりねは、制服に着替えていた。

 まだ眠気が残り、髪もボサボサだが、引きこもりの第一歩を踏み出している。


「……大丈夫、私はゆりねじゃない。リリキルスだ。だったら外へ、行けるはず……」


 玄関のドアを開けると、目を焼くような眩い太陽の光が差し込む。

 ゾンビでないのに焼けてしまいそうだ。


 ゆりねは、光が嫌いだから引きこもっているわけではない。

 人が嫌いというわけでもない。もちろん嫌な人間は居るが。

 ただ、なによりも『外』という空間に嫌悪していた。


「……ぁ」


 ゆりねは玄関前で立ち止まる。

 持ってきたカバンを落とし、呆然と立ち尽くす。

 マンション前の道路を、自動車が走り去っていった。


 走行音が脳裏に焦げ付く。

 都会の雑音が際立ち、ひとつひとつの音に集中してしまう。

 車の音、ヒトの声、工事の音、サイレン。

 ……クラクション、悲鳴、何かがぶつかる音、聞こえない声――。


「っ、あ……」


 頭が砕かれそうになる衝撃、フラッシュバックした記憶に脳を撃ち抜かれ、ゆりねは後退あとずさる。

 呼吸が荒い。自分が息をしているのか分からない。

 心臓の鼓動が、とても、はやい。


 ――気付けば、カバンを抱いて部屋に逃げ込んでいた。


(ダメ、だ……リリキルスには、なりきれなかった……)


 制服を着たまま、ベッドに身を預ける。

 ぐちゃぐちゃになりそうな頭で、逃げ場を探す。


 手を伸ばした先には、仮想世界があった。





 ――――志倉ゆりね。長い黒髪に幼げな顔の可愛らしい少女。

 都会育ちであるその少女は、昔は外で遊ぶことが好きな子供だった。


 ……ただ、一度だけ。

 たった一度の出来事で、全て捻じ曲がってしまったのだ。

 トラウマというものは恐ろしく、恐怖に縛られると人は何も出来なくなる。

 無惨に刻み込まれたトラウマは、簡単に癒せない。

 第一の現実この世界には【ヒール】も【キュア】も存在しないのだから。


「《LiLikiLLssリリキルス》がログインしました」


 第二の現実――『Daydream of Fantazeoデイドリーム・オブ・ファンタジオ』。

 ゲームだけが、第一の現実からゆりねを乖離かいりしてくれる唯一の手段だ。


 ゆりね――……リリキルスは昨夜検索したスキルを獲得していく。

 逃げるように、ゲームだけを見て、ゲームだけに集中して、強引に没頭する。


 ――再び深淵口ダンジョンに来たリリキルスは、アンデッド相手に【ヒール】をぶつけまくっていた。


「――ハァ、ハァ……っ、私は、まだ……ッ」


 モンスターを倒す。


「レベルアップしました」

「まだ……ッ!」


 モンスターを倒す。


「レベルアップしました」

「リリキルスはまだ、強くなってないッ!」


 モンスターを倒し続ける。


「レベルアップしました――――」


 月曜の朝、リリキルスはレベル30になった。

 だがそれだけでは足りない。

 レベルだけでは、強くなったことを証明するには至らない。

 なにせリリキルスは、攻撃力ゼロの最弱。回復しか出来ない無能なのだから。


 ――だが。


(このエクストラスキル、と武器。デメリットだらけだけど……それでもこれはレアドロだ。なら必ず何かあるはず。それを絶対に見つけ出して、そして――)


 一つだけ、リリキルスが強さを証明出来る方法がある。

 リリキルスはギルドチャットを開き、手元に現れた半透明のキーボードを操作して一つのメッセージを残す。




Guild Chat

[11:44]LiLikiLLss >このギルドはみんなエンジョイ勢だと思うけど、どうしてもやりたいことがある。手を貸してほしい。

[11:45]LiLikiLLss >八月末のギルド対抗イベント、トップ10入りを目指しませんか。

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