第一章一本堂慧衣

第1話

 心地よい風を感じ、本堂慧衣ほんどうさといはふと目を開けた。何度か瞬きをして、座椅子に浅く腰掛けていた身を起こし、居住まいを正す。昨夜、自身のパソコンで映画を見ながら寝落ちてしまっていたようだ。

 目の前のローテーブルに置かれているノートパソコンには、充電切れと表示されている。

「あぁ、やらかした」そんなことを思いながら、慧衣はパソコンに充電コードを挿す。充電中のマークが出たことを確認し、重い身体を持ち上げ、居間へと向かう。

「あ、さとちゃん、ちょーどええとこおる」

 部屋を出てすぐの廊下で、向かい側から歩いてきた母親がそう言った。

「これ、フミちゃんの部屋に持って行ってくれん?」

 微笑みながら、お盆に乗った今日の朝食であろう物たちを慧衣に押し付ける母を、慧衣は呆れためで見つめた。

「自分で持って行ってえや」

「そんなに冷たいこと言わんと、持って行ってよ」

 そう言いながら頬を膨らませる母に、慧衣は飽き飽きした。

「はいはい」と、ぶっきらぼうに答え、お盆ごと受け取り先ほど来た道を戻る慧衣を、母は「おおきんなありがとう」と微笑んでみせた。



 自身の部屋から二つ離れた部屋のドアを、コンコンコンと三回手背しゅはいでノックする。しかし、返事はない。

 慧衣はもう一度、先程より強い力で三回ノックした。

「なんやねん…朝から鬱陶うっとうしい」

 愛想のない声で返事をする部屋の主、フミアキに慧衣は少し腹を立てた。

「朝飯。そないにキレるんやったら自分で取り来いよ」

 引きこもりの分際で…という言葉が喉まで来たが、慧衣はぐっと我慢した。兄、フミアキの気持ちを一番分かっているのは、慧衣自身だからだ。

 本堂家の長男、という兄が背負っている責任は、考えただけでおぞましいものだった。

「…今日、お父さん帰ってくるらしいで。やからお前、出てくんな」

 ドア越しに警告したあと、兄から返事は返ってこなかった。

「…それから鍵、かけときいよ。おかんが家出たら、部屋の鍵、うちが持っとくから」

 そう言い捨て、また居間へと歩き出す慧衣をよそに、フミアキが声を殺し泣いていることを慧衣は知らなかった。

「鍵をかけておけ」「部屋から出てくるな」そんな少々トゲのある、パッと見愛想のないその言葉は、部屋に引きこもってろくに学校にも行かない兄は何かに取り憑かれていると思い込み、家に帰れば真っ先に兄を部屋から引きずり出し、殴り続ける父に、必死に嘆願する兄を見ていられない慧衣なりの思いやりだった。

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