第11話 新しいあだ名:はるえっち

 〇


 出勤前、いつもより十五分くらい早く私はバイト先に着いた。スタッフルームには、ロングシフトで働いている高月さんが一回目の休憩を取っている。


「お、お疲れ様です」


 ピンク色の水筒片手にくつろいでいる高月さんに挨拶をしてから、私はロッカーに荷物をしまおうとする。と、


「おっつおっつー春江さん。ねえねえ、春江さん、いっこ聞いてもいい?」


 高月さんはテーブルに置いていたタブレットを手にして私にすすすっと歩み寄る。


「はっ、はい。な、なんでしょうか……?」

「春江さんって、むっつりスケベだったりする?」


 そして次の瞬間、高月さんに聞かれた質問に、私は呆けてしまった。


「む、むっつり……って、ど、どうしたんですか、急に」

「んー、実は、春江さんに見て欲しいものがあってねー?」


 タン、タンと高月さんがタブレットを何回か操作して見せられたのは、着衣が乱れた女性と半裸の男性がくんずほぐれつしているシーンが描かれた漫画の一コマ。


「っっっ、こっ、これって」


 反射で両手で目を覆った私は、恐る恐る高月さんに画像の中身を確認する。


「高月が描いたえっちな漫画。あっ、もちろん女性向けに作ってるよ? でなきゃ春江さんに見せたりしないってー」

「わ、私にそれを見せてどうしたいんですか……?」


「感想っ。聞かせて欲しいなって」

「か、感想……? ですか?」


「うんうん。どういうところでキュンキュンしたかとか、もっと優しく責められたほうがいいとか、強くとか、言葉回しとか、色々あると思うんだけど、教えて欲しいなーって。やっぱり春江さん、むっつりさんだよね。目隠しているつもりかもしれないけど、指の隙間から覗いてるの、高月にバレバレだよ?」

「ひぅっっっ」


 こ、こっそり覗き見てるの気づかれてた……? は、恥ずかしい……!


「全然全然、恥ずかしがらなくていいっていいって。高月だって女だけどえっちいこと興味津々だし、恥ずかしいことじゃないから気にしなくていいよー?」

「う、うう……」

「それじゃあ、春江さんに原稿のデータ送るから、感想教えてねー」


 ピロリン、と私のスマホからラインの通知音が鳴り響くと、早速高月さんから原稿が送信されている。

 制服に着替えてから、私もスタッフルームで時間を潰そうとするのだけど、手持無沙汰になってしまった。


 読みかけの小説は家に忘れてきてしまったし、SNSのタイムラインも追いきっている。かといってボーっとするのも勿体ないし……。


 そう思うと、スマホの画面を泳ぐ指は勝手に動き出していた。

 気がつくと私は高月さんの描いた漫画を読んでいて、その上手さに単純に尊敬してしまう。……これ、声当てたらどんな感じになるんだろう。


 場面が進むと、思わず座っている内股を擦ってしまうほど、高月さんの漫画はなんていうか、凄かった。凄かったのだけど、


「別にお家帰ってから読むんでも良かったんだよ? 春江さん」

「えっ、あっ、そっ、そのっ、こ、これはっ……」


 私の様子を見て、高月さんは私がもう漫画を読んでいることに気づいたみたいで、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「いやー、春江さんが予想以上にむっつりさんで高月嬉しいよー。あ、そうだ。春江さんだと他人行儀だし、これからはるえっちって呼んでもいい?」

「は、はるえっち……って」


 そ、それって、春江とえっちが繋がっただけじゃ──


「お疲れ様です」


 刹那、間が悪いことに朔くんがスタッフルームに到着した。大慌てでスマホの画面を閉じた私は、貼りついた作り笑いで朔くんに挨拶を返す。


「ふふふ、こまつんに自分がむっつりなことを隠したいって思うはるえっち、可愛いなー、ますます推したくなっちゃうよ高月」


 む、むっつりとかそういうレベルじゃないんです、朔くんに似ているキャラの主人公と私はゲームのなかとは言え色々しちゃっているんです。初恋拗らせてるんです。


 はるえっち、の部分だけ聞こえるように高月さんが言うものだから、


「……あれ、とうとうあだ名ついたんですか、陽葵に」


 朔くんの耳にも入ってしまう。


「うん、語感いいでしょ、はるえっち。のっちと重なっちゃうけど、まあいいかなってー」


 そんな私の新しいあだ名の真意に、当然朔くんは気づくことはなく、そのまま勤務時間を迎えた。


 ……今度から、早くバイト先に着いたらお店の外で時間を潰そう。

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