第8話 幼馴染の特権

 一月も末が近づくと、陽葵のトレーニングもある程度進んできた。レジはもう僕が横でつきっきりで見なくてもひとりで打てるようになったし、加工の仕事もある程度覚えてできるようになった。あとは、売り場に出て補充を覚えるのと、この仕事で一番難しいとされる買取業務をマスターすれば、晴れて研修中バッチは外れる。


 野々市さんとの約束を週末に控えた月曜日。この日のシフトは、相も変わらず僕と陽葵と高月さん。ピークタイムも過ぎてお客さんの入りも閑散としだした閉店間際の時間帯に、フラフラと補充からカウンターに戻って来た高月さんが、ふと僕に向かって語りかける。


「ねーねーこまつん。今年のバレンタインは何が欲しい?」

「バレンタイン……そういえばそんなイベントもありましたね」


 なるほど、確かにもうすぐ二月一四日、世間はバレンタインに盛り上がる季節だ。……まあ、僕と言えば、中学二年生まで毎年陽葵からもらっていた分と、去年バイト先でもらった友・義理チョコ以外、縁のない生活を過ごしてきたわけだけど。


「こまつん冷めてるなー。年頃の男の子ならソワソワし始める頃じゃないの? 男の子がソワソワする二大タイミングなんじゃないの?」

「……あ、あの。ちなみにもうひとつは」


 何気ないように陽葵はもうひとつのソワソワを高月さんに尋ねる。何か、嫌な予感がするけど僕は。


「およ? 春江さんもしかしてピュアな子なのかな? そりゃあ女性店員さんのいるレジにエッチな雑誌を持っていく瞬間に決まっているよー」


 やっぱりか、やっぱりなのか。


「え、えっ……ち、な雑誌……そ、そうなの? 朔くん」


 ぽっと顔を赤らめさせる陽葵。まだ高月さんに染まっていないからか、こういう初心なリアクションを久々に見た気がする。


「確かにソワソワしたけど、したけどさ」

「……朔くんも、そういう本買ってたんだね。そ、そうだよね、それが普通だよね」


「高月さん、怒っていいですか、なんで僕が流れ弾食らわないといけないんですか」

「んー、運命?」

「そんな安い運命砕け散ってしまえ」


 ケラケラと鈴を鳴らすように笑う高月さん。あなたのせいで僕は無駄な恥をひとつかいたんですけども。


「あれ? 何の話してたんだっけ、こまつん」

「バレンタインですよ、バレンタイン」

「もー、そんなに怒らないでってこまつんー。そんなにチョコが欲しいならちゃんとあげるからさー」


「誰のせいだと思ってるんですか」

「まあまあ、落ち着いてこまつん。今年のチョコもそれなりに期待してくれていいからさ。のっちも作る気でいるみたいだよ? この間スマホでチョコのレシピ漁ってたし」


 目を不等号みたいに細めた高月さんは、ニヨニヨした雰囲気のまま僕の背中をポンポンと意味もなく叩く。


「春江さんは、今年はチョコ作るの?」

「えっ、わ、私っ……ですか?」


 高月さんは僕の背中をひとしきり叩いた後、今度は会話の相手を切り替えたみたいで、期待に満ち溢れた顔を陽葵へ向ける。


「うんっ。中学生までも、もしかしてこまつんにチョコ作って渡してあげてたりしたの?」

「そ、そうです、けど……」


「んんん! 甘酸っぱいね、いいねっ。もっとそういう幼馴染幼馴染した話高月に聞かせておくれよっ」

「いや、そ、それは……さすがに」


 気まずそうに僕の顔を振り返る陽葵の姿に、にたびダメージを受ける僕。


「じゃあ、もうこまつんの好みのチョコも把握済みなんだねっ。うんうんっ、これもまた幼馴染の特権だよねー」

「あ、あはは……」


「高月さん、仕事戻ってもらっていいですか……? 補充、まだ終わってないですよね」

「うわっち、フロコンフロアコントロールのこまつんに怒られちったら仕事しないわけにいかないよー。それじゃあ、高月は残りの漫画補充してきまーす」


 長話が続く高月さんに釘を刺すと、てへ、と舌を出しておどけた先輩はそそくさと売り場へと姿を消した。


 カウンターに残った僕らは、途中になっていた加工の続きを再開させる。


「……朔くん、チョコ、まだ苦手なの?」

「……よく覚えてるね。昔よりはマシになったよ。食べられないことはない、よ」


「そっか。……バレンタイン、欲しい?」

「……ノーコメント」


 欲しくないなんて言えるわけないし、かといって欲しい理由もない。しかし、僕の答えを聞いた陽葵は「おっけーだよ」と呟き、昔よく僕に見せていたような、電柱の影に隠れて咲くタンポポみたいに顔を綻ばせた。


 棘なんてないはずなのに、触ってもいないのに、どうしたって心が痛んで仕方ない。

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