第6話 馬鹿と変態は誉め言葉
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陽葵に押し倒された(意味深)日から数日。僕はその日以降、感情という感情がぐちゃぐちゃにかき乱されたまま、春休みを過ごしていた。ぐちゃぐちゃのあまり、普段は一度の生放送に一回しか投げないスパチャを二回も遥ひなさんに投げてしまった。
そんなさなか迎えるこの日のシフトは、高月さんと野々市さんと僕の三人。陽葵はおやすみだ。
「……お、お疲れ様です」
いつにも増して死んだテンションでスタッフルームに入ると、既に高月さんは休憩中、野々市さんも制服に着替え終わっているという状況。僕もロッカーに荷物を突っ込んで更衣室に入ろうとすると、
「おっつおっつーこまつん。ねえねえ、こまつんに見て欲しいものがあるんだけどー」
ニコニコ顔で眼鏡の位置をカチャリと直した高月さんに呼び止められては、タブレットである画像を僕に見せつける。そのイラストの構図は、つい最近見覚えというか実体験した記憶があるもので──
「ってこれこの間の陽葵が転んだときのっっっ」
それは、どこからどう見ても先日陽葵が僕を押し倒したときの様子にそっくりだった。
「いやー、久しぶりにアツアツのシーン生で見たらさー、高月の右手が疼いちゃってー」
「なっ、何描いているんですかっ、ばっ、馬鹿なんですか、変態なんですかっ」
「でへへ、照れるなーこまつん。褒めても何も出ないぞー? あっ、こまつんが好きなシチュの実用性が高い絵一枚描いてあげようかー?」
……そうだった、高月さんに正論は意味がないんだった。
「それでさー、こまつん。この絵SNSに投稿してもいい? 久しぶりに上手く描けたって思えるイラストになったんだよー」
「絶対駄目です」
「えー、ちゃんとこまつんと春江さんってわからないようにするからー」
「そういう問題じゃないです」
「自信作なのにー、このままお蔵入りさせるのは高月的にもしんどいよー」
「モデルにさせられた僕と陽葵のほうがよっぽどしんどいです」
などと、更衣室の前で僕と高月さんがタブレットを巡って乳繰り合っていると、
「さっくん先輩と春江さんがどうかしたんですかー?」
僕らの様子を見かねた野々市さんが、ひょこりと僕らの間に割って入った。
野々市さんが件のタブレットの画面を覗き込むと、みるみるうちに頬が上気してきては、色が赤く染まりあがっていく。
「こっ、ここっ、これっ、さっくん先輩と春江さん、なんですか?」
「そだよー、なんか休憩中スタッフルームでイチャイチャしてるの高月見つけちゃってー」
……もうやだここのバイト先。秘密もへったくれもあったもんじゃない。泣いていいですか? 泣いていいよね、さすがにこれは。
「えっ、えっ……だ、だって春江さん、さっくん先輩のこと振ったって」
そして、野々市さんは野々市さんで何故かキョロキョロと意味もなく視線を泳がせわかりやすく狼狽している。
「さっくんが振られたの、中学生のときの話だしねー、もしかしたら色々春江さんにも思うところはあるのかもしれないよねー。それよりどったののっち? リア充のっちからしたら押し倒す押し倒されるなんて周りで日常茶飯事なんじゃ」
「そっ、そそそそんなことっ」
「んー、それにこまつんと春江さんがどうにかなると不都合な感じ? 何何? とうとうここのバイト先でも三角関係作ってくれるの? 高月的にご馳走なんだけどそれ、ねえねえのっち詳しく教えて」
「ちっ、ちちっ、違いますっ。べっ、別にさっくん先輩が誰とどうなろうと、私には関係ない話ですしっ」
「ねーねー、のっち教えてよー、三角三角、ラララ三角ワンダーランドの入口だけでもいいからさー」
突如降って湧いた大好物に食いつく高月さんと、ダル絡みされつつ顔から湯気を出し続ける野々市さん。
っていうかなんだそのワンダーランドは。
「ここのバイトのひとたち、全然社内恋愛してくれないからさー、高月的にもネタに困ってたんだよー、だから新鮮ホカホカな恋バナ聞かせておくれよーのっちー、ねーねー」
ちなみにだけど、絶賛他人の恋バナ募集中の高月さんにも、ある人から矢印が向いていたりもする。全然当の本人は気づいていないみたいだけど。
そんな可哀そうな人の話は一旦置いておくとして。
「ああ、もうっ! 今日仕事終わりに私の友達の恋バナ教えるのでそれで許してください
とうとう高月さんの「ねーねー攻撃」に屈したのか、自分の友達の恋バナを売りに出すことで野々市さんはその場を凌ぐことにしたらしい。
「んー、まあしょうがないなー、それで手打ちにしてあげるよ―のっち」
まあ、これもここのバイト先の日常風景と言えば日常だったりもする。
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