第5話 陽葵の秘密

 〇


 バイトが終わって家に帰ると、私はパタンと制服の入ったトートバックを引っ越したばかりのワンルームの床にポトンと落とす。


「……結局、最後まで言えなかった」


 私の意気地なし。

 話さないといけないことの、半分も話せなかった。高月さんが途中から聞いていたっていうのもあるかもしれないけど、あれじゃ、朔くんを困らせるだけだよ。


 実際、朔くん、困ってた。「前みたいに仲良くして欲しい」って言った瞬間、朔くんの目が泳いだのを私は見逃さなかった。

 四年ちょっと離れていてもわかる、だって私は朔くんの幼馴染だから。


「……そろそろ時間だし、準備しなくちゃ」


 スマホで時間を確認すると、時刻はもうすぐ〇時ちょうど。パソコンの電源を入れて、マイクとかヘッドホンとか、そういった諸々の機材の支度を整える。


 部屋着に着替えている間にパソコンはしっかり立ち上がっていて、私はそのまま配信ソフトにマウスカーソルを合わせる。


 これから私がしようとしているのは、配信だ。


 ……あのとき、ただ私はお父さんの転勤についていくためだけに朔くんを置いて東京に行ったわけではない。

 私には、なりたい夢があった。


 それを叶えるために、お父さんの転勤を利用して東京に出た。

 なにかになりたい。朔くんの隣にいても恥ずかしくないなにかになりたい。

 教室の隅っこで本を読んでいるだけの私から、変わりたい。


 時計の針が〇時ちょうどを指す。その瞬間、


「みなさんこんはるですー、遥ひなです。平日の夜にも関わらず、配信に遊びに来てくれてありがとうございまーす」


 私はマイクに向かって考えておいた滑り出しのひとことを画面の向こう側の人たちに向かって囁きかける。


 ……小さいときから、アニメが好きだった。日曜朝にやっている女児向けアニメなんかは、毎週欠かさずリアルタイムで見ていた。


 そのときから、声を当てる、ということに興味は持っていたんだと思う。ひとりでこっそりアニメの台詞をアテレコするのは、私の楽しみのひとつだった。


「今日は、夜も遅いので、耳かきだったり、梵天だったりで皆さんのお耳を気持ちよーくしながら、のんびり一時間くらい雑談でもしていこうかなあって思ってます。よろしくお願いしますー。あっ、さっくーさんナイスパですーいつもありがとうございます」


 だから、私はアニメに出る声優さんになりたかった。

 それで東京に出た、はいいのだけど。現実はそんなに甘くなかった。


 中学生のときに演劇部に所属して、上京した高校生のときからは本格的なレッスンを受け始めた。受け始めたけど、なかなか芽は出なかった。何度かオーディションを受けたりもした。けど、結局のところ、事務所に所属することは今の今までできていない。


 何かになることができないまま、私は大学生になってしまった。

 別に今だって夢を諦めたわけじゃない。でも、タイムアップのときは間違いなく近づいているわけで。だから、今こうして、必死に夢の欠片にしがみついている。


 なににもなれなかった私の時間を、自分で否定したくなくて、しがみついているんだ。


「最近バイト帰りとかすごく冷えるようになりましたね、皆さん風邪とか引かれないに気をつけてくださいね」


 もう、何かになっているじゃん、と言われたらそうなのかもしれない。確かに、今の私は配信者として、ネットで活動する同人声優としてはそこそこの知名度はあるのかもしれない。けど、けど、


 この活動のこと、朔くんには絶対言えないよお……。


「お耳さわさわしますねー、はーい、今日も一日お疲れ様でしたー。明日仕事の人も学校の人も、そうじゃない人もゆっくり休んでくださいねー」


 遥ひな、という名義で、私は配信だけやっていたわけではない。

 同人の作品に、何個か参加させてもらったりもしたのだけど、けど、ひとつだけ、絶対に朔くんにバレちゃいけない「おしごと」を私はした。


 自室の本棚の片隅、いくつか並んでいるCD。そのなかに、私が参加した同人ノベルゲームのゲームソフトが混ざっている。


 これで勘のいい人はもう気づいたかもしれない。


 そのソフトには、しっかり、「18歳未満の方はプレイすることができません」の文字が躍っている。しかも、ただの18禁でもなくて、その企画に参加しようと思ったのが、


 主人公のキャラが、朔くんにどことなく似ていたから。

 言えない、言えないよお……朔くんとのあれこれの妄想でなんとかOKを出してもらえたそういうシーンとか。


 別名義でクレジットしてもらったけど、遥ひなという名前から芋ずる式にバレてもおかしくはない。つまりは、そんな秘密を私は朔くんに抱えている。


 どうしよう……誤解、解ききれる気がしないよ。

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