⑧ラスト・フォー・ライフ(後編)

◆◇◆◇



《この記事は》

《2023年××月××日に》

《掲載されたものです》


《拒絶反応による“感染者”の死亡例を複数確認》

《持病を抱えた方や高齢者など、免疫の弱い方々に多く……》

《身の回りの対策の徹底を……》


《感染者が増加中》

《本日の死者は都内で3人》

《拒絶反応によるものと……》

《大半が無症状》

《対策は進んでいるものの》

《人々の危機感は薄く……》

《SNSでは悪質なデマが……》

《危機意識の差で町中でのトラブルも……》


《“まむしの感染者”による殺人?》

《被害者は撲殺?》

《被害者は頭部が激しく損傷し……》

《加害者はその後射殺?》

《加害者はその後行方不明?》

《少なくとも10件前後のケースが存在?》


《ごくまれに免疫による死滅を突破?》

《ごくまれに拒絶反応を突破?》

《最終的に認知症に近い状態に?》

《最終的に子供がえりの状態に?》

《最終的に脳死状態のまま動く?》

《最終的に肉体が変異を起こす?》

《宇宙生物による寄生の終着点?》


《情報が錯綜》

《フェイクニュースにご注意を!》



◆◇◆◇



 ニコちゃんがばかになってから5日目――あともう少しで終わり。

 トシキくんの誕生日は、もう間近に迫っている。

 

 空はすっかり、真夜中の闇に染まっていた。

 黒ずんだ紺色のキャンバスには、きれいな星々の1つも見当たらない。

 この街が、夜空の光を根こそぎ奪ってしまったのだ。

 地上のまばゆい燈火は、遠い彼方の輝きさえも食べ尽くしてしまう。


 “シネ横”の子達は、広場で相変わらずたむろしていた。

 夜も遅くなってきたので、徐々に数は減ってきている。

 

 各々の寝床に帰ったり、ホテルへとパキりに行ったり、コンカフェにでも飲みに行ったり。

 皆それぞれの遊びや休息へと向かっていく中で、残った面々はやっぱり輪を作ってくつろいでいる。

 幾つかのグループに分かれて酒盛りをしてたり、動画撮って変な馬鹿騒ぎをしていたり、まぁ色々である。

 ホームレスらしき中年のおじさんも混じって飲んでたりもするので、何ともカオスだ。


 もうユイくんの話をしているらしい様子はなかった。

 そういうものだと、皆受け止めているようだった。

 誰かがいなくなることなんて、そう珍しくないことだった。

 この街の深い夜は、どんな孤独でも受け止めてくれる。

 

 だから、誰も深入りはしない。

 突き放すから、みんながみんなでいられる。

 生きることも、死ぬことも、過去も、未来も。

 何もかもに目を逸らして、彷徨い続けていく。

 そうして社会の外側で、ちっぽけな安息を手に入れる。

 彼らは――“私たち”は、きっとそういう生きものなのだ。


 ユイくんのことについて聞いてから、もうどれくらいの時間が経ったか。

 あれから何か進展があったかと問われれば、別に何もなかった。

 ヨスガくんによれば、ユイくんとはやっぱり連絡が付かないままらしい。

 幾ら通話を試みても、一切電話に出ることはないし。

 何かメッセージを送ってみても、既読はつかない。

 

 私たちとヨスガくんは、ユイくんが生きているのか死んでいるのかさえ分からない。

 誰も教えてはくれないし、そもそも知るよしもない。

 結局ヨスガくんの気持ちが宙ぶらりんのまま、時間だけが過ぎていく。


 あれから私たちは、ヨスガくんと共にまた界隈の片隅にいた。

 お互いに何とも言えぬ空気のまま沈黙して、シネ横の喧騒を眺めていたけれど。

 やがて沈黙を誤魔化すみたいに、ぽつぽつと会話を交わした。

 

 別に、大したことは話していない。

 ただ「なんで界隈に来たの」とか、「ニコさんとは何処で知り合ったんですか」とか。

 そんな感じに言葉を交わし合う、ただの世間話だった。

 

 それでお互いのことを少しだけ知ることができた。

 私は、あんまり身の上を話すのは好きじゃなかったけれど。

 ヨスガくんに関しては、少しばかり話に付き合ってあげたかった。

 

 好きな人の傍にいられない。

 好きな人に振られて、好きな人が去っていく。

 好きな人の手を取ることもできない。

 そんな彼を、どうにも放ってはおけなかった。


 ユイくんの話は何度か出たけど。

 いまユイくんが生きてるのかどうか、なんて話はしなかった。

 もう確かめるすべもないし、考えてもどうしようもないことだったから。

 なんだか、シネ横の子達とそう変わらない自分がいた。


「じゃ。ありがとね」


 ――そうして会話に耽って、暫しの時が流れた。

 日付が変わるまでそう遠くない時間帯になり、私たちはシネ横を去ることにした。

 すっかり物静かになってしまったニコちゃんの手を握りつつ、私は段差に腰掛けるヨスガくんに挨拶する。


「え」

「何その顔」

「ありがとう、って……おれは寧ろ、イトさんにお世話になって……」

「ヨスガくん、私たちが困ってる時にわざわざ声かけてくれたじゃん」


 自分は別に感謝をされるようなことをしてない、と言わんばかりのヨスガくんだったけれど。

 私からすれば、ぶっ倒れてたニコちゃんを出会い頭に助けてくれたのは立派な恩である。

 ヨスガくんがいなければ、ニコちゃんを運ぶことさえも出来なかったかもしれない。


「助かったよ。ありがと」


 だから、ヨスガくんの親切に助けられたのは事実なのだ。

 ちょっとばかし微笑んで、私はそう言った。


「……どうも、です」


 そんな私のお礼に対して、ヨスガくんは俯きがちに答える。

 どこか気恥ずかしそうに、声が右肩下がりで小さくなってた。

 ほんのり耳を赤くしていたヨスガくんは、ぶっちゃけ可愛らしい。

 会話していた時にも思ったけど、この子たまにあざとい。


 思えば、同世代の男子と絡んだことって全然なかったなぁ――そんなことをふと思った。

 私はシネ横とかには行かないし、学校もろくに通っていない。

 相手にするのは自分よりずっと年上の大人たちばかり。

 それも文字通り“パパ”みたいな歳のおじさん達だ。

 なので、そう歳の離れてない“うぶ”な男の子ってのは妙に新鮮な気持ちになる。

 

 だからこそ、なんとなしに聞いてみたくなることもあった。

 ――みんなはさ、死ぬのって怖くない?

 シネ横の面々にそう聞いたのと同じように、ふいに質問を投げかけた。


「ヨスガくんはさ」


 大した理由なんてない。

 ちょっとした好奇心だった。


「“ここからいなくなりたい”とかって、思ったことある?」


 それを聞いたヨスガくんは、思わず目を丸くしたけれど。

 少しの間を置いて、考え込むように視線を落としていた。 


「……無くは、ないですけど」


 やがてヨスガくんは、控え目に口を開く。

 おずおずと、何処か遠慮しがちな声色で、私の質問に答え始める。


「本気で思ったことは、ないです」


 自信なさげで、おどおどしてるけど。

 ほんの少し、恥じらいながらも。


「そうなんだね」

「だって……」


 自分の思うことを、はっきりと言葉にしていた。

 だからこそ、私は不意を突かれたような気持ちになる。


「いつかは、大人になりたいから」


 その一言に、私は少しばかりぽかんとしてしまった。

 呆れたとか、そういうんじゃなくて。

 何というか――ただ純粋に、驚かされた。


「うそ」


 だから思わず、そんな一言を漏らしてしまう。


「なりたいんだ」

「そりゃ、まあ」


 この夜に、この広場に、そんなことを素朴に考えられる子がいる。

 それだけでも、私にとっては驚きだったけれど――何故だが、妙な納得があった。

 だってヨスガくん。身の上の話とか聞いていても、不思議とそんな気がしたから。


「せっかく、“独りじゃない”ってわかったのに」


 ぽつぽつと言葉を続けるヨスガくんを、私は見つめ続ける。


「その先に、未来とかがなかったら……」

 

 なんというか、この子は。


「悲しいって、思います」


 やっぱり、“私達”とは違うのだ。

 

 何が違うのか、と問われれば。

 ヨスガくんは、この夜にやすらぎを見出してるけど。

 私達とは何処か、住む世界が違っている。

 たぶんヨスガくん自身も、それを無意識に悟っている。


「……ここに居ていいって、皆が受け入れてくれたから」


 ずっと疎外感を抱え続けて、ここまで流れ着いてきたのに。

 それでもヨスガくんは、前向きなのだ。

 

「いつかは何処かに行けるって、信じたいんです」


 そう思ったからこそ。

 その言葉が、何だか妙に印象深かった。



◆◇◆◇



 “シネ横”の界隈が好きだった。

 みんな尖ってて、格好良くて、可愛いから。

 おれ/ヨスガが此処に居ることを、なんとなしに受け入れてくれるから。

 学校や家族と違って、奇異の目で見られたりしないから。

 例え馴染めなくて、たまに話し掛けられる程度の立ち位置でも、別に構わない。

 漠然と受容されるだけで、おれにとっては十分だった。


 “日常”に居場所のない誰かが寄り合って、なんとなくつるんで。

 不思議な連帯感を持ちながら、気ままな一時を過ごしていく。

 ――居場所がないから、居場所を作っている。

 単なる遊びでしかなかったとしても、界隈の面々はこの夜の下で確かに集っている。

 自分達は孤独じゃないと、それぞれ分かち合うみたいに。


 でも、きっと。

 本当は、よくないことなんだと思う。


 社会に馴染めなかった誰かが、ここには何人もいて。

 そういう子たちは、自分たちの未来を捨てて。

 死ぬことも生きることも曖昧になって。

 あてもなく今日を彷徨い続けている。


 そうならずに居られた方が、きっと何よりなんだと思う。

 でも、そうなってしまった子達がいて。

 そんな疎外感を感じる子達にとって、ここは安息の場所になっている。

 何処にも辿り着けなかった誰かの拠り所として、ここが存在している。

 

 だからこそ、おれは此処が好きだった。

 それはきっと、優しいことでもあるから。

 おれも、そんな空気に少しでも救われていたから。


 ――色々と病んでたり、思い詰めてる子が多いから。

 ――いなくなったりするのは仕方ない。

 この界隈にいる子から、そんな話を聞いたことがあった。

 誰かがクスリで駄目になったり、自分の命を絶ったりする話は、たまに聞こえてくる。

 それがその子にとっての救いになるのなら、別に口出しはしない。

 そんな暗黙の了解みたいなものが、この界隈にはあった。


 突き放すような受容。

 素っ気ない気遣い。

 互いの心に踏み込まない優しさ。

 そういったものがあるから、ここは心地が良いんだと思う。

 おれも、自分が“男が好き”だということを何となしに受け入れてもらえたから、こうして救われていた。

 その上で――悲しくなる気持ちもあった。


 せっかく孤独を癒せたのに、その先にあるのが死ぬことだなんて思いたくなかった。

 社会に馴染めなかった子達の救いがそこにあるなんて、信じたくなかった。


 死にたいって思ったことは、何度かあった。

 けれど、怖くて踏ん切りをつけられなくて。

 おれは、死ぬことが凄く怖いんだと実感していた。

 生きることが、こんなにも愛おしい。

 だから皆が死を漠然と軽んじているのが、悲しかった。


 そう思いながらも、おれは何も言えずに見過ごしている。

 界隈のそういった距離感に、自分が救われているのも事実だったから。

 死ぬことを決意するくらいの想いを抱えている誰かに、軽はずみな言葉なんて掛けられなかったから。


 シネ横の広場から去っていったイトさんとニコさんのことを思い返しながら、おれは茫然と空を見上げていた。

 ――あの子達のことは、見覚えがあった。だいぶ前に、街中ですれ違った二人だった。

 銀色のインナーカラーが入った黒髪の女の子と、真っピンクの髪の女の子。

 すごく印象に残る出で立ちだったから、今になっても記憶していた。

 

 そして、何処か遠くにいるユイを見つめるおれと違って。

 寄り添うように笑い合っていた二人の姿が、心に焼き付いていた。


 久々に界隈へと顔を出そうと外へと駆り出て、閑散とした繁華街であの子達を再び見かけた。

 彼女たちに声を掛けたのは単なる親切だけじゃなくて、イトさんとニコさんのことを覚えていたからだった。

 ――様子のおかしくなっていたニコさんは、“まむし”に感染しているらしかった。

 あんなふうになっている人を見かけたのは初めてだったから、思わず驚いてしまった。


 “まむし”が蔓延して、街から人がいなくなって。

 誰かの孤独が、浮遊を繰り返している。

 以前よりも人の増えた界隈へと視線を向けて、思いを馳せる。

 そうして物思いに耽りながら、おれは既に気づいていた。


 ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ――。

 自分のスマートフォンが、振動していた。

 

 ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ――。

 規則的なリズムで、バイブレーションが小刻みに響く。


 ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ――。

 ポケットの内側で、淡々と着信を知らせる。

 

 ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ――。

 相手は、誰なのか。


 ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ――。

 確認するまでもなかった。


 ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ――。

 とっくに、知っていた。


 だから、おれは。

 乱れそうになる心を抑えて。

 意を決するように、深呼吸をして。

 画面に写る“名前”を、じっと見つめてから。

 ゆっくりと、タッチして――着信へと出た。


《もしもし》


 受話器越しに、静かに響く。

 ずっと聴きたかった、“あいつ”の透き通るような声。

 もうこの世にいないかもしれないって思ってた、大切な相手。

 

「……もしもし」


 告白して、振られて、しばらく距離を置いてしまって。

 こんな土壇場になってから、やっと久々の会話を交わした。

 あいつの安否が分からなくなった、この数時間。

 おれの中で、生と死がひどく曖昧になっていた。


《よう、ヨスガ》

「ユイ……」


 けれど、あいつはまだ生きてくれていた。

 ユイ。おれの友達。おれの相棒。おれの、好きな人。

 こっちから幾ら掛けても、出てこなかったくせに。

 今になって、おれに連絡を入れてきた。


 ふいに、界隈の方へと視線を向けた。

 皆で駄弁ったり、酔っ払ったりして、気ままに過ごしている。

 音楽を流したり、わいわいと騒いだり。

 あの輪の中とその外で、世界は分かたれていた。

 離れた地点で電話をしているおれに、もう誰も目を向けてはいなかった。

 おれは何故だか、ほっとしてしまった。



◆◇◆◇



 ニコちゃんの手を引いて、歩いていく。

 昨日までと同じように、ゆらゆらと。

 暗い夜空に見下されて、眩い歓楽街へと進んでいく。

 ろくに人はいないのに、照明やネオンだけは相も変わらず輝いている。


 じきに日付は変わる。

 目指すはトシキくんのいるコンカフェ。

 そう、明日はトシキくんの誕生日だ。

 ニコちゃんがずっと楽しみにしていた日。

 日が変わる頃に来店して、一緒にトシキくんのバースデーをお祝いしよう。

 ニコちゃんとは、そんな約束をしていた。


 たった一人の相方を、別の男と会わせるために何日も付き添ってあげている。

 端から見ると、ちょっとした悲恋みたいなものしれない。

 けれど、そんなことはもう何だっていい。

 私はニコちゃんが好きで、ニコちゃんだって私を好きでいてくれてた。

 ニコちゃんの願いを叶えてあげる理由なんて、それで十分だった。


 ニコちゃんはトシキくんが好き。

 でも、ニコちゃんの隣にいるのは私。

 私にとっては、それがすべて。


 ふいに、“シネ横”の方へと振り返った。

 広場はもう、建物の角に隠れて見えなくなっていた。

 ぼやけた喧騒だけが、微かに聞こえてくる。

 

 先程までの時間が、頭の中から過ぎ去っていく。

 少しくらい、名残惜しさはあるかな――なんて。

 そんなことを一瞬思ってみたけれど、やっぱり大した未練はなかった。

 

 前にニコちゃんが言ってた通り、“シネ横”は私たちの居場所じゃない。

 皆で仲良くつるんでいれば満足できる訳じゃないし、ああいう空気はやっぱり性に合わない。


 ――“そんなこと考えるくらいならさ”。

 ――“パキってる方が楽しいじゃん”。


 色々、思うところもあった。

 あの子達のことを知ることができた。

 私たちがいかに“子ども”なのかを改めて突きつけられるような、そんな居心地の悪さがあった。

 

 何もかも諦めたつもりでいるのに、結局心の奥底で燻り続けている。

 そんな自分の姿を鏡写しで抉り出されたことが、やけに気持ち悪くて、どこか遣る瀬無かった。

 

 私は、あの賑わいの傍らにいるヨスガくんを思い返す。

 界隈の面々から“ユイくん”のことを聞いて、ヨスガくんと別れるまでの間、少しだけお話をした。


 ヨスガくんはこれから先、“ユイくん”の安否について知ることが出来るのかは分からないけれど。 

 どちらにせよ彼は、今日が終わっても界隈の片隅に居続けるのだと思う。

 

 ヨスガくんは、私たちとは違う。

 自分を壊すことなんて、考えていない。

 未来や人生を悲観してるわけでもない。

 ただ居場所が欲しくて、あそこにいる。

 得られた居場所に、彼は満足している。

 

 例え皆の輪に入れず、あの広場の片隅で佇んでいるだけだとしても。

 “自分は独りじゃない”と気付けただけで、“此処に居てもいい”という実感を得られただけで、彼は救われてるんだと思う。


「ニコちゃん」


 ヨスガくんに思いを馳せながら、私が手を引くニコちゃんへと呼びかける。


「ヨスガくんはさ――」


 ――きっと、あのまま生きていけるよね。

 そんなことを、ニコちゃんに対してぼやいた。


「自分がどこに居るのか、ちゃんと分かってるからね」


 ヨスガくんはシネ横の面々とは違うし、私達とも違う。あの子は“しらふ”なのだ。

 彼は自分が大人になることを知ってるし、そうなるものだと思っている。

 それすら考えない、考えようとしない。“夢”の中を彷徨っているような子達がごろごろと居る中で、ヨスガくんは“現実”へと足を付けている。

 自分の“恋愛対象”のことで学校や家庭で独りぼっちだったらしいのに、ヨスガくんはずっと根がまともだ。


「……“ユイくん”も、ヨスガくんのそういうとこが好きだったんじゃないかなぁって」


 ニコちゃんは、シネ横を嫌っていた。

 ここは“学校のグループ”と大差が無いから。

 けれど、ヨスガくんにとっては“だからこそ”意味があった。

 ヨスガくんにとってシネ横は“外の世界”で、曲がりなりにも“社会”だったから。

 

 自分の存在を受け入れてもらえるだけで、彼はもう孤独から抜け出せていた。

 彼はそれ以上を求めなかったから、そして恋を知ったから――きっと既に、満足みたいなものを得ている。

 だから彼は、夢に沈む必要がない。

 夜に居場所を見出して、けれど踏み込みすぎず、“しらふ”のまま根を張っている。


 本人が自覚してるかは、わからないけれど。

 それはとても、幸福なことなんだと思う。

 “自分はひとりじゃない”という実感は、何よりも得難いものだから。

 そうして自分自身を壊さずに済むのなら、尚更だ。


 ――せっかく、“独りじゃない”ってわかったのに。

 ――おれたちに、未来がなかったら……悲しいって思います。


 だからこそヨスガくんは、そう言い切ることが出来たのだろうと思う。

 失恋を経ても、好きな人を失っても、あの子は未来を捨てずにいられるのだ。

 多分あの子は、あの場所を“卒業”して生きていける。


「……やっぱり、私はさ」


 そんなふうにヨスガくんを振り返って、私はニコちゃんへと語り掛けていく。


「ああは、なれないなぁ」


 自分の“孤独”を分かち合える、唯一人の相手。

 “大人”になることをいっしょに諦めた、掛け替えのない友達。

 ニコちゃんだけが、私の“居場所”。

 

「だって、私は――」


 ヨスガくんと違って、ずっと“ばか”のままだから。

 “先のこと”なんて怖いだけで。ニコちゃんと一緒に過ごして、二人でふらふらと漂っているだけでいい。

 過去のことも、これからのことも、何だっていい。今この瞬間だけがほしい。ニコちゃんとの日々だけが、此処に在ってほしい。


「他に、なんも考えられない」


 クスリであべこべになる、夢の世界。

 やみくもに彷徨う、不思議の国。

 みじめで、ちっぽけで、愛おしい日常。

 そんな“永遠”を、求め続ける。


「ねえ、ニコちゃんも――」


 私たちは、都会のアリス。

 愛とめぐりあって、夢の涯てまで共に往く。


「そうだよね?」


 その先に何があるかなんて、考えもしない。

 とっくの昔に、知っているくせに。


 ――ひゅー、ひゅー。

 ニコちゃんが、吐息を漏らす。

 何度も途切れて、弱々しくて。

 夜の暗がりみたいに、物悲しくて。

 私は、思わず振り返ってしまう。





 永遠を手に入れたつもりになって。

 真実はいつも、私たちの掌をすり抜けてる。





 いっしょに歩いていたニコちゃん。

 それが、急にバランスを崩した。

 突然身体から力を失って、ぐらついて。

 私の手から、するりと抜けていった。

 あ、と私が声を上げた直後。


 まるで滑り落ちるみたいに。

 ニコちゃんが、ずってんと転んだ。

 

 コンクリートで塗装された歩道へと、ニコちゃんは顔面から突っ込んだ。文字通りすっ転んだのだ。

 不意を突かれたように私は、その光景をぽけっと見つめていた。

 暫く呆気に取られていたけれど、胸の中にある不安に駆り立てられるみたいに私は声を掛ける。


「ニコちゃん……だいじょぶ?」


 そう呼びかけてみたけど。

 ニコちゃんは、動かない。

 ニコちゃんは、唸らない。

 ひゅう、ひゅう――。

 呼吸の音が、か細く響くばかり。


「ニコちゃん?」


 うつ伏せのまま、じっとしているニコちゃん。

 身動きを取らない友達を、呆然と見下ろす私。

 

 “また”だった。

 昨日から、おかしかった。

 今日も、おかしかった。

 

 よく転ぶし、よく呼吸がヘンになってる。

 たまにじっとしたまま、動かなくなる。

 

 “ばか”になったニコちゃんは、おかしな挙動をする。

 何かを叩いたり、蹴ったり。

 べたべた触ったり、かじったり。

 すっかりぼけぼけで、赤ちゃんみたいだった。


「トシキくんの店いこうよ」


 これも“ばか”になっちゃったせいなんだろう。

 こうやってすっ転んじゃうのも、きっとそういうことなんだろう。

 心の何処かで、私はそう考えようとしていた。

 

 昨日までなら、楽観したままだったと思う。

 きっといつもみたいに飄々と、ニコちゃんを支えてあげてたはずだ。


「ねーえ、ニコちゃん」


 なのに。何故だか、今は。

 いつもみたいに、暢気でいられなかった。

 軽口なんて、叩いていられなかった。


 ぷかぷか。ぷかぷか。

 ニコちゃんは、何も言わない。

 ヘンな呼吸を繰り返したまま、伏せて動かない。

 ぐったりしたその姿に、胸騒ぎのような不安を抱いてしまう。

 だから私は、思わず呼びかける。


「ニコちゃん」


 ぷかぷか、ぷかぷか。

 頭の中で、あの日のしゃぼん玉がよぎる。

 あてもなく漂って、どこにも辿り着けない。

 私達の行く末が、何度もちらつく。


「……ねえってば」


 ぷかぷか、ぷかぷか。

 地に足つかず、ただ彷徨うだけ。

 足すら持たないから、這い回るだけ。

 “へび”のくせに、遠い何処かに憧れて。

 空へ跳ぼうとしても、しゃぼん玉にしかなれない。


「ニコちゃん……」


 ぷかぷか、ぷかぷか。

 狭い世界で、ささやかに浮かんで。

 最後は、割れて落ちる。





『ニコちゃーん』

『わたし達さぁ』

『どこに行くんだろうね』


 フラッシュバック。


『行けないっしょ、どこにも』

『だからあたし達、こんなことになってんだよ』


 反響する記憶。


『じゃ、ずっと一緒ってわけだぁ』


 いつの日かの、思い出。



◆◇◆◇



《もう、聞いてる?》

「聞いたよ……皆から」


 あいつは、なんてこともないように聞いてくる。

 ユイ。生きているのか、死んでいるのかも分からなくなっていた。

 イトさんと過ごしている間、おれの心はずっと宙ぶらりんのままだった。


「死ぬつもりなんだろ」


 ――なんか今日死ぬつもりらしいですよ。

 ――睡眠薬がぶ飲みして、ぽっくり死ぬんだって。


 界隈の子が教えてくれた、そんな報せ。

 初めて聞いたし、知りもしなかったこと。

 ユイは死ぬつもりでいるらしいこと。

 そうして、そのユイがおれに電話を掛けてきた。


「おれが掛けても、出なかったくせに……」


 あいつに何度も連絡を入れて、一切の反応が返ってこなかったとき。

 ユイとは、このままひっそりと別れることになるのだと思っていた。

 そう信じたくなくても、心のどこかで無意識に確信してしまっている自分がいた。


「なんで……電話……」


 だからこそ――今になって、あいつの方から連絡が来て。

 心の中を掻き回されるような、そんな気持ちに駆られてしまう。

 

《お前のこと、突き放したかったんだけどさ》


 そうして、あいつの声が響いてくる。

 何処か困ったように、苦笑いが混じっていた。


《ごめん。やっぱ声聞きたくなった》


 あいつは、ユイは、そんなことを言う。

 こうしておれの声を聞けて、心底安心したみたいに。

 

 ――ああ、くそ。

 ――お前、ほんとにさ。

 ――そういうこと、言うなよ。

 

 胸の内が、きゅっと引き締められる。

 あいつの言葉に心を掴み取られて、思わず唇を噛み締めてしまう。

 恥じらいと、悔しさと、嬉しさが、雁字搦めになる。


「お前さ……」


 そんな気持ちに掻き毟られながら。

 おれは、言葉を絞り出した。


「いつも、勝手なんだよ……」


 本当に、ユイはいつもそうだ。憎らしいくらいに。

 なんてことのない凛とした顔をしながら、おれの気持ちを振り回してくる。


《……うん。分かってる》


 いつもだったら、おれの想いに気付きもしないような態度を取るくせに。

 今日に限っては、何処か寂しげに、ばつが悪そうに、そんな反応を返してくる。

 

「……なあ」


 ああ、本当にそうなんだな。

 ユイの様子で、おれは察してしまう。

 ユイが死のうとしているのは、本当なんだって。

 おれは否応なしに、理解してしまう。


「死ぬなんて、聞いてない」

《ごめん》


 おれはやっぱり、皆のようにはいられない。

 だからユイに、そんな言葉を掛けてしまう。

 ――なんで、死ななきゃいけないんだよ。

 心の奥底から、感情が滲み出てくる。

 ユイがそんな想いを抱えていることくらい、とうに知っていたくせに。

 

「……生きろよ」

《……やめとく》


 そうして、おれは言葉を零した。

 たった一人の大切なひとに、そう懇願した。

 けれど、ユイは躊躇いがちに答えを返す。


《もう終わりにするって、決めたから》


 まるで最後の思い出作りをするみたいに、そう言ってくる。


「死ぬなよ……っ」


 そのことに、おれは耐えられなかった。

 今にも遠くへと行きそうなユイが、悲しくて仕方なかった


「なんでっ、こんな……」


 皆のようには、いられない。

 そういうものだと、受け入れられない。

 割り切ることなんてできない。

 だというのに――奇妙な納得があった。

 

 零れ落ちる言葉とは裏腹に、心の奥底ではユイの顛末を理解していた。

 シネ横は、ふらりと消えていきそうな子が何人もいて。

 初めて出会った時から、ユイはそういう奴で。

 いつだって、おれの掌を擦り抜けていきそうな感じがした。


「死ぬしか、ないのかよ」

《うん》

「なあ、ユイ……」


 だから、こうして引き留めたところで、意味なんかないことも察していた。

 なのにおれは、ユイに声を掛け続けていた。

 ユイがいなくなることが、どうしようもなく辛かった。


「おれさ……やっぱり、お前が――」


 “皆”に未来がないなんてことが、あってほしくなかったから。

 そして――イトさんやニコさんみたいに、寄り添いあって生きる姿が眩しかったから。

 おれたちはこのまま別れるだけなんて、信じたくなかった。


 そう思っていても、現実を受け入れつつある自分がいた。

 だって、ユイは。おれの好きな、ユイは。

 この夜に迷い込んだ“孤独”は、みんな同じで。

 満たされない空虚を、抱え込んでいて――。


《――ヨスガ》


 言葉を続けようとした矢先に、ユイが不意に呟いた。


《俺はもう、何処にも行きたくない》


 その声は、酷く寂しげなのに。

 不思議と、落ち着き払っていた。


《それでいい。それで、いいんだよ》


 憑物が落ちたかのように、ユイはそう紡いだ。


《……ここで、きっぱり終わりたい》


 おれは何も返せずに、ただ沈黙していた。

 “旅の終わり”が、間近に迫っている。

 否応なしに、おれはそう悟ってしまった。





 ユイから聞いたことがあった。

 あいつ自身が歩んできた人生を。

 ユイは、望まれない子供だった。



◆◇◆◇



 立ち並ぶ大看板。

 掲げられるホスト達の顔。

 きらびやかな彼らの肖像をよそに。

 “私”は、無我夢中で夜を往く。


 もうヨスガくんみたいな“親切な人”はいない。

 ここにいるのは、私とニコちゃんだけ。

 ニコちゃんを支えられるのは、私ひとり。

 だから、そうするだけ。


 ニコちゃんを背負って、私は一歩一歩踏みしきる。

 前へ前へと、気力を絞り出すように進んでいく。

 

 ニコちゃんは、何も言わない。

 苦しそうな呼吸だけを繰り返して。

 私の背中に、ぐったりと身体をあずけている。


 私は、夜の燈火の中を只管に往く。

 息も絶え絶えなニコちゃんを背負って、歩き続ける。

 まるでニコちゃんに“まだ間に合う”と訴えかけてるみたいだった。

 これから死んでゆく人間の、最後の願いを叶えようとしてるみたいだった。


 いまのニコちゃん。

 すっかり“ばか”になったニコちゃん。

 まともな状態のわけがないと、薄々察してた。

 倒れたニコちゃんの姿に、不安と動揺を掻き立てられてるのに。

 心の何処かで、“やっぱり”と納得してしまっている自分がいた。


 胸の内がぐちゃぐちゃになる。

 理性と感情があべこべになる。

 何がまともで、何がおかしいのか。

 クスリでラリったみたいに、曖昧になる。

 そんな中で、ニコちゃんへの想いだけが鮮明に色づく。


 ニコちゃんをおんぶしてあげたのは、何時ぶりだろう。

 こんなふうにニコちゃんを運ぶことは、何度か経験があった。

 ニコちゃんはたまにぶっ倒れる。ラリって道端でヘロヘロになったときとか、なんか相当嫌なことがあってストゼロで泥酔してたときとか。

 振り返ってみれば、機会は色々あった気がする。

 べろべろに倒れてるニコちゃんはずっしりと重くて、わにゃわにゃ呻いてて。そんなニコちゃんを運ぶのはいつも大変だった。

 

 けれど、嫌だったかと言えば、別にそんなことはなくて。ろくに動けないニコちゃんを助けてあげるのは――なんというか、こう。

 私の役目というか、私のポジションというか。とにかく、それが当然のことだと思ってた。

 だって私は、ニコちゃんの友達で、ニコちゃんの相方だから。

 

 別に苦だなんて思わない。ニコちゃんが動けないから、おぶってあげる。そんなのは当然のことだった。

 私はニコちゃんが大好きだから、それが当たり前だった。


「ニコちゃん」


 今だって、そうだ。

 ニコちゃんが“重荷”に見える、なんて誰かに言われたら。

 きっと私は、そいつをぶん殴ると思う。


「ねえ、ニコちゃん」


 私達の関係について、昨日も色々考えたけれど。

 友情とか、恋愛とか、共感とか、依存とか。なんて説明すればいいのかは、自分でもよくわからない。


「もうすぐトシキくんと会えるよ」


 確かなことは何なのかと言われれば。

 私は、ニコちゃんのためなら何でもしてあげるってこと。

 ニコちゃんがトシキくんの誕生日をお祝いしたがってたんだから、何がなんでも連れて行ってあげなきゃいけないってこと。


「ニコちゃんの大好きな、トシキくんだよ」


 私はニコちゃんが好きで。ニコちゃんも私が好きで。けれどニコちゃんは、トシキくんのことが好き。

 ――別に、なんだっていい。どうだっていい。


「一緒に祝ってあげようよ。トシキくんの誕生日」


 ニコちゃんがそれを望んでたんだから、叶えてあげる。それ以外のことなんて何もない。

 私はニコちゃんが好きだから。ニコちゃんが幸せなら、私も幸せになるから。ニコちゃんが喜んでたら、私だって嬉しくなってしまう。

 だって私たちは、二人でひとつだから。私はニコちゃん以外、なんにも求めていないから。

 

 私かトシキくんか、ニコちゃんがどっちの方が好きかなんて関係ない。トシキくんに惚れてたって、私はなんでもいい。

 ニコちゃんがそうしたがってる。それを望んでいる。だから、私はおぶってでもニコちゃんを連れて行ってあげる。


 ニコちゃんは、私の“信じるもの”。

 ニコちゃんは、私にとって“信仰”。

 私の孤独を癒す、鮮やかな花束だった。

 

 人はみんな、心の背骨みたいなものを持っている。

 願いとか、祈りとか。生きるための“よすが”とか。

 そういうものがあるから、人は希望を抱いていけるんだと思う。

 縋れる何かがあるから。私達は、ここに居られる。

 それすら価値がないとしたら――この世界に、救いなんて何もない。


 らしくない。我ながら、らしくない。

 過去も未来も捨てたのに。

 こんなことに想いを馳せちゃってる。

 本当に、らしくない。


「ニコちゃん。ね、ニコちゃん――」


 そうして調子がおかしくなってたから。

 ふいに、思ってしまうことがあった。


 ニコちゃん。

 もし辛かったらね。

 病院とかに、連れてくよ。


「――ニコちゃん」


 そんなことを考えて、私は振り返った。

 背負っているニコちゃんの顔を見た。

 ニコちゃんは、意識が朦朧としてて。

 ぼんやりとした表情で、ひゅうひゅう呼吸をしてて。

 けれど――振り返った私の眼を、じっと見つめ返していた。

 虚ろに草臥れた眼差しが、それでも私の方へと視点を合わせていた。





『病院なんか行くなよ』

『行きたくないよ』

『あたしは』

『トシキくんに会いたい』

 

『ねえ』

『あんたなら』

『分かってるでしょ』

『イト』





 私とニコちゃん。

 視線が交差して。

 互いに見つめ合って。

 しばらくの沈黙を経て。


「……だよね、ニコちゃん」


 ――私は、ニコちゃんの“声”を聞いた。

 ニコちゃんの想いを、確かに察した。

 ニコちゃんは、か細く唸り声を上げている。

 呼吸はどんどん弱々しくなってる。

 身体の温もりも、明らかに冷めている。


「病院なんか、行きたくないよね」


 なのに私は、ニッと微笑んでいた。

 だって、ニコちゃんに頼まれたから。

 ニコちゃんが、私を頼ってくれたから。

 だったら、そうする以外に何もない。

 

 私はただ、ニコちゃんといっしょに行く。

 私達は、何処にも辿り着けないけど。

 せめてこの願いだけは、叶えないと。

 じゃなきゃ、ニコちゃんが報われないから。


 そして、きっと私も報われないから。

 こうして必死に縋っているんだろう。


 ニコちゃんは、“ばか”になっちゃってる。

 “今までの日常”なんて、とうに終わってたのに。

 いつかは”その時“が来ることも、悟っていたのに。

 それでも、この日々の中で――私は。

 今日が永遠に続くことを、信じたがっていた。

 


◆◇◆◇



 ユイは、母親の不倫によって生まれた子供だった。

 本当の父親は、顔さえも知らないらしい。

 

 ユイが幼い頃に、母親はいなくなった。

 不貞の何もかもが明るみになって、離婚へと至ったらしい。

 そうして母親は逃げるように夫と別れて、ユイは血縁関係のない父親と共に取り残された。

 

 自分の子と血が繋がっていないことを知って、妻にも裏切られたユイの父親は、心に深い傷を負ったらしくて。

 それからユイは、父親の無理心中に巻き込まれた。

 それで父親は命を落として、けれどユイは九死に一生を得た。


 ユイはそれ以来、ずっと何かが満たされないままになっている。

 心のどこかが空っぽで、虚しさを抱え続けたままになっている。

 幼い頃から今に至るまで、ユイはずっと癒えない傷を背負っている。

 

 ユイの身の上を聞いたのは、一度きりだった。

 それ以外のことは、何も言わなかった。

 

 他にユイについて知っていることは、ひとつだけ。

 誰にも見られず、二人きりで過ごしているとき。

 何かを堪えきれなくなるみたいに、急に泣き出すことがあった。

 その瞬間だけ、ユイは本当に“ただの子供”になる。


 ユイは時おり、遠くを見つめている。

 何処かをじっと眺めて、憧れている。

 そうして、自分を壊そうとしている。


 おれの前では、そんな顔をあまり見せないけれど。

 ユイは堕落へと転がるように生きている。

 “少年院”に入ったのも、きっとそういうことだった。


 パンク・ロックを聴きながら、ユイは彷徨っていた。

 “理由なき反抗”へと、駆られていた。

 まるで自分が生きるに値しないという証を、探し求めているみたいに。


 ユイはずっと前から、乾いていた。

 そしてやっと、自分を終わらせる決意をしたんだと思う。

 その瞬間が、偶々“今”だったというだけ。

 

 それでいて、ユイはおれとつるんでいた。

 そのことが悲しくて、愛おしくて。

 胸の奥底を、掻き毟られような想いが込み上げた。





 日が変わるまで、そう遠くない頃になっていた。

 広場での喧騒は続いている。皆すっかり出来上がって、がやがやと楽しそうにつるんでいる。

 夜も更けていく中で、この場に残る皆は陽気な宴に明け暮れている。

 

 そんな彼らの姿をよそに、おれは離れた片隅にいる。

 ユイとの最後のひと時を、ただ茫然と過ごしている。


 ――俺はもう、何処にも行きたくない。

 ――ここで、きっぱり終わりたい。


 ユイの言葉が、反響を繰り返す。

 哀しみが、波紋のように響いてくる。

 心の中は、夕焼けのようだった。

 物悲しい寂寞感が、静かに押し寄せてくる。 


「なあ、ユイ」


 ぽつりと、おれは言葉を紡ぎ出した。

 ずっと気になっていたこと。

 心に引っ掛かっていたこと。

 せめてそれを聞き出したかった。

 

 何処かでもう、諦めるように受け入れていた。

 これから訪れるであろう、ひとつの結末を。


 それでも、感情だけは。

 ユイの終わりを、拒み続けていた。

 なけなしの熱によって、言葉を絞り出す。


「なんで……おれのこと、振ったの」


 数週間前に、おれはユイに想いを打ち明けた。

 なけなしの勇気を振り絞って、“好きだ”って告白をした。

 けれどユイは、寂しそうに微笑むばかりで――おれの想いを受け入れてはくれなかった。


 おれの傍に、ずっといてくれて。

 まだ友達でしかなかったおれに、キスまでした。

 それでもユイは、恋人になることを拒んだ。

 “ヨスガの気持ちは受け止められない”。

 ただ、そう答えてきた。


 ――自惚れみたいな感情なのかもしれない。

 ユイなら受け入れてくれるなんて、おれの思い込みでしかないのかもしれない。

 けれど、それでも。おれにとってのユイが、大きな存在だったように。

 ユイにとっても、おれはキスをしてもいいくらいの存在だったって信じたかった。

 

 だって、おれは。

 ユイが好きだから。


《……付き合ったらさ》


 やがてユイは、静かに呟き始めた。

 微かに震える声で、語っていく。


《また、生きたくなっちゃう気がして》


 その一言を、耳にして。

 おれは、思わず声を上げてしまった。 


「だったら……」


 なあ、ユイ。

 だったら――だったら。


「生きろよ」


 なんていうかさ。

 それでいいだろ。

 それで、いいんだよ。


「ユイが居てくれれば、何だっていいから」


 おれはただ、生きてほしい。

 ユイに、居てほしい。

 本当に、それだけだから。


「だから……」


 お前に未来が無いなんて。

 受け入れたくない。納得したくない。


「なあ。ユイ……」 

《……ヨスガ》


 やがてユイが、静かに呟き出した。


《お前ってさ》


 おれの感情をよそにして。

 どこか、安心したみたいに。


《やっぱり、可愛いよな》


 そんな“ズルい言葉”を、投げかけてくる。

 ユイは本当に――そういうやつだった。


《俺はもう、降りるけど――》


 いつも凛として、格好良くて。

 何処か飄々と、掴み所がなくて。

 なのに、ふいにこっちの心へと踏み込んでくる。


《ヨスガ。お前は、生きろよ》


 おれは、ずっとユイのことを考えていた。

 友達になってくれた時から変わらない、穏やかな微笑みも。

 おれの傍にいつも居てくれた、優しい姿も。

 何気ない瞬間に時折見せる、乾いた横顔も。


《お前は、何処にだって行けるから》


 夕闇のような、寂しげな佇まいも。

 ユイのぜんぶが、愛おしかった。


《どうか、幸せに》


 だからさ、ユイ。

 また一緒に、何処かへ行きたいよ。

 二人で、いつものように。

 この夜を、気ままに這い回ろう。

 これが、旅の最後なんて――。


 

《愛してる》



 ――そうして、一言。その囁きと共に。

 おれの中で、何かが終わりを告げた。

 

 言葉を失って、静寂に身を委ねて。

 おれは、唇を微かに震わせていた。

 胸中で渦巻くのは、不思議な気持ちだった。


 ああ、本当に。 

 やっと、言ってくれた。

 心を絡め取っていた茨が、解き放たれた。

 ユイが――ようやく、応えてくれた。

 喜びと、解放感が、波のように込み上げてくる。


 そして、だからこそ。

 おれは、そのことを理解してしまう。

 ああ、ユイは本当に終わるんだな、って。

 最期の瞬間だからこそ、“二人”に終止符を打った。


 おれとユイの、終着点。

 旅の最後は、いつだって。

 別れによって、終幕を迎える。 


「……うん」


 そうなんだろう。

 きっと、そういうものなんだろう。

 感情が、凪のように静まっていく。

 

 まるで、死ぬことを受容するように。

 諦めることを、決意するみたいに。

 おれはせめて、最後の餞を送る。



「愛してる」



 そうして、歌が鳴り止んだ。

 二人の世界から、音が消え失せた。

 それが、おれたちの夢の終わり。

 おれにとっての、青春の結末。



 ――がちゃり。



◆◇◆◇



 “まむし”がやってきて。

 街から人がいなくなって。

 社会が空っぽの箱庭になって。

 現実と空想は、ひどく曖昧になった。

 ――だから、遠い日の記憶がふいに蘇る。


『泣かないでってば、トマリ』 

 

 生きること。死ぬこと。

 その線引きは、あべこべになって。

 私たちは、夢の中をふわふわと彷徨う。

 みんな“ばか”だから、真実から目を逸らせる。

 そうじゃなくなったら、ここを抜け出すしかない。


『ママ、いつも言ってるじゃん』

 

 ねえ、トマリ。


『“パパも大変だから、分かってあげて”って――』


 トマリはさ。

 死ぬの、怖かったよね。


『ちょっと叩かれたくらいでしょ』


 まだ4歳だったのにさ。

 いつも痣だらけで、痛かったよね。

 ばかにもなれないしさ。

 怖くないわけ、なかったよね。


『我慢して。泣かないでって』


 ごめんね。お姉ちゃんさ。

 なんもしてあげられなかった。


『私だって、我慢してるんだよ……』

 

 トマリ、苦しかったのに。

 まるでトマリが悪いみたいに言ってた。

 トマリの痛みを、ただ突き放すだけだった。


『パパは怖いけど、私達を愛してくれてるから』


 さんざん傷付けられたのに。

 パパのことを、悪く言えなかった。

 私は、ママの言いなりだったから。

 目の前の事実から、目を背けてきた。


 トマリは、私とは違う。

 ちゃんと現実を生きてて。

 彷徨ってなんか、いなかった。


『いい?わかった?』 


 ねえ、私(イト)。

 昔からおんなじだね。


『……トマリ』

 

 嘘ついて、目を逸らして。

 夢に縋ってばかりで。


『わかってよ……お願いだから……』

 

 そんなんだから。

 どこにも行けないんだろうね。


 



《2018年》

《4歳次女を虐待の末に殺害》

《父親を逮捕》

《長女にも日常的な虐待》

《妻は逮捕された夫を庇う証言》

《DVによる心理的支配が影響か》




 

 もしもし、“神様”。

 たぶん懺悔ってやつです。


 本当の“パパ”に妹を殺されて。

 偽物の“パパ”をお金にしました。

 私が甘えられる“パパ”は、もう貴方だけです。

 

 ずっと上手くいかなくて。

 なにかを間違え続けて。

 駄目な方にばっかり転がり落ちて。

 未来を捨てる快楽に、ずぶずぶ浸かって。

 そうして、いつも目を逸らし続けて。

 “がらくた”みたいな人生を送ってきました。


 “子ども”同士で寄り添って、奉仕していく。

 きっと、おかしなことなんだと思います。

 ほんとは“大人”がいなくちゃいけない。

 そんなの、とっくに分かっています。

 けれど、この時間が終わってしまえば。

 “私達”も、きっと終わってしまうから。


 他に何もいらないです。

 なんだっていいです。

 真っ当な道とか、明るい未来とか。

 そんな高望みはしません。

 それでも、一つだけお願いがあります。


 どうか、まだ終わらせないでください。

 もう少しだけ、“私達”に幸せな夢を見させて。





 休憩なんてしなかった。

 いつも時間なんてろくに気にしないのに。

 休んでる暇さえ惜しかった。


 ニコちゃん一人をおぶって、ずっと歩き続けていた。

 脚はガタガタになって、すっかりくたびれていた。

 肩や背中にはニコちゃんの重みが伸し掛かる。

 身体のあちこちが痺れて、疲れ果ててる。

 そりゃそうだ。ろくに運動もしたことない私が、誰かをおんぶし続けているんだから。


 けれど、不思議と私の身体は動き続けていた。

 どれだけ身体がしんどくても、疲れてても、私はひたすらにニコちゃんを運んでいた。

 荒い息をなんとか整えて、自分に鞭打って、なんとかして奮い立たせながら、私は無我夢中で往く。

 執念みたいなものだった。ニコちゃんの願いを叶えてあげることに、私は駆り立てられていた。


 呻くだけの、ただ生きているだけの、人の成れの果てなんかじゃない。

 この娘は此処にいる。確かに存在している。私の友達として、これまでの日々を過ごしている。

 “ばか”になっちゃったけど、それでもニコちゃんは人間だ。

 嬉しさとか、悲しさとか、楽しさとか、辛さとか。ぜんぶ綯い交ぜになりながら生きていく、れっきとした人間。


 ああ、何だか。

 まるで縋ってるみたい。

 それもそうだ。

 今、この瞬間くらい。

 他のすべてを、かなぐり捨てたい。


 ニコちゃんの“やり残したこと”。

 それは、ニコちゃんの心の在処。

 ニコちゃんが人間であることの証。

 友達だから、その望みを叶えてあげたい。

 この娘が、まだ人間であることを信じたい。

 ――“声”だって、聞こえたんだから。


 さんざん自分を壊してきたくせに。

 今の私は、みっともなく何かに縋っている。

 “神様”というものに、祈っている。

 この世でいちばん偉大な“お父さん”に。


 そうして、私は歩き続けて。

 夢か現実かも分からない意識の中を、彷徨い続けて。

 只管に、ただただ前へと進み続けて。

 最後は、行き着く場所へと行き着く。




 

 ネオンの星々を越えた先には。

 仄暗い“宇宙の果て”が待っている。

 暗黒――闇の向こう側。 

 “まむし”はこの地球に辿り着いた。

 なら、何処にも行けない私達は。




 

「ニコちゃん」


 ――雑居ビルの3階。

 煤けたコンクリートに囲われた薄暗い通路。

 狭苦しい道をかつかつと進んだ、その奥側。

 まるでマンションかなにかの一室のような、何の変哲もない扉がある。

 看板も何もない。ただひっそりと、素っ気ない扉とインターホンがそこに在る。


「着いたよ」


 此処が、ニコちゃんがいつも通ってるお店。

 執事系メンズコンカフェ『Eden』である。

 いつも思うけど、なにがエデンだ。

 

 メンコンの外観なんてのはこんなものだ。人目に付かない場所で、隠れ潜むみたいに店舗を構えている。

 インターホンを鳴らせば、キャストが普通にドアを開けて案内してくれる。歓楽街に構えてる店ではありがちのシステム。

 怪しくて、仄暗くて、ロマンチックさの欠片もない。きらびやかな雰囲気なんて、何処にもありやしない。


「トシキくんのお店だよ」


 それでも、夜のお姫様にとって。

 ここは、王子様の居るお城なのだ。


 ニコちゃんは、か細い呼吸を続けるばかり。

 うんともすんとも言ってはくれない。

 けれど、まだ此処にいる。ちゃんと生きてくれてる。

 それだけで私は、何か報われたような気がした。


「ずっと楽しみにしてたでしょ、ニコちゃん」


 だから、私は微笑む。

 背中のニコちゃんに、笑いかける。

 ニコちゃんはやっぱり何も答えない。

 そのことに、心の何処かで寂しさも覚えて。

 それでも私は、前へと向き直す。


 それから。

 ふぅ、と呼吸を整えた。

 意を決して、扉を見つめる。

 

 ――ぴんぽん。


 そして、インターホンを鳴らした。

 いつもだったら、ニコちゃんがやってること。

 なにせニコちゃんは、トシキくんに会いたくて仕方がないから。

 けれど、今日は私の仕事。私がニコちゃんをトシキくんに会わせるために、呼び鈴を押す。


《開いてまーす》


 即座に返事が返ってきた。

 スピーカーから聞き慣れぬ声が響く。

 そのとき私は、なんだか奇妙に思った。

 

 ――いつもならインターホン鳴らしたらキャスト出てきてくれるじゃん。

 ――っていうか、この声誰だ。聞いたことない。

 ――私の知らない新人か何か?


 色々と訝しみながらも、私は扉を開けた。

 本当に鍵は開いてた。まるで私達を導くかのように。

 私達はひっそりと、店の中へと入っていく。

 

 ニコちゃんを背負い続けてることは、もう辛くも何ともなかった。

 疲れている暇なんて、なかったから。





『ねえニコちゃん』 

『生きることってさ』 

『報われるか、報われないか』 

『その二択しかないのかな』


『いやまぁ』

『なんていうかさ』

『それ以前の問題な気がして』

『たった今、そりゃないだろって出来事に出くわしたから』

『それどころじゃないっていうか』

 

『ニコちゃんはどう思う?』

『……聞いてる、ニコちゃーん?』



 


「は」

 

 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ。


 ふいに、またしても。

 あの日のリズムが、反響する。


「……は?」


 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ。

 

 陽気で軽快で、眩くも仄暗くて。

 跳ねて踊り狂うような、電子音のビート。


「は??」


 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ。


 クラブサウンドが、響き渡る。

 ハウス・ミュージックが、流れていく。


「――は???????」


 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ。


 さて、この音楽。

 何処から流れてるのか。

 何処から響いてるのか。

 答えはすぐに導き出せた。

 私の、頭ん中である。


「ト……トシキ、くん????」


 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ。

 ずんちゃ。どんちゃ――ぱぁんっ。


 眼の前に出現した現実に、思わず呆然として。

 衝撃と動揺が、脳内であべこべになって。

 あの日のメロディーが、唐突に蘇ったのだ。

 まるで、走馬灯かなにかのように。

 この異常事態を演出する、BGMのように。


「――ハイ、“トシキくん”です」


 ハッピーバースデー、トシキくん。

 頭が“まむし”になってる。へび人間。

 ――いや、どういうことだよ。


 


 

 店内は、まさに阿鼻叫喚の絵図だった。

 内装の飾りやグラスなどの備品が、ぐちゃぐちゃにぶち撒けられていて。

 バーカウンターに並べられていた高いボトルの数々も、無惨に散乱していて。

 床や壁などには、真っ赤な血の汚れがペンキみたいに撒き散らされていた。

 血の流れは明らかに、奥側にある事務所の扉へと向かって伸びている。

 

「どうも、こんばんは」


 そして、カウンターの座席。

 本来なら客が居座るであろう位置。

 そこに、すらりとした男の人が座っていた。

 シャンパンのボトルを握り締めて、ぐびぐびとラッパ飲みしている。


「この店の常連さん?」


 男の人――自称トシキくんが、淡々と喋りだす。

 まるで合成音声みたいなトーンだった。

 機械的で、電子的で、生身の肉声には全然聞こえない。


「まさか“不完全体”を連れてるとは」


 長く伸びた首。

 ギョロリとした両眼。

 大きく裂けたような口元。

 ちろちろと覗く細い舌。

 黒い鱗に覆われた肌。

 身長は明らかに2メートル超。

 手脚はひょろりと枯木みたいに細長い。


「とし……とっ、トシ……」


 ――いや、トシキくん絶対こんなんじゃなかった。

 私はあんぐりと口を開けて、呂律が回らなくなったみたいに言葉をどもらせる。

 

 いやいやいや。何。なんなの。どういうこと?

 ラリってるのか私。いやいや今日キメてないし。

 頭の中が動揺と混乱であべこべになる。予想だにしない事態を前に、横合いからガツンと殴られた気分になってしまう。

 

「トシキくん……???」


 トシキくん。

 首から下はいちおう人型なのに。

 仮にも立派な二足歩行なのに。

 頭が“まむし”になってる。

 要するに、へび人間である。


「まあ正確に言うと“元トシキくん”かな」


 “元トシキくん”を名乗る“へび人間”が喋る。

 両眼がぎょろっと忙しなく動き、私へと向けて視線の焦点を合わせている。


「え……何?イメチェン?」

「こんなイメチェンないでしょ」

「コンセプト変わった?店の……」

「別に変えてないからね」


 眼の前のへび人間はいちおう燕尾服を着ている――血まみれの。あの日のアズサちゃんみたいに、真っ赤に汚れてる。

 しかも2mくらいに背が伸びてるので服のサイズが明らかに合ってない。

 トシキくんは元々長身だったので絶望的な有り様にはなっていないけど、それでも袖や裾とか所々普通に裂けたりちんちくりんになったりしてる。

 改めて説明すると、トシキくんの在籍する店は執事系コンカフェである。大して執事要素活かせてないんだけどね。


「どうしちゃったの……その……頭……へび……」

「君達が言うところの“まむし”いるじゃん」


 ドン引きして唖然とする私の気持ちもよそに、へび人間のトシキくんは抑揚のない調子で語りだす。


「“まむし”による完全な寄生が成功して、この星から見て“外惑星”の知的生命体に変態した元地球人が僕です」

「ガイワクセイ……は?なに?」

「分かりやすく言うとね、宇宙人になっちゃった元人間ってこと」


 宇宙人。――宇宙人?ヘンタイ?

 唐突に飛び出した単語に、私は呆気に取られた。

 それと同時に、以前聞いた話をふと思い出す。


「その女の子も含めて、“まむし”による地球人への寄生ってあんま上手くいかなかったんだけど――」

 

 “まむし”は宇宙から来た寄生生物。らしい。


「僕みたいに、成功した個体もごく僅かに居たってわけ」

 

 こいつらはどっか遠くからやってきて、地球人に勝手に寄生して、殆どが無症状で終わってて。

 けれど中には拒絶反応でぽっくりやられちゃったりとか、頭が変になるとかどうとか、そんな感じになっちゃう人もいるらしくて。

 多分ニコちゃんとか、またまた多分アズサちゃんとかも、そういうことであり。


「えっと……つまり……」

「まあ、要するにね――」


 それで、まぁ。

 結局“まむし”って、何がしたいんだ。

 そう思う部分も、なくはなかったけれど。

 どうも、だいぶコズミックな感じの話だったらしい。

 まむし頭のトシキくんが、舌を出しながらシューと唸っていた。


 

「僕は“まむし”に寄生された地球人の“完全体”」



 ――14歳パパ活女子、宇宙人と対峙するはめに。


 

◆◇◆◇

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