オルタナティヴ・ジャンク

◆◇◆◇



 あてもなく彷徨って、這い回る。

 途方もない、ガラクタの跳躍。

 主流の外側で、枝分かれする。

 もう一つのセッション。

 つまり、オルタナティヴ。

 

 ギターの音が、荒々しく掻き鳴らされる。

 エネルギッシュなサウンドが、反復するように轟き続ける。

 誰かの孤独と閉塞を癒やすように、パンクなビートが必死にもがく。



◆◇◆◇



 深夜の闇に包まれて。

 灰色の静寂に囲まれて。

 仄かな街灯に照らされて。

 路地の片隅で、ふたり佇む。


「なあ、ユイ――」


 “おれ”は、あいつの手を掴んでいた。

 帰路に着こうとした、“友達”を引き止めた。


「……えっと」


 高鳴る鼓動。大きな不安と、微かな高揚。

 おれが向ける視線の先には、あいつがいる。

 ユイ。おれの初めての友達。ただ一人の親友。


「その……」


 緊張と葛藤で口籠るおれを、あいつは何も言わずに見つめている。

 おれを吸い込むような眼差しで、じっと捉え続ける。


 おれの胸の内で渦巻くものを、知ってか知らずか。

 あいつはただ、おれを見据えている。


「おれ、さ」

 

 心臓の音が、身体を駆け巡っている。

 掻き毟るような恐怖に、何度も苛められる。

 けれど、唾と共に不安を飲み込んで。

 おれはようやく、意を決した。


 ――なんてことのない、告白だった。

 ずっと想いを寄せていた友達に。

 一度だけ、キスされたことのある友達に。

 おれは、自分の気持ちを打ち明けた。


 沈黙が、その場を包んだ。

 言葉が、その場から消えた。

 

 おれとあいつ。お互いに見つめ合う。

 緊張して、表情を強張らせるおれと。

 なんてことなしに平静を保つ、あいつ。

 やがて静寂を破ったのは、向こうの方だった。


「そっかあ」


 あいつは――ユイは、寂しげに微笑むばかりだった。

 濃赤色の髪が、夜の灯りに照らされる。



◆◇◆◇



 中学には、もう禄に通ってなかった。

 居場所がないことを思い知らされるだけだから。

 縁嘉(ヨスガ)。人との縁が出来るように。

 そんな想いを込めて、付けられた名前らしい。


 自分が“男が好き“だってことに、昔からぼんやりと気付いてた。

 幼稚園の頃には、自分が周りと違うことを何となく理解し始めていた。同じ組の男子と手を繋ぐ時に、胸の奥がいつもどぎまぎしていたから。

 そんな違和感は、小学生に上がってからもずっと続いていた。


 そのことを一度だけ、クラスメイトに零したことがあった。

 気持ち悪がられて、適当にからかわれて終わった。

 それ以来、周囲と接するのが怖くなった。

 自分に引け目を抱くように内気になって、元々少なかった友達は次第にいなくなっていった。


 中学に上がる頃には、既に独りぼっちだった。 

 教室の賑やかな喧騒の中で、いつも疎外感に苛まれていた。もう慣れたと自分に言い聞かせてたけど、寂しさは拭いきれなかった。

 だから、誰かに自分の感情を誰かに理解して貰いたかったんだと思う。


 事の始まりは、中学二年になった春。

 個人面談で、担任の教師に“秘密”を打ち明けた。“自分は同性愛者で、そのことをずっと抱えて生きてきた”。

 おれの話を聞いてくれる数少ない大人だったから。おれがいつも独りで居ることを心配してくれていたから。

 もしかしたら信じられるかもしれないと思って、ほんの少しだけでも踏み出した。


 ――後日、“道徳の授業”があった。その担任は、おれの“秘密”を皆の前で語り出した。

 みんなに分かってもらえるように。こういう人が身近に居ることを知ってもらうために。おれが悩みを抱えなくてもいいように。それらしい理屈を並べていた。

 

 おれの了承なんて無かった。事前にこういう話をするって連絡もなかった。本当に、いきなりだった。

 その授業の最中――それから一日中。おれは茫然として、頭の中が真っ白になっていた。


 次の日からも、おれは独りのままだった。

 変わったことと言えば、向けられる視線が増えたことだった。

 おれを一瞥していたり。監視していたり。敬遠されたり。たまにニヤニヤと何か喋ってるのが聞こえたり。

 まるで宇宙人でも眺めるかのように、皆はおれを遠巻きから見つめていた。

 気が付けば、おれは“うわさの男”だった。


 担任は気にしていたらしいけれど。

 このことは、学校で特に問題にはならなかった。

 そもそも、話題にすら上がらなかった。

 

 “元々友達がいなくて浮いていた奴が、今までと変わらず浮いている”。

 ただ、それだけのことだったから。



◆◇◆◇



『ヨスガ』

『うん』

『これ飲む?』

『あ……いいや……』

『ストゼロ嫌いかぁ』

『てか飲まないし……酒……』



◆◇◆◇



『いいか?縁嘉』

 

 親父は、おれを気に掛けてた。

 ろくに家には帰ってこないくせに。


『今のお前は本当のお前じゃねえんだ』


 親父は、ふてぶてしく笑みを浮かべる。

 金色に染めた髪や、ジャラジャラと身に付けたアクセサリーを、これみよがしに見せつけながら。


『自分に自信が持てないんだろ?』


 物心ついた時から、母親はいなかった。

 代わりに、親父はたまに“彼女”を連れてきた。

 その人はおれのことをいつもからかってきたけど、親父はケラケラ笑って眺めるだけだった。


『だから女も上手く好きになれないってことだ』


 親父は、おれを気に掛けてくれるけど。

 おれが何を感じてるかなんて、大して興味はないんだと思う。


『自分がホモだと思うってのは、要するに引っ込み思案で、異性に慣れてないからそう錯覚してるだけなんだよ』


 自分の尺度でしか物事を知らない。

 自分の感性でしか物事を語らない。

 だから親父は、いつも同じ。


『今度知り合いの女の子とか紹介してやるからさ』


 もう何度も聞き飽きた話しかしない。

 親父の寄り添いには、なんの価値もない。

 “気前の良い父親”という顔をひけらかすための、張りぼての善意でしかない。


『女の子に慣れて、もっと自信持ってみろ!』


 だから、おれは。

 親父が心底嫌いだった。

 “子供”として親父に世話されていることが、ひどく遣る瀬無かった。


『――なっ!』


 “男が好きな男”なんて。

 この人の世界には居ないんだろう。



◆◇◆◇



『ゲーセン行こう』

『あ、うん……行く』

『やろうぜ、あれ』

『まさか』

『クレーンゲーム』

『ユイ下手じゃん……』


 

◆◇◆◇



 不登校になってからは、SNSを眺めてばかりだった。

 書き込むこともなかったから、自分のアカウントは殆ど閲覧専用みたいなものだったけれど。

 布団の中でいつも閉じこもってた自分にとって、世界との繋がりを保つ唯一の小窓だった。

 

 “シネ横”には以前から憧れていた。

 色んな人達が自撮りを載せてるのを見て、前々からずっと気になっていた。

 みんな個性的で、尖ってて、可愛くて。そんな彼らが、“逸れ者”を受け入れる居場所を作っている。

 不登校とか、虐待とか、後ろめたい事情を抱えている面々が、自然に拠り合っている。

 学校にも家庭にも馴染めない自分にとって、淡い希望を抱くには十分な“理想の地”だった。


 親父は自分の感性にそぐわないことなら平気で否定するけど、そうじゃなければ何も言ってこない。

 おれが学校に行かなくなろうが、夜遅くまで出歩こうが、髪なんか染めようが、適当に放任するだけだった。

 そこだけは親父の性格に有り難さを感じた。


 やがておれは、界隈に行くことを決意した。

 好きな“歌い手”を真似して、髪を真っ白に染めた。

 なけなしの小遣いで、安売りの服を買った。

 病み系やパンクとかをイメージして、それらしいコーデを揃えた。

 皆に馴染めるように、界隈に溶け込めるように。おれは、地味で根暗だった自分の姿を変えた。

 

 どうせ学校なんか行かないから。

 もう、好きにやろうと思った。 


 ――それで、まぁ。

 それから界隈の輪に入れたのかというと。

 結果、ぜんぜん馴染めなかった。

 思いっきり“ぼっち”である。


  冷静になって考えれば当然である。ろくに友達がいなかった自分のコミュ力なんか高が知れているのだ。

 初対面の相手と会話しようとしても「あっ」とか「えっと」ばかりで全然キャッチボールができない。

 相手の喋るペースに全然付いていけないので、複数人で駄弁る流れになったらおれは割り込む余地がない。

 皆の話に適当に合わせて愛想笑いや相槌をするのが関の山。ぶっちゃけ居ても居なくても変わらない。

 酒とか、パキるとか――そういう遊びも、正直怖いので一切参加しない。


 そんな訳で、気が付けばおれは界隈の広場の端っこで縮こまっているのがデフォルトになっていた。

 ゲーセンの前の段差にじっと腰掛けて、ひっそりと皆を眺めている――地蔵か何かみたいなポジションと化した。

 

 皆からは何となく認知はされているけど、どうも「一人が好き」と思われている節があるらしく。

 そもそも会話を試みても余り話題が弾まないのもあって、おれは完全にそういう立ち位置と認識されるようになってしまった。

 何というか、空気のようにいつもそこにいる“置き物”的な感じである。



◆◇◆◇



『ユイは、皆と打ち解けてるよな』

『なんか適当に喋ってたらそうなった』

『謎にコミュ力高い……』

『別に意識してないんだけどなぁ』

『不思議だ……』



◆◇◆◇



 此処まで来ても、皆の輪には結局馴染めなくて。

 けれど、居心地の悪さみたいなものは無かった。


 自分が同性愛者であることを、界隈の面々に一度だけ何気なく零してみたことはあった。

 前に学校で痛い目を見たはずなのに、それでも打ち明けたかった。

 おれが淡い期待を抱いたこの界隈の皆は、どう受け止めるんだろう――そう思ってしまったから。

 

 そしたら「そっかー」とか「そうなんだ」で終わった。なんてことなしに受け止められて、そのまま会話が終わった。

 あまりにもあっさりと飲み込まれて、その後も特に奇異の目を向けられることはなかった。

 なんというか。本当にすんなりと納得されて、それ以上なんにも詮索されなかったのだ。

 余りにも意外で、呆気に取られて。けれど、だからこそ自分はホッとしていた。


 多分ここは、偏見がないとか寛容とか、そういうわけじゃなくて。ただ“個性的なメンツ”ばかりだから、おれみたいなのも何となく受け入れてるんだと思う。

 同性愛者であることは大して特別じゃない。だから寄り添いもしないけど、拒絶したりもしない。

 “ま、そういうもんなんだろう”――そう言わんばかりに、皆はなんてことなしに受け止めてくれた。

 そんな“突き放されるような受容”に、おれは何処か不思議な安心感を抱いていた。


 だからおれは、ずっと界隈に顔を出し続けた。

 別に馴染んでる訳でもないけど、おれがいることを拒まずに何となく受け入れてくれる。

 おれが同性愛者であることを知っても、じろじろと視線を向けてはこない。

 それだけで十分だった。おれにとっては、間違いなく此処は“居場所”だった。

 この場に居てもいい。皆から何気なくそう思ってもらえるだけでも――安堵があった。


『なあ』

『えっ』 


 そうして、ある日。

 おれは、“あいつ”に話しかけられた。


『名前、なんだっけ』

『あ、ヨスガ、です』


 段差に腰掛けるおれの前で、“あいつ”は佇んでいた。

 ダブルのライダースジャケットに、黒いトップスと細身のパンツ。足元には履き慣らしたブーツ。

 暗色のカラーリングに差し込まれた濃赤色のショートヘアが、一際異彩を放っていた。

 

『ヨスガ、いつも独りでいるけどさ』

『あっ……はい』

『大丈夫?』

『え、いや……別に』

『無理してるんなら、別に我慢しなくていいと思うけど』


 赤い髪色が目を引く“あいつ”は、そう投げ掛けてくる。

 ぶっきらぼうだけど、まるで独りでいるおれを案じてくれるみたいに。


『ここ、去る者拒まずだし』


 “あいつ”は、気遣うような言葉を振ってくれた。

 そのことにおれは、ほんのりと驚いて、戸惑いながらも。


『その、おれ……確かに、馴染めてないですけど』

『うん』

『それでも、ここが……好きなんです』


 ぽつぽつと、胸の内に浮かんだ言葉を紡いだ。

 自分の素直な想いを、眼の前の青年に打ち明けた。


『……“ここに居てもいい”って、受け入れてくれるから』


 そうして、界隈への愛着を伝えられて。

 “あいつ”は何も言わず、おれをじっと見つめていた。

 細めた両眼で、おれのことを観察するみたいに。

 その様子に、何処か不安と気恥ずかしさを感じてしまったけれど。


『隣、いい?座っても』

『えっ?』


 やがて“あいつ”は、微笑みながらそんなことを聞いてきた。


『……いい、ですけど』


 困惑を胸に抱きながら。

 おずおずと、おれは承諾した。

 それが友達との――ユイとの始まりだった。



◆◇◆◇



『ユイくんが界隈に来た経緯?』

『んー……そういや知らないわ』

『ねぇみゆぴ、知ってるー?』


『あたしも知らん』

『というか皆知らんくない?』

『色々辛いことあったっぽいけど』


『たぶん誰もよく分かってないっしょ』

『俺もユイの事情とか知らないし』

  

『ユイについて分かってんのって』

『“ネンショー帰り”ってことだけじゃないの?』


『え、ユイくんそうだったんだ』


『そうらしいよ、てか皆知ってるし』


『マジかぁ~』



◆◇◆◇



「なあ、ユイ」


 夜の繁華街。眩いネオンの輝き。

 街灯や照明が、鮮やかに視界を彩る。

 誘蛾灯に誘われるように、人々が喧騒に彷徨う。

 足元に転がるのは、缶チューハイの空き缶。


「なんで……」


 空を覆う闇も、街に灯る光も。

 何処か現実味が無いような気がして。

 なのにおれの意識は、酷く明解で。


「おれの友達で、いてくれるの?」


 すぐ眼の前を歩く“あいつ”――“ユイ”は。

 まるで別の世界の存在のように見えた。

 

 ユイは、おれの友達だった。

 独りぼっちだったおれの傍にいてくれた、初めての相手だった。

 “あの日”から、ユイはずっとつるんでくれる。

 そのことが不思議だったから、思わず聞いてしまった。

 

「界隈にいる“俺達”ってさ」


 ユイが、囁くような声で静かに答える。

 緩やかな歩を進めながら、飄々と。


「いつも夢の中を彷徨ってるみたいだった」


 そう語りながら、ふいにあいつは振り返った。

 細い目付きで微笑む姿に、どきりとしてしまう。 


「けど、お前はそうじゃなくて」


 そうして、おれを見つめる眼差しは。

 おれに笑みを向ける、その表情は。


「ずっと“しらふ”のまま、ここにいる」


 まるで“蛇”か何かみたいに見えて。

 おれは、その視線に囚えられていた。


「そういうとこ、なんか可愛くてさ」


 そうやって、おれを離してくれないのに。

 あいつの笑う顔が、いつだって愛おしい。


 何処からか、パンク・ロックが聴こえてくる。あいつの好きそうな、アップテンポのシンプルなサウンドだった。

 それを耳にして、ユイは指先でリズムを取っていた。

 上機嫌に微笑む横顔を見つめながら、“おれ”はあいつと共に歩く。


「……なんかさ」


 自分がどんな表情をしていたのかは、分からないけれど。

 

「ユイ、ずるい」

「ずるいかぁ」

「ばか……」

 

 今はあいつに顔を見られたくないと、それだけは切に思っていた。

 

 地上の星屑に包まれる中で。

 “おれ/ヨスガ”と“ユイ”は、気ままに這い回る。





 二人の女の子と、一瞬だけすれ違った。

 耳にたくさんのピアスを開けたピンク髪の娘が、黒い髪を靡かせる友達の手を引いていた。

 彼女達はなにか気さくに談笑しながら、両手をぎゅっと握り締めてて。

 そのままおれの傍を、賑やかに歩き去っていく。


 ほんの少しだけ、おれは振り返ってみたけど。

 女の子二人の影は、人混みの中に消えてしまった。

 余韻を抱くようにぽかんとして、すれ違った二人の姿に何処か羨むような想いを抱いたけれど。


 やがておれはすぐに、前へと向き直した。

 放っておけば何処かに消えてしまいそうなユイの姿を、おれは縋るように見つめる。


 あいつの背中を、いくら追い続けても。

 旅はいつか、終わるものらしい。

 そんな遣る瀬無さと哀しみに、寄り添ってくれるみたいに。

 パンクなサウンドが、鳴り止まない。

 


◆◇◆◇

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