⑦ラスト・フォー・ライフ(前編)

◆◇◆◇



「家族との仲?」

「別にそんな悪くもないかなぁ」

「うちの親、別にとやかく言ってこないんで」

「正月とかは一緒に過ごしますし」

「ここに来てるのも、なんていうか」

「皆とつるむのが楽しいからってだけなんで」





「なんか……」

「ママから放置されてるっていうか」

「相手にされてない、みたいな」

「ママ、いっつも彼氏んちに入り浸ってんだよね」

「だから家に居てもつまんない」

「皆とつるんでる方が楽しいし!」





「あっ、ちゃんと学校は通ってます」

「この界隈、よく悪い印象持たれてますけど」

「皆が皆そうって訳じゃないし」

「帰るとこもちゃんとある人多いですよ」

「その上でこうして集まってる、みたいな」

「皆とつるんでて楽しいからダラダラしてます」





「俺はまぁ、親父にはよく殴られるし」

「学校の人間関係も上手くいかないし」

「ここ来てる方が落ち着くっていうか」

「フツーに安心します」

「シネ横なら気ままにバカやれるから」

「ここの皆とつるんでたいですね」





「SNSで知ってからずっと憧れてました!」

「前々から“シネ横”デビューしたくて……」

「うちの親とかマジでウザいんで!」

「なんか、自由になりたかったっていうか!」

「界隈の自撮りとか見てもめっちゃ可愛いし!」

「私もシネ横の皆とつるみたいなぁって!」





「あぅ」

「いやいや私は界隈じゃないし」

「う、お、ぁ」

「他の子当たってよ」

「お、ひゅ、おぅ」

「ニコちゃん空き缶拾わない、捨てなさい」





「おれ、ですか」

「いや……その……」

「ここの空気、好きだし」

「それに、友達っていうか」

「おれの好きな人、いるから……」

「ユイが……この界隈に、いつも」

 

「……だから」

「ここ、離れたくないんです」





 ニコちゃんがばかになってから5日目。

 トシキくんの誕生日の前日。 

 ――気が付けば、もう夕方である。

 時が経つのは早くて、何だかさみしい。

 

 昨日の雨模様とは大違い。

 空は夕焼けに染まっている。

 茜の空から、朱色の光が射す。

 穏やかな温もりが、街にもたらされている。


 でっでっでんでっでっ――。

 でっでっでんでっでっ――。

 

 誰かが曲を流している。

 愉快で軽妙なギターリフ。

 アップビートに響くサウンド。

 切れの良いリズムが繰り返される。


 でっでっでんでっでっ――。

 でっでっでんでっでっ――。


 英語のボーカルで、なに歌ってるのかもよく分からないけど。

 どうやら今から何十年も前に、一世を風靡してみせたパンクなロックらしい。なんとかポップ。

 映画の主題歌みたい。いまスマホで調べた。


 でっでっでんでっでっ――。

 でっでっでんでっでっ――。


 どこか攻撃的なビートなのに。

 突き抜けるような解放感に満ちている。

 シンプルなのに、耳に焼きついてくる。

 ドラムの音色が荒々しく駆け抜けて。

 軽快なギターに、気怠げでポップなボーカルが絡み合う。


 でっでっでんでっでっ――。

 でっでっでんでっでっ――。


 そんなサウンドをBGMに。

 病み系の女の子二人がぶっ倒れていた。

 

 ビルの壁に二人仲良く寄りかかって、糸の切れた人形みたいにへたり込んでいる。

 焦点の合わない瞳で虚空を見つめながら、妙なうわ言をぶつぶつと零している。

 呂律が回ってないし、何言ってるのかも全然分からない。そもそもまともに意識があるのかも分からない。

 どう見てもクスリでパキった直後だし、見事にラリっている。

 

 ぶっ倒れている病み女子コンビのすぐ傍で、別の女の子が二人へとスマホを向けていた。どうやら友達らしい。

 その娘はラリった二人を面白がって、へにゃへにゃ笑いながら動画で撮影していた。ちょいちょいテンションが高い。こっちもこっちでハイになってるようだ。


 そこは、歓楽街の奥底にある大広場だった。

 ゲームセンターとか映画館とかのでっかいビルに挟まれた位置にある其処は、奇妙な溜まり場と化していた。

 空っぽの缶だの瓶だの、汚いゴミがあちこちに放置されている。 

 隅っこではホームレスらしきおじさん達が段ボールを敷いてぐうぐう寝てたり、何人かで集まって酒盛りをしてる。


 そんなおじさん達と共存するように、広場の中央では十数人の少年少女がたむろしていた。

 病み、地雷、メンヘラ、水色、量産、サブカル諸々、その他エトセトラ――アングラなカルチャーの寄せ鍋である。

 みんな個性的で尖ってて、それでいて何処か統一感のある出で立ちで身なりを固めている。

 数人で囲んで酒飲んだり、仲良し同士でだべってたり、SNSに上げるらしい動画撮ってたり、馬鹿みたいにはしゃいでたり、はたまたぶっ倒れてたり。

 都会の奥底にちっちゃな混沌が転がっていた。


 “シネ横”界隈である。SNSで自撮り載せてる界隈のオフ会から始まったという、なんか少年少女の集いだ。

 大手のでっかい映画館“トーオーシネマ”の横にある広場でいつもたむろしてるから“シネ横”。 

 何年か前から小規模な集まりはちらほらあったらしく、元々は単なる飲み仲間とかの集いだったそうだ。

  

 けれど“まむし”による緊急事態宣言で街から人が消えたことをきっかけに、シネ横の住人は一気に増えた。 

 一斉休校で退屈を持て余した子、家出や非行に走ってる子、居場所がない訳ありの子、緊急事態でも店開けてるメンズコンカフェとかに通う女の子、はたまた界隈に憧れただけのミーハー。

 

 色んな少年少女がどんどん集まるようになって、いつの間にか結構な規模の集団になったのだという。

 彼らを煙たがって咎めるような大人達の目は、もう此処には無い。楽園の誕生である。

 まぁ皆やんちゃしてるし、たまに“死ね横”なんて悪口も見かけたりするので、やっぱり外からの評判はあんまり良くないそうだ。


 広場の前には、建設途中の大型商業ビルが聳えている。

 シネ横を“観光地”化して、たむろする少年少女たちを追い出しに掛かっているかのようだった。

 けれど“まむし”による緊急事態宣言のせいで工事はストップして、今では未完成のまま野晒しになっている。

 

 なんでこんなシネ横に詳しいのかって?

 前にニコちゃんから教わったからです。

 ありがとう、ニコちゃん先生。

 仰げば尊し、我が師の恩。

 ――私(イト)から感謝の言葉。

  

 ニコちゃんはこの界隈を避けてたし、絶対につるみたがらなかった。理由は『あいつらは学校のグループと変わんないから』とのことだった。

 ニコちゃんからすれば、ああやって大人数で仲良く群れてるのはもう学校やサークル活動と大差無いから性に合わないらしい。

 前々からニコちゃんはそんな感じだった。賑やかな対人関係とか、大勢でつるんだりとか、そういうのを嫌がるタイプである。

 

 何よりニコちゃん、ミーハー嫌いだった。「シネ横界隈に憧れて遥々来ました」とか「ユーチューバーやっててシネ横界隈を撮りに来ました」みたいな輩をだいぶ嫌っていた。

 自分のテリトリーが“おのぼりさんの観光地”と化すのを嫌がっていたし、面白半分で夜の街に繰り出すような連中にも否定的だった。


 “あたし達はだらだら過ごしてるけど”。

 “こんな街に来ないで済むんなら、それが何より”。

 ニコちゃんはよくそんなことを言ってた。


 パンク・ロックは、延々と流れ続ける。

 気さくに、滑稽に、跳ね回るみたいに。



◆◇◆◇◆◇◆



『――ヨスガはさ』

『よく界隈、顔出してるけど』

『俺に会いに来てるの?』



◆◇◆◇◆◇◆



 私も何度かこの界隈に寄ってみたことはあるけど、なんかしっくり来ないので早々に距離を置いた。

 

 ニコちゃんの言ってた通り、皆でつるんだらもう学校の仲良しグループとなんも変わらない。いまいち居辛い、居心地が良くない。

 何ヶ月も前にちょこっと顔を出した程度なので、向こうからは顔を覚えられてないみたいだ。そもそも面子の入れ替わりも激しいので、単に当時のメンバーが居なくなってるだけかもしれない。


 で、そのシネ横の片隅。私はゲーセン前の段差でささやかに腰掛けて、各々がたの様子を眺めていた。

 右隣ではニコちゃんが惚けた様子で上の空になっていた。さっきから目がとろんとしてて、いつも以上にぼんやりとしている。

 ひゅうひゅうと呼吸をして、ぽつぽつとなにか呻いてるニコちゃんの頭を、時おり「よしよし」と撫でてあげる。


 そして、私の左隣。

 真っ白な髪の男の子が、ちょこんと座っていた。

 控えめに肩を縮こまらせて、遠慮がちに両脚を閉じている。

 たまに私達の様子を横目でちらちら見てるけど、結局どこか気まずそうに視線を元に戻してしまう。

 私達のほうが余所者のはずなのに、何故か私達よりも余所者感を出していた。 


 歳はたぶん私と同じくらい。中学生っぽい。襟足短めのウルフカットで、前髪をヘアピンで飾っている。

 けっこう整った顔立ちだけど、童顔ぎみで何となく自信無さげな目付きをしている。

 両耳に一個ずつ、控えめに開けているピアスがなんだか可愛らしい。

 

 首にはベルトのチョーカー。ゆったりした白いパーカーを羽織ってて、その下に厳ついプリントの入った黒のTシャツを着ている。

 下はハーネスの飾りが付いた黒灰色のカーゴパンツ。安そうな革製のブーツがちょっと切ない。

 パンクな要素も入ってて派手だけど、この界隈じゃ大して珍しくもない見てくれである。


 まさに界隈に居そうな見た目の割に、みんなの輪に入れていない。

 段差に腰掛けて、ぽつんと孤立している。

 群れに加われない野良犬みたいなか弱さがにじみ出ていた。


 ――ここに来るまでの流れ。 

 まあ、私とニコちゃんは街中を散歩してたんだけど。

 昨日に引き続き、ニコちゃんは歩いてる最中に何度もずっこけていた。呼吸もたまにひゅーひゅー言ってた。

 その度に私が支えて起こしてあげてたし、ニコちゃんも立ち上がらせればまた問題なく歩き出せていた。

 

 けれど、たぶん7回目くらいのずっこけでニコちゃんが突然大人しくなってしまった。

 なんというか、こう。コンクリートの上にうつ伏せでぶっ倒れたまま、セミの抜け殻みたいにシーンと動きを止めてしまっていた。

 

 ニコちゃん起きて。ここで寝ちゃったらヤバいよ。そんなふうにニコちゃんへと呼びかけながら起こそうとしたけど、中々身体に力を入れてくれない。

 硬直か何かが起こったみたいに、ニコちゃんの動きは鈍くなっていた。そんな身体を起こしてあげることに悪戦苦闘して、暫く悩まされまくって。


 で、そんな時に現れたのが――いま私の左隣に座ってる白髪の男の子だった。

 シネ横の広場に向かう途中でたまたま私達のてんやわんやを見かけて、気になって話し掛けてきたそうだ。





『あの……』

『なに?いま忙しいんだけど』

『あ、すいません』

『おう』


『その……』

『ん?』

『大丈夫ですか……?』

『いまニコちゃんが大丈夫なのを祈ってるとこ』

『そうなんですか……』

『うん』


『えっと……』

『どした』

『手伝いましょうか……?』

『ん?』

『その娘、起こすの……』

『あ、サンキュ』


『よい、しょ……』

『よっと』

『あっキミ、気をつけてね』

『えっ』

『ニコちゃん脇腹付近触られるとたまに抵抗する』

『あっハイ』

 




 ――で、その男の子と私でニコちゃんを起こして。それからニコちゃん、急に何事もなかったかのようにまた歩けるようになっていた。

 一応ふたりでニコちゃん介抱しながら歩いてたけど、そうしてる内になあなあで男の子の目的地であるシネ横広場に辿り着いてしまったのだ。

 日にちが変わるタイミングまで特に行く宛もなかったので、完全にその場の流れである。


 私とニコちゃんがシネ横付近を散歩していた理由は単純、トシキくんの在籍するコンカフェがまさにその近場にあるからである。

 適当にこの辺で時間潰して、日付が変わる頃になったら店に突撃するという手筈なのだ。

 トシキくんのお店は深夜営業やってるけど、接待周りも含めて色々と怪しい部分が多いのでソワソワさせられる。


 まあ、そんなわけで。

 私とニコちゃんと、その男の子。

 シネ横の片隅。ゲーセン前の段差にて、私達は横並びに腰掛けていた。

 とりあえずニコちゃん休ませることにして、適当に段差に座らせたらこんな感じになっていた。


 白髪の男の子は別に界隈のグループに混ざりに行く訳でもないし、私の横でずっと大人しくしている。

 私達に気を遣って輪に入れないんだったらなんだか申し訳ないので、「別に向こう行っても大丈夫だけど」と取り敢えず促してみた。

 けれど男の子は「あっ大丈夫です」の一言で終わり。そんで会話が途切れる。

 それからはまぁ、ずっと三人で黄昏れてたけど。

  

「ねえキミ」

「あ、ハイ」


 沈黙し続けてた男の子に、改めてなんとなく声を掛けてみた。

 男の子はびっくりしたように呆けた声で答える。リスみたいに不安げだし自信なさげだ。弱そう。


「なんか喋んないの?」

「えっ」


 ――ふいに私が普段やってる“パパ活”のことを思い返してしまった。

 女の子を買うようなおじさん達は何かとお喋りである。話相手に飢えてるのもあるかもしれないけど、単に女の子と喋りたいだけなのだと思う。

 

 聞いてもいない自慢話や身の上話を捲し立てたり、デリカシーのないセクハラを振ってきたり、妙な“イイ男”アピールをかましてきたり、“女の子を買ってる駄目な自分”を何故か得意げに俯瞰して語ってきたり。

 愛嬌として受け流せる程度の憎めない人から、ガチでウザすぎて無理だった人まで、多様多種だった。


「あっ、すみません」

「いやなんかこっちもごめん」


 でもまぁ、そういう“パパ”達はある意味楽でもあった。

 おじさん側が勝手にペラペラ喋って場を持たせてくれるし、話題も向こうが適当に引っ張り出してくれる。

 会話のノリによる好悪の落差は激しいとはいえ、こっちは適当に相槌打てば済む話なのだ。


「大丈夫?」

「あ、まぁ」


 つまり、要するに。

 相手側が喋んなかったら。

 こっちが場を持たせるしかないってことだ。


「ねえ」

「え?」

「髪真っ白だよね」

「あ、はい。まぁ」

「めっちゃきれいに染めてんじゃん」

「あっ、その……ありがとうございます!」


 それにしても。

 この男の子、なんかこう。

 わんころみたいだな……。



◆◇◆◇◆◇◆



『ヨスガさ』

『やっぱお前』

『なんか良いよな』

『そういうところとか』

『憎めない、みたいな』



◆◇◆◇◆◇◆



 ずっとおどおどされても何だか可哀想になってくるので、とりあえずこっちから話を振ってみた。

 名前を聞いたり、年齢を聞いたり、出身とか、髪色やファッションのこととか、色々と適当に聞いてみたり。

 ささやかな世間話で男の子側を立ててあげることにした。まるでフグの毒抜きをするみたいに(?)、じっくりと男の子の緊張を解きに掛かったのだ。

 

 男の子の名前は“ヨスガ”くん。

 やけにカッコいい響きだけど本名らしい。

 

 変わった名前だなぁと思ったけど、よくよく考えたら“イト”だって大概珍しい。そういや“ねずみこうじ”も珍しかった。“アズサ”はそこまででもない。

 本人曰く「ご縁や縁結びの“縁”と…………中島美嘉の“嘉”で、“縁嘉(ヨスガ)”です」とのことだ。唐突な中島美嘉である。“嘉”って説明しづらいよね。


 私はイトです。こっちの子はニコちゃん。

 そんなふうにこちらも自己紹介をした。

 ニコちゃんはぽけっとして「あぅ」と呻くだけ。かわいい。


 ヨスガくんは15歳。中学三年生とのこと。

 雰囲気的に歳下かと思ってたら私の1個上だった。

 そのことを伝えても「あ、そうなんですね」と控えめな反応である。うぶだなあ。


 この界隈は10代の少年少女が中心になっている。たまに20代がちらほら混ざってる程度。30代で顔出してる人もいるそうだが基本“怪しいやつ”らしい。

 そんなわけで、ヨスガくんくらいの歳の子がいることも案外ありふれている。そう珍しいことでもない。町中の非行少年少女なんてものは、もはやファンタジーの存在じゃない。


「ニコちゃんは16なんだよ」

「あ、歳上なんですね」

「ひゅ、お、ひゅ、あぉぉ」

「あっごめんなさい」

「ニコちゃん、ヨスガくん威嚇しないの」


 3人の中だとニコちゃんがお姉さんである。

 だけど今はばかなので挙動がいちばん幼い。

 かわいいけど、人様に迷惑かけちゃダメです。


 その他、真っ白な髪は自分で染めてたりとか、服はセールで安くなってたやつをそれっぽく揃えてるとか。

 好物はブラックサンダーだったりとか、「好きな有名人とかいるの?」と聞いてみたら歌い手か何かの名前が返ってきたりとか、その人に憧れて髪を白く染めたとか。

 こっちが聞き手になって話を適当に引き出してあげたら、ヨスガくんも段々気を緩めるようになってくれた。


「えっと……イトさん」

「なに?」

「ニコさんって何で呻いてるんですか」

「あ……ぅ」

「ばかになっちゃってるんだよね」

「ばかなんですね……」

「お、ぅ」



◆◇◆◇◆◇◆



『――いつからだったの?』

『ユイと、初めて一緒に遊んだ日から』

『マジか。早いなぁ』

『だってさ……』


『真っ赤じゃん、ヨスガ』

『からかうなよ、ばか』

『ふふっ、悪い』


『……あの日から、ずっとユイのこと考えてた』



◆◇◆◇◆◇◆


 

 気が付けば、空は暗くなっていた。

 夕焼けは影を潜めて、夜が顔を覗かせてくる。

 

 広場の片隅では、何かどんちゃん騒ぎをしているのが見えた。誰か誕生日の子が来たらしい。

 コンビニのスイーツとか缶チューハイとかで乾杯して、てんやわんや喋ったり大声で笑ったりしてる。

 

 端から見れば子どもの馬鹿騒ぎ。けれど彼らからすれば、ある種の儀式なのだろう。

 “界隈”の連帯感を分かち合うために行うイベントであり、もっと言えば“つるんでるのが楽しいから”という単純な理由による身内同士の戯れなのだと思う。

 

 ヨスガくんはそれを遠目から見つめるばかり。輪に入ろうとはしない。入ろうとしているのかも、よく分からない。 

 私は、ちらりと横目でヨスガくんの顔を見た。

 無表情。ぼんやりとした眼差しで、ただ“みんなの集まり”をじっと眺めている。

  

「ヨスガくんさ」


 私は気になって、ふいに声を掛けてみた。


「界隈、そんな来たことない感じ?」


 そう聞いてみると、ヨスガくんは控えめに首を横に振った。


「いや……いちおう、来てます」


 それからヨスガくんは、ぽつりと呟く。


「けど、おれ……あんまり喋れなくて……人見知りがちだし……」


 膝を抱えて、俯きがちに呟くヨスガくん。

 恥じらうように顔をうずめる彼を、私は流し見るように一瞥する。


「居心地悪いんだったら、無理して来なくてもいいと思うけど」


 私からすれば、ヨスガくんは何だか不思議だった。

 馴染めない居場所にしがみつく必要なんか無いと思うし、私だったら早々にここを去ると思う。

 実際私はシネ横界隈に馴染めなかったし。

 自分が帰れる場所がないとすれば確かに悲しいけど、かといって無理に帰れる場所を作ったところで収まりの悪い気持ちになるだけなのだ。


「なんか……皆が集まってる、ここの空気が……好きなんです」


 けれど、ヨスガくんはあくまでそう答える。

 ――そう言う子はけっこう居るらしい。

 学校や家庭で上手くいかなかった皆が、大人に縛られずに勝手気ままにつるんでる。そんな界隈の空気が好き。

 誰でも何となく受け入れてくれる気がする、この場の雰囲気がぼんやりと好き。そういうものだそうだ。

 ヨスガくんは例え皆と馴染めなくても、皆が居るこの場所に愛着があるらしい。


「それに……」


 そして、少しだけ躊躇ってから。

 意を決するように、ヨスガくんが呟いた。


「……ここには“ユイ”がいるから」


 “ユイ”。その名前を出すとき、ヨスガくんはほんのり微笑んでいた。

 その顔を見た私は、彼の顔を覗き込むみたいに問いかける。


「友達?」

「まあ……そうなんですけど」


 なんか、さっきまでと雰囲気が違っていた。

 ヨスガくん。なんか、嬉しそうに――寂しそうに微笑んでる。

 その“ユイ”について語っている彼の横顔には、感情みたいなものが籠もってた。

 

 なんというか、まるで。

 私がニコちゃんについて、語るときみたいに。


「その……」


 ぽつり、ぽつり。

 ヨスガくんは、口を開いていく。


「おれの、好きな人……」


 ほんのりと顔を赤くしながら、彼は答えた。

 私は何だか、すとんと落ちるような気持ちになった。

 

 ――そっか。好きな人か。

 ――だったら、ここに居るっきゃないよね。


 私はふと、右隣のニコちゃんへと視線を向ける。

 ニコちゃんはぽけっとしたまま、いつの間にか私の肩へと寄りかかっていた。

 ひゅーひゅーと喉から音を鳴らしながら虚空を見つめるニコちゃんの頭を、ぽんぽんと叩いてから撫でてあげる。


 恋が友情かは分からないけど。

 私もニコちゃんが好き。

 昨日の雨の中とキスを思い出して。

 気が付けば、笑みが溢れてしまった。


「ユイって、女の子?」

「……男です、俺の2個上」


 赤くなったまま、ヨスガくんは答える。

 心無しか、少しだけ小声気味だった。

 ヨスガくんの好きな人、男の子らしい。


「おれ、昔から……男が好きで」

「そっか」


 今時は別に珍しくない――いや。

 きっと昔から、珍しくなんかないのだろう。

 愛とか、恋とか、友情とか。

 そういうものに、きっぱりした線引きなんてないんだと思う。


「このあいだ……」


 ヨスガくんは、表情を微かに沈める。

 悲しみを滲ませるように、言葉を紡ぐ。


「告白したけど、振られた」


 その一言に。

 私は、目を少しだけ丸くした。


「そうなんだ」


 失恋してたんだ。

 ――失恋、しちゃったのか。

 私はただ一言、反応を返すだけだったけど。

 直後に胸の奥底から、じんわりと、遣る瀬無い気持ちが溢れ出てきた。


「……おれ、そのこともあって」


 そうしてヨスガくんは、ばつが悪そうに、静かに語り続ける。


「ここ暫く、シネ横に顔出してなかったんです」

 

 つまるところ、ヨスガくんはユイくんに振られて、暫くシネ横に来てなかったけれど。

 今日になって久々に顔を出すことにして、その途中でたまたま私たちを見かけて――それで今に至ったという訳みたい。


 好きな人に振られるって、どんな感じなんだろう。

 ろくに恋愛なんてしてないし、まともな青春もゴミ箱に捨てちゃった私だけど。

 もし私が、ニコちゃんから突き放されたとしたら――きっとすごく悲しくて、すごく辛い気持ちになると思う。

 後に残されるのは、きっと胸に空いた空虚な風穴だけ。そこらへんの人は、失恋さえも当然のように受け止めながら生きていくのかもしれない。

 私には、ちょっと信じられない。


「今日さ」

「はい」

「来てないの、その子」

「……はい」


 そんな失恋を抱えながら、この界隈へとまた顔を出したヨスガくん。

 彼は、ユイくんがここに来るのを待ち続けている。

 友達と、好きな人とまた会うために、踏ん切りを付けて来ている。

 日はすっかり落ちているのに――ユイくんは、まだ姿が見えない。


「……あいつの好きな曲」


 ぽつりと、ヨスガくん。

 憂いを帯びた横顔で、ふいに呟く。


「ずっと、流れてんのになぁ」


 誰が流し続けているのか、知らないけれど。例のパンクなロックが、何度も再生されている。

 野良犬たちの縄張りを、ポップな旋律で彩り続けていく。少年の失恋さえも、愉快に笑い飛ばすみたいに。

  

 

◆◇◆◇◆◇◆



『ユイさ』

『うん』

『あの、一緒に遊んだ日さ』

『うん』

『なんで……あんなことしたんだよ』

 

『あー……俺が別れ際にしたやつ』

『アレだよ』

『キスって言えよ』

『うるさい……』


『あれがきっかけかぁ』

『分かれよ……だから、なんでだよ』

 

『だって――なんかお前、可愛かったから』



◆◇◆◇◆◇◆

  


「イトちゃんいる?クライナー缶」

「いや、いいです」

「なんだよぅ」


 ウサ耳フード付きのピンクのファーコートを着た女の子が「ちぇー」とリアクションをする。美味しいのに勿体ない、と言わんばかりだった。


「私あんま酒とか好きじゃなくて……」

「じゃあ何飲むん?」

「ドクペ」

「飲む杏仁豆腐じゃんアレ〜」

 

 仕方がない。私はニコちゃんと同じくドクペは好きだけど、お酒はからっきし苦手なのだ。そもそも未成年飲酒なんだけどね。


「適当にクスリ混ぜてドクペ飲むと最高」

「わかるぅ、イトちゃん流石ぁ」

「どうもです」

「アレ杏仁豆腐じゃん〜」


 横合いから黒髪ツインテ地雷系女子に褒められたので、とりあえず適当に礼を言っておいた。

 まぁ相手に親しみを持たせた方が話も聞き出しやすいだろう、なんて思った。

 ウサ耳パーカーはさっきからドクペをディスってる。杏仁豆腐ではないです。

 

 私はいま、シネ横の面々と話していた。

 “ちょっといい?”と彼らの輪の中に入って、私は地べたに胡座をかくように腰掛けた。

 まるで焚き火を囲むキャンプか何かみたいに、みんなで円陣を作るように座っている。真ん中にあるのは酒缶やらお菓子のゴミやら、その他もろもろ何やら。


 何しに来たかって、理由は簡単。

 いっこうにユイくんが来ないので、直接界隈の面々に聞き出すことにしたのだ。

 ヨスガくんのスマホで連絡入れてもユイくんは全然反応を返してこないし、SNSもろくに更新していない。

 私は痺れを切らして、いっそのこと聞き込みをすることにした――人見知りのヨスガくんはおどおどしてたけれど。


 私の右隣にはニコちゃん。もちろん連れてきた。あう、ひゅお、と呻いてるのを近くの子達が不思議そうにに見てる。

 私の左隣、ヨスガくん。流石に私達だけ行かせる訳にはいかなかったようで、緊張しながら腰掛けている。


「ユイ、今日は見てないなぁ」

「まぁ色々やるらしいし」

「一人で過ごしたいんじゃない?」

「よくわかんないけど」


 シネ横の面々はあれやこれやと喋る。

 少なくとも今日、ユイくんを見かけてる子は誰もいないらしい。 


「ユイはSNSも全然やんないからなー」


 “ユイは自撮りもろくに上げないから寂しい。っていうか最後の更新が数ヶ月前だし”。

 ジッパーのピアスを付けた金髪の男の子がそんなことをぼやく。


「ユイくんって子、今日来ないの?」


 私は、ズバッと聞いてみた。

 そしたら、ドンキTシャツを着た黒髪の男の子が横合いから口を開いた。


「なんか今日死ぬつもりらしいですよ」

「えっ?」


 呆気に取られるヨスガくん。

 散歩の予定でも振り返るみたいに。

 さくっと暢気に伝えられる事実。


「睡眠薬がぶ飲みして、ぽっくり死ぬんだって」

「そうなんだ」 


 私は、ただ一言。

 そういうもんなんだと言わんばかりに。

 現実感を、ぼんやり失ったみたいに。

 何となしに、受け止めてしまう。

 

「あれ?ユイの友達、聞いてなかったの?」

「あ……えっと」


 “ドンキTシャツの男の子”は、意外そうな顔をしてヨスガくんに問いかける。


「おれは……よくわからなくて……」

「そういや最近来てなかったもんね、友達くん」


 “ウサ耳フードの女の子”がヨスガくんをまじまじ見つめながら言う。

 ヨスガくん、界隈からは“誰々の友達”止まりではあるけど、いちおう認知はされてるらしい。


「ユイ、何日か前から言ってたよ」


 そうして彼女は、そんなふうに告げる。

 周りの皆も“なんとなく知ってた”と言わんばかりの反応だった。

 

 ヨスガくんは――何も言わなかった。

 自分の好きな人が、今日死ぬつもりでいる。

 何気なく、唐突に伝えられたそんな話に、戸惑いを隠せていない様子だった。

 眼の前の現実を咀嚼し切れていないように、ヨスガくんはただ口籠る。


 そうして沈黙してたのはシネ横界隈の面々も一緒だったけれど――その反応は、戸惑うヨスガくんとはまるで違っていた。

 真顔のまま、何処かけろっとしていた。

 揃いも揃って私と一緒で、何処か現実味のない雰囲気でその件を受け止めていた。

 “そういうもんなんだなぁ”と言わんばかりに、ぼんやりとしている。 


「なんか、いいよね」


 そしたら、ふいに。

 “ウサ耳フードの女の子”が、ぼやいた。


「若いうちに死ねるのって」


 心に響いたドラマを振り返るみたいに、しんみりと噛み締めながら。

 寂しげな憧憬を、その瞳に抱える。

 その一言に、周りの皆はほんの少し黙り込んだけど。


「なんていうか……ユイがいなくなるのはさびしいけどさ」


 やがて他の子達も、“ウサ耳フードの女の子”に同調するように口を開き始めた。


「本人が納得してるんなら仕方ないよね」

「うん……こっちがとやかく言う筋合い無いっていうか」

「そうして幸せならそれで良いじゃん、みたいな」

「ユイも色々辛かったらしいもんね」


 口々にそう語る“シネ横”界隈の面々。

 ユイが納得してるのなら。そうするしかなかったなら。それがユイの幸せなら。辛かったなら仕方ない。自分達はそういうものだから。満足して死ねるんなら――。


 皆が口を開く。友達がこれから死のうとすることに、皆で折り合いを付け始める。

 何人かは――口ごもっている。困惑してて、何か言いたげだけど、何も言えない。場の空気に対して、水を差さないようにしている。

 




『ニコちゃんって、死んじゃうの怖い?』

『よくわかんないわ』


 ニコちゃんは、即答する。

 早すぎて、私は思わず苦笑い。

 

『即答だなぁ』

『言うてイトも分かる?』

『まぁ……私もよくわかんないなぁ』


 聞いてはみたけれど。

 実際、私もどうなのかと聞かれれば。

 上手く答えられる自信はない。

 

『あたしは、今しか欲しくないしさ』

『うん』

『考えたくない、そんなこと』

『だよね。私も、それがいいや』


 私たちは、先のことなんて考えたくないから。

 だからこうして、暢気に笑い合う。


『イトぉ』

『なぁに』

『急にどした』

『ちょっとね』

『……あー』

『なに、ニコちゃん』


 死ぬのは怖いか、なんて。

 そう聞いてみたのは、ただの気まぐれで。

 朝、目を覚まして――ちょっと思うところがあったから。

 

『昔の夢でも見た?』

『……うん。“トマリ”が出てきた』

 

 

 

 

 何だろう。この感じ。

 ふいに思い返す、数日前の出来事。


 あのビルから飛び降りた“ネズミさん”が脳裏をよぎる。

 ネズミさんは、もう死ぬことを恐れてなかった。

 私と最後のやりとりを交わすことで、何者にもなれない自分の人生にきっぱり見切りを付けてた。

 現実と空想の狭間に立って、最後は夢の世界から飛び出すことを選んだ。


 そして、“アズサちゃん”の笑顔を思い出す。

 アズサちゃんは、自分がもう夢の中にいられないことを何処かで悟っていた。

 何も考えたくない。そう言ってたけど、あの娘は多分ちゃんと分かっていたのだ。分かっていて、目を逸らそうとしていた。

 だから最後にせめて束の間の一時を過ごして、この街から抜け出すことを選んだ。


 私達が出会ってきた、あの二人は。

 自分が終わることを、ぼんやり理解して。

 それぞれの形で、折り合いを付けていた。


「みんなさ」


 じゃあ、ここの皆は。

 一体どうなんだろう。

 私は思わず、口を開いた。


「死ぬのとか、怖くない?」


 友達が死んでいくことを受け入れようとする界隈の面々に、そんなことを聞いてみた。

 

 そうして、場の空気が一瞬ぽかんと固まった。

 皆してきょとんとした表情を浮かべて、首を傾げたり、考え込む素振りを見せたり、お互い顔を合わせたり。


「いやぁ」


 やがて、“ウサ耳フードの女の子”が口を開いた。

 “テストの内容がよくわかんなかった”と友達と笑い合う、そのへんの学生みたいな表情だった。


「よくわかんない」


 誤魔化して、受け流すように、その子は苦笑いを浮かべた。


「わたし達、いまシネ横いるんだよ?夢の国じゃん。未来の話とか、どうでもよくない?」


 “ウサ耳フードの女の子”が言葉を続ける。

 それから他の子達も、同じような反応を繰り返した。

 死ぬとかどうとか、よくわかんない。考えたってしょうがない。今が大事。先のことなんて考えたくない。楽しいことに浸っていたい。リアルなんて知らない。どうでもいい――。


「そんなこと考えるくらいならさ」


 そして、“黒髪ツインテの地雷系女子”がぼやく。


「パキってる方が楽しいじゃん」


 へにゃっと笑いながら、なんてことなしに。


 それから私は、もう何も言わなかった。

 なんとなく、この子達のことを分かったから。

 後はもう、何も聞かなかったから。

 苦笑いを繰り返して、いつもの談笑へと戻っていく界隈の面々を、ただ眺めていた。


 きっと、この子達は。

 私とおんなじなのだろう。

 要するに、”子ども“なのだ。


 ふと、視線を左隣に向けた。

 ヨスガくんは、やっぱり口を開かなかった。

 俯き気味に、視線を落としていた。

 口をつぐんで、静まり返っている。

 

 沈黙を続ける横顔を見つめた。

 動揺と諦念が、瞳を揺らいでいた。


 生きることも、死ぬことも。

 みんな曖昧になった世界で。

 パンクなサウンドが、鳴り止まない。



◆◇◆◇◆◇◆



『ヨスガ』

『この曲、知ってる?』

『昔のロック。だいぶ古いやつ』

『映画の主題歌なんだって』


『曲名は――』 

『“ラスト・フォー・ライフ”』

『生への渇望、って意味』


『変な感じする。これ聴いてんの』

『生き急いで、カッコつけてるくせに』

 

『“俺達”ってさ』 

『どこにも行けないんだよ』 

『だから、お前とは』

『ずっと一緒になんか居られない』


『なんていうか、さ』 

『怖いよなぁ』

『自分で選んだのに』



◆◇◆◇◆◇◆

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