第3話 現実

「ただいま」

 ガラリと勢いよく私は実家の戸を開いた。

「うぇーん。のぼる君が虐めた」

「お義父さん、のぼる君はいませんよ。あら恵、おかえりなさい。ほら、お義父さん玄関で駄々を捏ねないで下さい」


 目に飛び込んてきたのは信じられない祖父の姿だった。母は祖父を立たせる。グスグスと泣く祖父に私はあまりの衝撃に言葉を失った。

「恵。ビックリしたわよね。おじいちゃんね。ずっとボケ気味だったのよ。それが今年に入ってから酷くなって、あんたには心配かけたくなくて黙ってたの。あぁ、お義父さん、それはゴミです。ぺっしてください」


 祖父は父の落としたタバコのビニール袋を口に入れ、母は慌てて口の中に手を突っ込んで取り上げだ。祖父は怒って泣きわめき母をポカポカと叩く。

 言いようのない光景に私は、その場に立ち尽くし、持っていた手土産を落とした。けたたましく騒ぎ立てる蝉の声が遠のく、真夏の炎天下。暑いはずが、血の気が引いて、ほんの少し寒さを感じた。


「ああ。鶴屋のあんころ餅買ってきたのね。おじいちゃんは喉詰まらせるといけないから、私達でいただきましょう」

 小さくなった祖父の肩に手を回し、少し痩せた母は優しく笑った。

 ここに、時の流れが、こんなにも進んでいたことに私は気がついた。


◇◇◇◇


 どーん。どーん。と空に祭りが始まる号砲ごうほうが鳴り響いた。気がつけば3日も経っていた。私は祖父のことが、まだ受け入れることが出来ずにいた。母も父も、そのことには触れず、そっとしてくれる。仕事を辞めてきたことも、今は聞かない。

 埃が残る自分の部屋に入る。時が止まったような部屋の中で、私は小さな棚の奥にある昔のスケッチブックを見つけ、開いてみた。


 真っ赤な金魚の絵。

 これは初めて学校のコンクールで優勝した絵だ。あの頃は絵を描くことが本当に楽しかった。

 いつから絵を描くのが辛くなったんだろうか。

 両親に散々反対され、期待を胸に東京の美術大学に入ったけれども「君の書く絵は誰でも描けて平凡だ」と教師に言われ、大学のレベルの高さを知り、私は翻弄され、大学を途中で辞めた。

 逃げたのだ。

 ビリビリと学校で描いたスケッチブックを私はアパートで破りまくった。


『努力は報われるとかって何よそれ』

 破いた紙のせいで、手を細かく切りつけられていたが、それにも気が付かず私は一心不乱で、せっかく描いた絵をボロボロになるまで破り続けた。


『夢なんて、才能のある人が、努力して、頑張って、手に入るのに、私みたいな才能の無い者が、どう足掻こうが無駄なのよ』

 それが現実なのだ。


 父も母も言っていた。夢を現実にすることは難しいと。

 才能がある人が、とても頑張って手に入るものだから、同じように努力しても、どうあっても違うのだ。

『うわぁぁぁ』

 細かくなったスケッチブックの紙を部屋中に投げつける。雪のように舞い、落ちていく。

 私の画家への夢はこうして挫折して終わった。

 あれから二度と筆を持つことが出来なくなった。


 それでも、故郷で描いた絵だけは破ることができなかった。

 私は絵から遠ざかり、ボディーショップの販売員として頑張ってきた。しかし、それも人間関係のトラブルで辞めてきた。

 何をしても中途半端。挫折してばかり。

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