第2話 夢

「──画家になりたいって、そんな簡単なことじゃないのよ」

「わかってるわよ。でも描きたいの」

 リビングの食卓で父と母と私は、進路について揉めていた。祖父は成り行きを見守り、静かにお茶を啜っている。

「描きたいだけじゃ生活は出来ないのよ、恵が思ってるほど、世の中はそんなに、甘くはないわ。ちょっとお父さん、新聞を読んでないで、聞いてくださいよ」


「ああ。恵、近くの大学でもいいだろう? 東京に行くとなるとアパートか寮に入らないといけないし、それなりに費用もかかる。父さんも母さんも恵が心配なんだ。それに家事などしたことないだろう」

「そんなの覚えるよ。バイトだってする」

「バイトすると言っても、絵の具だって、紙だってタダじゃないんだぞ。趣味じゃ駄目なのか?」


 私は感情に任せ、目にいっぱい涙を溜めて、わなわなと震えた。

 母と父の言い分もわかる。

 それでも画家になりたかった。


 幼いころ、家の近くに住む、絵描きのお姉さんがいた。その人はりっちゃんと言い、私はよく懐いた。

りっちゃんは、このど田舎の田んぼの風景が気に入り移住してきたと言っていた。

 田んぼの中に足を突っ込み、サワガニを見つけては捕まえ、私はピースサインをして、りっちゃんに笑いかけた。りっちゃんはくすくすと笑い、そんな田舎の風景と私の絵を描いていた。


「うわぁ。凄い」

 りっちゃんの絵は、まるで魔法のように思えた。ただの田舎の風景が、まるで違う世界を写しだしているようで、私はその魅力にどんどん惹かれていった。


「そうか、めぐは絵が描きたいか。じゃあじいちゃんが誕生日に画材を買ってやろう」

 それを真っ先に応援してくれたのが、祖父だった。母は、すぐに物を買うとぼやき、祖父に良い顔をしなかったが、私はとても嬉しかった。

「見て、じいちゃん」

「おお。この絵はじいちゃんか」

「うん。縁側でスイカを食べてるじいちゃん」

 祖父は、おおいに喜び、私を抱きしめると頬を寄せて、じょりじょりとお髭を擦った。

「痛いよ。じいちゃん」

「めぐは、天才だ」

 えへへっと自慢げに笑い、私の毎日は光に包まれていた。

「──私、試してみたいの、自分にどこまでできるか」

 美術大学に入って、まだまだ絵について学びたかった。もっともっと上手くなる、そう思っていた。 父も母も、なかなか首を縦には振らない。

「夢を実現出来るのは、ほんの一握りの人だけなんだぞ」

「わかってるよ」


 昔、仲良くしてくれたりっちゃんは「私、才能ないの」と寂しそうに言い、夢を諦めた。

 そのころ、りっちゃんの両親が経営している飲食店が倒産に追い込まれ、りっちゃんは家に帰ることにした。

 幼いころの私には、その大変さも、絵を描き続ける難しさもわからなかった。ただ嫌で、泣いて、りっちゃんを困らせた。一番辛いのは、りっちゃんだっただろうに。


「私は画家になる」

 その頃ぐらいから私は、本気で絵描きになることを決意した。

 母は、幼い子供の言うことだからと、あまり気に止めてはいなかった。父も好きにさせればいいと思っていたようだ。ただ、それは幼かったからなのだ。両親は将来は普通の仕事について、苦労しないで欲しいと願っていたのだ。


──進路で揉めている私達の様子に、黙っていた祖父が、飲みかけのお茶の湯呑を机に置き口を開いた。

「めぐは幼いころから絵が好きだったからなぁ。じいちゃんが口出しするのはどうかと思うが、隆、晴子さん。夢を実現することは確かに難しい。だが、親が子の夢を奪ってどうする」

「お義父とうさん、でも絵で食べていくなんて……」


「晴子さん、確かに大変なことだと思う。だがな何もする前から諦めろとは、ちょっと違うんじゃないのかな? お金が必要ならじいちゃんが出す」

「父さん、お金の問題じゃないんだ」

「隆、お前も夢を追う。そんな時期があっただろう。お前だって昔、小説家になりたいと言って頑張ってたじゃないか、結果は夢を諦めて普通のサラリーマンになった。それでも挑戦をしただろう」

「……」

「駄目でもいい。子供がやりたいって言ってるんだ。やらせてみたらどうだ。金銭的なことはじいちゃんが協力する」


 私は涙が止まらなかった。

『じいちゃんは、めぐの味方だ』

 いつだって祖父は、そう言って私をサポートしてくれたから──。


「名古屋。名古屋」

 はっと我に返る。すっかり昔に浸ってたいた私は慌てて食べ終わったゴミをビニール袋に詰め込み、手土産と荷物を持ち、出入り口に向かった。

 そうだ。じいちゃんの好きな、鶴屋のあんころ餅も買って帰ろう。


 私は新幹線を出た。むっと熱気が肌に纏わりつく。今日も暑くなりそうだ。

「よし帰ろう」

 きっと祖父に会えば、元気をくれる。そんな気がした。

 

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