第10話 ヨコハマ買い出し紀行
求めた本はすんなりと見つかって。ここだろうと目星をつけた場所が完璧でした。たしかほのぼの系でまとめたはず、それが当たって。
週末の2日を使って拝読しましたヨコハマ買い出し紀行。今回はとくに、字よりも絵を追って読んでみました。
唯一無二ですよね、控えめに表現しても。
セリフに90年代らしい違和感をおぼえますが、今こそ読むべきすてきな作品だと思いました。
静かに滅びゆく人類を見守るという驚くべき視点。おりしもバブル経済が弾けた直後から手がけられたお作品なんですよ? 1994年に。まるで日本が衰退してゆく様をみてから描かれたかのようです。
もしかしたらあの時代特有の最終戦争後の世界なのかもしれませんが、意外や意外、まるで世界観と現代日本が重なります。
作中同様、今や右を見ても左を見ても老人ばかりじゃないですか。いえ、前話もそうなんですけどそれが悪いと言ってるんじゃなくって、日本という社会全体の元気がなくなっていってる面に関して。
ヨコハマ買い出し紀行では『たとえ滅びゆくのだとしても穏やかにそのときを待つ』という姿勢が貫かれていました。それがどうにもおれごんには心地よくて。
枯れゆく存在に対し、人生の下り坂に入ったおれごんが共感をおぼえる。不完全な存在に対して美を見出す。これはごく自然なことかもしれません。
もしかしたら廃墟を愛でるような感覚なのかも。
かつてはシャッター通りと化したアーケードを何よりも恐れていましたが、今はむしろ。どんなお店だったのかな、どれだけ活気があったのかなと想像をふくらませて。怖い場所なんかじゃあなかったんですよ。ただ人が暮らし、笑顔があった。
滅ぶのを恐ろしいことだと定義するのは簡単です。
滅びを受け入れ、下り坂を横から見つめていけたなら。あそこにも人の生活はあったのだな、ここに私の生はあるのだな、と。
用いた紙の質なのでしょうか、同年代の書籍と比べヨコハマ買い出し紀行全14巻の焼けが目立ちます。おそらくは暗所黄変。でもそれがとてもいい味わいになっていて。セピア色。
わたし自身の作品はもちろん、大好きなロボ作品であっても夢に見たことはないんです。登場人物として物語の中に入ったことがない。それなのにかの作品にだけはあるんです、不思議と。それも何度も。
むせかえるような暑さのなか、蔦におおわれた巨大建造物をめざして、誰もいなくなった草ぼうぼうの幹線道路をひとり自転車で。あるいはスクーターであったかもしれません。
夢にみたのは私がもっとも入ってみたい世界だからかもしれませんね。宇宙を舞台にした大冒険でなく、異世界でなく、未来でもなく。ゆるゆると滅びゆく世界。
若きバナージ・リンクスは『それでも!』と言ってくれるのでしょうが。枯れ木となったおれごんはただ、みて歩くだけです。
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