第67話 女神を慈しむ人の子

 輝く笑顔を浮かべるヒノカミヒメは大好きな大我と敬愛する夜羽音が、その心中で自分の情操教育について一抹の不安を抱いているなど、夢にも思っていなかった。

 ヒノカミヒメは大好きな人達しかいないこの状況に上機嫌だったが、次に口にする話題が少しばかり不快な内容であったから、ぷうっと幼い子供のように頬を膨らませて、唇を尖らせる。ふぁさりとヒノカミヒメの山犬の尻尾が感情を表すように揺れる。


 十代後半の神懸った美少女が、年齢一桁前半の子供がするような仕草をすると、美しさと愛嬌とが絶妙に入り混じって、微笑ましさと同時に美しいものを見たという感動すら生まれる程だった。

 大我も今や見た目だけはヒノカミヒメと同じなのだが、中身が本物の女神となるとやはり醸し出す雰囲気からして変わるらしい。親しみやすいのは大我が中身のソルグランド、手の届かぬ高嶺の花がヒノカミヒメといったところか。


「そうそう、お聞きくださいませ、大我さん。せっかく夜羽音様が融通した知識と技術で妖精と人の子らが拵えた“まじかるどーる”を外つ国の神々の一部が勝手に持ち出し、挙句に一度の戦いで台無しにしてしまったのですよ。まったく、困った方々です」


 おそらく地球で最も新しい神であるヒノカミヒメからすると、外つ国の神であれ先達に該当するのだが、ぷくぷくと頬を膨らませている様子からは、困った悪戯をする弟妹に怒る姉のようだ。

 神としての格を考えると、生まれたばかりとはいえ、日本神話の総力を結集した決戦女神たるヒノカミヒメはかなり高位になるはずだが、この態度は神格というよりは彼女の個性によるものだろう。


「マジカルドールに自我があるか、先に入っていた人が居たってんなら洒落にならんが、幸い中身がカラッポの個体を持ち出されたんだったか」


 まさか日本神話以外にも直接的に魔物との戦いに手を貸す神が居るとは、と大我が腕を組んで神妙な表情を浮かべると、この中で最も神様側の事情に詳しい夜羽音が嘴を開く。


「我らも含め各地の神々は人の世とは距離を置いておりましたが、魔物どもの手で人の子と星そのものが滅びかねぬとあって、苛立ちを募らせていた方が大勢おられます。

 そこに神としての素性を伏せたまま人の子らに助力できる伽藍洞の器があった、となればつい手を伸ばしてしまう気持ちは少しばかり分かります。ことに軍神や武神と呼ばれる方々や、人の子らと関わりの深い方であれば猶更でありましょうや」


「世界中の神話を読むと、人間から神の側へと召し上げられた方もおられますからね。元人間として気に掛けてくださっている方もおられるのでしょう」


 人が人の選択肢によって自ら滅びるのならばそれも止む無し、と静観しただろう神々も、どこの誰とも知れぬ異世界の魔物の所為で人と地球が滅びるのは看過しえず、介入の手立てと限度を探っていたのは、大我も何度か耳にしている。

 長らく気を揉んでいた神々がマジカルドールという都合の良い器を前に、我慢できずに手を伸ばしてしまった気持ちは、大我も、不敬かもしれないが、分からなくはないと思うものだ。


 それに日本以外にも人間を気にかけてくれている神々が居ると知れて、大我は夜羽音やヒノカミヒメには申し訳なかったが、嬉しくもあった。多分、夜羽音にはそんな大我の心中は見抜かれているだろうが、なにも言及する様子はない。

 大我への配慮かもしれないし、それくらいのことで目くじらを立てる程、日本の神々は狭量ではないということか。どちらであっても、大我は喜ぶだろう。


「しかしせっかくのマジカルドールが駄目になったのは、惜しまれますね。気合を入れて作った方々も、さぞや気落ちしていることでしょう。

 件の神様方の戦闘の映像を拝見したところ、本来の権能をろくに発揮できていないでしょうに流石の強さでしたが、次も同じようなことがありますかね?」


「いかがでしょう。主上の命もあり我ら総出で対象の神々の属する神話群と交渉に当たり、かの神々の武具などを模倣し、ヒノカミヒメに与える事で賠償とはなりました。

 戦いの手札と戦力を大きく増すこととなりましたが、同時に賠償さえすれば同じことをしてもよい、という考えを方々の神々に抱かせたのではと危惧するところです」


 確かに神々の入ったマジカルドールは、本来の仕様を超えた戦闘能力を発揮した。

 人間が中に入った場合、おおむね三級相当のマジカルドールと比較すれば、破格の戦闘能力だ。一度の戦闘で駄目になるとしても、重要な戦闘では運用を検討するだけの価値はあるかもしれない。

 ただヒノカミヒメはあまりお気に召さなかったらしい。頬を膨らませはしなかったが、外つ国の神々の勝手は、彼女にとってなんとも許しがたい様子だ。


「ですがこちらばかりか妖精達にも断りもなしに持ち出すなど、筋を通さぬ礼儀知らずな行いでございます。人の子らを助けたい気持ちは本物であれ、魔物を相手に己の力を振るいたい気持ちがあるのもまた本当でございましょう?」


 なんだか口の回る反抗期のようなヒノカミヒメに、大我は在りし日の我が子を思い出して、苦笑と微笑が半分ずつ入り混じった笑みを浮かべる。

 無我身市の図書館通いで本を読み漁る中で世界中の神話にも触れた経験から、神様は人の都合を考えることは滅多になさらない、と改めて知った身としては、ヒノカミヒメが随分と人間に寄った価値観を持っていると、少し驚かされた。


(俺の影響かね? まあ、流石に人類や妖精存亡の危機だったなら、ここまで怒りはしないだろうけども)


 大我は少しばかりヒノカミヒメの怒っているというか、拗ねているようにも見える様子に責任の一端を感じ、余計なお世話かもしれないがとりあえず執り成しの言葉を口にする。


「まあまあ、それで救われた命が多かったし、俺もそのお陰で助けられた。ここは俺の顔に免じて怒りを抑えてくれ。ヒノカミヒメは怒った顔も可愛いが、笑顔の方が俺は好きだよ」


「……もう、そのように言われてはこれ以上、怒り続ける私がわらべのよう。分かりました。少なくともこの場では、これ以上、文句を口には致しませぬ」


 ヒノカミヒメが降参だと言わんばかりに肩から力を抜き、柔らかな笑みを浮かべるのに大我が安堵する一方で、夜羽音は実の祖父と孫娘のような一人と一柱のやり取りに心を和ませていた

 大我を観察して、人と神の接し方、人と人の在り方、世界の姿をヒノカミヒメに学ばせるという試みは成功していると夜羽音は考えている。

 魔物の問題が根本的な解決が成された時、再び、神々は人間と距離を置くが、そうなった時、役目を終えたヒノカミヒメも大我から学んだことが役に立つに違いない。あるいはこっそりと人間に紛れて生きるくらいはしそうだ。


「しかし賠償が世界中の名高い神々の品々ばかりとは。コピーとはいえとんでもないことになったもんだ。それだけ多くの神々が魔物相手にうっ憤が溜まるなり、人間を気にかけていたってことだな。ありがたい。本当に」


 しみじみと本音を口にする大我に、またヒノカミヒメが唇を尖らせたが、すぐにそれを引っ込めた。

 相手が外つ国の神々であるのはちょっぴり不満だが、人が神に感謝を口にするのに横槍を入れるなど、神の末席に連なる者として無粋にもほどがあると自制したからだ。

 まだ幼いヒノカミヒメにも、それくらいの分別はある。次にヒノカミヒメが言葉を紡いだのは、大我の感謝の残響が消えたころであった。


「模造品ですので本物よりは劣ります。ただ、模しただけの品を使うのも芸がないと思いますので、折を見て手を加えて行こうかと考えております」


「名前や形を変えて、もうこちらのモノだと言外に示す効果もあるか。良い考えと思うぞ」


「えへへへ。そうでございましょう? 大我さんを真似て私なりに名を考え、形を変え、本物に劣らぬ品へと生まれ変わらせて御覧に入れます。……ん」


 不意にこれまで元気の有り余っている様子だったヒノカミヒメが瞬きを繰り返し、ふらふらと上半身を左右に振った。その姿に大我と夜羽音は彼女の活動限界が来たのだと察する。

 今もヒノカミヒメは学習の最中であり、覚醒した状態で表に出るのには、時間制限が付きまとう。以前は精神世界の中での邂逅だったが、幻とはいえ現実世界で会話できるようになったのだから、活動時間や出来ることはかなり増えてはいる。


「ああ、もっと、お話が……したかったのに……口惜しい、こと……」


 睡魔に襲われて船を漕ぎだすヒノカミヒメの様子に、大我は愛おしさと慈しみを満面に湛えた表情で話しかける。


「次はもっとたくさん話せるようになるさ。それに今回は俺が傷つけられたからって、無理をして魔物少女達にお仕置きをしたんだろう? 初めてのことばかりで疲れただろう。ゆっくりと眠るといい。次に話が出来る時を楽しみにしているよ」


「うふふ! はい、私も、楽しみに……しております……。ふわぁ、おやすみ、なさい」


「ああ、お休み」


 大我からの返事を聞いたヒノカミヒメは満足そうに笑うと、目覚めを迎えた夢のように消えていった。まこと、ヒノカミヒメにとって大我や夜羽音と言葉を交わすこの一時は、夢そのものであるのかもしれない。

 名残惜しむようにヒノカミヒメの座っていた場所を数秒眺めてから、大我は夜羽音へと視線を移す。


「ヒノカミヒメは感情表現が豊かになってきましたね。魔物少女を相手にかの方の力添えがあったとはいえ、一方的にお仕置きするなんて、夢に思わなかったことをするあたり、俺がお役御免になる日も近そうだ」


 ヒノカミヒメの成長を喜ぶ大我に、夜羽音は少し困ったようだった。


「お役御免などとおっしゃりますな。ヒノカミヒメが悲しみます。私もいささか寂しい気持ちになりますよ。ヒノカミヒメの情緒が急速に育ってきているのには、同意いたします。

 私としては外つ国の神々のお気持ちも分からないではないですが、まだ幼いあの子には簡単には認めがたいのも、分かります。

 あの子が一柱の女神として自立するには、いずれは清濁を併せ飲めるようになるか、現世ばかりでなく神々の世界や時勢を学ぶ必要もありましょう」


「それは大丈夫でしょう。根っこからしていい子ですから」


「ふふ、人の子に慈しまれる女神が居ても良い。女神を慈しむ人の子が居ても良い。貴方とあの子の関係を見ていると、心からそう思いますよ」


「とんでもなく不敬な真似をしているのではと、今でも疑問に思いますが、ヒノカミヒメにそれを望まれているのも分かっているつもりです」


 大我としてはヒノカミヒメばかりか夜羽音を相手にしても、こうして気安く会話をする関係も本当にいいのか、と時々悩むのだが、今のところお叱りもないし、神罰の類も落ちてはいないので、許容範囲らしいと自分を納得させているのが実情だ。


「憚りはありますが、私は貴方が最初から神だったらよかったのにと、少なからず思っているのですよ、大我さん」


 夜羽音からの友愛に満ちた思わぬ言葉に、大我は嬉しいが困ったような笑みを浮かべて答えた。


「俺が人間だったからこうしてお会いできたわけですが、でも、そのお気持ちとお言葉はありがたく頂戴いたします。……不敬を承知で申し上げますが、気付いたら神々に召し上げられていた、なんてことはお止めくださいね? 心からお願い申し上げます」


「はっはっは、それはご心配なさらず。断りもなしにそのような真似は致しませんとも」


 俺が合意したらするんだ、と大我は悟った。もしそんなことになったら、ヒノカミヒメも夜羽音と一緒に勧誘する側に回る光景が、いとも簡単に想像できて大我は微妙な顔になるのだった。

 人間として生まれ、魔物の災害に見舞われたが、それでも愛する妻を迎え、子宝に恵まれて可愛い孫達も居る。

 魔物の恐怖に怯えるこの時代では、素晴らしく幸福な人生を送ってきたのだ。ならそのまま満足して人間として死ねれば十分ではないか。それが大我の偽りのない心だった。


<続>


・外つ国神器魔改造フラグが立ちました。


大我と夜羽音とヒノカミヒメはとっても仲良しさんです。

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