第65話 神罰

 ソルグランドがひとまずの落ち着きを得ていたころ、禍岩戸に閉じ込められた魔物少女達には新たな苦難が訪れていた。

 禍岩戸は天岩戸をモチーフとした、光の存在しない閉鎖空間だ。外から見た場合は無数の岩で形作られた洞窟だが、内部は一切の光の存在しない暗黒で満たされている。


 天岩戸が中に引き籠られた御方が自ら戸を開けなければ、誰も外に連れ出せなかった逸話になぞらうように、内部に閉じ込められた者が自力で脱出するのは至難を極める。

 魔物の用いる空間を跳躍する転移手段を用いても、脱出が不可能でありフォビドゥンの多様な能力、ディザスターの圧倒的な膂力、スタッバーの黒曜石の如きナイフ、シェイプレスの変身能力を用いても、結果は同じだ。


 禍岩戸の内部は一面の闇が広がっていたが、遠い彼方で時折走る稲妻がわずかな時間だけ明かりとなる。

 四人は拘束されるでもなく、どれだけ走っても、飛んでも終わりのない闇の中をさ迷い続けていた。草花のひとつ、水場の一つもない荒れた足場の続く坂道らしい、と分かったのはそれきり。


「どうやら簡単に脱出できるような場所ではないらしい。一度、休みましょう」


 彼女達の関係を姉妹に例えるなら長女にあたるフォビドゥンが、どうにもならない現状に歯がゆさを覚えながら、自分に続く三人に提案した。

 普段は反抗的なディザスターも、ソルグランドと魔法少女達に敗れた上に、こんなところに閉じ込められたとあって、気力が尽きているのか素直に従う。

 のどを潤す事さえできないが、せめて疲労を少しでも癒そうとその場に腰を下ろす。稲光に浮かび上がる四人の顔は、大なり小なり疲労の影を帯びていた。


「くそ! ソルグランドだけじゃない! 魔法少女の奴らなんかに!!」


 そうして雷鳴以外、なんの音もないまま静寂が続いていたが、不意にディザスターが苛立ちを抑えきれずに腕を振り上げると、足元の地面に思い切り叩きつける。

 驚くべきはディザスターの膂力をもってしても、地面にわずかに罅が走るだけで大きく崩壊するようなことはなかったことだ。ディザスターの全力の一撃ならば、巨大なクレーターが出来てもおかしくはない。

 既に何度も坂道を殴りつけて壊せないものかと試したが、無駄に終わっている。フォビドゥンがプラーナのビームを撃って、果てがどこまであるかを測ったが、それもビームが闇に飲まれて消えたことで無駄に終わっている。


「体力を無駄にするだけよ」


「分かってる! だけど、クソ! あれだけ用意して、誘い込んで、それなのにソルグランドでもない魔法少女にも邪魔されて、こんなところに閉じ込められた!! あたしは、あたし達の価値が、意味が、否定されたも同然じゃない!!」


「……」


 ディザスターの叫びはただ敗北の悔しさや惨めさが滲んでいるだけではなかった。魔物側の膨大なリソースを消費して整えた罠を突破され、ソルグランドと魔法少女達に敗れたことで自分達の存在意義が大きく揺らいでいる。

 ディザスターが恐怖のあまりそれ以上言えなかった言葉の続きを口にしたのは、これまで無言を貫いてきたスタッバーだった。攻撃を受けてわずかな声を漏らす以外では、魔物少女達にしても初めて聞く姉妹の声となる。


「創造主が我々を見捨てても、仕方のない結果」


「貴女、口を開いたかと思えばもっとも聞きたくないことを言うものですネ」


 スタッバーの言葉にフォビドゥンとディザスターが息を呑む中、シェイプレスは特に驚いた様子もなく、淡々と答える。聞きたくないと口にした割には、それほど忌避している様子はなく、見捨てられることも受け入れているようにさえ見える。

 やはり後発の二人は感情の起伏が小さいか、あるいは無駄な機能だとして最初から搭載されていないのかもしれない。コンセプトの違いがこの窮地においても如実に表れている。


「そう判断されても仕方がない、か」


 フォビドゥンに至っては都合三度目の敗北とあって、これでは失敗作と断じられても仕方ないと諦念と共に認める他なかった。

 創造主に対する絶対的な忠誠心を製造当初から組み込まれ、命令に疑いを持たず、拒絶するという発想を持たない彼女達からすれば、創造主から見捨てられるのは死にも等しい。

 姉妹達の言葉にディザスターが顔色を青くし、拳を振り上げる力もなく項垂れる。フェアリヘイムに出現し、妖精達を蹴散らしていた時の調子に乗った生意気な態度は、もう欠片もない。さんざん、ソルグランドに分からされた結果の、妥当な末路だ。


「ちくしょう、ちくしょう……」


 力なく呟くディザスターの瞳から透明な雫がいくつも零れ落ち、地面に染みを作っては消えて行く。そんな弱り切った妹の姿に、普段は生意気な奴と嫌っているフォビドゥンもなにか慰めの言葉を探すが、見つけられないまま手を伸ばす。

 ただ魔法少女との戦いに勝つ為に、そしてソルグランドを抹殺する為に作られた魔物少女としては、余計な機能の発露と言えただろう。言葉のないまま伸びるフォビドゥンの手が不意に、空中で止まった。


「雷が……近づいている?」


 稲光と雷鳴がいつの間にか、近づいてきていることに気付いたからだ。それも徐々に、ではなく“いつの間にか”。

 魔物少女達にとっては、あのソルグランドに放り込まれた謎の閉鎖空間だ。自分達を仕留める為の刺客や罠が待ち構えていても、おかしな話ではない──四人がこの結論に至るのは同時だった。


 奈落の底にまで気力を落としていたディザスターも、明確な敵の出現と状況の変化にすぐさま戦闘態勢に切り替わり、ソルグランドへの恨み辛みを表情に浮かべて立ち上がる。

 暗黒と稲妻ばかりの世界に閉じ込められて、時間感覚を喪失した四人はどれだけ時間が経過していたか分からないが、ダメージもプラーナもおおむね回復が済んでいる。万全とは行かないが、戦闘は十分に行える。


「もしソルグランドが来るんなら、今度こそ破壊しつくしてやるっ」


 もはやそうすることでしか自分達の価値を証明できないと、ディザスターはどこまでも思い詰めた表情と声で心情を言葉にした。

 血の塊となって落ちないのが不思議なほど、痛切でおどろおどろしい言葉だった。相手がソルグランドでなかったら、そのまま相手を呪い殺せそうだ。


 無感情にこの状況を受け入れているように見えるスタッバーとシェイプレスも、敵が来るとなればただ殺されるつもりはないようで、フォビドゥンとディザスターに続いて立ち上がり、戦闘態勢を整える。

 地形は際限なく広がる坂道。天上や果てはなく、障害物の類もない。雷が閃いている以上、頭上には雷雲があるのだろう。高度には注意を払わなければなるまい。


 ここはソルグランドの創り出した空間。全てが自分達にとって敵と言ってもいいのだから、どれだけ警戒を重ねても足りない、と四人とも考えていた。

 その警戒心の強さは正しく、そしてこの場ではそれでもまだ足りていなかった。四方八方に警戒の意識を向ける四人は、雷鳴と共に大きな影が目の前に立っているのに気付く。


 いつから、どこから、どうやって近づいてきたのか、姿を見せたのか誰も分からない。ソルグランドが凍結を利用して行った瞬間移動? それとも空間転移? それらの可能性を四人は思い浮かべる余裕がなかった。

 フォビドゥン達はこちらを睥睨する存在を正確に認識できていなかった。黒く塗り潰された巨大な影、おそらくは女性としか見えず、遠くに見えていた稲妻は合計八本が、影の身体から悶える蛇のように閃いている。


 暗黒に包まれたこの坂をソルグランド──真上大我だったら、一度、自分が降り立ったあの坂だと、黄泉比良坂だとすぐに気付いただろう。

 そして魔物少女達との戦いで、ソルグランドは冗談交じりにこうも言っていた。禍岩戸の中を黄泉比良坂に繋げてやろうか、と。


 実際のところ、ソルグランドはそんなことが出来るとは思っていなかった。出来ても黄泉比良坂を模した空間を創るのが精々だろうと考えている。

 だがこの空間は紛れもなく黄泉比良坂だった。ソルグランドが居たら、なんで? と心の底から疑問を抱いたに違いない。では誰が禍岩戸の中を黄泉比良坂と繋げたのか?


「なんだ、コイツは……」


 黄泉比良坂にありて体に八柱の雷神を宿す存在。多少、日本神話に造詣の深い者ならば、魔物少女達の前に姿を見せた影──御方について、血の気の引く思いと共に察せられたろう。

 魔物少女達はその正体にまるで見当もつかなかったが、ソルグランドとは異なる真性の日本の女神を前に、彼女達に芽生えてしまった死への恐怖が爆発的に広がっている。


 スタッバーやシェイプレスでさえ顔を強張らせていて、彼女らは本当の意味で死を知りつつあった。

 生ける者と死せる者の境目を分ける黄泉比良坂で、黄泉の国の主宰神たる女神を前にしてどうして死を感じずにいられようか。たとえそれが、異なる世界で生み出された魔物少女であろうとも。


 ただ幸いにもフォビドゥンらの相手は目の前の女神ではなかった。よく見れば巨大な影の足元らしい場所に別の人影がある。

 頭部からぴょこんと突き出た山犬の耳、勾玉と鏡を組み合わせた首飾り、千早を重ねた巫女装束、神々がその威信をかけて生み出したこの世のものとは思えぬ天上世界の美貌──ソルグランドだ。

 ソルグランドは背後の大いなる女神を振り返り、親しげに話しかける。夜羽音でもちょっと出来そうにない。むしろ本物の神であるからこそ夜羽音では出来ない、と言うべきだろうか。


「これよりは私めが。お力添えを賜り恐悦至極に存じまする」


 深々と頭を下げるソルグランドの姿に満足し、女神はもっとも新しい娘とも、日本神話の精髄とも、日ノ本の威光の化身とも呼ぶべき若い女神に慈悲深い眼差しを向けると、まるで最初から居なかったかのようにその姿を消された。

 得体のしれない途方もない敵が居なくなったことに、魔物少女達は安堵する暇もなかった。こちらを向いたソルグランドのあまりに冷たい視線に、心臓が大きく跳ねたから。


「お前達、よくも大我さ──ソルグランドさんに無礼を働いたな。戦の常とはいえ、あの方に傷を付けたことは万死に値する。

 そればかりか日ノ本の子らも、外つ国の子らもよくも苦しめたもの。そしてあの死せる星とそこに生きた命、あの星の神々の無念たるやいかばかりか。

 ソルグランドさんには今しばし、御心を安らかに時を過ごしていただかねばならぬ。故に、お前達への仕置きは私の手で行う」


 ソルグランド──いや、その中で眠っている筈のヒノカミヒメは、かの女神に向けていた畏敬と親愛の表情を捨て去り、その代わりに冷酷という言葉をこの上なく表現した表情を浮かべ、一歩、また一歩と魔物少女達へと近づいてゆく。


「夜羽音様とソルグランドさんのご配慮によって作られた“まじかるどーる”を勝手に持ち出し、挙句一度の戦闘で駄目にしてしまう異国の神々も腹立たしいが、かの者達からはこのように謝意を受け取った。それを使って、お前達にとりあえずの神罰を下す」


 目の前の女神がソルグランドではないことに気付けても、それはこれまでの経験が役に立たない可能性を示しており、フォビドゥン達にとってプラスになる情報ではなかった。

 むしろソルグランドと瓜二つの目の前の女神の存在は、地球と妖精側にソルグランドの量産体制が整っているのではと、魔物少女達に絶望的な予測を立たせることとなる。

 実際のところ、量産型ソルグランドと言えるのはマジカルドールなのでそこまで絶望的な状況に陥っているわけではないが、この場では分からない事だ。


「好きなだけ啼きなさい。お前達に助けは来ない。誰もお前達を救わない。未だ動けぬ私自ら手を下す為に、この場をご用意いただいたのだ。存分に罰の味を教えてくれよう」


 全身から神気を滾らせるヒノカミヒメの周囲に雷を纏う鉄鎚が、青銅の槍が、黄金の剣が、それだけでなく勝手にマジカルドールを操って好き勝手暴れた神々から、日本神話群が賠償としてせしめた武具のコピー達が浮かび上がる。

 もちろん本物ではないが、ソルグランドが神話に語られる武器をベースにアレンジした武器を使うように、ヒノカミヒメも大好きなソルグランドを真似て、外つ国の神器をコピーしたらしい。


 万全でない体調の魔物少女達、黄泉の国の主宰神のバックアップを受けられる環境、ソルグランドと同等の肉体に異なる戦闘方法、そして日本神話群の総結晶とも言えるヒノカミヒメの魂。

 魔物少女達は例え四人掛かりであろうとも、どうしようもないほど絶望的な戦いに挑まなければならなかった。いや、戦いではない。これは仕置き、これは神罰なのだ。



「なんかプラーナが回復しないというか、減ってねえ?」


 その頃のソルグランドは少しばかりプラーナが減っているのに、首を傾げていた。


<続>


・ヒノカミヒメの秘密

ソルグランドこと真上大我に激重感情を抱いている。

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