第58話 生きんと欲さば戦うべし
勘弁してください。これがディザスターの偽りのない本音だった。
世界各地に魔物が出現して襲撃を始めたという連絡を受けてから、ソルグランドの攻撃は激しさを増す一方で、その猛攻を浴びせられる二体の魔物少女達は今にも泣きだしてしまいたい恐怖に襲われていた。
それでも逃亡せずに戦っているのは、彼女らにそれが許されていないのに加えてここで逃げ出したところで、恐怖が先延ばしになるだけだと理解し、なんとかソルグランドを倒そうと勇気を振り絞っているからに他ならない。
「みじん切りにしてコトコト煮込んでやらあ!」
「アイムノー食材、ノーカニバリズム!!」
世界中の孫と同年代の少女達の危機とあり、我が子ならぬ我が孫を傷つけられた祖父の怒りを爆発させたソルグランドの表情は鬼気迫るものとなり、神々の造りたもうた美貌と相まって、魔物少女達に声のない悲鳴を上げさせた。
ディザスターの瞳に無数の斬撃が映り込んだ瞬間には、彼女の身体を十を超える斬撃が襲っていた。
闘津禍剣と天覇魔鬼力をもってしても簡単には斬り裂けないが、ソルグランドの激情がプラーナと共に込められた刃は、ディザスターの全身に赤い痕を刻み、痛烈な痛みを与える。
痛みと共にソルグランドの殺意も心身に侵入してくるようで、ディザスターはその場で恐怖と共に吐しゃ物をまき散らす衝動を、必死にこらえなければならなかった。
逆鱗を剥がされた龍の如きソルグランドを前に、ディザスターはその頑丈さから盾役となり、仕方なくフォビドゥンを庇って一手に攻撃を引き受けていた。その所為で途方もない恐怖に晒されて、さっきから瞳からは涙が流れ続けている。なんなら鼻水だって。
そうしてディザスターにソルグランドを押し付けている間、フォビドゥンがソルグランドに攻撃を加えているのだが、怒りに突き動かされてもなおソルグランドの動きに乱れはなかった。
日本神話群の誇る武神の分霊を含むソルグランドは、どれほど思考が焦り、怒りに飲まれようとも戦闘技術に悪影響を及ぼすような領域を、はるか遠方に置いてきている。
「今度こそぉ!」
ディザスターが更に斬撃の雨に晒されて、頬や首筋、腕に切り傷が出来始めた時、フォビドゥンが妹の背後から飛び出し、ソルグランドの頭上を取った。
ディザスターほどではないがソルグランドもまた相当な堅牢さだ。中途半端な砲撃を加えるよりも、恐ろしくて堪らないが距離を詰めて尻尾、両掌の口から伸ばしたパイルを全力で突き込む。
狙いは全てソルグランドの頭部だ。どれか一つでも命中すれば、ソルグランドの頭部に大穴を開けられる必殺の同時攻撃である。
今度こそ終われ、こんな悪夢! と魂から叫ぶフォビドゥンを四方八方から殺到した破殺禍仁勾玉が猛烈な勢いで叩いた。鳩尾、喉、脇腹、後頭部、尻尾の付け根に深々と突き刺さり、フォビドゥンは体の中で骨の砕ける音を聞いた。
「ぐげぇ、うぎ……」
フォビドゥンが落下している最中にも破殺禍仁勾玉の攻撃は続き、更に斬撃の嵐に怯んだディザスターもまた反撃も防御も出来ないまま、全身を破殺禍仁勾玉に滅多打ちにされて力なく落下する。
姉妹は揃って振り絞った勇気が枯渇してゆくのを感じた。
氷塊にしがみつき、なんとか溺れるのを免れているディザスターと氷塊の上に落下し、痛みに悶えているフォビドゥンを見下ろしながら、ソルグランドは背後に破殺禍仁勾玉を円形状に展開して、胸元の破断の鏡へとプラーナを集中させる。
「一つ教えとこう。俺は『諏訪湖の御神渡り』の権能を応用してここら一帯を凍らせた。御神渡りって知っているか?
諏訪湖が全面凍結した時に稀に出来る氷の山脈を指すが、分かるか? 『通った』道筋だ。この凍った一帯全ては全て俺が通った跡なのさ。転じて、俺はこの凍った場所のどこにでも、移動できる。
凍った一帯限定で俺は瞬時にワープできるってわけだ。こういう概念的なものはこじつけでも言ったもん勝ちなのさ。なんで俺がペラペラと種明かしをしているのかは、分かるだろう? この戦場にお前達の逃げ場はないってことだ」
またそうやって絶望を押し付けてくる!! と魔物少女姉妹は泣き叫びながら抗議したかった。それ以上にこのまま戦い続けてもまるで勝ち目がない事実に、立ち上がる気力がどうしても湧いてこない。
だが二人は自分達が十分に役目を果たしたのを理解していた。そうであって欲しいという願望がかなり強かったが、ソルグランドの左肩に付着していたフォビドゥンの血から痩せ細った女の手が伸びたことで確信に変わる。
(ようやく来たか。もっと早く来いっての!)
本来なら待ち構えていた新たな魔物少女の出現だが、世界同時襲撃中とあっては手間を掛けさせやがってと苛立ちの方が勝る。
血から伸びた手の握る黒曜石を思わせるナイフが、ソルグランドの首筋に突き立てられ、それを天覇魔鬼力の刃ががっちりと受け止めた。
「血の中に潜んでいたのか、ゲートを繋げる目印にしたのか知らんが、この程度じゃ死んでやれねえよ!」
黒いナイフを弾き返し、ソルグランドは若干苦しい体勢から右の闘津禍剣を自分の左肩から伸びる刺客の腕、その根元へと突き込む。
赤褐色の細い腕がフォビドゥンやディザスターに劣る耐久力しかないのは、一目で看破できた。ソルグランドのプラーナ探知を掻い潜る為に、潜伏・隠蔽能力に特化しているのは容易に想像できる。
闘津禍剣の切っ先が届くまさにその寸前、ずるりと腕が伸び、細い肩と紫の髪をおかっぱにしたあどけない顔、最低限の肉を纏った細い体が勢いよく飛び出す。
体に張り付く白いボディスーツのみを纏い、武器も右手のナイフ一本のみを携行しているだけのようだ。
黒く染まった眼球に赤い瞳を輝かせ、無機質な視線をソルグランドに向けている。三体目の魔物少女にはまだソルグランドへの恐怖がないか、あるいは今度こそ感情の無い個体が製造されたのか。
(俺をどうにかしようって割にはぬりい。あのナイフで一刺しするだけってんじゃ、お粗末だろ)
全身を露にした三体目の魔物少女──スタッバーは空中で身を捻りながら、ナイフを左手に持ち替えて一閃。狙いはソルグランドの突き出た山犬耳だ。
とっさにペタンと伏せて山犬耳を切り飛ばされるのを回避し、左手の天覇魔鬼力を一閃すればスタッバーは煙のようにゆらりと体を捻って避ける。空中も自由自在に動くその姿は、優美とさえ言えた。
そしてスタッバーはソルグランドの意表を突く行動を取った。左手のナイフを手放したのである。ナイフはソルグランド目掛けて投げつけたわけでもなく、くるくるとソルグランドの背後で回転し、そしてその姿を四体目の魔物少女へと変える。
(──四体目!)
顔だけはスタッバーと瓜二つだが髪の毛をお団子状にまとめ、二メートル近い体格に黒いボディスーツを纏った双子──シェイプレスは、首から下を黒い液状に変化させるとそのままソルグランドの全身を包み込む。
器用に神剣や神鏡には触れないように避けられていて、ソルグランドの全身を強烈な力で拘束する。それでもソルグランドの力なら、内側から無理やり拘束を破るのも不可能ではない。問題なのはそうする為に必要な数秒が、致命的となるこの状況だった。
拘束を免れた破殺禍仁勾玉は根性を振り絞ったディザスターとフォビドゥンが足止めしており、手が足りていない。
ソルグランドの目の前の空中に着地したスタッバーの左掌が裂けて、そこから新たな黒曜石モドキのナイフが出てくる。今度は本当に武器としてのナイフだ。
プラーナを圧縮し、特殊な加工法で鍛え上げたナイフは、ディザスターの肉体をも斬り裂く代物。いわんやソルグランドを斬れぬ道理はない。最小限、最速の動きでナイフがソルグランドの眉間を狙って突き出される。
さしものソルグランドとて首から指先、爪先に至るまでがっちりと固定された状態では回避のしようもなかったが、シェイプレスとスタッバーにとって不運だったのは、彼女らが仕掛けたのが御神渡りの権能で凍らせた氷塊の上だったことだ。
ソルグランドの銀糸に勝る輝きの前髪を一本だけ斬り落とし、ナイフは空を切った。ソルグランドの姿はスタッバーから三百メートル離れた氷塊の上に移動している。
ただシェイプレスによる拘束は継続しており、流石はソルグランド対策の魔物少女というべきだろう。
「お前さんは離れちゃくれねえか」
シェイプレスの頭部はソルグランドの背中側にあった。頭突きや噛みつきの届かない絶妙な位置にいる。だが手がないわけではない。自分が手を出せないのなら……
「貴方をこの場で仕留めきれないのも、想定の内ですヨ」
背中から聞こえてきた声に、ソルグランドは少しばかり驚いて耳をピンとさせた。スタッバー同様に感情の揺らぎを感じさせない平坦な声色だ。最大の敵と密着した状態であっても、恐怖はないらしい。
「お喋りしてくれるとはね。それで次はどうするんだ? 俺をあと、どれだけ捕まえていられる? 十秒もないだろう」
勝利を確信し、油断からのお喋りなら大歓迎だが、そう簡単に行くだろうか、とソルグランドはシェイプレスの観察と分析を怠らずに継続する。この拘束を千切るのには、六秒もあれば……
シェイプレスは自分の内側で膨れ上がるソルグランドのパワーとプラーナに、まもなく引き千切られるのを淡々と認めたが、それだけ時間があれば彼女の役割は果たせられる。
「それだけあれば貴女を連れて行くのには、十分なのですヨ」
シェイプレスの言葉が重ねられる間に、ソルグランドは全身に巻き付く彼女の身体の変化に気付いた。体内を流動するプラーナの勢いが増して、ぐわんとこちらの頭の中を揺らすような感覚に襲われる。
「“虎穴に入らずんば虎子を得ず”ってか」
それだけでソルグランドは理解した。シェイプレスは拘束具であると同時にゲートでもあるのだ。ソルグランドにとって有利な戦場である地球から、彼女達のホームであるどこか別の世界へと連れ去る為に、シェイプレスが製造されたのだと。
ある意味では願ったり叶ったり。これまで正体を掴めずにいた魔物側の情報を得る好機だ。しかし、同時に魔物の襲撃を受ける地球から離れることになるのは、大きなデメリットだった。
「いいぜ、御呼ばれしてやる。その代わり、地球に手出しする余裕がないくらい、大暴れしてやるから覚悟しな!!」
「では、貴女の為の処刑場に、どうぞいらっしゃいまセ」
宣言した通り、待ち受ける魔物側の戦力をズタボロに壊滅させて、今、地球に送り込まれている魔物達を呼び戻させてやる、とソルグランドは獰猛に笑い、シェイプレスの瞳にその笑みの凄絶さが刻み込まれた。
地球上には存在しない別のどこかへと連れ去られる直前、ソルグランドの心に夜羽音の声が届く。
(ソルグランドさん、今ならこちらに引き戻せますが、いかがなさいますか?)
(決まっているでしょう。このまま連中のご招待に与って、後悔させてきますよ。俺とゲートのリンクを維持して、そのまま連中の所在を突き止めてください。お出来になるでしょう?)
(ふふふ、そう言われて出来ないと答える神はおりませんよ。こちらはマジカルドールの投入が決まりました。地球側の魔物を撃退しましたらすぐに応援をお送りします故、どうぞ無理をなさいませんように)
(安易に俺を呼び込んだことをたっぷり後悔させてやりますとも)
そう言う事を言っているのではないのですが、と苦笑する気配を最後に夜羽音からの声は途絶え、ソルグランドは自分が異なる世界へと連れてこられたのを察する。
足元に広がっていた氷塊の浮かぶ海は荒涼とした大地に変わり、空は分厚い灰色の雲に覆われて陽ざしが遮られている。視界に枯れた木々がまばらに映る他は、細菌や微生物すら死して、生命は欠片も見当たらない。
ソルグランドの視力ははるか遠方の山脈の麓にそびえる廃墟となった都市や、かつては天空を飛んでいたが、今は動力を失って海面に突き立っている人工都市を捕捉していた。
「大気の成分は地球とほぼ変わりなし。ただしプラーナが天地海のどこにもない。こりゃあ、お前らが全部絞り取ったんだろうな」
ソルグランドの全身に上限を知らぬプラーナが迸り、いよいよ拘束しきれないと悟ったシェイプレスがソルグランドを開放して大急ぎで距離を取る。鮮やかな逃げっぷりを見せるシェイプレスは追わずに、ソルグランドは自由落下に任せて荒れ果てた大地に降り立つ。
その正面に離脱する寸前、X字状に胸を斬られたシェイプレスが膝を着き、双子の姉妹を庇うようにしてスタッバーが降り立つ。フォビドゥンとディザスターも新たな妹達の左右に並び立って、今度こそソルグランドを完全破壊せんと意気込んでいる様子だ。
そしてソルグランドをぐるりと囲い込んで、地上にも空中にも無数の魔物達がひしめいている。最低でも一級以上のプラーナを保有する上位の魔物達で、恐るべきことに特級の魔物達が複数含まれていた。
地球各地にあれだけの魔物を投入しておいて、まだこれだけの戦力を保有していた事実はソルグランドに呆れを通り越して感心の念を抱かせた。
「この調子じゃ星をいくつ潰したんだが分からんが、イナゴみたいな連中ってことか。なおさら容赦出来ねえな」
天地にプラーナが存在せず、また地球とは別の星である以上、天然自然からプラーナの供給を受ける術はない。自前のプラーナだけで魔物少女四体を含む魔物の大部隊を相手に、ソルグランドは戦わなければならないのだ。
ソルグランドは右手の闘津禍剣を風土埜海食万へ持ち替え、周囲を囲う魔物達をぐるりと見回す。フォビドゥンとディザスターに足止めされていた破殺禍仁勾玉が定位置に戻り、ソルグランドはとりあえず万全の戦闘態勢を整え直す
「お前達は俺を予定通り罠に嵌められてご機嫌だろうが、こうは考えなかったのか? 俺が地球じゃ周りに配慮して使わなかった武器や攻撃があるってよ?」
ソルグランドに与えられた傷を修復し終えたシェイプレスを含めた魔物少女達が、一体の例外もなく一歩、後ろに下がった。自分達が途方もない間違いを犯した予感に、猛烈に襲われたからである。
「まずは一発、挨拶させてもらうぜ!! 黄泉路に轟く神鳴り
八百万の神々の権能は地球から離れようとも、ソルグランドのひいてはヒノカミヒメの心身そのものを構築している。故に魔物の用意した処刑場に連れ込まれようと、ソルグランドの戦闘能力はちょっぴり翳る程度でしかないのだ。
そして黄泉比良坂で伊邪那美命の身体の各所に宿っていたという雷神の分霊たちが、ソルグランドの足を介して死した惑星の大地を走り、天へと伸びる極大の雷が手ぐすねを引いて待っていた魔物達を襲った。ただそれだけで四分の一近い魔物達が消し炭と変わる。
「お前らが俺を殺すのが先か。俺がお前らを全滅させるのが先か。勝負と行こうや!!」
フォビドゥンがジャミングを兼ねた黒い霧を展開し、どうにか雷神の一撃を防いだ魔物少女達は必勝の状況に持ち込んだはずが、余裕の笑みは誰も浮かべてはいなかった。
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