第47話 中の女神

「うううう、あああ!! アイツ、あいつううう!!!」


 全力で振り上げられたディザスターの拳が全力で目の前の巨岩に振るわれて、エアーズロックさながらのダイヤモンドのような巨岩が粉微塵になる。

 空は薄い紫色に染まり、遠方に行くほど白く溶けてゆく淡い色合いだ。大地は砂状に砕いた宝石を敷き詰めたよう。微生物や細菌すらもいない、完全に生命の息吹が途絶えた惑星である。

 ディザスターの誕生と引き換えに、命の全てを奪われつくしたあの星と同じ末路を辿った、どこか別の星なのだ。


「ふう、ふう、ふう!!!」


 周囲にはディザスターが感情のままに腕を振るい、砕いた大地や山々の残骸が転がっており、彼女が撤退してから今に至るまで、どれだけの恐怖に突き動かされているのかが、うかがい知れる。

 ディザスターは安全な場所にまで逃げられた今もなお、殴ればそれ以上に殴り返し、蹴ればそれ以上に蹴り返し、自分のお尻をパンパンに腫れ上がるまで叩いたあの女!


「気は済んだ?」


 背後から砂を踏みながら近づいてきたのは、この星にいるもう一つの命、姉妹機にあたるフォビドゥンだ。歩く度に砂と砂とが擦れ、キシキシと耳障りな音を立てる。無数のガラス片とガラス片をこすり合わせたような音は、風もない死んだ星によく響いた。

 分かり切ったことを聞く旧型機に、ディザスターは仇を見るような目で睨み返す。この姉妹の間にある感情は、ぬくもりのない冷めたものしかない。

 そしてディザスターの目は、彼女の心の中の恐怖が少しも和らいでいないのを、なによりも雄弁に物語っていた。その点だけは、フォビドゥンも共感できた。


「なにか用? 少し強化されたくらいの魔法少女にあれだけ手こずっておいて、偉そうな態度を取らないでくれる?」


 それを言えばディザスターこそ、完全に舐め切った態度でソルグランドに襲い掛かり、それなりの手傷を与えたものの力及ばずに負けている。おまけにここまで強烈に恐怖を植え付けられる有様だ。


「私の態度を偉そうに感じるのは、お前が卑屈になっているから」


「……壊されたいの?」


 ディザスターの顔から表情が抜け落ち、最後の理性の糸が限界まで張り詰めているのが分かる。後、ほんの少しの刺激で妹は姉を本気で破壊しつくそうと、全力で腕を振るうだろう。


「はあ、止めましょ。アイツに恐怖を抱いているのはお互い様だもの」


「はあ? あたしをあんたと同じにしないでよ。次に会ったら、今度こそアイツの顔も体も、腕も足も! ぜんぶぜんぶぜんぶ、全部! 壊してやるの!」


 駄々をこねる幼い子供のように、癇癪を爆発させるディザスターから放たれる圧は凄まじく、けた違いのプラーナを浴びせられれば並大抵の魔物や魔法少女はそのまま意識を失ってしまうだろう。

 真っ向から浴びせられるフォビドゥンに与えられるプレッシャーは相当のものだが、こちらもまた特級相当の怪物だ。毛筋ほども堪えた様子はない。


「アイツに執着して、壊す事に拘っているのは……なによりもアイツが怖いからでしょう」


 今度こそ本当にディザスターは目の前の姉を壊してやろうと、考えるまでもなく腕を動かそうとした。その腕を止めたのは続いて紡がれたフォビドゥンの言葉と……


「私もそう。怖くて怖くて堪らない。これが恐怖。こんなものを植え付けられた」


 なにも感情が浮かんでいないはずなのに、見ているこちらの魂まで吸い込まれて、沈んでしまいそうなフォビドゥンの瞳を見てしまったからだ。

 ああ、コイツは自分よりも長い間、この恐怖に苛まれ続けているのを、ディザスターはようやく理解する。そしてソルグランドへの憎悪も、姉の方が強いのだと。


「私達に存在するはずのない、在ってはならないこんなモノを植え付けられて、今日まで廃棄されなかったのが不思議なくらい。私は、あいつを、ソルグランドを壊す。確実に、絶対に、跡形もなく、存在の痕跡の全てを破壊する。

 私でもお前でも、一体ではソルグランドに勝てない。二体一で挑むにしても、奴の周りには友軍機が居るか、援軍に駆けつけてくる。奴を孤立させてから私とお前で破壊するか、奴の友軍機ごと破壊できる数を揃えなければならない」


 出来るものなら自分だけの力で、自分の手であの美しい怪物をバラバラに引き裂いて、髪の毛の一本、血の一滴に至るまで消し去りたいに違いない。

 そうしてようやく、彼女達は本来の仕様から歪められ、不本意にも獲得してしまった恐怖を消し去ることが出来るのだと、そう思い込んでいた。あるいは、願っていた。


「初めて、意見が合ったね。お姉ちゃん」


 作り出されてから初めて、ディザスターはフォビドゥンに対して、親愛の情を込めてお姉ちゃんと呼んだ。もっともフォビドゥンの内心に肉親の情やお姉ちゃんと呼ばれた事への喜びは、欠片もない。

 その精神構造はどちらも似たり寄ったりの姉妹機なのだ。

 ただ、フォビドゥンの方が先に痛い目に遭わされて、死の恐怖を感じ取ったことで、ある程度、自分達の今後について考える、というような本来の仕様にない変化を起こしていた。


(ただ、しょせんは私の考えにすぎない。造物主様のご意向を前にすれば、私などの考えは価値も意味も持たない。ソルグランドを最大の戦力個体と認定はしているだろうけれど……三体目の私達をお造りになるかもしれない)


 フォビドゥンが魔物を含む自分達の造物主がフェアリヘイムにせよ、地球にせよ、現地生物の完全なる絶滅を最短効率で目指しているのではない、ということを理解する程度には、思考の自由を与えられていた。


(いったいなにを目指しておられるのですか、造物主様。そして私達になにをさせたいのですか)


 フォビドゥンの問いかけに答えが与えられることはなかった。



 フェアリヘイムでの激闘と妖精女王との予定外の謁見を終えた後、大我と夜羽音は一泊して最上級のもてなしを受けてリフレッシュし、真神身神社へと帰還した。

 研究中の量産型ソルグランドは開発速度が更に向上することで、遠からず戦場に投入されるだろう。魔法少女の為の強化アイテムも、時期を前後して開発が終了する見込みだ。

 個人の才能になるべく依存しない、安定した性能を発揮することがコンセプトであるから、魔法少女ひいては人類全体の戦力底上げに貢献してくれるに違いない。


 良くも悪くも収穫の多かった一泊二日であるのは確かだ。

 そして、早くも二体目の魔物少女が投入された事実は、地球の全人類を震撼させることだろう。

 特にアメリカでは、ネクストであるスタープレイヤーが魔物少女を相手に単独では敗北していた事実を前に、勝った気になるのは速すぎると理解させられていた。


 地球の主導権の奪い合いは魔物に勝ってからにしてくれ、と大我などは心底から思うが、為政者の彼らとしては切実な今よりも、よっぽど重要であるのだろう。

 大我と夜羽音はすっかり住み慣れた真神身神社に昼前ごろに帰還し、ささっと蕎麦を茹で、旬の野菜を天ぷらにして昼食を済ませた。


 それから日本のみならず、地球を見回しても助っ人の必要が無いのを確認すると、大我は精神的な疲れからか、境内に設置したチェアに寝そべってすぐにうつらうつらとし始めて、睡魔にあっけなく敗北してしまった。

 テーブルの上の定位置に居る夜羽音は大我が睡魔に負けたのは、精神的な疲れもさることながら、内側から呼ばれたのを理解していた。


「大我さんに興味を抱いたのですね。存分にお話しなさい。貴女にとって、大我さんは師であり、居候であり、氏子であり、巫女……いえ、神官でもある。ふむ、色々と要素が重なり過ぎではありますが、それだけ貴女にとって大事な方ですよ」


 夜羽音の声が届いていたのかどうか、眠れる大我の、いや、女神の瞼がかすかに揺れた。


「おや、こいつぁ」


 パチリと目を開けた大我は、真神身神社の境内に立っている自分に気付き、久しぶりに聞く本来の自分の声に少しだけ驚いた。

 境内に組み立てたテントやテーブル、チェアの類はなく、社が綺麗になっている点以外は、初めてここを訪れた時のよう。風景に対する懐かしさも覚えながら、大我はまじまじと自分の手や体、服装を見る。

 あの時、燦と共に魔物に襲われて、黄泉比良坂をさ迷っていた時の格好だ。真上大我の人間としての最後の姿、ということになる。


「なんだかいい気分でウトウトしていたら、綺麗な声で呼ばれたと思ったんだが、君が、いや、あなた様が私をお呼びになられたのですか」


 境内の真ん中に立つ大我の正面には、社を背にしたソルグランドが立っていた。人間の姿に戻った大我を前に、ソルグランドは大我の言葉のよそよそしさに寂しげに微笑んだ。


「私と、あなたの仲です。お孫さんに接するみたいに、してください」


 この数か月何度も聞いて、発してきた声が自分に向けられている現状に、大我はなんだが愉快な気持ちになりながら、ソルグランドに笑い返した。


「分かったよ。そうするのが君の望みならな。こうして会うのは、まあ、初めましてか。君のお陰で命を拾った。君のお陰で燦を助けてやれた。君のお陰で魔法少女達の助けになれた。ありがとう。心の底から感謝している」


「ああ、よかった。あなたがそう思ってくれるのが、私は一番嬉しい」


 ソルグランドは寂しげな表情から一転して、言葉の通りに溢れる嬉しさを隠しきれない笑みを浮かべる姿は、おじいちゃんが大好きな孫娘そのものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る