第48話 あの子の名前
微笑むソルグランドを前にして、大我は肩から力を抜き自分がここに呼ばれた理由を改めて尋ねる。これまで彼女本来の肉体に間借りして、仮初の命を繋いできた身としては、彼女が体を返して欲しいというのなら、すぐにでも明け渡すのが筋だと理解している。
できれば魔物少女をはじめ、彼女達を作った親玉を片付けて、魔物の脅威に脅かされない平和な世界を目にしたいところではあるが、それは我儘というもの。
「それで俺を呼んだ理由を改めて教えてもらってもいいかな? まだやり残したことがあると思うが、身体を明け渡すっていう話なら……」
大我からの言葉がよほど意外だったらしく、ソルグランドは目をぱちぱちとさせてから、大きく首を横に振った。彼女にとってまるで考えていないことを言われた、と何よりも雄弁にその態度が語っている。
「いいえ、いいえ、大我さん。私はそんなことを言うつもりは少しもありません! 滅多なことをおっしゃらないでください」
「それならこの前のディザスター相手にずいぶん殴られたから、そのことに対するクレームかい? もっと上手く戦えっていう」
「それも違います! そもそも私は貴方を叱責する為にお呼び立てしたのではありません。先日の戦いもまだ私では対応できなかったでしょう。それを大我さんは見事に戦い抜き、件の力強き魔物少女の心を折るまでに戦い抜かれました。お見事です」
ソルグランドがどうやら本気で自分を責める気はないらしいぞ、とここまで言われて、ようやく大我は納得した。神罰が下されるわけではないようなので、大我は改めて呼ばれた理由に思い当たるところがない。
「それならどうして俺を? 挨拶かい?」
「それもあります。私は貴方をずっと見ていましたけれど、こうして意思を交わせるようになったのは、本当にごく最近のことです。真上大我さん、私が貴方をお呼びしたのはお礼を申し上げる為です」
「それはまた、予想外というか、本物の女神様にお礼を言われるとは、人間、なにがあるのか分からないものですな」
今現在も随分と奇妙奇天烈な時間を過ごしている自覚のある大我だが、ソルグランドに礼を言われるとなると、さてなんじゃろうかと首をひねる。夜羽音に言われた通りに戦っていることへの礼だろうか?
「本来、葦原の中つ国、高天原、あるいは八百万の神々の分霊の集合体であるこの私が果たすべき役目を、大我さんに押し付けてしまっています」
「だが、そいつは……」
ソルグランドは大我の言葉を遮り、そして大我の言おうとしたことも否定する。
「自分の望みでもあると大我さんが日ごろから考えておられるのは、夜羽音様との会話や普段の言動から私も理解していますが、それでも女神として生み出されたものとして、かくあれかしと望まれた役目を果たせずにいるのは紛れもない事実。
ですからせめてお詫びを。本来、私が守るべき貴方を戦わせてしまっている事。この日ノ本の民草を守るべく生み出され私の至らなさを、貴方に補っていただいているこの状況に、心からお詫び申し上げます。
そして神々の後押しがあるとはいえ、今日に至るまで勇敢に戦い続けている貴方の勇気と優しさに、心から感謝と賞賛を」
女神であるというのに人間に過ぎない大我を相手に頭を下げるのは、生み出されて間もなく上位存在である神としての振る舞いを知らないからか、それとも苦難を押し付けてしまっている負い目からか。
どちらにせよ、大我にとってはキマズイことこの上ない状況だが、ここでソルグランドの謝罪を受け入れない方が彼女にとっては辛いだろう。
「分かった。君からの謝罪を受け取ろう。賞賛もね。ところで君はそろそろ目覚めそうなのか? 俺はそろそろお払い箱かい?」
肉体の本来の持ち主が目覚めたのなら、仮の主、あるいは操縦者である大我は当然、お役御免となるのが自然だろう。
少なくとも大我にとってはそうだ。再び黄泉路を下るのに否やはないが、出来れば燦が戦いを生き残る姿を見て、安心してから死にたかった。それくらいの未練が、大我の中にはあった。
「はい、いいえ。私の恥をさらすばかりで消えてしまいたいくらいですが、私が目を覚ましていられるのは、限られた短い時間だけ。これまでも今も大我さんの活躍を、夢を見るように朧気に見ているだけでした。
それは今も変わりありません。ここを離れれば、私は再び眠りに落ちて、完成する日まで貴方に戦いを委ねることとなります」
「そうか。こう言っちゃなんだが、それは良かった。まだソルグランドとしてやり残したことがあるんだ。魔物少女は俺を付け狙うだろうし、他の魔法少女達も心配ったらありゃしないからな。
君には悪いが、もうしばらくじいさんに力を貸して欲しい。君に恥じないように全力を尽くすと約束する」
「ふふ、悪いなどと。それと神を相手に気軽に“約束”を口にしてはいけませんよ? 私に負い目を感じられる必要はありません。私達の方こそ貴方を利用しているようなもの。
……ああ、そろそろお別れのようです。もっと色々とお話、したかったのですが……。また私は眠りに落ちて、貴方から戦い方と、人間を、世界を学ぶ時間……です」
うとうとと瞼をゆっくり下ろし始めるソルグランドに、たぶん、これが最後の質問になると直感して、大我は一つだけ尋ねた。
「眠たいところにごめんよ。俺は勝手にソルグランドを名乗ったが、君の本当の名前は?」
後になって神の名前を尋ねるのは、結構不味い質問だったのでは? と大我は思い返すのだが、この時はこれっぽっちもそういう危惧はなかった。身体ばかりか名前まで勝手に使ってしまったようなものだ。むしろ罪悪感の方が強かった。
「ふふ、それは……まだありません。ああ、でも……他の神から伝え聞きました。んん、むにゃ。人の子らが、私、いえ、大我さんを……むにゅ、ヒノカミヒメと呼んで、いたと」
「そうか。それなら俺が居なくなってソルグランドが居なくなったら、魔法女神ヒノカミヒメの誕生だな」
きっとソルグランドよりもよっぽど頼りになる魔法少女になる、と大我は目の前の女神の心を知らずに本気でそう思っていた。自分が思った以上に入れ込まれていると、大我に知る術はなかったから。
肉体の主たる女神が完全に瞼を下ろすのと同時に、大我の意識は切り替わった。水の中から浮上する感覚を少しの間だけ味わい、目を開ければ境内に設置したチェアの上で寝そべっていた。
右手を目の前に持ってきて、本来のそれとは比べ物にならないほど美しく、繊細な腕に苦笑が零れる。また女神の肉体の主導権を握ったのだ。あの七十間近の慣れ親しんだ肉体とは、しばらくの間、おさらばだ。
ゆっくりと体を動かし、なんとなく両手を上に向けて伸びをする。さらさらと肩や背中を髪が流れて行く感触がする。
目を覚ました自分を夜羽音が見ているのに気付き、大我は視線を向けた。夜羽音には自分が誰と会話していたか、把握しているに違いないという確信があった。
「彼女との話し合いはいかがでしたか」
ほら、やっぱり把握していた。
大我は腕組みをして、感じたことを素直に答える。
夜羽音からしても、自分達が総力を結集して生み出した最新の女神が、人の子にどう見られているのかは興味深いどころではなかった。
「謝罪とお礼の言葉を貰いました。真面目、いや真面目過ぎるのと責任感が強いと思います。あれだと余計な気苦労を背負いこんじまいそうです。
俺を見て、外の世界と人間を勉強するみたいなことを言っていましたが、はは、お手本役として気を張らんとですね」
「背筋を正していただけるのは幸いですが、貴方もこれ以上、大きな荷物を背負う必要はございません。ただでさえ大任を担っていただいているのです。大我さんは大我さんの思う通りに行動してください。それこそあの子にとって、最良の学びとなりましょう」
「う~ん、なんとも過大評価をいただいているようで、面映ゆいばかりです。でもそこまで評価していただけるのなら、その言葉を信じて普段通りにやってみますよ」
よもや神様から期待を掛けられるとは……いや、結構前からだな、と心の中で思うくらいに大我には余裕があった。生来の気質とこれまでの経験が噛み合った結果、すっかり図太くなったらしい。
「そうそう、この身体の本来の主であるあの子ですが、ヒノカミヒメという名前を気に入ったそうです。俺は聞き覚えがないのですが、夜羽音さんはご存じでいらっしゃる?」
「ヒノカミヒメ、ええ、ソルグランドの名前を伝えるまでの間、特災省の方で仮初に付けていた貴方の名前です。そうですか、あの子が気に入ったと。そこまで育っていたのですね」
「ヒノカミヒメか。ヒノカミヒメの『ヒ』は漢字にするなら太陽の陽か、日本や日輪の日、燃える火あたりですかね。それとも太陽をモチーフにするのは、不遜が過ぎますでしょうか?」
日本神話に名高き太陽の象徴たる女神を思い、大我は率直に夜羽音に尋ねる。
「いえいえ。大我さんが思い浮かべた御方も、分霊ではありますがヒノカミヒメに含まれています。ヒノカミヒメは多少の語弊はあるかもしれませんが、万能でありますよ。この国の神が出来うることは概ね出来ます。習熟度による差異はもちろんあります」
「なんでもかんでも、大本になられた方々と肩を並べるか、それ以上となっちゃ洒落になりませんわな」
「とはいえ最初に欲張りすぎた感は否めません。あまりに多くの権能と霊力を与えたが為に、十全にそれを使いこなせる魂を用意することが叶いませんでした。ヒノカミヒメが今もほとんど眠って過ごしているのも、彼女自身の最適化がまだ終わっていないからです」
「そこを補うのが俺ってわけですか。シロの推薦もあって、命を長らえたんです。構いやしませんよ。俺の行いが家族や友人、それに顔も名前も知らない人の為にもなるってんなら、こりゃ徳の山積みですわな。誰かの役に立つってのは、嬉しいもんです」
「……つくづく貴方には頭が上がりません。私も少しは役に立つところを見せられるよう、心がけなければなりませんね」
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