第44話 折れた心

 なんだ、コイツ。


 ディザスターが最短の軌道で、最小の動きで放った最大威力の左拳をするりと避けるソルグランドの長い髪を、拳を開いた左手でつかみ取る。

 がくん、とソルグランドの首が仰け反り、露になった白い喉へ引き付けられるように、右の指先を突きこむ。どんな金属でも貫く指は、しかし、ソルグランドの跳ね上げた右足に、ディザスターの顎先を蹴り上げられたことで狙いを見失う。


 なんだ、コイツ!


 天を仰ぎ見るディザスターの身体がグン、と引っ張られた。ソルグランドが優雅に旋回して、掴まれた髪ごとまとめてディザスターを振り回し、構えを取れずにいたディザスターの腹部に左肘が突き刺さる。

 固めたディザスターの腹筋をもってしても衝撃を殺しきれず、体内に新たな痛みが蓄積する。少しずつ、再生の追いつかないダメージが増えてきているのを、ディザスターは認めざるを得なかった。


 なんだ、コイツは!?


 思わずソルグランドの髪を放したディザスターの喉に、神の投じた必中の槍のようにソルグランドの左足刀が突き刺さる。山一つ簡単に貫く威力の蹴りにも、明確なダメージが見られないのは呆れた頑丈さだが、ディザスターの表情から余裕は消え去っている。

 まだ立ち向かう闘志を残してはいるが、少しずつ瞳に怯えの色が広がり始めていて、いよいよ勝てない、負けるかもしれないという恐怖を抑えきれなくなっているのが、見て取れる。


 なんなんだ、コイツはぁ!!!


 ディザスターの背を押したのは、きっと闘志ではなく恐怖だった。歪む顔に冷や汗を浮かべながら、稲光よりも速く大地を蹴る。巨大なクレーターを生み出す威力の拳と足が、嵐の如き連撃でソルグランドに襲い掛かる。

 ディザスターの猛攻は、彼女が思うほどソルグランドに効果を及ぼしていないわけではない。掠めるだけでもソルグランドの強靭な肉体とプラーナの守りを貫通し、小さくないダメージを刻んでいる。

 ただ、それを悟らせない余裕を持ち続けていることと、どんな痛みを受けても平然と笑うその姿が、ディザスターの精神をじわじわと追い込んでいる。


 雑に放った左手の爪による斬り裂きを、ひどく柔らかく受け止められる。気づけば指と指とが絡み合い、がっしりと握り止められていた。こちらの渾身の力を込めたのに、あっさりと受け流され、しまいには優しく握り止められたのだ。

 ディザスターの背筋にぞっと悪寒が走る。ソルグランドに自分の戦闘能力を把握され、徐々に制圧されつつあるのを、理解したから。思わず左手を振りほどこうとして、言葉にならない痺れが走り、意識に反して全身の動きが止まる。

 ソルグランドの右の親指が、優しく捕まえたディザスターの左親指の付け根を抑えていた。


「これだけ肉体言語を交わしたんだ。お嬢ちゃんの体の中がどうなっているのか、おおよそ把握できたよ。ここを抑えられると全身に痛みが走って、一瞬だが動きが止まるだろう?」


 得意げに笑うソルグランドの笑顔を目の前にして、ディザスターの心に大きな罅が入った。そして容赦のない拳が、魔物少女の肉体に深々と突き刺さるのだった。



 ソルグランドとディザスターの戦いの天秤がついに傾き始めたころ、フォビドゥンとスタープレイヤーの戦いは、フォビドゥン優勢のまま進んでいた。

 アメリカ式次世代魔法少女ネクストとなったスタープレイヤーは、確かにワールドランカークラスの実力を得たが、魔物少女達は既存の魔法少女を凌駕し、ソルグランドという未知の戦力の打倒を目指したモデルだ。

 ソルグランドに対しては、想定を上回る戦闘能力を前に黒星を刻まれたが、魔法少女が相手ならば滅多に負けることはない。


「あたしが押し負ける!? やってくれんじゃない!」


 スタープレイヤーは持ち前の負けん気の強さを発し、手に持った松明を激しく燃焼させて、巨大な火柱を作り上げる。炎の部分にのみ周辺を焦土に変える熱量を封じ込めた火柱を、三十メートルほど離れたフォビドゥンへと正面から一気に振り下ろす。

 フォビドゥンの吸収能力を想定し、火柱を物質化寸前にまでプラーナを圧縮させており、吸収不可能な一撃だ。対するフォビドゥンも迫りくる火柱の性質を一目で看破し、吸収の選択肢を放棄する。


「バーナーブレード!」


「ギャラッオ!」


 フォビドゥンが両手を伸ばし、掌に牙の生え揃った口が開く。吸収できないのならその逆、弾き返してやると、両手の口の奥から黒紫色のプラーナの奔流が放たれる。

 一級の魔法少女でも渾身のプラーナを振り絞るレベルの攻撃を、少し気合を入れるだけで連発できるスタープレイヤーは間違いなく最強格の魔法少女だが、相手はその魔法少女を凌駕するべく作られた魔物少女だった。


 バーナーブレードとプラーナの奔流が衝突し、大都市を跡形もなく消滅させるプラーナの余波に、スタープレイヤーとフォビドゥンの髪や衣装が激しくはためく中、フォビドゥンの足元の大地がはじけ飛んで、無数の鎖が襲い掛かった。

 スタープレイヤーの左足に嵌められた足枷から伸びた鎖だ。千切れた鎖はスタープレイヤーの意思に応じて延々と伸び、体の一部のように自在に動く。


「骨の一つ二つは貰う!」


 フォビドゥンの足元から絡みつき、胴体、腕、首へと巻き付こうとする鎖を、フォビドゥンの全身に開いた口が噛み止める。金属と金属が激しく擦れる耳障りな音を立てて、鎖はフォビドゥンの足元から太ももまでの拘束で阻止される。

 同時にバーナーブレードとプラーナの奔流が焼失し、スタープレイヤーは接近戦へ即座に意識を切り替える。が、それよりもフォビドゥンの方が一手速かった。ふくらはぎや太腿で噛み止めた鎖を通じて、体内で作り出した高圧電流を流し込んだのだ。


 スタープレイヤーがそれに気づき、鎖を消し去るよりも電流が伝わる方が早いが、それよりも更に破殺禍仁勾玉が鎖を破壊し、破断の鏡の放った光線がフォビドゥンの上半身を焼く方がなお早かった。

 ソルグランドが個別に魔物少女と戦うにあたって、スタープレイヤーのフォローの為に打った手だった。ディザスターを相手に格闘戦を挑むことを決め、その間、使わない破殺禍仁勾玉と破断の鏡をスタープレイヤーの援護に回していたのである。

 幸いスタープレイヤーの鎖はプラーナを注げば、いくらでも再生できる代物だ。スタープレイヤーは大急ぎで鎖を引き戻し、破断の鏡に焼かれたフォビドゥンへと向き直る。追撃を加える好機か、と考えたが……


「ソルグランドの光に焼かれても、少し焦げたくらいか。遠隔操作なのも理由なのだろうけれど、こっちも大した頑丈さだわ。基本スペックからして、あたし達と違うか。強化フォームが出来たからって、調子には乗れないな」


 スタープレイヤーの周囲に破断の鏡と破殺禍仁勾玉が集まり、守るようにふわふわと浮かびあがり、少しだけ髪や服が焦げた様子のフォビドゥンと向かい合う。

 魔物少女の実物と戦い、その強大な戦闘能力に焦るスタープレイヤーだが、フォビドゥンもまたソルグランドでもない魔法少女を相手に、ここまで時間が掛かっている事に焦っていた。

 遭遇する予定の無かったソルグランドを相手に、事前の準備無しに戦いを挑んで必勝を期するなら、自分とアレが同時に挑むしかないのに、こんなにも手こずっている、と。


「アィイ……」


 どうする? このままアイツを回収して一旦退くか……フォビドゥンの脳裏に撤退の二文字が大きく浮かび上がる中、彼女とスタープレイヤーの中間地点に、流星の勢いで吹き飛んできたディザスターが激突して、なんどもバウンドしながら足元まで転がってきた。


「アギュイィイ、アイイイ、ウウ」


 ディザスターは地面に突っ伏した姿勢のまま、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡らし、その上から鼻血と土の化粧をしていた。

 大きなダメージは無いように見えるが、しきりにお尻をさすっており、どうやらそこに攻撃を集中されたらしい。


 妹分の無残で情けない姿を見て、フォビドゥンはまたしてもソルグランドにやられた事を悟り、錆び付いたブリキ人形のような動きで、ゆうゆうとスタープレイヤーの傍らに降り立つソルグランドを見る。

 フォビドゥンから化け物を見る目で見つめられながら、ソルグランドは両手をプラプラと動かしていた。さんざん動かして疲れた、というジェスチャーだろう。


「叩き甲斐のある尻だったぜ。躾のなっていない子供を戦場に出すもんじゃないな。次はお前さんの尻でも叩くか。どうだい、フォビドゥンちゃん?」


 ソルグランドが手の動きを止めてニッと笑いかけると、フォビドゥンはディザスターと同じようにお尻の腫れあがった自分を想像し、声にならない悲鳴を上げながら、ディザスターを抱き抱えると、背後の空間に亀裂を刻む。

 空間を移動する為の通路を開いたのだ。いつでも逃げられるように力を蓄え、いつでも脱出路と繋げられるようにしておいた甲斐があったというもの。


逃げるぞニィラア!」


もう帰るのかニイィグル? まだ歓迎し足りないんだがギッギリルウム?」


 亀裂に半ばまで体を入れていたフォビドゥンは、ソルグランドが自分達の言葉を話したことに驚愕し、目を見張って見つめていた。


私達の言葉をゼッヒズギィ……」


妹ちゃんがお喋りだったんでなニィギリリッタラァ


「……次ハ、私達ガ、勝ツ。ソルグランド、オマエヲカナラズタオス」


「いいね。それくらいの気概がなくっちゃな。地球とフェアリヘイムを好き勝手したいんなら、まずは俺を倒すところから始めな」


 挑発的な表情で告げるソルグランドを、フォビドゥンは忌々しいものを見る目で怨敵を睨むも、体が小さく振るえるのを抑えきれない。

 なによりも心の中でソルグランドと戦わずに済み、無事に逃げられることへの安堵が大きいのを、自覚してしまっていたから。彼女は戦う前からソルグランドに負けていたのだ。

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