第42話 泣かしてやる

潰してやるギギッカ!!」


 ディザスターは自分の反吐で濡れる唇から怒声を発し、左腕を振り上げる。拳を握らず、伸ばした指は、当たればソルグランドの腹部から喉までを斬り裂くだろう。

 その左の手のひらをソルグランドの右足が容赦なく踏みつけ、返ってきた手応えにソルグランドがわずかに目を細める。彼女の右足をディザスターがしっかりと握り締めていたのだ。


「キャオオ!!」


 ディザスターの叫びと共にソルグランドの身体が振り回されて、彼女の視界が目まぐるしく変化する。タオルでも振り回すみたいに軽々とソルグランドを振り回したディザスターは、容赦なく眼下の地面へと向けて全力で投げつける。

 大陸間弾道ミサイルか、はたまた宇宙の彼方から降り注ぐ隕石か。それを思わせる速度と勢いで投げ飛ばされたソルグランドだが、周囲に満ちるプラーナを一息に吸って体内で増幅させると、進行方向に向けて伸ばした手から放射して速度を減衰させた。


 長い髪の毛や尻尾をはためかせながら、ソルグランドはゆっくりと落下して着地する。

 ディザスターに撃破されたキグルミに乗り込んでいた妖精達が、転移魔法で脱出に成功しているのを確認し、キグルミの残骸に関しては巻き込んで破壊してしまっても、問題がないのを確かめる。

 ディザスターに掴まれた右の踵で軽く地面を叩き、負傷の具合を確かめてみれば多少の鈍痛が走った。


「掴まれただけでこれか……。一撃をもらったらまずいタイプね。分かりやすいや」


 少しばかり緊張感を高めるソルグランドが視線を向ければ、追撃に打って出たディザスターが至近に迫っており、こちらに向けて巨大な右腕を振りかぶっていた。


「ラァ!」


 全力で振り下ろされるディザスターの右腕を、するりと柳のようにしなやかに彼女の右側に流れて避ける。

 無防備な魔物少女の腹に腰のひねりを利かせた右拳を叩き込み、返ってきた鉄壁の手応えにソルグランドの瞳が険しくなる。


へなちょこパンチギュイギュイラッラ


 どうやらディザスターはカウンターを想定して、咄嗟に腹筋を固めたらしい。先ほどは反吐をまき散らせた一撃が、今度は通じていない事実にソルグランドは大して落胆もない。

 魔物少女は魔物側のソルグランドに相当する切り札だろう。だったらこれぐらいの芸当はやるさ、と淡々と納得している。


「パンチ一つ防いでドヤ顔で笑うとか、アホか」


 そのディザスターの小さなお尻に向けて、ソルグランドの渾身のビンタが炸裂する!

 特大サイズの風船が割れたような音がディザスターのお尻で発生して、冗談のようにその体が吹っ飛んで行く。

 ディザスターの身体が止まったのは、何度も地面の上でバウンドした後、山積みになったキグルミの柔らかな毛皮に激突してからだ。

 それでも痛みはまだ残っていて、地面に突っ伏したまま、引っ叩かれたお尻に巨大な両手を当てて身もだえし始める。


「~~~~!?」


 どうやら初めて経験する激痛に耐えきれず、ディザスターは迎撃も反撃も警戒さえも忘れて、必死にお尻から伝わる痛みと衝撃に耐えているらしい。涙ぐましい努力と言っておこう。


「隙だらけじゃねえか。痛みに対する耐性もなさすぎだろう。お前さん、本当にあの姉ちゃんの妹かよ?」


 あっちは攻撃を重ねても必死に食らいついてきたがなあ、と呆れを隠さないソルグランドに対し、ディザスターは馬鹿にされたと恥辱に燃えてプルプルと足を震わせながら立ち上がる。

 目の端には透明な涙の粒が溜まり、鼻水が少しだけ垂れていた。生まれたての小鹿を思わせる弱弱しい姿に、ソルグランドはどうにも戦意を維持するのが難しくて、そっちの方が強敵のような気がしてきた。

 妖精軍を相手に傍若無人に暴れた姿を見たので容赦なくぶん殴ったが、幸い死者は出ていないし、こんな有様なのでどうも少女の姿をした相手を殴るのが気まずくなってきた。


「……尻叩きメインで戦うか?」


 顎をさすりながら、ふと口を突いて出たソルグランドの思い付きが耳に届いたディザスターは、尻を抑えたままジリジリと後ずさりをし始める。その姿を見て、ソルグランドは、なんだかなぁと更に戦意が萎んでゆくのを感じた。


「ギャオッギャ!!」


 ディザスターはようやくお尻から手を放し、地面を爆発させる踏み込みでソルグランドに突進する。

 死にかけの星とはいえ、惑星一つ分のプラーナを材料にした魔物少女なのだ。このまま簡単に倒せるわけはない筈だ……たぶん。

 ディザスターの両腕が、一撃、たった一撃を当てれば勝てると目まぐるしく振るわれてソルグランドに絶え間なく襲い掛かる。スタミナ切れや呼吸の為の隙を晒すことはないだろう。

 紙一重で避け続けるソルグランドは、人体にあるツボや神経を狙って、ディザスターの両腕に次々と指を突き立てるが、これといった反応はない。


(流石に構造は違うか。加えて単純に硬い。意識の外から攻撃するか、固めた防御の上からぶち抜く一撃を叩き込まないとダメージにならん。関節技を腕力で無効化するパワー馬鹿だし──)


「──な!」


 短く息を吐き、垂直に突き上げた右のショートアッパーでディザスターの顎を打ち、至近距離からの肝臓打ち、更に打ち下ろし気味の右ストレートというトリプルコンビネーションを刹那の間に叩き込む。


「ライァ!」


 即座にディザスターの両腕が反撃として振るわれた。首を傾け、上半身を逸らして全て避けるが、防御態勢を取ったソルグランドを数百メートルも吹き飛ばせる一撃は、避けてもなおソルグランドにプレッシャーをかける。


(痛い目を見て油断が無くなった分、全身に力を入れて固めてやがんな。チクチク叩いても、ダメージにはならん。指を取っても折れんだろうし、目玉、鼓膜、口、鼻孔が狙いどこか?)


 でもなあ、それをしたら絵面が残虐だよね、とソルグランドというよりは大我の倫理観が待ったをかけている。

 幸い、ディザスターをすぐさま抹殺しないと、フェアリヘイムが滅ぶというような状況ではない。手段を選ぶだけの余裕が、ソルグランドにはあった。

 ディザスターがこちらの頭蓋を叩き潰そうと繰り出した右ストレートを、腕が伸び切ったところを見切って掴み、相手の足を払いのけて変形気味の一本背負いを仕掛ける。


 そのまま地面に叩きつけてクレーターを作る勢いで投げるはずが、あろうことか力ずくで止められた。

 ディザスターの右腕を両腕で担ぎ、双方の腰を当てた姿勢でソルグランドの口から、再び単なる筋力で投げ技を無効化された事実に舌打ちが零れる。

 ディザスターの右腕の筋力の凄まじさと足払いにも動じない脚部の筋力は、ソルグランドの想定を上回っていた。にいっと笑みを浮かべるディザスターは、フリーになっている左腕をソルグランドの頭部へ!


「投げ技も駄目かい!」


 ソルグランドが素早くディザスターの右腕を開放し、その下を転がって避けた直後に、ディザスターの左腕が空を切る。

 何度も簡単に懐に入られては逃がすのを繰り返し、いらだちを見せるディザスターの顔面に、地面を両手で勢い良く突いたソルグランドのドロップキックがぶち込まれた。

 草履の感触と味をたっぷり味わったディザスターは、体勢が悪かったこともあり、踏ん張りが効かず、首を大きく仰け反らせて再びキグルミの山へと吹き飛んで行く。


「ギ、殺じでやるギュウイィッギ!」


 今度は怒りの涙を浮かべ、鼻血を垂らしながら体を起こすディザスターの視界に、全力で拳を振りかぶるソルグランドの姿が映る。


「ひゅ、待ってイアッラ!!」


 当然、待つわけもなくディザスターの顔面にソルグランドの拳が深々と突き刺さり、背後のキグルミの山ごとまとめて吹き飛ばされる。

 一発では終わらせず、宙を舞うキグルミの中に紛れて吹っ飛ぶディザスターにハンマーパンチの振り下ろしからの渾身の蹴り上げが背中を蹴り上げ、状況に対応しきれないディザスターの左肘を掴んで捕まえたところで、人間なら心臓のある部位を狙って右の掌底!


「ギュゲッ!?」


 ディザスターに心臓があるかは分からないが、立て続けの威力だけを重視した連続攻撃は堪えた様子で、地面に叩きつけられてできたクレーターの中心部で、うずくまった姿勢のまま喘ぐように呼吸を整えだす。


(このまま畳みかける!)


 少しだけ胸の痛む思いがしたが、特級魔物相当の脅威を放置できるわけもない。フォビドゥンとスタープレイヤーの戦いは、派手な爆発音や衝撃波で継続中だと把握しているが、可能な限り早く加勢に行きたいという思いもあった。

 あれだけ攻撃を叩き込んでも与えられたダメージは少ないが、このまま続けていけば心を折れる、とソルグランドは淡々と判断している。希望的観測を含まない分析の上だったが、唯一の懸念があるとすれば……


「ギャッハ!!」


 不意にディザスターの喘ぐ声が止まり、代わりに勢いよく立ち上がるや、ギラギラと輝きを増した瞳でソルグランドを睨みつける。血に飢えた獣、ああ、まさにソルグランドを破壊することだけを考え、それに堪らない愉悦を覚えている顔だった。

 ディザスターは先ほどまでのなにもかもが隙だらけだった動きとは異なり、予備動作のまったく見つからない、先読みの出来ないソルグランドとの距離を詰めていた。


「ちぃっ」


 そうして繰り出された無駄の欠片もない左の直突が、上下に並べて盾代わりにしたソルグランドの両腕をこじ開けて、これまでのお返しとばかりに顔面に突き刺さる。

 大きく背中を仰け反り、投げ捨てられた玩具の人形のように吹き飛ぶソルグランドは、しかし、そのまま地面に手をついて急制動を掛けると、何度もバク転を重ねて足から音もなく地面に降り立つ。

 コーヒーゼリーを思わせる大地の上に、一つ、二つと赤い雫が落ちて潰れた。潰れて広がる赤は、ひどく不吉な花のよう。


「い~いパンチだ。この身体んなってから、初めての痛みだぜ」


 ソルグランドは流れ出る鼻血を左の親指でぬぐい取り、口の中を確かめる。

 歯は折れていない。顎、首、頭部に骨折、罅はなし。舌や口内も切れた様子はなし。結果として、ダメージは軽微。

 ディザスターの頑丈さもたいがいだが、ソルグランド自身も大我が思うよりはるかに頑丈だ。


 ソルグランドが大したダメージもなく立ち上がるのを、ディザスターはギヒギヒと耳障りな笑い声を上げながら待っている。

 先ほどまでの怯みや焦りは嘘ではなかったが、それ以上に一撃を叩き込めたのが嬉しくて堪らない様子だ。一発をもらったソルグランドだが、不安や焦りはない。ディザスターの急な動きの変化について、冷静に分析を始めている。


(達人の動きだが、なぜ最初からそうしなかった? 戦闘中に情報を与えられた? あるいは不意打ちの為に封印していた? 舐めるのを止めて本気で戦うつもりになったのか、それとも『俺』を真似たのかもな)


 もし自分の動きを学習されたのならば、これは余計な考えや欲は捨てて、この場で討伐するのを最優先して、神器の使用に踏み切るべきか。


「だが、まずは、あのニヤケ面を泣き顔に変えてからだな」


 そう口にした時、ソルグランドは自分がどんな表情を浮かべていたか分からなかったが、正面に立つディザスターのニヤケ面が凍り付くものだったのは確かだ。

 ディザスターはたった一撃入れたことに喜ぶよりも、さっさとソルグランドに追撃を加えるべきだったのだ。中途半端に手札を晒した所為で、スイッチの切り替わったソルグランドを相手に戦う羽目になったのだから。

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