第39話 ザコとバカ
先に述べられた通り、フェアリヘイムに魔物が出現する際、空間に満ちるプラーナの反発力を高める魔法が、フェアリヘイムの天地全てに施されていることによって、魔物の出現場所を固定できている。
あらかじめ戦場として指定された区画は、フェアリヘイムの中にいくつもあり、常に妖精の軍隊が戦場を包囲して、強制転移させられた魔物を駆逐できる体制が整えられている。
それでも大気にまで芳醇なプラーナの満ちているフェアリヘイムでは、出現する魔物が数等級、地球より強力なのが当たり前で、出現直後に即座に戦闘態勢を整えて、妖精軍の包囲網を突破しようと試みる者、妖精軍を返り討ちにしようと猛る者ばかり。
大我と夜羽音が説明を受けていた際に、出現した魔物達は二級が三千十四体、一級が百二十二体と、地球人類ならば国家の消滅を覚悟しなければならない質と量を兼ね備えた戦力だ。
戦場となったのは緑色のパウダーを散らしたコーヒーゼリーのような大地が広がる、広大な平原だ。
かなたには綿菓子のような山脈や甘い匂いのする炭酸飲料の大瀑布、地上から空に向けて伸びる螺旋階段状のミルキーウェイなど、地球の常識からかけ離れた光景が広がっている。
そんな中に佇む、悪意をもって生み出されたとしか思えない不気味な姿の魔物達は、いっそう悍ましさを際立たせている。
翼長七十メートルにもなる犬の双頭を持った大鷲、全長百メートル越えの体中に口を生やした紫色のミミズ、三つの口を縦に並べて生やした大鰐や十本の烏賊脚と虎の上半身に蝙蝠の翼を生やした混合型……
吐き気を催すような魔物の大軍勢達は示し合わせたように、まず制空権を確保しようと飛行型の魔物達が周囲に飛び立とうとした時には、既に妖精軍の攻撃は始まっていた。
魔物達の立つコーヒーゼリーのような大地が三キロメートル先から、べろりと柑橘類の皮でも剥くように深さ何百メートル分も捲れ、すでに飛び立っていた魔物も含めて押し潰しにかかる。
こちらを圧し潰そうとする大質量に対し、魔物達からは種々様々な方法による反撃が試みられた。体内で生成したプラズマや超高温の火炎弾の連射、体内器官で増幅された超音波、体内電流の放出……
バリエーション豊かな攻撃の数々は、大地の津波も打ち砕けるかと思われたが、降り注ぐ大地が瞬時に高熱を帯び、マグマと化したことで事態はまた変化した。
通常、噴火した際のマグマは九百~千二百度、しかし、妖精達の魔法によって大地の津波を変化させたマグマは、摂氏十万度超の超高温とプラーナそのものを焼く性質を備えた対魔物用マグマに変質していた。
降り注ぐマグマを浴びて、高熱に対する耐性の低かった魔物達が次々と焼け死ぬ中、それでも重傷や軽傷、あるいは無傷で済んだ魔物達が、彼方でプラーナを振り絞る妖精の群れを探知する。
妖精達は東西南北、それぞれ魔物達から七キロメートル以上離れた地点に布陣していた。マスコットキャラクターを思わせる小柄な妖精から人間によく似た者、ゾッファのように他の生き物の特徴を持った者まで様々だが、受ける印象は魔物の群れとは正反対だ。
「次、第三波! 準備はオッケーイ?」
北に布陣している妖精五百名余りを指揮するシルバーバックのゴリラを思わせる妖精の、ノリのよい声に他の妖精達も同じようにノリのいい声で答える。
東西南北四地点の妖精達の周囲には、大きな金属製の筒がいくつも置かれている。直径三メートル、高さ八メートルほどの筒は魔法使用時のプラーナ消費を抑え、魔法の威力を底上げする増幅器だ。
「オッケイ! そいじゃあ、魔物ちゃん達に冷凍体験をプレゼントだゼ!」
超高温のマグマの海と化した平原で足止めを食わされている魔物達に、容赦なく戦争の為の妖精魔法が襲い掛かる。一秒と掛からずして魔物達の周囲の気温は絶対零度に近くなり、全ての個体が氷結して体の動きだけでなくプラーナの動きまでも凍らされて行く。
中には低温、あるいは凍結という概念に耐性のある個体も混じっており、見る間にそいつらの体から氷が剥がれ落ちて、自由を取り戻しつつあった。
当然、妖精軍からの追撃はこれで終わらない。最初の大地の津波は西の部隊が、大地のマグマへの変化は南の部隊が、冷凍化は北の部隊が、そして残る東の部隊による攻撃が魔物に襲い掛かる。
最初に凍結から復活した首長竜に似た個体が、まずは北の妖精軍へと向けて反撃を加えようと体内に膨大なエネルギーを込めたプラーナの砲弾を複数生成する。
血の塊のような赤い魔物の瞳が、はるか遠方に居る妖精達のプラーナを感じ取り、百発百中の精度で砲撃を食らわせる用意を終える。
遠隔地から遠く離れたプラーナを操作する超高等技術に加えて、増幅器や疑似プラーナ発生器などの機器の補助、フェアリヘイムという環境も相まって、妖精達の行使する妖精魔法は地球ではおいそれと使用できない超級の代物ばかり。
白い世界に包まれたままの魔物達の周囲に、妖精魔法によって直径五メートルほどの金属製の球体が五十個ほど送り込まれる。内部には空間に作用する妖精魔法と触媒となるプラーナが詰め込まれていた。
起動すれば半径一キロメートル以内の空間をマイクロレベルで粉砕し、
今回出現した魔物達全てを効果範囲内に収めるように、位置を調整して発射されたDMBは全ての魔物達の肉体を空間ごとまとめてマイクロレベルで解体し、然る後に撹拌して即座に絶命させてゆく。
起動からきっかり五分間が経過した後、元通りに修復された空間とは異なり、巻き込まれた魔物達は分解されたままの原型を留めない破片となって山を築き、すでに消滅を始めている。
妖精達にとって長期戦は望むところではない。こうして魔物の出現位置を調整できるようになってからは、戦略級魔法とプラーナ兵器の大量導入により、戦闘すら発生させずに倒すのが常道だ。
四部隊がそれぞれ用意した必殺の魔法使用により、消耗したプラーナの回復に努める一方で、魔物達を倒しきれたことに安堵したその心中を読んだかのように、魔物の第二波が出現した。
全高百メートルを超える枯れ木のように細い珊瑚の手足、不規則に並ぶ五つの紅玉の瞳、背中から伸びる六本の腕の先は黄金の刃を備えている。
魔法少女がまだ普及していなかった時代、太平洋に出現した際、討伐に赴いた各国の連合艦隊を壊滅させて、シーレーンを断絶させた準特級の巨人型魔物アグリーコーラル。
紅玉の瞳から焦点温度一千万度超の熱線が南方の妖精軍へと向けて発射され、それを四方の妖精軍の更に外側から発射された青白いビームが迎え撃って相殺する。
二種のプラーナの激突で生じる衝撃波と乱れるプラーナだけで、周囲の大地が砕けて大気が焼ける中、四方の妖精軍は後退を初めて、代わりに第二陣がアグリーコーラルへと向けて前進を始める。
魔物の第二波を想定していなかった妖精軍ではない。出現したのが内包する超高エネルギーと巨体による格闘戦を主な攻撃手段とするアグリーコーラルだったこともあり、それを想定した妖精兵器が超音速で戦場に参入する。
アグリーコーラルは頭上から落下しながら接近してくる巨大物体に気付き、六本の腕に備わった黄金の刃を空中に向けて振るう。
刃の軌跡に沿って黄金の三日月が次々と発射され、光速で大気を駆け抜けた刃は接近中の妖精兵器に全てが命中した。
その結果、半ば撃墜される形で地面に落下したのは、全高八十メートルに達するだろう、三頭身ほどの怪獣をデフォルメしたぬいぐるみのような物体だった。
濃緑の短い毛皮に包まれた寸胴の身体、首はなくそのまま胴体の延長線上にある頭部は毛皮に包まれた恐竜のようなデザインだ。手足は悲しくなるほど短く、尻尾もバランスを取れそうにない短さ。
マスコットタイプの妖精達をそのまま巨大化させたようなぬいぐるみは、妖精達が大型魔物との格闘戦を想定し、地球人類の一部の文化に発想を得て作成した巨大機動兵器『キグルミ』である。
いてて、と言わんばかりに頭をさすり、キグルミが短い手足を駆使して立ち上がり、アグリーコーラルと向かい合う。
先ほど発射された熱線を相殺したビームを放ったのもこのキグルミであり、アグリーコーラルには油断するという機能も無い為、目の前の敵の珍妙な姿に惑わされず、排除に全力を尽くす。
むん、と鼻息を大きく吐き出したキグルミが重量感のある足音を立てながら駆け出せば、アグリーコーラルは見た目からは想像しがたい爆発的な加速力で跳躍し、キグルミの頭上をあっさりと取る。
すれ違いざまにアグリーコーラルの六本腕が閃いて、キグルミを頭上から斬りつける。万物を斬断するはずの黄金の刃は、しかし、キグルミの毛皮と弾力のある筋肉にブニっと音を立てて食い込んだだけで、すぐに弾き返される。
そしてキグルミはその見た目からは信じられないことに、その場で回転しながら跳躍し、短い脚を精一杯使って、右の回転蹴りをアグリーコーラルの右頬に叩き込んだ!
その勢いのまま地面にたたきつけられて、巨大なクレーターを作る珊瑚の巨人に向けて、キグルミの口が大きく開く。
内蔵されたプラーナリアクターが、増幅器によって生み出したプラーナをさらに増幅し、それを青白い光の奔流プラーナバスターへと変えて口から吐き出す。
幼児向けのショーに出てくるのが似合いのキグルミだが、その戦闘能力は本物だ。
プラーナバスターの直撃を受けたアグリーコーラルは、倒れた体を起こすことも許されず、そのまま胴体を吹き飛ばされて、コントロールを失ったプラーナが暴走して残る手足も連鎖爆発を起こす。
暴走したプラーナが赤い火柱となって天高く伸び、大気を焦がすのを背にしてキグルミは勝利の雄たけびを上げる。その姿を見れば、まあ……かろうじて……怪獣と見えなくもないだろう。
両手をグッと上げて胸を逸らし、フン、フン! と鼻息荒く勝利のポーズを浮かべるキグルミは、だからこそ目の前に百六十センチに満たない少女型の魔物が居たことに、気付くのが数テンポ遅れていた。
薄い水色の肌、ツインテールにした黄色い髪、黒く染まる眼球の中で禍々しく輝く赤い瞳、そして華奢な体躯に不釣り合いな肘から先が異様に肥大化したアンバランスな両腕。
まだ人類も妖精も知らなかった魔物少女第二号ディザスター。
「キキキギ……バァカ」
弾んだ声と飛び切りの笑顔で『バカ』と、油断したキグルミのパイロット妖精をあざ笑い、ディザスターはその左腕を振り上げてキグルミの顎を思い切りかちあげた。
五十分の一サイズの魔物少女がまさかキグルミを殴り飛ばすとは、パイロット妖精や状況の変化に思考が追いついていない軍人妖精達は信じられなかっただろう。
魔物少女は、大きな音と地震を伴って仰向けに倒れ込むキグルミのでっぷりとした腹を踏みつけて、そのままぐりぐりとニーハイブーツの踵を押し込む。
アグリーコーラルやキグルミを凌駕する圧倒的パワーは、キグルミの毛皮を千切り、その下にある表皮も抉り出していた。
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