第26話 もう離さない

 夜羽音の創り出した簡易神域により、無自覚の内に加護と祝福を受けているジェノルイン、ワンダーアイズ、ザンアキュートの回復は常よりも早く進んでいた。

 それでも完全回復には十分以上かかるだろう。その頃には日本から増援の魔法少女達もこの戦闘区域に向けて、出発している。


 もっとも、事前の想定とは違いすぎる魔物少女という存在を相手に、いくら日本トップランカー達といえども、どこまで戦えるかは判断の難しいところ。

 最善はこのままソルグランドが単独で勝ち切ることだが、魔物少女もまた未知の脅威。常に最悪の事態を想定しておくべきだ、と夜羽音は警戒を緩めずにいる。


(万が一、大我さんが敗れた場合には“彼女”の出番ですか。まだ実戦を経験させるには早すぎる段階……。大我さんに勝利の栄冠が輝かんことを願うばかりですが、打てる手は打っておきましょう)


 といっても夜羽音の打った手は、直接、ソルグランドの戦いの助けになるようなものではなかった。魔物少女のジャミングによって状況を把握できずにいる特災省へ、彼から日本本土の八百万の神々を経由して、現場の状況をモニタリングできるようにしたのである。

 近未来を描いた作品を思わせる様相の指令室で、旗門をはじめとした特災省のスタッフを中心にアムキュやモモットなどの妖精達も、日本各地で今も戦い続けている魔法少女達の苦境と、通信の途絶えたジェノルインらの様子に胃に穴が開くようなストレスを覚えていた。


「あ、これは、通信です。台風中心部の戦闘区域からの通信です!」


 実家が神社で自分も巫女を務めている若いオペレーターに、その出自の由縁により夜羽音の通信が繋がって、驚きの声をあげる彼女に指揮所の注目が集まる。

 驚きながらも自分の職務を忘れなかったオペレーターは、指揮所中央の空中立体映像に自身の担当するモニターを接続し、指揮所の誰もが望んでいる情報を表示した。一連の動作に淀みはない。若輩でも能力は職務に相応しいだけのものがある。


「ああ! ザンアキュート、ジェノルイン、ワンダーアイズもかなりのダメージを受けているっきゅ。どんな魔物と戦っていたっきゅか!?」


「ソルブレイズも……ダメージは少ないけど、こんなに消耗しているなんて。とっても強い魔物が居るに違いないモ!」


 通信の回復と同時にモニターには魔法少女達の状態も映し出され、アムキュが名前を挙げた三人が重傷相当のダメージを受けているのが分かる。三人の姿もそうだが、状態を表すシルエット型のゲージが損傷部位と受けたダメージに応じて赤く変色していた。

 戦場に投入した魔法少女の内、ソルブレイズだけはほとんどノーダメージだが、プラーナの消費量は多く、また精神状態も強く緊張しているのは明らかだった。

 通信の回復という朗報が齎した無慈悲な悲報に、指揮所に悲鳴じみた声が零れる中、指揮所全体を見下ろす高い位置に座す旗門と、その傍らに浮かぶアムキュ、モモットに聞きなれた素性不明のなんちゃって妖精の声が届く。


『皆さん、通信が繋がりましたね? コクウです。現在、私から現場の状況を皆さんにお知らせしています。九州支部の方から各支部と本部へ接続していただけますか?』


 指揮所のモニターにはコクウの主観映像が映し出されているが、更にコクウの差配によって四名の魔法少女達の姿が別の小さなモニターに表示される。ソルブレイズのパートナー妖精であるモモットは、彼女のモニターに視線を集中させた。

 アムキュは四名全員に視線をせわしなく動かして、実際にダメージを受けて肩で息をしている様子に、息を呑んでいる。

 そして旗門はかつてない出力を発揮しているソルグランドと互角に戦っている未知の魔物の姿を目にして、驚愕に襲われていた。旗門だけではなく、これまで魔法少女達の戦いを見守ってきたスタッフも、同じ映像を見て信じがたい思いに体を震わせる。


「馬鹿な……アレが、あんなものが魔物だというのですか? これまで人型に近い姿の魔物が出現した例がないわけではありません。ですが、アレは、アレではまるで魔法少女だ」


『ええ。信じがたい思いをしているかもしれません。見たものを拒絶したくて仕方がないかもしれませんね。しかし、残酷なことですが現実から目を逸らしてはなりません。なぜなら魔法少女達は自らの命を懸けて、アレと戦っているのです。

 彼女達を戦わせている事実に少しでも負い目を抱いているのならば、魔法少女達が直面する危機を認めずに目を背けるなど、あってはなりません。お分かりですね? いえ、私も偉そうなことは言えませんが……』


「いいえ、コクウさん。貴方が戦いの場で魔法少女達を助けてくださっています。おっしゃる通り残酷であれ、貴方にならそう言われる権利がおありだ。すみません、それで現状はソルグランドさんとあの魔法少女風の魔物との一騎討ちという認識で間違いありませんか?」


『目下、魔物はあの一体のみです。ジェノルインさん、ザンアキュートさん、ワンダーアイズさんについては、戦闘を継続するのは難しいですね。ソルブレイズさんは戦闘を再開するのなら、もう少し精神を落ち着かせてからの方がよいでしょう。

 あの魔物、そうですね、仮に魔物少女とでも呼びましょうか。どうやら対魔法少女を想定した存在のようで、ワンダーアイズさん達の魔法への対抗手段を備えていました。

 これはソルグランドさんを相手にしても同じ話です。私としてはむしろソルグランドさんを倒す為に生まれたように思えます』


 これは夜羽音の自惚れというわけではなかった。

 事実、魔物少女はソルグランドを最大の目標として設定されて誕生していたし、ソルグランドが日本の魔法少女達と比較しても頭一つ飛びぬけた戦闘力の持ち主であるのは、特災省の誰もが認めるところ。

 ソルブレイズ達は本命のソルグランドを引きずり出す為に、あるいは本番の戦闘で連携される前に無力化された、とも考えられる。


「いくら魔物に未知の要素が多いとはいえ、ここまで来ると、魔物の背後に明確な意図を持った存在が居るのを、疑わざるを得ませんね。

 魔物がなにがしかの文明の生体兵器か、あるいは既に滅んだ何者かの迷惑な遺産なのか、私などの想像の及ばぬ産物なのかは分かりかねますが」


『遠からず第二、第三の魔物少女が姿を現すでしょう。それらを打倒してゆけばいずれは黒幕を引きずり出すことも叶うかもしれませんが、いつまでも主導権を握られたままというのも、癪な話。

 こちらで攻め手を握りたいものですが、今はそこまで未来の話をする余裕はありませんね。ソルグランドさんを相手にあそこまで戦えるとは。いやはや、これは少々……』


 そうして夜羽音のつぶらな黒い瞳は、激化の一途を辿るソルグランドと魔物少女の戦いを映し出す。彼が簡易神域を構築していなかったら、ソルブレイズはともかく大きな傷を負っているジェノルイン達が巻き添えになっていたかもしれない激闘を。

 ソルグランドは左手に風土埜海食万、右手に天覇魔鬼力を持ち、手札を次々と晒しながら、熾烈な接近戦を演じていた。


「風土埜海食万よ、神威を示せ!」


 新造された霊剣にして神剣たる風土埜海食万がその名に持つ風の権能が発動し、魔物少女へと向けて四方八方から超音速のソニックウェーブが襲い掛かる。

 対抗手段がなければそのまま五体を超高速の風に乱雑にねじ切られ、無数の肉片と化す暴威に対し、魔物少女の全身あらゆるところ、なんとドレスの上からも牙の生えた口が無数に開かれる。


 紫色の舌と唾液をだらりと零した口はそのままあらんかぎりに大きく開かれると、襲い来る風を勢いよく吸い込み始める。口の奥が無限の奈落に通じているかのように、際限のない吸引は風土埜海食万が風を起こす速度よりも速かった。

 神威の風がすべて飲み込まれるのと同時に、魔物少女の首や胸、腕に脚、腰に背中に開かれた口は満腹といった様子で口を閉じて、クチャクチャと咀嚼するような動きを見せる。


「健啖家なこって。それならこれはどうだ? 大地よ、海よ!」


 更に風土埜海食万が二度振るわれるや、魔物少女の周囲の何もなかった空間に巨大な岩塊が無数に生み出され、更に足元の海が大蛇のように鎌首をもたげると、勢いよく魔物少女へと襲い掛かる。

 このまま成す術なく岩塊に押し潰され、海流に飲まれるか?

 答えは魔物少女の全身の口から発せられた。一度は閉じた無数の口が再び大きく開かれて、つい先ほど吸い込んだばかりの風をさらに勢いを増して吐き出したのだ!


 奇しくもソルグランドの放った攻撃を、同じくソルグランドの攻撃を利用して迎え撃つ構図である。

 魔物少女へと押し寄せる岩塊も海流も、それ以上の勢いで吹き付けてくる魔性に飲み込まれた風によって吹き飛ばされ、岩塊は砂粒へと砕け、海流は数えきれない水飛沫となって、無力化してしまう。


 両面両儀童子を大きく追い詰めた風土埜海食万の権能をもってしても、魔物少女に傷一つ付けられない光景に、指揮所やザンアキュート達が絶望に表情を染める中、ソルグランドは絶望の欠片もなく斬りかかっていた。

 右手の天覇魔鬼力を魔物少女の頭頂部へ容赦なく振り下ろし、雷光さえも断てるような斬撃が襲い掛かる。


 鼓膜を斬り裂くような音が響き渡り、純粋に斬撃に特化した天覇魔鬼力の刃を眼前で交差した魔物少女の指が受け止めていた。魔物少女の指先は牙の並ぶ口を閉じ、その代わりにより鋭く、長く、刃へと変形していた。

 指一本につき刃一枚。十枚の刃を重ねて天覇魔鬼力を受け止めたのだが、その刃はかろうじて六枚目で停まっていた。右手五枚分の刃は天覇魔鬼力によって斬り落とされ、パラパラと海面へと落下している。


「わざわざ刃で受け止めたってこたぁ、他の部分じゃ受け止められねえって白状しているようなもんだ。お前さん、天覇魔鬼力を防げるほど、全身を硬く作られてはいないんだろう? お前さんを生んだ連中は万能でも全能でもねえって証拠だ」


 出現してから初めて、魔物少女の表情に不愉快げな、あるいは不安を思わせる色が一瞬だけ浮かび上がり、すぐに消えた。感情の発露、あるいは発芽など魔物少女にとって不要であったろう。

 苛立ちを晴らす代わりというわけではないだろうが、ソルグランドの左頸部へと十文字に口を開いた尻尾が襲い掛かり、それを風土埜海食万の一閃があっさりと弾き返す。

 そのまま刃を返した風土埜海食万の切っ先が、容赦なく魔物少女の胸元を貫いた。


 だが、魔物少女が全身をプラーナ化させる方がわずかに早く、魔物少女はソルグランドの背後に回りながら実体化し、半ばで刃を断たれた指先をソルグランドの右側頭部へ放つ。そのまま頭蓋を貫き、脳をかき混ぜる一撃だ。

 あわやという瞬間、ぐりん、とソルグランドの首が素早く動き、固い音を立てて魔物少女の爪を噛み止めた。ソルグランドの山犬を想起させる犬歯が、魔物少女の指に突き刺さり、紫色の血が一筋流れ落ちる。


「捕まえた」


 にぃっと笑うソルグランドに、魔物少女は抑えきれぬ何かによって、目を大きく見開いたまま固まるほかなかった。それは、あるいは、恐怖と呼ばれる感情であったかもしれない。

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