第20話 嵐の前のなんとやら

 さて特災省の九州支部から大我と夜羽音が姿を消して、少しばかり騒ぎを起こした後の事である。支部内にあるカフェテラスで、大我達と別れた後のザンアキュートと燦が向き合っていた。

 向き合って座る二人のテーブルの上には、注文したアイスティーとアイスカフェオレのグラスが、カランと氷の音を奏でている。

 魔法少女姿を維持しているザンアキュートの姿に、新しく足を運んできた職員がぎょっとした顔になるが、二人の真剣な様子に割って入る真似をする者はいなかった。


「ソルブレイズさん……」


「ええと、はい。なんでしょうか?」


 燦はザンアキュートから刀を突き付けられているような威圧感を覚えながら、薄々、何を言われるか察して、半ば義務感に突き動かされて聞き返した。


「さきほどの、私の醜態は、忘れて、ください。忘れて」


「……なかなか忘れるのが難しい光景でしたけれど、一応、忘れる努力はしてみせます」


「忘れて、忘れろ」


 半ば脅迫めいた言葉遣いに変わっても、ザンアキュート自身が羞恥心で小動物みたいに体を震わせているから、凄みはほとんど感じられない。

 とはいえここまで言われてはそれ以上追求しない慈悲の心が、燦にはあった。確かにあれは他の魔法少女や特災省の職員に知られるのは、恥ずかしいだろうと強く共感も出来る。


「分かりました。今日中に頑張って忘れます。ザンアキュートさんのイメージと随分ギャップがありましたし、それを知られたらファンの人達も驚きすぎて心臓が止まるかもしれないし。

 それに、ザンアキュートさんが告白したことは、私も共感できます。私は魔物に襲われて、おじいちゃんを助けられなかった後悔と怒りで、魔法少女として戦うのを決意しましたけれど、それでも怖さを感じないわけではないから」


「妖精や職員さん達も私達のケアをしてくれているけれど、それで全員が救われるわけでもないからね。……あなたのおじい様と戦いの決意に関しては、思わず知ってしまって、少し動揺してしまったけれど。こほん、ところでソルブレイズさん」


 わざとらしい咳払いの後に、ザンアキュートの目が据わったものだから、燦は反射的に体を固くした。別に敵意や殺意を感じたわけではないが、言い知れぬ圧があった。


「はい?」


「あなた、ソルグランド様と随分親しいのね?」


「え、えと、はい」


 エアコンが効きすぎているのかな? ちょっと寒いぞ? と思いながら、燦はザンアキュートにどうにか答えようと思考を回転させる。返事が遅れれば、遅れるだけ何か良くないことになると本能が訴えていたからである。


「ソルグランド様に本当の名前を教えてもらう、という目標も素敵なものだったわ。私は、あの方にもう一度お会いしたい、そればかりを考えていて、上辺だけを見ていたと思い知らされたの」


「そうだったんですか、でもなんというか、ソルグランドさんに向ける情熱の凄さは隣で見ていても、すごく伝わってきましたよ。うん、本当に」


「そこは誰にも負けていない自負があるわ。でも憧れで目を曇らせて、あの方を見たいようにしか見ないのは、言語道断よ。私の理想を一方的に押し付けているだけだから。それはとてもよくない」


 ザンアキュートはどうも他者に意見や価値観を一方的に押し付けることに、強い拒否感を抱いているらしい。家庭で何かあるのかもしれないし、あるいは単にそういう性格であるだけかもしれないが、下手に突っつくのは危なそうだ。

 それにソルグランドに対して自分の中の理想像を押し付けていたのを、反省しているようだし、からかう発言は控えた方が良い、と燦は賢明にも判断出来ていた。


「ソルグランドさんは私達を守るって言ってくれますけど、私達があの人を守ったって良いでしょう? 守られてばっかりなのは、悔しくありませんか?」


「ええ、ええ! そうね。守ってくれる方が居るのは、とても安心できるけれど、そうね、いつか私が助けて、守る側になるのも、素敵な考えだわ。今日の事は皆に伝えないと!」


「皆? 魔法少女の皆?」


「いいえ、私が作った太陽派の皆よ。ソルブレイズさん、貴女にもぜひ、紹介したいと思っているの!」


 太陽派の太陽とは、まず間違いなくソルグランドを指しているだろう。魔法少女内に存在する、ソルグランドのファンクラブないしは信奉者の派閥である。

 実際のところは彼/彼女に救われた魔法少女達を中心に、無垢な憧れから強烈に心酔している者まで入れ込み具合は様々だが、教祖はザンアキュートで間違いない。


(おかしい。ザンアキュートさんの瞳がキラキラ輝いているのに、なんだか真っ黒い渦が渦巻いているように見えるのは、なんで!?)


 燦は自分が厄介な沼に片足を突っ込んでいるという、認めがたい事実に気付いたのは、手遅れになってからであった。



 ピーマンとツナの佃煮、モヤシとキャベツと豚肉の辛みそ炒め、ナスの揚げびたし、キュウリの浅漬け、油揚げと大根の味噌汁、鮎の塩焼き、トウモロコシご飯……大我は自分で用意したメニューを平らげた後、これ以上ないくらい満足した顔でデッキチェアに寝転がって寛いでいた。

 プリペイドカードの入手による恩恵は大きかった。調理器具と食器を綺麗に片づけて、神秘的な境内にそぐわない料理の匂いが残っている中で、大我はしみじみと呟く。


「調味料、万歳だな」


 しみじみと、実にしみじみと、万感を込めた思いが大我の口から自然と零れ出ていた。

 大我としては、この肉体は女神だというので神前のお供え物になぞらえた献立にするべきではないか、いわゆる神饌しんせんにすべきかと悩んだのだが、そこは夜羽音が大丈夫だと保証してくれた。


 現代では素材そのものを献供する生饌せいせんが一般的だが、過去には調理や加工を行った熟饌じゅくせんが神饌として提供されていたこと、女神の肉体に大我の魂を宿したことで、人と神がそれぞれに持つ毒性への耐性を良いところ取りし、穢れに対して絶対的な耐性を得ていることを理由として挙げた。

 そしてなによりも、女神自身が調理をすることで、神による神の為の神の食事となる、と保証されたのが大きい。

 調理という工程によって、女神の霊力に長く深く触れることで、穢れの類が一切合切浄化され、この上ない食事となるからだ。


 調理に使われた道具の数々は、元々は無我身市の半ば廃墟と化したホームセンターから回収し、鍛冶神としての権能によって鍛え直した逸品である。

 錆び付いていた包丁が、今や単分子ブレードや高周波ブレードもかくやの切れ味ときている。どんな素人でも巨岩や鉄の塊を真っ二つだ。実際に使用した大我としては、過剰すぎる切れ味に加減を覚えなければ、と固く決意させられてしまったが。

 綺麗に片づけを終えたら、テーブルの上にカラフルな綿糸や絹糸を置く。その中で目を引くのは、切り取られた大我の髪の毛が混じっている点だ。

 ここからは細々とした作業の時間である。


「魔法少女の子達が、素直に受け取ってくれると良いんですがねえ」


 老眼鏡要らずの超良好視力とナノ単位の作業も出来そうな指先を頼みに、大我は丁寧に丁寧に、しかして迅速に色とりどりの美しい組み紐を編み始める。

 女神の毛髪をこっそりと混ぜた組み紐を編んでいるわけだが、ふと、お守りとして助けた魔法少女達に手渡してはどうだろう? と思いついてすぐに実行に移しているのが、この状況である。


「大我さんの髪の毛が編み込まれていると知って遠慮する娘さんも居るには居るでしょうが、逆に飛び跳ねる程に喜ぶ娘さんも居ると思いますよ?」


 一人と一羽の脳裏にはザンアキュートの顔が鮮明に浮かび上がっていた。


「はは、自分の体の一部を贈り物に混ぜるなんてのは、悪質なストーカーのやり口なんですが、何しろこの身体は本物の女神様と来ている。

 その毛髪に想いを込めて作れば、霊験あらたかなお守りになりそうだってのは、間違った考えではないと思うんですが」


「ええ、それはもう、効果は覿面でしょう。一度くらいなら、命の危機を救うほどの効果を発揮してもおかしくはございません。もちろん、そのような事態は発生しないに越したことはないのは、言うまでもありませんか」


「それはそうですね。しかし、夜羽音さんにそこまで保証してもらえるのなら、たっぷりと想いを込めようって気持ちになりますよ。魔法少女なら武運長久が第一で、後は無病息災が定番かな? 今もどこかで戦っている子達の助けになってくれますように、と」


 恐ろしく精密な機械じみた速度で次々と組み紐を編み終えて行く大我を他所に、夜羽音は特災省から支給された携帯端末を器用に操作していた。翼の先端で器用にフリック操作をこなしているのだから、大したものだ。


「ところで夜羽音さん、この神域の中で携帯が使えるものなのですか?」


「ええ。大我さんの空間転移の秘密は各地にご神体として納められた鏡と社の中にある鏡を繋げて、距離を超越している点ですが、その応用で日本中のご神体の鏡を経由して電波のやり取りをしているのです。

 安全性に関してはご安心を。思金神おもいかね様を中心とした知慧溢れる神々が十重二十重に組んだ防衛網を、電脳の世界にて張り巡らせておりますれば」


「世界一贅沢で畏れ多いセキュリティですね……。デジタルにも対応しているのは、正直、驚きですが」


「はっはっは、現世から距離を置いたとはいえ時代の需要や流行と言うものに、ある程度は対応するものですよ。特にこの国の神々は民草の影響もあってか、あるいは神々の影響を民草が受けてか、柔軟性に富んでおりますから」


「はあ~柔軟性ですか。はは、そういえば俺がまさに柔軟性に富んだ結果の産物ですわな。そのお陰で孫娘や同じような年ごろの子供達を助ける力を得られたのだから、日本様々と言えばいいのでしょうかね?」


 そう言って口を動かしている間も止まらぬ大我の指は、既に何本かの組み紐を編み終えていた。

 ザンアキュートはもちろんソルブレイズ、ダンシングスノー、スカイガンナー、クリプティッドエヌ、アワバリィプールといった彼に助けられた魔法少女達なら、喜んで受け取るだろう。


「ところで今は何を調べているんですか? 聞いても差しさわりはありませんかね?」


「なんということはありませんよ。この国の中に限れば魔物の発生について、我々以上に早く察知できる存在は居ないと自負しております。ですので、魔物の発生を特災省や妖精達に通知するよう式を組んでいるのです。

 現地での魔法少女との合流や連携、事前の打ち合わせに役立つ道具をいただきましたが、それに甘えるばかりでは仮初であれヤオヨロズと名乗った我らの面目が立ちません。少しくらいはこちらが役に立つところを見せないとね?」


(勝手にヤオヨロズと名乗って、他の方々に怒られたのかな?)


 そう心の中だけで思い、口にしない分別のある大我であった。

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