第37話 美味しい食堂
研究室から出ると、通路に長椅子に横たわる理恵加さんが目に入る。両手を枕にして、壁の方を向いている。部屋に戻るのが無理なくらい眠かったのだろう。
「理恵加さん」
肩を軽く揺する。理恵加さんは天井を向く左肩を、椅子に仰向けになる。
「あー、葵君。話は終わったの?」
「うん。部屋に戻ろ」
理恵加さんは顔に乗った髪を、耳に掛けてから起き上がる。脱いでいた靴を履いて立ち上がる。
「あの人、苦手だったな~」
「そう?僕は別に。変な人だとは思ったけどね」
誰とでも仲良くしてそうな性格の、理恵加さんらしくないセリフだ。好き嫌いと人付き合いの上手さは別問題なのだろう。
通路を歩き、エレベーターの前まで来る。ボタンを押してエレベーターが来るのを待つ。到着したエレベーターに乗り込む。
「部屋って何階だったっけ?」
「四階」
言って理恵加さんはボタンを押す。エレベーターのドアは重々しく閉まり、僕たちを上に連れて行く。
「そういえば、葵君も親いないんだね」
僕たちを上へ運ぶエレベーターの中で、理恵加さんが呟く。心臓がキュッと引き締まる。この話題ではあまり話したくないからだ。自分の事はどうでもいい。両親がいない人の話を聞くのが苦しいからだ。
「うん」
エレベーターが止まりピンポーンと言う音と共に扉が開く。横にも縦にも広い通路を歩く。僕と理恵加さん以外には誰もいない。
「さっきも言ったけど、私もいないんだよね。親がさ」
理恵加さんが顔を覗き込みながら言う。表情は儚げで淡い、最小限の笑顔。同じ境遇の人間を見つけた笑顔なのだろうか。目の奥にはどこか寂しさを感じた。
「...ああ、言ってたね」
「うん。まあ、そんなに珍しくないか」
「...うん。まあ、そうだね」
僕は今どんな表情をしているのだろうか。部屋までの道が長い。歩幅が短い。足取りも遅い。心臓の鼓動だけが急いでいる。今なら聞ける気がした。今しかないと思った。あの時の疑問を晴らす。
「そういえばさ、星科の二年生って僕を合わせて四人で全員?」
「...そうだよ」
「誰か辞めたりした?」
理恵加さんの表情を伺いながら聞く。理恵加さんの眉がピクリと動き、足が一瞬止まったがすぐに歩き出す。
「うん。二人いなくなったね。一人はこの間の実習で、予想外のアクシデントが起きて行方不明になったの。そして、もう一人はそれが原因かは知らないけど、星科を抜けて転校したよ。二人は仲良しだったし、やっぱりショックだったのかもね」
テレビ番組でニュースを伝えるキャスターの如く、淡々と話す理恵加さん。その淡白さに悲しさよりも、無感情さを強く感じた。悲しくて呆然としているのではなく、何も感じていないように見えてしまった。
「理恵加さんは悲しくなかったの?」
「そりゃ、悲しいよ。でも、私たちが目指しているクズハキは、周りの誰かと突然会えなくなるのが日常だよ?」
頭の中を巡る言葉が多過ぎて、何を理恵加さんに聞かせればいいのか分からない。
「教室の机も片付けないとね。もう会わない人の事を思い出したくないし。気になってた?余分に机があるの?」
「それも気になってたし、少し前に清水先生がトータルでは一人減った、的な事言ってたからさ。...結構ヤバめな発言じゃない?」
「あの人は元々クズハキだから悲しむ事に慣れてないだけだよ。本当はすごく良い人なんだけどね」
改めてクズハキの仕事の過酷さを叩き込まれた。
「じゃあ、また明日ね」
「うん。ばいばい」
各々の部屋のドアを開けて中に入る。靴を脱いで、電池が切れたラジコンのように、ベッドに横たわる。自分が死ぬのと、大切な人がいなくなるのはどっちが楽なんだろう。死んだことがないから分からないし、死んだら終わりなんだから比べようもない。
「まだ充電十八パーセントだ。本当に時間が掛かるんだな」
充電をしている星石が目に入る。ポケットの携帯を取り出して、時刻を確認する。昼寝をするには遅く、就寝をするには早い時間だ。それが分かっていても、ベッドで横になり、溜まった疲れが瞼を下ろす。
「このカレーめっちゃ美味しいよ!こっちのカツ丼も!」
正面の席に座って、カレーとカツ丼を頬張る理恵加さんが笑顔で言う。
「僕のラーメンも美味しいよ。明日はカレー食べようかな」
「うん!このカレーは最高!」
お昼時の食堂。スーツを着た人たちが食事を摂っている。人はまばらだが、学校の食堂と遜色のないくらいの賑やかさがある。疲れ切ったクズハキたちの食事は、通夜のような静けさがあるのかと思っていた。どうやら、僕の見当違いだったようだ。
「それにしても、理恵加さんは大食いなんだね」
「えっ!そ、そうかな?」
理恵加さんは肩を浮き上がらせて、照れたように跳ね上がった。
「そんなに、大食いじゃないと思うけど。でも、確かにちょっと多いかなぁ?...食べ切れないかもぉ?」
理恵加さんは箸を置いて、急に女々しい仕草をする。見る見る少食そうな顔付きに変化していく。
「え?じゃあ、それ残すの?」
「残さないよ!勿体ないもん!ただ、余裕はないよ。全力でこれだからね!?私は食事に全力を注ぐ人間だから」
「そっか。確かに、美味しい物は一杯食べたいもんね!」
「そう!そうそうそう!」
言ってから理恵加さんはバクバクとカレーとカツ丼を食べ始める。本当に美味しそうに食べるから、自分のラーメンも余計に美味しく感じた。
「いやー、美味しかったね!」
「うん。これから毎日、あのレベルのご飯食べれると思うと最高だよ」
食堂を後にして、基地の出入り口までの通路を歩く。この後は、月見里さんから仕事の説明と、班員の紹介があるようだ。再び緊張が湧き上がって来る。
「理恵加さん、スーツ似合ってるね」
「本当?やった!葵君も似合ってるよー」
理恵加さんも僕も同じで、黒色のスーツを着てネクタイを付けている。服装は自由らしいが、基本的にみんなスーツを着るそうだ。
「あっ、葵君待って」
「ん?どうかした?」
「こっち来て」
手招きをする理恵加さんの前で止まると、理恵加さんが僕の首元に両手を伸ばす。
「これで良し!バッチリ決まってる!」
「ああ、どうも」
どうやらネクタイが緩んでいたようだ。再び歩き始める。
「月見里さん厳しそうだから、絶対身だしなみは整えた方が良いよ!」
「確かに。緩いネクタイを見て、指摘して来るところが想像出来る。でも服装自由ならネクタイを避けることも、出来ない事もないか」
「流石にダメじゃない?研修に来てるんだから正装のスーツじゃないと」
「食堂もスーツの人しか居なかったし、やっぱりダメだよね」
「前ここに研修で来た時に同じ班の人が言ってたの。服装は自由だけど、私服の奴は決まって変人しかいないって」
「じゃあ、ここの基地は常識人が多めって事だね。食堂もスーツの人しか居なかったし」
「んー?スーツ着てたら常識人って、訳でもなさそうだけどね。ってやばい!月見里さんもういる!」
焦り出す理恵加さんの視線の方角を見ると、月見里さんが見えた。月見里さんはドアの方を向いていて、僕たちには気付いていないようだった。
「上司より先に居ないとダメなのにー!」
「これ、怒られるやつ?」
「月見里さん次第!」
先に走り出した理恵加さんの後を追うように走る。ある程度の距離を進んだら、そこからは徒歩に切り替える。
「おはようございます!月見里さん」
「おはようございますぅ」
「おはよう。お前たち何で息を切らしてるんだ?自主訓練か?」
「ま、まあ、そんなところです。ねっ?」
理恵加さんが同意の眼差しを横からスライドしてくる。
「はい!食後のランニングって奴ですね」
「食後の運動はあんまり体に良くないぞ」
怪訝そうな顔をした後、月見里さんは僕たちに、当たり前過ぎる指摘を送った。
「約束の時間の十分前だな。お前たちがせっかく時間を守ってくれたのに申し訳ないが、俺以外の班員がまだ仕事から戻ってこない。少し長引いているらしい」
言ってから、月見里さんは右腕の時計に視線を送る。
「このまま待ってても時間の無駄だ。何でも経験って事で、これから仕事場に向かおうと思うが、問題ないな?」
「大丈夫です!」
「...僕も!」
一切の思考もなく、ハッキリとした声で自信満々の表情で言う、理恵加さんに引っ張られるように、僕も精一杯の快諾を発する。
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