第33話 長旅
あれから、人型のダストの捜索が行われた。クズハキも加わり、学校の敷地内や付近の住宅街を捜索したが、見つかることはなかった。残ったモヤモヤ感を置いて、長野県へと向かう電車に乗っている。窓の淵に肘をついて、だらける頬を右手で支える。頭が力なくガラスに寄り掛かる。窓からは見慣れない景色が次々と消え去って、次々にやってくる。ワクワク感と共に緊張感も訪れる。
これから一ヶ月間の研修が始まる。飼っているメダカには家を出る直前に、いつもの二倍くらいご飯をあげたけど大丈夫だろうか。ネットで調べると一週間くらいなら大丈夫という記事や、二ヶ月間何もあげなくても生きているなど、様々な情報があり過ぎて、どれが正しいか判断出来なかった。もちろん僕は二ヶ月間生きると言う情報を信じて、今ここにいる。正解が分からない時は、自分が信じたい物を選べばいいだけだ。
「大丈夫?さっきからずっと外ばっかり眺めて。電車酔いでもした?酔い止めあるよ!水なしで飲めるやつ!」
二人掛けの座席の、通路側に座る理恵加さんが心配そうに聞いてくる。
「ありがとう。でも大丈夫!酔ってるわけじゃないから。ただ緊張で胸のドキドキが止まらないだけ」
「そんなに緊張する?」
「そりゃするよ。だって今日まで学校で特に何にもやってないし、ちょっとクズハキの仕事について聞いたくらいだよ。僕みたいなほぼ素人が、WSEOの基地で研修だよ。場違い過ぎない?」
僕の訴えを聞いた理恵加さんはきょとんとした表情をしている。
「そうかなー?別にそんなに重く考えなくてもいいと思うけど。だって私たちが一年生の時は、もっと早く研修が始まってたからさ」
「え?そうなの?」
「そうだよ。入学して一か月も経ってなかったと思うよ。今の一年生の子たちも、もう研修を済ませた後だしね」
「入学したばっかりじゃ、何にも知らないでしょ?それなのに研修あるの?」
「だからこそかな。一年生の研修の目的は基礎を身に着けることだからね。実戦には参加しないで、訓練にだけ参加するの。それで、その研修で無理だ―ってなったり、センスがないって、判断されたら普通科に行くか転校するか選ぶ感じ」
「厳しいね。僕は大丈夫かな?センスない判定されないか心配だ」
「いや葵君は大丈夫でしょ!星科にいる理由が特殊だし、まだ何も習ってないのに一人でダストも倒しちゃうし!むしろクズハキになってーってお願いされるレベルだよ!」
理恵加さんに励まされて、気が緩んだのかあくびが出る。目から涙がにじみ出るほどの大あくび。朝の九時に、学校で待ち合わせしてから電車に乗って、もう四時間くらい経っている。それなのにまだ到着しない。昨日も緊張して、なかなか寝付けなかった。理恵加さんと話していたから眠気は眠っていたが、それももう限界だ。
「眠いなら寝れば?もう乗り換えないし、あと一時間ちょっとで着くから」
時計を見ながら、理恵加さんが言う。
「え?いいの?」
「昨日緊張して寝れなかったんでしょ?寝不足って顔に書いてあるから」
「ははは。正解!でも理恵加さんは眠くないの?僕だけ悪いよ」
「私は昨日たくさん寝たから大丈夫だよ。着いたら起こすから遠慮しないで」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」
背もたれに寄り掛かり目を閉じる。電車の揺れが心地よくて、すぐに眠れそうだ。
電車のアナウンスが頭に響く。ぼんやりとした意識で目を開ける。
「あっ、起きた。ちょうど起こそうとしてたところだよ!次の駅で降りるからね!」
「ああ、うん。ありがと」
ぼやける視界を、はっきりさせるために目をこする。一時間程度の睡眠じゃ満足できない。当然寝ないよりはマシだ。頭が少し痛い気がする。睡眠と気絶の間くらいの時間だとよくなる。頭痛薬は常備している。このまま治らなかったら飲むことにしよう。
電車のアナウンスが目的の駅を呼ぶ。電車のスピードは徐々に遅くなり止まる。折りたたんだ足の前にある、キャリーケースを引っ張り出して立ち上がる。プシューと音を出して扉が開く。
「あー、やっと着いたね!長かったー。お尻と足が痛い!」
「遠かったね。僕はまだ眠いや」
時計を見ると時刻は二時前。四時間以上も、電車に乗っていたことになる。帰りも同じ思いをすることになるのか、という考えがもう頭によぎる。キャリーケースを引く音が、寝起きの耳に響く。
改札を抜けて外に出る。
「葵君見て!あれが衛星基地のガニメデだよ」
理恵加さんが指を指す方を見ると、大きな建物が二つ視界にに飛び込んで来る。見えると言ってもそれは目の前ではなく、遠くて高い場所にある。プリンのような形の高台。坂道に沿って家が立ち並んでいる。キャラメルの部分に大きな建物が二つ堂々と建っている。
「おお!おぉ...遠くない?この坂歩いて登るの?」
「うん!頑張ろ!体力作りだと思ってさ」
「キャリーケース持ったまま?」
「そりゃそうだよ!ここに置いてくの?コロコロ付いてるから楽チンだよ!」
そう言うと理恵加さんは緑色のキャリーケースを引いて歩いて行く。重くなった足を一歩前に出して後をついていく。
緩やかな坂道がずっと続いている。さっきから何台の車に抜かされただろうか。両足の裏とキャリーケースを引く右手が悲鳴をあげている。登り終える頃には悲鳴すら聞こえなくなっていそうだ。青色のクールなキャリーケースも汗をかいているに違いない。
「やっぱり遠いね」
隣を歩く理恵加さんがぽつりと呟く。
「うん。もう足が泣いてる。でも理恵加さんは来るの二回目なんでしょ?」
「そうだよ。一年生の時に来た時は疲れたよ。電車でも乗り間違えたりして迷って予定より、かなり遅れて着いたら、立派で長い坂道が待ってたからさ。坂見た時は泣いちゃうかと思った」
「泣いた?」
「泣いてない!私は強いからさ!」
「おー!流石!!でも何で去年も行った基地に研修なんだろうね?」
「何でだろうね?生徒の研修先を決めるのは、私たちの学校の先生と、研修先候補の基地だからね。何か考えがあるのかな?でもガニメデは衛星基地の中では一番規模が大きいし、惑星基地と比べても劣らないくらいだから。そんな立派な基地に二回目の研修に行かせてもらえるのはありがたいよ」
「そんなすごいところなんだ。今から行く基地は」
眠って忘れていた緊張感が帰ってくる。そんなすごい基地で僕は一ヶ月間もやっていけるだろうか?足が重くなる。
「あれ?ガニメデは惑星基地のジュピターの衛星基地なんだっけ?」
「うん。惑星基地のジュピターは長野県の群馬県側にあるよ。岐阜の恒星基地のサンを中心に、岐阜に面してる県はかなり基地の数が多いからね。他県から移住してくる人が多いらしいよ。まあお金持ちばっかりだけどね」
立ち並ぶ民家に目を向けると、どれも立派な豪邸ばかりだ。嘘みたいに広い敷地に、三階建ての家。駐車場に停まっている車からも高級感がひしひしと伝わってくる。
「この辺りも立派な家が多いね」
「基地の周りはそういう傾向が強いよ。私たちの学校の周りの比じゃないでしょ?」
「何か嫌な感じだな〜」
「あっ!思う?私も去年思ったもん!やっぱり誰かと一緒だと坂道登るのも少し楽だよ。話しながらだと楽しいしね」
「ああ、優希君とか鈍平君とかはバラバラの基地に研修だったもんね」
「一年生の時も五人バラバラの基地だったからね。二人一緒の基地に研修はレアかも」
理恵加さんの口から五人という言葉が出てくる。やっぱり今の二年生の世代は元々五人いたんだ。今いない二人はどうしたのだろうか。さっきの電車での話を聞くに、研修の過酷さに耐えきれずに辞めてしまったのか、センスがないと判断されて星科を後にしたのか。その可能性もある。気になるけど聞くことが出来ない。悲しい疑問は感謝に変える。
「理恵加さんと一緒で良かったよ。一人だったら絶対電車で迷ってたし、僕ならこの坂見て泣いてたよ」
「私も葵君がいて良かったよ。話し相手がいると、足の疲れと荷物の重さの事を忘れられるからさ!」
「本当なら男である僕が理恵加さんのキャリーケースも持ってあげたいんだけど。ごめん。僕にはそんな力と体力がなかったよ」
「葵君に余裕があったとしても、多分持ってもらわないけどね。キャリーケースを二つ引いて坂道歩いてる人の横を手ぶらで歩きたくないもん」
「確かに。罪悪感凄そう」
「葵君のその思いやりの気持ちだけで少しは軽くなったよ!」
「なら良かった!」
それからキャリーケースが地面と奏でるガラガラ音は聞こえなかった。僕と理恵加さんの会話で全てかき消された。
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