第5話 夢からの生還

 また何も見えなくなる。どうすればいい?もうそこまでダストが来てるのに。そんなことを考えている間にダストの足音は通り過ぎて行った。やっぱり逃げていたんだ。この暗闇の主から。


 考えることは止められない。考える内容が変わっただけだ。それもサイズアップした。このまま廊下のど真ん中にいるのはまずいだろう。すみっこに移動しよう。履いているスリッパの音を立てないようにゆっくりと足を浮かして、後ろに下がる。それを数回繰り返して、廊下の壁に背中をピッタリと合わせる。頭がガラスに当たらないように、背筋を伸ばして直立不動。


 目を閉じて、口を大きく開けて、音を出さないように静かに息を吸う。吸った息を鼻からゆっくり出す。目を閉じたのは見慣れない黒よりも、見慣れた黒の方が落ち着くからだ。硬く握りしめた拳からは汗がスルリと零れ落ちる。


 何も聞こえない。恐怖が上限なく膨れ上がっていく。さっきは運良く殺されなかったけど、今回はどうだろう。もう駄目な気がする。足も疲れたし、まぶたもピクピクしてきて疲れた。作っていた握りこぶしも、チョキを出されたら負ける状態になっている。ピクピクと疲労を訴えるまぶたに押し負け、目を開けると闇はもう引いていた。


 僕の視界の八割は白で埋め尽くされていた。ダストだ。ダストの顔が、僕の顔の真正面にある。少しでも前に歩こうものなら、鼻と鼻が触れる距離だ。


 足がすくんで動かせない。頭をガラスに押し当てて、少しでもダストから離れる。ダストの全体がうっすらと見える。人のように腕が2本、足も2本ある。身長、いやサイズは人間より遥かにデカい。デカいと言っても廊下の天井にギリギリ頭をぶつけずに歩けるくらいの大きさだ。大人が子どもと話す時のように、膝を曲げて僕に視線を合わせている。左手には、僕が重くて持つことが出来なかった、星科の生徒の刀を持っている。ダストが持つ刀は短く小さく、まるでおもちゃのように見えた。


 人型のダストなんて見たことも聞いたこともない。ただ、顔には口と鼻しかなかった。本来なら目があるべき部分は、以前まで目がちゃんと二つ付いていたようなくぼみがある。耳があるべき場所は平だ。ダストはまるで時が止まっているかのように一切身動きをしない。僕も恐怖に縛り付けられて体を動かすことが出来ない。いつもより多く提供される唾をのみ込むのに必死だ。寒い。流した汗が一気に冷たくなる。


 「    」


 ダストが何か音を出す。大きな口を動かして何か言っている?歯はとても大きく、無駄に整った歯並びが何とも言えない奇妙さを醸し出す。


 「ごめーん、なんて言ったか分かんなかったあ」


 今にも泣きだしそうな声をダストに向けて出す。だが、生きることを諦めたわけではない。このダストは多少は賢そうだ。目の前に人がいるのにすぐに襲ってこないのが証拠。このままだらだら何か喋って、誰かが助けに来るまでの時間を稼ごう。ただ、助けに来てくれるような誰かが生き残っているかどうかは分からない。


 「もう一回、もう一回言って?」


 耳のないダストに語り掛け、目のないダストに人差し指を立ててジェスチャーをする。するとダストは顔を動かして、更に僕の顔に近づける。目のないダストに見つめられている気がした。


 ダストの左肩が一瞬動いた気がした。それに気づいた時にはもう遅かった。ダストの左手に刀は無かった。刀は僕の左胸に突き刺さっていた。


 「へ、へへ、はぁ、あはぁ」


 針に糸を通した時のように静かに音もなく刺さった刀。それを1番最初に察知したのは痛覚ではなく視覚だった。見るまで気づかなかった。痛みは今のところ感じない。僕を刺したダストは歯を見せて笑っているようだった。何もしてこない。目の前にいるだけ。


 突き刺さった刀の柄を握り、引き抜こうとするが全く動かない。恐らく僕を貫通して後ろの壁にも穴を開けている。胸からは蛇口を軽く捻ったくらいの勢いで血が滴り落ちている。足元を見ると血の水溜りが出来ていた。


 「これ、全部が...僕の...僕から出た血かー」


 体を構成する細胞のひとつひとつが弱っていくような感覚。視界が白くなったり、赤くなったり。これが何十回と短い間隔で繰り返される。頭がこのまま浮かび上がって、どこかに飛んでいってしまいそうなくらいに軽くなる。全身が血液になっていくような感覚を味わい、このまま地面に沈んでいく気がした。何かよく分からないものが、つま先からつむじまで、つむじからつま先まで行き来している。


 「僕の人生をこんな序盤で終わらせるなんて...見る目のない世界だな...」


 手足に力が入らなくなり、意識がだんだんと遠のいていく。


 次に視界に入って来たのは見慣れた天井だった。慌てて上半身を起こす。今日は月曜日の朝だ。スズメの会話が聞こえて、部屋には朝を知らせるあったかい太陽の光が差し込んでいる。間違いなく月曜日の朝だ。気絶から目覚めたとかではない。


 「全部夢...だったのか?そりゃそっか!僕がこうして目覚めて起きてるんだから!夢だー!僕は生きて起きた!」


 部屋のカーテンを開けて、電線に止まっているスズメと目が合う。


 「でも丁寧な夢だったな~朝起きるところから始まるなんて」


 カーテンを全て開け終えると、右手でそっと夢の中で突き刺された左胸に触れる。当然痛くないし、血も出ていない。


 「今日学校行くの楽しみだ!生きてるみんなに会えるー!」


 右の拳で左胸を軽く叩く。ゴリラのドラミングの如く。


 「痛くない痛くない!あははは!」


 それにしてもリアルな夢だったな。恐怖だけは本物だった。あの夢の最後に僕は死んだのかな?いやでも、人間は経験したことのない内容の夢は見れないってどこかで聞いた事がある。だから死んでないな。死ぬ直前ってとこか。だからあそこの場面で夢が終わったんだ。


 「朝ごはんの準備するかー」


 夜寝てる間に怖い体験をした分、朝の訪れを知らせる光はいつもより眩しく、優しく見えた。

 


 


 

 

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