52.焦燥と酸っぱさ

 ガンガ流域の村落に宿を借りながら約一ヶ月の船旅。その終点は『タカ』という街だった。

 残念ながらタブレットの表示する地図には国境線など描かれていないが、俺のうろ覚えの知識が間違っていなければ、ガンジスの河口付近はバングラデシュだったはずだ。

 ――インドを越えた。

 俺のその認識が、後から思えばだが、だいぶ俺の気を急かせていたように思う。


 トキヤを離れてからの旅に於いても、建物だったり衣服だったりといったものの違い、あるいは文字らしきものの変わっていく様子などは、事実として認識はしていたが、そこまで強く気に留めてはいなかった(文字に関しては、記号めいていて全く分からない、というのが興味を持ちにくい理由として大きいが)。が、タカ以東の旅路に於いてはその傾向がより顕著だった気がする。

 例えば、ヨーロッパ(という呼び方がこの世界で相応しいのかは分からないが)の方と違って、ガンガを越えたこちらの方では小さな村落はその数を減らしていた。その分、大きな街はより広く、そのあちこちに色々なものを分散することで洪水などの自然災害や魔獣被害などのダメージコントロールを図っているように思われた。

 だが、そういった事実を認識しながらも俺の興味は、街と街の間が開く分、馬車などによる交通が多い、という実利的な事実の方にフォーカスが向いていた。要は、歩くよりもずっと早く先へ進めるかも知れない、ということに、この時の俺は軽い執着めいた関心が向いていたのだろう。

 それくらい、俺の中では“インドより東”というのは“中国に近い”というイメージがあった。おそらくはヒマラヤ山脈の存在がそのイメージに関係しているとは思うが、あくまでもイメージであり、自分自身、そこに明確な理屈があるというわけでもない。

 後から冷静に考えれば、たとえ中国に入ったとしても、中国は広い。東シナ海まででもかなりの距離があるはずだし、少しばかり急いだところで何がどうなるでもないと思える。

 だけど、俺にとって中国は日本の“隣”であり、その中国が近い、という認識は、不安も抱えながら長い旅をしてきた俺には、光明が差したような、霧が晴れて視界が開けたような、もっと大袈裟に言えば、それは“希望”だった。

 ようやく見えた、現実味を持った、希望。そこに焦りが生まれるのはきっと、無理からぬことだった。


 だが、これも後から思えばのことではあるのだが、例えば簡単に過ぎてしまった『マンダリイ』だったり『ルアンパバン』だったりといった比較的大きな街では特に、俺がもっと冷静だったなら、興味深い何か、もっと見るべきものもあったのではないか、なんて思いが浮かぶ。落ち着いてようやく、もったいないことをしたかも知れない、という気持ちが生まれてきたのだ。

 そんな風に振り返ることができる程度に冷静さを取り戻せたのは、『ハ・ノイ』という街に辿り着いた頃だ。結構急いだ旅路だったが、既に四月を過ぎている。タカに辿り着いたのが二月の初旬頃だから、約二ヶ月もの間、俺は自覚の無い焦燥感に駆られていたということだ。

 幸い、と言って良いのか、ミラやカイは俺のペースに付き合って無理をしている様子も無いし、俺なんかよりずっと周りが見えていたようで、急いだ旅だったはずだが、それなりに楽しんでいたようだ。

 俺が冷静になれた要員はいくつかあるだろうが、やはり聞き覚えのある地名だったことが大きい。この『ハ・ノイ』が俺の知る『ハノイ』なら、ここはベトナム北部で、中国とは本当に目と鼻の先になるだろう(もちろん、それでも実際の距離としては遠いのだろうけど)。タブレットの地図で見ても、そう間違った判断でもないと思えた。

 その事実は、不思議と俺を落ち着かせてくれた。……中国が近づいて焦っていた俺が、その近さをより実感として感じて、ようやく冷静さを取り戻したというのも変な話だが。

 後は、文字の存在も大きいかも知れない。ここで使われている文字は、アルファベットに飾りを付けたようなものだったのだ。とはいえ、英語やこちらに来てから学んだ言葉とは単語が違うので、意味までは分からない。読みも、ローマ字読みで合っているものもあれば違うものもあったり、簡単ではない。それでも、文字として何となくでも分かるというのは、不思議な安心感のようなものがあり、それも俺の精神に良い作用があったのではないだろうか。

 ともあれ、頭が冷えて少し心に余裕が戻った俺としては、この辺りの文化に少し目を向けてみても良いのではないか、なんてことを考えたわけだ。


 ――で、目の前に並んでいるのが、たくさんのお皿。

 そうです、料理は文化です。

「恩人は食いしん坊ですねぇ……」

 ……カイには前にも同じ事を言われた気がするが、そうやってしみじみ言うのは……なんかやめて?

 まあ、カイの俺への評価はともかく、俺たちがこの、お店? に入ったのは、ここの主人が声を掛けてくれたからだ。

 この街では、どうやら物のやりとりに紙幣らしきものが利用されているようだった。そのため、こちらを手招きして声を掛けてくれたおじさんが、腹は減っていないか、と尋ねてくれているのだとカイから聞いても、俺たちはここで使われている金を持っていない、という返事しかできなかった。

 だが、カイからそれを聞いたおじさんは、カイが喋ったことにしばし固まった後、外から来た人がそんなことは気にするな、と、俺たちを引きずり込まん勢いで招き入れてくれたのだった。

 そして、フンという名前だというそのおじさんに料理をお任せで頼んだところ、次から次へと皿が運ばれてきて、四~五人が掛けられるテーブルは今や隙間もないほどになっていた。

 ただ、その皿の内の多くは、付け合わせというか薬味というか、メインに加えるトッピングの盛られた皿やざる、そして色々なタレの入った小皿で占めている。

 一通りの料理が運ばれてくると、フンさんが一つ一つ食べ方を紹介し、気に入ったら追加も良いよ! と笑顔で言って去って行く。

 当然のこと、と言って良いと思うが、こういった厚意に触れると、心が温かくなる。そして、ここのところの旅路で、そういった人々の優しさが見えていなかった俺は、やはり焦るあまり精神的な視野狭窄に陥っていたのだと実感すると同時、再びもったいないことをしていたな、と思う。

 とはいえ、覆水盆に返らず。過去は変えられないのだから、今をしっかり楽しもう、と思い直す。

「いただきます」

 俺に続いてミラとカイもそう唱和した後、それぞれに料理に向き合う。カイは残念ながら別メニューだが。

 最初に手を付けたのは、『ブン・ジェウ』という、どんぶりに入った料理。赤茶色のスープの上に、肉、刻んだトマトやネギが浮かび、そしていくつかの香草が散らされている。箸を潜らせて持ち上げると、一瞬「太めのそうめん?」と思う麺類。だがなんてことはない、ここがベトナムであろう事を思えば、これはフォーやそれに類する麺類だろう。実際、つるりとすすり込み噛みしめると、やはり米粉で作られたのだろうと思える、もちっとした食感。スープは野菜や香草を追加するのが前提なのか、色々な旨味がどっしりと濃いめの味付けに感じられるが、後味はトマトなどの酸味も利いていて意外とさっぱりとして、後を引く。

 つい次の一口、と麺をすすりたくなるが、目の前にはまだまだ色々な料理がある。まずは手軽そうなものに……と目についたのが『ネム・ザン』とフンさんが言っていた春巻きらしきもの。ベトナムと言えば生春巻きという印象があるが、これは普通に揚げてある。刻んだニンニクや唐辛子の浮かぶタレを付けてパリッと食べると、タレの甘酸っぱさの後に豚の旨味。肉の他にいろいろな野菜や香草も入っている餡は、くどさは感じない。中華の春巻きとは違うものだが、これはこれで美味い。

 他にも、揚げた白身魚を香草類と共に炒めた料理や、海鮮具材たっぷりの鍋など、具材や調理法もバラエティに富んでいる。総じてタレやスープに酸味が感じられるのが印象的だ。ふと、俺は子供の頃は酸っぱい物が苦手だったことを思い出し、ミラの様子を窺うが、どうやら彼女は酸っぱい物は大丈夫のようだった。

 カイがカエルの姿焼きにかぶりつく姿には少し引いたりしつつも、どれも美味しく頂けた。が、何しろ量が多い。飲み物を運んできてくれたフンさんに、全部は食べられそうにない、と伝えると、全部食べられちゃったらこっちが困るよ! と笑顔で返された。

 そういえば、どこかの国では残すのがマナーだ、なんて話を聞いたことがあったが、ベトナムがそうだっただろうか? あるいは、単にフンさんが俺たちが恐縮しないように気を遣ってくれただけかも知れないが、何にせよ、そこに感じられるのは親切心ばかりで、俺はこんな時間を過ごせたことを、改めて、良かった、と感じ入ったのだった。

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