53.覚悟

 俺たちが『フーチェン』という、東に海を望む街へ辿り着いた頃には、もう五月をいくらか過ぎていた。

 ハ・ノイで落ち着きを取り戻した俺は、それからの旅路を急ぐつもりはもうなかったが、かといって、馬車などの移動手段があるのに利用しないのも何か違うような気がして、結局、タブレットで地図を確認する限り、おそらくは徒歩なら二ヶ月以上掛かる距離を、一月ひとつきとちょっとで移動してしまった。

 道中、料理の味付けが中華っぽくなっていく(意外と辛くはなく、ミラも美味しそうに食べていた)のに変な感動を覚えたりと、精神的にはそれ以前より余裕のある旅ではあったが。

 ともあれ、ついに東シナ海だろうと思われる場所の目前までやってきたわけだが、ここに来て俺は、今まで努めて考えないようにしていた事柄を、ついに無視するわけにはいかなくなってしまった。

 その事柄とは――どうやって海を越えて日本まで渡るか、という、極めて当たり前の問題だ。

 フーチェンに辿り着いてから三日ほど、その問題に直面するのをついつい避けてこの街で観光めいた行動をしていた俺だが、いくらミラやカイが文句も疑問もなく付き合ってくれるからといって、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 まずやるべき事は、船を探すこと。海を渡り日本まで行ける船が有るのかどうか、それが前提だろう。もちろん、船以外の手段があるのならそれでも良いが……、まず思いつく手段としては飛行機、だが、三年以上を過ごしたこの世界でそのようなものは見たことがない。その可能性はまず無さそうだ。後は……海底トンネルくらいだろうか。台湾までのトンネルなら、元の世界でもそういう話はあったはずで、実際に有っても不思議というほどではない。だがそれが、日本まで、というのはさすがに考えにくい。やはり現実的な手段は船になるだろう。

 そして、よしんば有ったとして、その所有者に運んでもらえるのか、あるいは借りるなりできるのか。有るのが所有者のいない船なら、それが日本までの航行に耐えるものか、譲ってもらえるのか。たとえ借りたり譲ってもらえたとしても、それを俺が操縦できるものなのかどうか。

 ――考えれば考えるほど難しい問題に思えてくる。

 だが、案ずるより産むが易し、という言葉もある。楽観するわけにもいかないが、ただ頭の中で考えていても物事は動かないのだから、行動するしかない。

 できることなら、俺たちを運んでくれる人に出会えれば良いと思う。だが、ここまで来てもなお、出会う人はみんな親切だ。その、この世界の人たちの優しさに、付け込むようなやり方だけはしたくない。

 今まで旅の理由を問われたときに答えていたように、俺自身のルーツを求めている、という漠然とした理由だって、この世界の人なら快く助けようとしてくれそうだが、そこには嘘はなくとも、事情の全てまでは語っていない後ろめたさのようなものがある。この世界で出会ってきた人たちが皆、尊敬に値する人たちだったからこそ、利用するようなやり方はしたくないし、できない。

 ましてや、海という、命の危険と隣り合わせの場所を往くのだ。もちろん、河川だって油断すれば危険なのだろうが、やはり俺のイメージでは海の方が危険度が高い。本当はミラやカイだって連れて行きたくないのだ。それが、善意の他人であるなら、なおさらだ。


 ――どうか、誰も不幸にならない形で、俺の願いが叶いますように。

 そんなささやかな祈りは、少し後、全く思いがけない形で叶うことになる。


 フーチェン東の門を潜り、道なりに歩けばものの十数分で海沿いの集落まで到着した。フーチェン東の高台から海が望めるくらいの近さだから当然ではあるが。

 辿り着いたのは小さな漁村だ。ただ、入り口で聞いたところではここもフーチェンの一部ということらしい。これも町外れと言うのだろうか?

 ともあれ、目的を果たすため海際へ向かうと、ちょうど漁の成果が船から降ろされているところだった。大人が二、三人は入れそうな容器に魚介類がたっぷりの氷と共に放り込まれ、荷台に運ばれていく。手前で見かけた馬房の馬たちが引くのだろう。

 ざっと見たところ、漁船はどれも、漁果を運ぶことを考えれば、定員は片手で数えられるだろう程度の、小型船舶の範疇と思われるサイズ。周囲に視野を広げても、見かけるのは同じような船ばかりで、大型の、あるいは長距離の航行を目的としたような船は見当たらない。

 漁師さん達の作業が落ち着いたのを確認してから話を聞けば、この辺りの船で行けるとしても、東の島がせいぜいだ、と言われた。

 ちなみに、その“東の島”の名称は『タイワン』だという。これはさすがに『台湾』と考えて間違いないだろう。

 聞き覚えのある名称に思わず詳細を尋ねると、その台湾島出身だという、五十代くらいの男性のリン・ピンアンさんが島の“言い伝え”を教えてくれた。

 なんでも、かつて台湾島は今よりもずっと広く、多くの人が暮らしていたという。そして、大陸はもっと近く、交流も盛んだったそうだ。だが、『タールーツィールォ』(カイによれば『大陸落下』という意味らしいが、音的には『大陸墜落』か?)による天変地異で台湾はその面積を大きく減らし、また大陸側の海岸線も海没により遠のいて、交流はほぼ絶たれたのだという。その後、大混乱期を生き残った人たちはそれぞれの国や地域の地下施設で長く暮らし、地上に戻った現在、台湾島には三つほどの集落に五百人を超えない程度の人たちが暮らしているばかりだという。大陸側との交流が復活したのも、ここ五十年ほど前からのことだそうだ。

 ……どうやら、過去にこの惑星でとんでもないことが起こったのは事実のようだ。別にルーメンの神話を疑っていたわけではないが、こうも離れた場所で同じような話を聞かされれば、信じない方が難しい。

 タブレットで地図を見た時、台湾と思われる島が記憶よりも小さいように思えたが、気のせいではなかったようだ。ヨーロッパの方の地形の変化から、ここが水位が大きく上昇した地球、という推測もしたが、それが補強された形だ。

 ただ気になるのは、“落ちてきた”とされるのが、ルーメンの神話では“大地”で、ここでは“大陸”だということだ。カイがニュアンスの伝達を間違えるとは思えないので、“大陸”という表現に間違いは無いのだろう。ならば、もしかしたら本当に落ちてきたのは巨大隕石などではなく、大陸規模の大地だったのだろうか? だが、それだけの質量が落下して、地球が無事であるものなのだろうか?

 ――わからない。分からないが、純然たる事実として、こうして世界は回って変わらず朝と夜を繰り返し、その中で人々は生きている。

 それは、すごく奇跡的なことなのかも知れない。だけどそれは、今を生きる人々には大して関係ない。人はただ、今ある環境で、めいっぱい生きているだけだ。

 俺の身に起こったことも、奇跡的ではある。あの時ファミレスで、確かに“死”というものを理不尽に突きつけられた。だが、俺は今、こうして、不思議な世界で生きている。

 帰れない、というのなら、この世界で生きていく覚悟は、もうあるつもりだ。だが、帰れる、となった時、俺はどう感じ、どう考えるのだろう? ……自分のことなのに、まるで他人事のように予想できない。


 ――この海を渡ることができたなら、きっと否応なく決断を迫られることになる。


 その事実に、今までは考えても感じなかったプレッシャを感じた。

 カイやミラは、もし俺が帰ると決めたとき、どうするだろう? これまでのように、ついていきたいと言うだろうか。

 俺の決断が、彼女らのこれからに大きな影響を与える――きっとそのことが、今になってようやく実感として、伸し掛かってきたのだろう。

 さすがにそろそろ、俺の身に起こったことをちゃんとカイやミラに伝えるべきだろう、と思った。

 ミラはここまでの道中で六歳を迎えた。まだ全てを正しく理解はできないかも知れないけれど、それを彼女と真摯に向き合うことから逃げる口実にするべきではないだろう。

 ……いや、俺がミラに対して誠実でいたいと思っているのか。そして、それはもちろん、カイに対してもだ。

 きっと、俺が嘘やごまかし無く伝えれば、それがどんな荒唐無稽な内容でも、彼女たちは信じてくれる。

 その上で彼女たちが決めたことなら。

 俺は、その決断を背負う、覚悟を決めよう――そう心に誓った。

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