50.宿命の再会?
船旅は、退屈なほど順調に、一週間で終了した。
ゲームであれば、初めての大型船での航行というシチュエイションには何らかのイベントを設定したいところだが、現実では平穏無事に越したことはない。……まあ、ダヌビゥスではリュウとのあれこれがあったので、ちょっと期待や不安があったのも事実だけど。
ともあれ、予定通りハルマンに到着したわけだが、ここでは良い意味で拍子抜けした。
言葉が違う、ということは、きっと環境も文化も違うだろう。そして環境が違えば
もちろん、最初に懸念していたとおり、言葉が直接通じない事は不便を感じる面もあった。だが、そのせいで俺たちを邪険に扱うような人はいなかったし、何なら彼らは聖獣と話せる機会を楽しんですらいた。カイがいなくたって、彼らは辛抱強く俺たちと対話してくれたに違いないと思うくらいには、皆、親切だった。
まあこれは、ハシムさんが親切だったことを思えば不思議なことでもない。彼が特別親切だったのではなく、“南”の人たち皆の気質だったのだろう。
……いや、それ以前に出会った人たちのことも思えば、この世界に共通する気質なのかも知れない。とはいえ、そうと決めつけて油断するべきでもないだろう。俺一人が痛い目に遭うならともかく、ミラやカイを巻き込むわけにはいかないのだから。
まあ、カイなら俺が心配するまでも無い気はするし、俺だってできることなら痛い目には遭いたくない。
しかし、いくら人が親切とはいえ、船を下りてからの旅は決して楽なものではなかった。
元の地球で言えばイランの南方になるだろうか、なにせこの辺りは山が多かった。河口付近からそのまま海沿いに行けば比較的平坦な道があるかと思いきや、いくつかの村を経由した先では海岸線が山際に接していて、さらに東へ向かおうと思えば整備されていない山道を行くしかないという。
仕方なく人の行き来のある道を利用するも、道は山を南へ迂回した後に北上したりするうえ、山道を回避してもなお平均すれば上りが続くような道のりが続き、体力的な負担も大きかった。
その先の高原部は、雨に降られることはなかったが、そのせいか乾いた大地がどこまでも広がり、その光景に俺は、ミラと出会う前に横断した荒野を思い出した。ただ、あちらと違うのは、大地が起伏に富んでいること、そしてその内にはちゃんと草花の姿が散見されたことだ。「こんな所にも花は咲くのか」という小さな感動は、後から思えば、単調な旅の中で大きな癒やしだったように思う。
シィラーズという街に辿り着いた後は、東へ交易に向かう『カールヴァーン』という一団が俺たちを同道させてくれた。彼らの“足”である、ウマだかロバだか分からない動物(彼らは『バフロイ』と呼んでいたが、もしかしたらあれが『ラバ』というやつかも知れない)は最初、カイを見て少し警戒する様子を見せていたが、カイが「ワフワフ」と何事かを伝えると、なぜかカイがリーダの位置に納まったらしい。その結果、ザーヘダンという街で彼らと別れる際には「聖獣のおかげで順調な旅だった」と感謝されてしまった。ラバ(推定)がどれだけ気難しいのかは知らないが、道中さんざん世話になった俺たちとすれば、感謝しこそすれ、されるのは恐縮する思いだった。
とはいえ、俺たちが“お荷物”でなかったのなら本当に良かったとも思う。彼らとは三週間ほども一緒にいたが、カイを仲介したコミュニケーションでも、別れの際にミラが少し泣いてしまう程度には、仲を深められたのだから。
そしてまた、さんにん(『二人と一匹』だとまたカイが拗ねてしまう)での旅路。
それまでと比べればずいぶんと勾配の緩くなった道を東に進んで数日。
――そこで、俺にとって、それはきっと運命の……いや、宿命の再会を果たすことになる。
それは、名もなき村だった。
ハルマンを発ってから既に一月半は過ぎ、暦は十一月を迎えていた(言葉は違えど、暦は共通しているようだ。少なくとも、トキヤのそれとずれは無い)。そのため、村では普段の収穫に加えて冬の準備も始まっているようだったが、忙しい中でも、彼らは俺たちを温かく迎え入れてくれた。
そんな彼らが、俺らを歓待して饗してくれた夕食。彼らが『サーレン』と呼んだ料理の、その香り、その姿に、俺は緊張する自分を自覚した。
それは、“あの時”のものとは見た目も香りも全然違うものだ。料理として広義では同じものではあるのだろうが、日本の食文化の特質を考えれば、もはや別物と区別してもいいのかも知れない。だが、今問題なのは、“俺にとって”これが“あの時”のものと同類、同種の料理であるということで、つまり何が言いたいかというと――はいこれ『カレー』です。
正直に言えば、俺は“あの時”ファミレスで起こった事を、詳細に明確に覚えているわけではない。ただ、あの時全身で感じていた、俺の身体を強ばらせ、身動きを封じていた、あの、質量を持って迫るような『死の予感』とでも言うべきものに感じた、恐怖という言葉では足りない、何か圧倒的な感情、感覚。それだけは確かに俺の中に刻みつけられている。身体とは裏腹に高速で回る頭の中では、とぼけたことを考えていたような気がするが、あれも死の予感を真っ正面から受け止めないための防衛反応だったのだろう。あの、クマの魔獣と対峙したとき、恐怖に襲われても俺がパニックに陥らずに済んだのは、きっと、より大きく理不尽な恐怖と対峙した経験があったからだ。
つまり、俺が今感じている緊張は、『カレー』によってあの『死の予感』が、その恐怖が、フラッシュバックするのではないか、という不安から来たものだ。
幸い、それを見ただけでは、その緊張以外に自覚できる強い反応はない。では、口に入れたら、どうなる?
「ミラ、これは辛いかも知れないから、少しずつ食べるようにな」
「うん、わかった」
ミラを気遣うことはできている。大丈夫、俺は冷静だ。
「よし。じゃあ、いただきます」
「いただきます」
元は俺の真似をするだけだったミラも、イェナカラで自身も食べ物を育てる体験をしてからは、その言葉に心がこもっている。
そんなミラの様子に笑みを浮かべつつも、匙を持つ手は少し強ばる。静かに呼吸を深く、一つ。匙をそっとカレーに沈め、すくい上げる。とろみはあまりないタイプだ。それを慎重に口に含むと――。
最初に感じたのは辛みではなく、酸味だった。そして複雑なスパイスの香りと共に広がる旨味。
――うん、おいしい。
トラウマなんて無かったんや! ――って、何だったんだ、ここまでの茶番は。考えてみれば、俺に死の恐怖を与えたのはあくまでもタンクローリーであって、カレーではない。
ともかく、カレーを美味しくいただけるのなら何の問題も無い。変な緊張もすっかり解けて、改めてカレーを観察する。
具材で一番目立つのは、骨付きの肉。見慣れた鶏の手羽元に見えるこれが、容器の中央にドカンと二つ。後は……明確に形を残しているのはタマネギだろう野菜くらいか。なるほど、先ほどの旨味に納得のいく具材たちだ。よく煮込まれているようで、肉は匙でつつけば簡単に骨からほぐれた。溶け込んだ野菜などもあるのかも知れない。
そして横には、『ナン』に似た、薄く円形の焼かれた食べ物。これは
チャパティ単体で食べてみれば、カリッとした歯ごたえの後、口の中に小麦の風味が広がった。昔、初めてナンを食べたときは「思ってたより甘いんだな」という第一印象だったが、これはそれより素朴な味わいだ。
――あれ?
チャパティで舌がリセットされたせいか、じんわりと口の中に広がっていた辛みが強調される。
そこでちぎったチャパティでカレーをすくって口の中へ。すると素朴な味わいが辛みを和らげ、平穏を取り戻した舌が旨味を鮮明に味わい、またじわりと辛みが立ち現れ、ついついまた次の一口――と、後引く美味さのループに突入する。このループは『break』でも止められそうにない。
とはいえ、口に広がるこの辛さ、俺にとってはそれほど強い辛みではないが……。
「……からい……」
「あぁ、だよなぁ。……あっ、そこの白い……多分ヨーグルトだ。少しずつ足して調整してみな。それでも辛かったら無理に全部食べなくても良いからな」
やはりまだミラには辛すぎるようだ。個別に配膳されたものとは別に置かれたヨーグルトはそれを見越して用意してくれたのだろう。最初に感じた酸味はトマトやスパイスのものかと思ったが、ヨーグルトも既に入っていたのかも知れない。その酸味が最初に辛みを感じにくくしていたのなら、追加することでミラには食べやすくなるだろう。
「これなら、だいじょうぶ」
お椀に入っていたヨーグルトの大半が消え、ようやくミラのお気に召したようだ。
ミラにも笑顔が戻り、カイも羊か何かの肉を供えられてご満悦。俺も最初の緊張なんてどこ吹く風で、気がつけば楽しく平穏なひとときだった。
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