48.おおっと
とりあえず単純に『タブレット』と呼ぶことにした端末に関する調査は、困難を極め――るかに思えたが、項目の内、『Occasum』が色々な設定を行うものであること、その内の『Lingua』が言語設定であることが分かると、調査は一気にはかどった。なぜなら、『Lingua』の設定項目の中には『日本語』が存在したからだ。
日本語に設定を変更したところ、『Occasum』は『設定』で、『Lingua』が『言語』だった。どちらもこっちで習っていない言葉だったので、『Occasum』に関しては全く推測が立たなかったのだが、『Lingua』に関しては英語の『Language』に似ているな、という直感が正しかった形だ。
その他の表示も全くと言って良いほど違和感の無いレベルで日本語化されていて、少なくともそれまでよりは格段に調査が捗った。
そして判ったことの一つが、どうやらこの端末は『衛星通信』との接続が生きている、ということだ。ルーメンの端末に“神託”として表示されたという文言もそこから受信したものかも知れない。
だがそうなると、“それを送信したのは何者なのか”という疑問も生まれる。
俺たちの出現を予知、あるいは予測し、その情報をルーメンの端末へ送信した存在――。
俺がまず思い浮かべたのは『超高性能AI』だった。未来予測すら可能にするスーパコンピュータを超越するコンピュータ、そこに生まれた高度な知性。通信衛星が生きている以上、監視衛星なども生きていて不思議じゃない。それによって世界中を監視し、『神話』や『神託』で人類を誘導する、正に『神』とも呼べる存在。この世界の人々は、その『神』に支配され生かされているのだ――なんていうのは、さすがに妄想が過ぎるか。
次いで、未来予知を行える人物を考える。魔法がある世界だ、未来予知を始めとした『超能力』があっても不思議ではない。そういった人物が通信衛星を用いて、予知を然るべき端末へ送信している――。ただ、この世界で出会った人々から、文明的なものを忌避する傾向がある印象を受けてきただけに、この想像はあまり現実味が感じられない。
まあ、この辺りはかつて保科君たちと話し合ったこともあったが、現状の情報量では、結局は“わからない”という結論にしか辿り着けないだろう。こういった、憶測ですらない妄想は、ゲーム作りのきっかけにはなり得た過去ならいざ知らず、今の俺では生産性が無いものだ。
推測する情報を得ようにも、衛星通信でこちらからアクセスできる情報は少ない。ルーメンの端末にもあった、地図であったり、動植物の図鑑のようなデータベースであったり、そういうものが送信元不明のまま衛星経由でダウンロードされたものだろうと推測できた程度だ。あるいは、俺がネットワークに詳しければもっと色々調べる手段もあったのかも知れないが、今となってはそれを学ぶ術も無い。
ググることができるならともかく、インターネットへ接続するためのもであろう項目はあるが、ネットワークに接続するための手段が無いか、ネットワークそのものが既に存在しないのか。いずれにしても、使えないという事実があるのみだ。
ともあれ、この端末は、俺がこちらで学んだ言葉で利用されていたこと、そしてこの世界の通信衛星と接続していることから、どこか別世界から転移してきたものということはないだろう。
そして、その端末に『日本語』という設定があった以上、それが未来であれ、パラレルワールドであれ、ここが地球であることは確実なのだろう。
今までもその推測はしてきたが、どこか目を逸らそうとしていた所があった。それが自分の中のどういった感情から来るものか、まだ整理はつかないが、もう認めるしかないだろう。
認めた上で――俺たちの身に何が起こったのか、魔法なんてものがある地球に何が起こったのか。そういった疑問に対して、その答え、または納得できる何らかの情報を求める気持ちは……やはり変わらない。
それが、東へ……いや、日本へ、向かうことで得られるのか、それは分からない。だが、この端末で調べられることにも限度があると分かった以上、ここで立ち止まるわけにもいかない。ここで旅を諦めても、俺は絶対に納得なんてできないだろうと分かるからだ。
もしかしたら、その結果得られる“納得”は、“諦め”かも知れない。“絶望”かも知れない。
だが、俺の中に、そんな弱気な俺とは別の、「それでもだ!」と叫ぶ俺もいる。
その声は弱気を吹き飛ばし、強く、俺を突き動かそうとしていた。
ドォウ・トキヤにある街『ゲニマラチャ』は、大河『マニャ・フラト』の西側に位置する大きな街だ。夏の収穫やミラの勉強に一区切りがついたことで、東への旅を再開する決断をした俺たちは、この街までやってきていた。
実際に訪れ歩いてみれば、広さだけならイェナカラより広いとすら感じるが、風景の多くは農畜産業に関わると思われるもので、『街』としての規模としては、やはりイェナカラの方が大きい、ということになるのだろう。ただ、それだけ広大な農場のある街だ。ドォウに限らず、トキヤ全域で見ても指折りの穀倉地帯であることは間違いないと思われる。
その事実は俺の胸の内に、やはり“大河”というものは脅威でもあるのだろうが、恵みをもたらす存在なのだなぁ、なんて感慨を生んだ。ここが未来の地球かも知れないこと、そして、その地球の“文明”というものの起こりを思えば、なおさらだ。
タブレットで地図を見る限り――ルーメンで見た地図はルーメンの辺りを中心に固定され、アフリカ大陸やアラビア半島にあたる地域はその全容を見ることができなかったが、この端末なら中心点を変えて見ることができる――マニャ・フラトは、ずっと南東、元の地球で言えばペルシャ湾にあたるであろう所まで続いている。その東にもトキヤの人たちが『マニャ・ディジュレ』と呼ぶ長大な河があることから、やはり両者はユーフラテスとティグリスなのだろうと思われる。その推察が、先ほどの感慨に繋がったのだろう。
ともあれ、この河を移動に使えればかなり時間の短縮ができるはずと考え、このゲニマラチャを目的地に選んだわけだ。
当然、魔魚の存在が最大の懸念点になるわけだが、俺の中では全く勝算無くここまで来たわけではない。
広大なマニャ・フラトが西側の海と接続していることで、トキヤの南部は、というか、地球で言えばシリア以南のアラビア半島が完全に分断されている(地図を見る限り、アフリカ側との陸地の繋がりもない)。そして、トキヤに来てから聞いた話では、その分断された“島”は、そこに住む人が確認されていない(少なくとも交流は無い)、魔獣が闊歩する大地なのだという。だが、その魔獣は河を渡ってくることはないともいう。それを聞いて俺は、このマニャ・フラトもダヌビゥスのように、その全域とは言わずとも聖域化している部分があるのではないか、と考えた。
――のだが。
ゲニマラチャのほぼ東端、見晴らしの良い高台から見えたのは、視界のほとんどが、陽光煌めかせる水面と、ぼやけた雲がまだらを作る水色の空で埋め尽くされた光景だった。この視覚情報だけで「これは海の風景だ」と言われれば、ほとんどの人は信じるだろう。嗅覚情報のある俺でさえ半信半疑だ。ダヌビゥスも俄には河とは信じがたい規模だったが、それ以上だった。
(もしかしたら、聖域だから魔獣が河を渡らないんじゃなくて、広すぎて渡れない、渡りきれないって事なのか……?)
そんな不安が頭を過ぎる。
だが、目の端に動くものの影が見え、そちらへ目を向けると、水上を流れるように進む船が見えた。遠いので小さく見えるが、逆に言えば遠くからも船だと分かるサイズということで、俺の知る豪華客船や戦艦などとは比ぶべくも無いだろうが、そこそこ大きい船だと思われる。
(聖域じゃなくとも、少なくとも船を使えないほどの危険があるわけでもないのか……)
魔獣の侵入を阻むほど凶暴な魔魚がいる、という可能性も頭を過ぎったが、そこまでの危険は無いらしい――そう思ってから、俺があれこれ考えるよりも現地の人に聞いた方が早い、と気持ちを切り替えた。
視線を下ろすと、三段ほどの平地になっていて、上段と中段にはいくつかの建物と土の山が見え、下段が河原になっている。ただ、視線をスライドさせていくと、やがて中段から伸びる大きな桟橋らしきものが目に入った。桟橋は途中にいくつか階段があって、何段階かの水平面を経て現在の水面に近接している。増水への備えだろうか? あるいは、今そこにいる人影がおこなっているように、船を着けるためでなく、釣りをするための桟橋なのかも知れない。
河の広さを推測できるだろうか、と思いついて、タブレットの地図を確認する。
拡大表示すると、俺たちの現在位置と思しき場所がマークされている。だが、そのマークは目の前にあるはずの河まで、まだ少し距離がある。俺たちの位置と地図の河の位置、どちらかが間違っているのか。
地図が作られたときと河の形が変わっているのかも知れないが、ただ、眼下の光景を見るに、少なくとも近年に河の形が大きく変わったということも無いように思える。川縁に注目すれば、その水の流れは穏やかだ。現状が地図と比べておかしいと思うほどの増水をしているとも考えにくい。
地図が相当古いのか、位置情報が精確で無いか。いずれにせよ、あまり地図を過信しすぎてもいけないことは覚えておこう、と胸に刻む。
――地図だけ見て歩いていたら『*みずのなかにいる*』なんてのはゴメンだ。
そんな、益体のないジョークは頭の中だけに留めつつ、目の前の光景に呆然と見入っていたミラが満足するのを待ってから、話を聞ける人を探すことにした。
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