47.ようこそ
タブレットPC
「『清潔(タブレット)』」
堪らず清潔を掛けるが、思ったほど端末自体にこびりついた汚れはなかったようで、追加で落ちたのは“ぱらっ”といった程度だった。かなり高度な防汚加工がされた材質なのかも知れない。
裏面を目で見て、指先で探ってもみたが、メーカ名や型番が直接刻印されている様子は無い。印刷やシールなどが風化するほど古いものなのか、元よりそういった表示がないものなのか、判断はつかない。
側面を見ると、長辺側の片側に電源と思しきボタン、そして三種類、四つのソケット(あるいはジャック)がある。ソケットの内、同じ形の二つはUSBポートのように見えるが、周囲を探してもUSBを始めとしたプラグ側の機器は見つからず、残念ながら確認のすべはない。
とりあえず、そういった外見はルーメンで見た『太陽神の書』と大差は無い。手に持った感じ、こちらの方が一回り小さいだろうか。
端末を魔法の光に近づけて、少し待つ。そして電源らしきボタンを押してみるが……沈黙。
正直、これは期待していなかった。ルーメンで見た端末は、先人達が思いつく限りの手段を持ってその起動を試したが、結局、太陽の下でしか起動することはなかった、という話をアントーノから聞いていたからだ。『太陽神の書』なんて大仰な名前にはそれなりの理由があるというわけだ。
つまり、この端末も、地上に戻って太陽の下で試さなければ動作する期待は持てないだろう、ということだ。
とはいえ、この保存状況はお世辞にも良いものとは言えない。そうでなくたって、“普通に考えれば”バッテリやストレージを始め、あらゆるパーツが経年劣化していても不思議ではない。そう思う一方、やはりこの魔法なんてもののある世界で“普通”の判断で結論を急ぐのも早計だという思いもある。
例えば、俺が外套などにエンチャントしている『耐劣化』のようなものがこの端末に付与されていないとも限らないだろう。または、魔法的なものでなく、先ほど防汚加工を高度だと判断したように、俺の“常識”を遥かに超える高い技術で作られているのかも知れないのだし。
ともあれ、一通り部屋を見て回ったが、これ以外に収穫になりそうなものはない。始めこそカイと共に興味深げにあちこちを見て回っていたミラも、さすがにつまらなさそうな顔を見せ始めている。そろそろ頃合いだろう。そう判断して、地上への帰途へ就いた。
「あっ、点いた」
地上に戻り、太陽の下で電源ボタンを押すと、ジジジッ……と、ほんの微かな動作音を立てて端末はあっさり起動した。太陽が発する、光以外のなんらかの要素が必要なのか、それとも、魔法の光では発電に必要な作用を起こすための何かが足りないのか。気にはなるが、その辺りは俺の知識ではいくら考えても分からないだろうと諦めた。ちなみに、ユニコーンや子馬は俺たちが戻ってきたときには既に姿を消していた。
「見せて!」
そう言ってミラがぴょんぴょんと覗き込もうとするので、とりあえず座って作業することにする。
「ん~? ……これ、なあに?」
もっともらしく腕組みして画面を覗き込んでいたミラが、判断を諦めたのか、普段の様子で俺に尋ねてくる。
「多分、ずっと寝たままだったこの機械が、起きるために色々と検査しているんだよ。だから、少し待たないとね」
モニタには、無地の青背景の手前にダイアログ・ウィンドウ的なものが現れては消えてを繰り返している。そこにはアルファベット的な文字で何らかが書かれているのだが、表示される時間が短いため、おそらく英語ではなくこちらで学んだ言葉だろう、という判断ができる程度で、内容までは読み取れない。聞く、喋るならともかく、読み書きはそこまで得意ではないのだ。
ただ、新しいウィンドウが出る度に、そこに書かれている内容が違うことくらいは判る。具体的に何が行われているかは判らないが、作業はちゃんと進行しているようなので、明らかにループしているようだったり、明確なエラー表示が出るまでは待つしかない。
「あっ、ほんとだ! オサム、すごい!」
少しすると、画面に大きく文字が表示されて、次いで、高所から見下ろしたような田園の風景が背景に映し出された。最初に表示された文字はアルファベットにすれば『Welcome』。これは、英語でもこちらの言葉でも同じ綴りで同じ意味だ。
「別に、俺がすごいわけじゃないよ……」
と言いながらも、ミラから尊敬の目を向けられて、思いがけず嬉しく感じていたりする。
「すごいです、恩人!」
俺をもっと喜ばせようとしてか、ミラに対抗してか、カイまでそんなことを言い始める。
「わかった、わかった、ありがとうな」
そう言って、苦笑しながらふたりの頭を順に撫でてやり、端末に向き直る。
とりあえず、起動に認証が無くて助かった。パスワードなどを求められたら途方に暮れていたところだ。
タブレットの電源ボタンなどがある辺を右側に、縦長で見ているが、先ほどの文字を見る限り、向きはこれで間違いはないのだろう――と思ったが、もしかして、と端末を横長方向に回転させる。すると、画面の表示はそれに合わせて回転した、というか、俺から見て常に背景画像が固定されている状況だ。
斜めにしても、ぐるりと回転させても、俺の方が首を傾けても、画像は常に俺から見て正面だ。傾きを感知して表示を切り替える、という感じではなく、俺の視線を認識しているのだろうか。ぱっと見でカメラらしきものは見つからないが、どうやって俺を認識しているのだろう? カメラの穴が見つけにくいだけなのか、別の認識手段なのか。
カメラがあるのか確かめるために、俺が認識されないように、腕を伸ばして端末を前方に突き出す。すると――
「おおっ……」
「なんか出てきた!」
先ほど見ていた画面が、宙に浮き上がった……ように見えた。ホログラフィで宙に投影されているのだろうか。向こう側が透けて見えるが、どういう技術か画像の色味はくっきり判断できるクオリティだ。ミラのリアクションを見れば、俺だけに見えているものでもないのだろう。
手元に引き戻せば、立体映像は消えた。少なくともルーメンの端末でこんなことは起きなかった。こちらの方がハイスペックなのか、設定次第で同じ事ができるのか。
「消えたー。変なのー」
そう言ってミラは笑うが、俺としては技術的な面に「すげえな」と感心している。こういった違いは知識の差なのか、単に琴線に触れる部分の違いなのか。まあ、こういう機械いじりが好きな感性は男性的なものだという話も聞いたことがあるし、ミラと感想が違うのも、ちょっと寂しいが、しょうがない。
そんなわけで、俺としてはいつまでもメカニカルな部分への好奇心を満たしていたいところだが、俺一人でない以上、そうもいかないだろう。
ひとまず、かつての習慣から、画面の下方をタップしてみる。と、“タスクバー的なもの”が表示された。
いくつか並んだアイコンの内、まずはキーボードのようなアイコンをタップしてみる。
「わっ……」
「うおっ……」
ミラと俺がほぼ同時、思わず声が出てしまったのは、画面から飛び出してぐいっと手元に延びてくるように、ホログラムのキーボードが宙に現れたからだ。
キーに表示された文字はこの世界で見てきたものだが、配置自体はほぼ見慣れたもののように見える。それに気付いて、この世界について考えそうになるが、ひとまずそれは意識して脇に置く。
キーをタップしてみるが、当然ながら手応えはない。画面の方にも変化がないのは、単にキー入力が必要なアプリが起動していないためか。とりあえず後回しにしようと、もう一度キーボードの形のアイコンをタップすると、キーボードは引っ込んだ。
次いで、さらに右の方のアイコンをタップすると、ウィンドウが開く。ウインドウの上部右端には見慣れたアイコンというかボタンが並び、その一つをタップすれば思った通りの動作が行われた。どうやらUIは“窓のOS”と変わらない感覚で操作できそうだ。
とはいえ、表示されている言語はこちらの言葉だ。喋り言葉や一部の手書き言葉のように、そこに明確な意思が込められていれば、カイに翻訳を頼むこともできるのだが、実際試してもらっても、やはり機械的に表示された文字からそれはできないようだ。
――どうやら大変な仕事になりそうだ。
そんな風に思いながらも、こういったデバイスを扱うのにワクワクしている自分がいる。のめり込みすぎないように、と自分に言い聞かせつつも、その点では自分をあまり信用していない。
なので、まずは腹ごしらえだ。俺が夢中になって腹を空かせるのは自業自得だが、ミラとカイにひもじい思いをさせるわけにもいかない。
頭上高く昇った太陽を手庇で見上げてそう考えて、俺の役に立てないとしょんぼりするカイを慰めてやりつつ、昼飯の準備に取り掛かった。
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