45.聖域に住まうもの

 イェナカラから南南東、徒歩で三日ほどの位置に、イェナカラの人たちが『ベートゥス・エクゥス・テラム』と呼ぶ聖域がある。

 俺の語彙で訳すれば『旧き馬の土地』といったところだろうか。古くからを生きる馬の聖獣の領域なのか、単にかつて馬が多く生息していた土地なのか、あるいは他の由来があるのか。ともかく、そう呼ばれる土地に俺たちは足を踏み入れた。


 俺たちがここを訪れたきっかけは、ミラが授業でこの土地の事を知ったことだ。

「カイもお友達に会えるかもしれない!」

 と、自分の興味ではなくカイの為に力説するミラに、なんて良い子なのだろうかと感動しつつ、どうすっか、と迷っていたのだが、

「では行きましょう!」

 と、カイも乗り気だったので、

「じゃあ、行くか」

 と、なったわけだ。

 別に、軽いノリだけで決めたことではない。俺自身も興味が無いわけでもないし、グランと出会ったときのように何らかの指針を得られるかも知れない。あるいはリュウ達のように直接的な協力を得られるかも知れないし、ミラの言うようにカイにとって良い出会いがあるかも知れない――なんて考えもあっての、一応はちゃんと考えた上での決断だ。

 他には、聖域だからそうそう危険はないだろう――なんて考えもあったのだが、これに関しては、聖域まで半日ほどの位置にある最寄りの村落で「かつて岩窟の崩落に巻き込まれた死亡事故が起こったために近づくものは少ない」と教えられ、自分が甘かったと反省した。

 どれだけ人々が優しくても、この世界が優しいわけではないということは、魔獣という脅威一つとってみても明らかだ。当然、そういう自然の驚異というものも簡単に人に牙をむくこともあるだろう。……いや、だからこそ、この世界の人々は自然と助け合い協力し合う性質を身につけるに至ったのだろうか?

 とはいえ。ここまで来て引き返す、というのも惜しい気がするし、ミラもカイもそのつもりは無いようだった。

 洞窟が危ないと判っているのなら、迂闊に近づかなければ良いだろう――ということで、当初の目的通り聖域までやってきたのだった。


 最寄りの村から道沿いに南下し、やがて道が緩やかな上りに変わると、進むにつれて、周囲の地面には岩盤の露出が目立つようになった。そしてしばらく歩いた先、おそらくは聖域内に入ったのだろう、ちょっとした違和感を感じたこの辺りでは、周囲の地表のほとんどは岩になっている。

 上ってきた道を振り返り目線を上げれば、遠くには山々の連なりが青空を切り取り、眼下には広がる岩場の内に緑がコントラストを作る。そんな、自然が生んだ絶景に、わずかな間、圧倒された。

 気を取り直して周囲に目を向ける。上よりも横に大きな木々。紫や黄色を天に誇示する花々。ほとんどが岩場と見えるこの大地にも、命が確かに息づいているのを見て、自然への畏敬の念がわき上がる。……あるいは、他の人も感じるであろうそういった感情たちが、ここを聖地たらしめているのかも知れない、なんてふと思う。

 ただ、この場には自然ばかりが存在するわけではないようにも感じる。道を上る途中、遠くからも見えていた巨大な岩山は、その側面に不自然に思えるほどいくつもの穴を開けているし、周囲には所々、天へ鋭い先端を向けた岩が柱のように立ち並んでいる。これらの造形は洗練されているとは言い難いので、人の手が入ったものと断言もできないが、自然にこれが形成されるものとも俄には信じられない。もしも、これが全て自然によって生み出されたというのなら、そこにはやはり畏敬の念を抱かずにはいられないだろう。

 ――ただ、なんとなくここと似たような風景に見覚えがあるような気がする。だが、これだ、というものに思い至らない。デジャヴュなのか、忘れているだけなのか。

「ウォン!」

 突然カイが一声吠えて、俺は思考の淵から引き戻された。

 カイの視線が向く方、ここよりさらに坂を上った先をつられて見るが、そこには何も無い。

「あのね、上にウマさんがいたの」

 辺りを見回す俺に、ミラが教えてくれる。

「馬……? カイ、危険はないんだろ?」

 先ほどのカイの吠え方は、俺に挨拶する時のような気楽さがあった。だから俺もさほど警戒はしていないのだが。

「はい、こんにちわと声を掛けたら、逃げられました」

「そうか……」

 やっぱり馬の聖獣なのか……? なんて考えつつ、どうしようかと考えていると、今度はミラが「あっ」と声を上げた。

 見れば、今度こそ俺にもその姿を捉えることができた。

 それは――まあ、確かに、馬ではあるのだろう。その毛並みが純白であることも、珍しくはあっても不思議というほどではない。だが。

「……ユニコーン?」

 額から、さほど長くはないのだが、角らしきものが一本生えている。だから俺としてはそう判断せざるを得ないのだが、まあ……うん、馬といえば馬だ。

 しかし……、今までも魔法やら魔獣やらと摩訶不思議なものに散々出会ってきておいてなんだが、こういう、いかにもファンタジーといった生物を目の当たりにすると、ちょっとワクワクする気持ちもありつつ、改めてここが、俺がかつて生きていた世界とは決定的に違う世界なのだと突きつけられたような、少しショッキングな感情もある。なんともアンビバレンスで、もどかしい心境だった。

「ウォン!」

 再びカイが一声吠える。

 そう聞こえたのは、俺が意識を向けていないからなのか、カイが伝えようという意思をこちらへ向けていないからなのか――そんなことを頭の片隅で思いつつ、相手の様子を見れば、今度は逃げたりせずに、こちらをじっと見つめている。

「さっきと違うウマさんだから逃げないかな?」

 ミラが少しワクワクした様子で呟く。

「ん? ミラ、さっきは違う馬だったのか?」

「うん、もっと、こう……ちっちゃかった」

 俺が尋ねると、ミラは両手を大げさに動かしてサイズ感を表現してくれる。その仕草の可愛らしさに、先ほど心に感じたモヤモヤが吹き飛ぶようだった。

「なるほど、そうだったんだな……って」

 ついほっこりしてしまったが、まだあのユニコーンが敵ではないと決まったわけじゃない、と気を取り直す。……決して、幼女の仕草にニヤつくおっさんという絵面に危機感を覚えたわけではない。決してだ。

 そのユニコーンはといえば、変わらずただこちらをじっと見つめるばかりだ。

 喋らないということは、聖獣ではないのだろうか? そうなると、角なんてものが生えている以上、魔獣である可能性が高いのではないか。それとも、そういった地球に準ずる世界であることを前提とした判断が間違いで、この世界は普通に額に角を生やした馬が生息する、地球とは違う世界だということだろうか?

 俺が目を逸らさずにそんなことを考えていると、ユニコーンはこちらに視線を送ったまま、ついてこい、といわんばかりに顎をしゃくるような動きをして、そのまま向こうへ向き直った。

「……ついて行ってみるか?」

「うん!」

「はい!」

 慎重を期す俺に対し、ミラもカイもあのユニコーンの後を追う気満々だった。

「……じゃあ、ついて行ってみよう」

 ミラはともかく、カイが警戒していないのなら大丈夫なのだろう――そんな判断をして、ユニコーンの後を追った。


 坂を上りきると、少し進んだ先でユニコーンが首だけこちらに向けていた。そして、俺たちの姿を確認すると、再び前を向いてゆっくりと歩き出す。そんな仕草からは、確かな知性があるように感じられる。元々、馬は賢い動物だとは聞くが……。

 ユニコーンの歩みは、下からも見えていた、側面にいくつもの穴を開けた一番大きな岩山の方へ、真っ直ぐと向かっている。歩いているのは道のようになっている比較的平坦な地面だが、それでも自然に晒されている岩場は、舗装された道路を歩くようにはいかない。

「カイ、ミラを背負ってやってくれるか」

 ミラの息が上がり始めている様子だったので、さすがに頃合いかと声を掛ける。カイも、分かってますよ、とばかりにすっと伏せてミラを待つ。

「ミラも、ここまでたくさんがんばって偉かったな」

 若干不服そうにこちらを見上げたミラに、そう声を掛けてやれば、「うん……」と少しだけ嬉しそうな様子も見せて、素直にカイの背中に跨がってくれた。

 ミラは、俺たちに迷惑を掛けまいとしてか、がんばろうとしすぎてしまうきらいがある。本人のがんばろうとする気持ちを邪険に扱うわけにもいかないから、まずはその想いを尊重するが、きちんとブレーキを掛けてあげるのも俺の仕事だろうと考えている。今回は少しがんばらせすぎたかも知れない、と思いつつ、あまり過保護に扱えば反感を育ててしまうのでは、という懸念もあって、この辺りの判断はあまり上手くやれている自信はない。

 だけど。

「カイ、ゴー!」

 ミラは、カイに跨がって、もうすっかり楽しそうに指示を出している。

 まさか俺が、ユニコーンなんて生物が存在する世界まで来た上、子育てに悩むことになるなんて、全く思いもしていなかったが……。

 ミラの笑顔を見れば、大変だという気持ちや不安な気持ちはありつつも、まんざらでもないと感じている自分に気付かされるのだった。

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