43.決意

 メルトポゥへは徒歩を選択した。

 ミラもキックボードに乗せてできるだけ急ぐことも考えたが、どれだけの距離を行くのかも明確ではないし、急ぐことでミラに負担を掛ける心配もあった。他にも、魔道具の利用が魔獣を引き寄せる可能性や、いざ魔獣と出くわしてしまったときに少しでも身軽で自由が利く状態の方が、ミラの安全を確保するにはベターだろう、という判断もある。まあ、魔道具に関しては外套が既にそれではあるので、気休め程度のものだが。

 ただ、この時点ではメルトポゥの安全が保証されていないことも、慎重側の選択をした理由の一つだ。つい先日に懸念したように、この村を壊滅に追いやった魔獣達はそちらから流れてきた可能性だって否定できないのだから。

 実は、最初に見たときはもぬけの殻だった厩舎に二頭の牛(乳牛と思われる)が戻ってきていたが、身軽でありたいと思えば、この牛たちを連れて行くことも断念せざるを得ないと判断した。飼葉はできるだけ下ろしてはおいたが、後は自力で逞しく生きてくれることを祈るのみだ。

 ――などと、色々と考えてはいたわけだが、牛たちのことを除けば、結果的には杞憂だった。

 メルトポゥまでは大人の足で半日程度の距離だったし、カイの背に跨がったミラに体力的な心配もなさそうだった。その道中で魔獣に出くわすこともなかったし、道自体も多少の起伏がある程度で、さほど大変な道行きではなかった。

 だが、下手の考え休むに似たり、なんて言うのは結果論だろう。そもそも、あーだこーだと考えてしまうのは昔からの性分なので今更変えるのも難しい。分別過ぎれば愚に返る、なんて言葉もあるが、愚とはならず杞憂で済んだだけ良かった、と思うことにした。


 メルトポゥに到着して、まずはこの街のまとめ役の一人の元へ案内されることになった。今回はただ旅の途中で寄ったわけではなく、西の村で起こったことを伝えねばならないためだ。

 先導してくれる男との間に会話はほとんど無い。西の村で起こった事が深刻なだけに、こちらも気楽に世間話という気分ではないし、ミラも少し緊張している様子だったので、色々と気遣ってくれてのことだろう。

 見える範囲には常緑樹も無く、見晴らしは良い。元より疎らに見えた建物は入り口から離れるにつれてより減少し、全てが農地というわけではないだろうが、今は何も無い土地ばかりが目立つ。ここは、この辺りでは比較的規模の大きい街ということだが、やはりルーメンやブーダと比べると寂しい感じがする。ただ、これは冬場であることも影響しているのかも知れない。

 周りを見ながら、そんなことを考えているうち、一番近くの、と言われていたとおり、おそらくは三十分も歩いていないうちに目的地へ着いた。

 俺の腰より高い丸太組みのしっかりした柵に囲まれた広い土地、その奥に大きめの建物が見える。二階建てではないが、周りの建物よりも屋根が高く、横にも広い。おそらくはこの辺りの教会的な建物だろう。ルーメンでも聖職者的なポジションのアントーノがまとめ役の一端を担っていたから、そういう部分は各街で共通しているのだろうか? これまで寄った街ではいちいちそんな確認はしてこなかったから、サンプルが少なすぎて判断はできないが。

「スラーウァです、よろしく」

 入り口では、俺たちを案内してくれた男から簡単な説明を受けた男性が、そう言って俺たちを招き入れた。彼が目的の人物のようだ。

 こちらも一通り自己紹介した後(さすがに聖獣であるカイには驚いていた様子だった)、カイとミラを別室に、俺一人がスラーウァに西の村のことを伝えた。さすがにミラにその役目を押しつけるのは酷に思われ憚られた。

「……理解しました。しかし残念ながら、昨日までに誰かがここへ逃げてきたという話は聞きません。他のまとめ役たちと協議の後、調査隊を派遣することになるでしょうが、おそらく生存者は絶望的でしょう……」

 分かっていたことではあるが、そう言葉にされてしまうと、複雑な気持ちになる。自分があの惨劇を救えたのでは、なんて傲慢な考えは無いし、後悔もするつもりはないが、だからといって簡単に割り切れるものでもない。

「家畜に関しては、無事であればその時にこちらへ連れてくるでしょう」

 牛たちのことは、強い心残りというほどでもなかったが、それでも、その言葉はせめてもの、ささやかな救いに思えた。

 そんな会話の後は、スラーウァからこの街の状況などを聞かされた。

 メルトポゥでも、例年よりやや魔獣被害が多いようだが、それでも極端なものではないそうだ。所謂スタンピードのような、パニック的な兆候が魔獣たちに見られるわけでもなく、西の村が襲われた特別な理由を推測するのは難しそうだ。

 他には、今年は少し寒さが厳しい、とか、作物の備蓄は潤沢だ、といったような、こんな時でなければ世間話と言って良いような話題だ。

「後は、今後の話ですが……」

 そう、今後。つまりは、ミラの、だ。この街についての話もそれが念頭にあればこそだろう。

 彼は主語を濁したが、別にミラの存在を迷惑に思っているような様子は無い。むしろ、気丈に振る舞ってはいても、心に傷を負っているであろう彼女をおもんぱかればこそ、彼女に係るあれこれを広く考えようとする表れだろうと感じる。

「彼女の暮らしていた村と近いここなら、気候や生活の様式は似通っているだろうから、順応しやすいのでは?」

 そんな俺の考えをぶつけてみるが。

「しかし、似ているからこそ、些細なきっかけから村のことを連想してしまう可能性も……」

 そう答えられてしまえば、確かに、と思う。

 俺は、ミラをここへ無事に連れてきさえすれば良いのだと、簡単に考えていたのではないか? ――そう思って、改めてミラの幸せというものを考えてみるが、結局それは、俺に決められることではない。いや、俺が決めるべきことではない。

 スラーウァにしても、魔獣被害で親を亡くした子供の保護は経験していても、村全体がほぼ全滅して一人だけ生き残ったなんて事例は前例が無く、ましてやその生き残りが幼い子供となれば、その心の傷は察するに余りある。それゆえに、安易な決断は下せないと考えているという。もちろん、保護するとなればできる限りのことをする、とも口にしてくれたが。

 ただ、結局はそう話し合うまでもなく、本人の意思をまず尊重するべきだろう、と結論した。

 ――ミラほど聡明なら、さほど心配することは無いのではないか。

 この時、俺はまた無意識に、そんな楽観、決めつけをしてしまっていたのだろう。


 俺たちがミラの元へ向かうと、ミラはカイにもたれ掛かり、うとうととしていた。

「ミラ、話をしたいんだが、大丈夫そうか?」

 そう声を掛けると、ミラはカイから身体を起こし「大丈夫……」と応える。少し無理をさせているかも知れないとは思ったが、だからこそ早く決着を付けてしまおう、とも思い、話を切り出した。

「ミラの、これからのことなんだ」

 俺がそう言えば、ミラの表情は不安そうに曇る。

「もちろん、ミラが嫌がることはしたくない。ミラのためにどうするのが良いか、俺たちも考えてみたから、それを聞いて、ミラはどうしたいか決めてくれるか?」

 少しでもその不安を和らげようと、できるだけ優しく語りかけると、ミラは表情を引き締めて、頷いた。

 これなら大丈夫そうかと、スラーウァと目線を交わして頷き合う。そして俺は、先ほど話し合った内容を思い出しながら、口を開く。

「俺とカイは東へ向かう旅の途中だ。目的地はまだ遠く、その旅はミラには辛いものになると思う。だからきっと、ずっと一緒に連れて行くのは難しい。だから、まずは数日、この街で暮らしてみて、もしミラがここで暮らすことに問題が無いと思ったら――」

 俺が言い終わらぬうちに、ミラが突然、俺の腰に抱きついてきた。

「……どうした……?」

 屈んで膝をつき、うつむくミラの顔をのぞき込んで――心臓を掴まれたようだった。

 その目には、そよ風が撫でただけで零れ落ちそうなほどに、涙が湛えられていて。

 ――ああ、どれだけ不安だったろう? どれだけ恐かったろう? どれだけ悲しかったろう?

 なのに。

 ミラは、息を引き攣らせながら、それでも、耐えようとしている。

 俺の視線から顔を逸らせて、涙を零すまいと……俺に見せまいとしている。

「ッ!」

 その健気な姿に、俺は思わず、ミラの背中に手を回し、そっと抱き寄せる。

「ゥッ! アアッ! ウアアアアァーーーーッ!!」

 決壊した。それが最後の引き金になって。

「……ああ、ミラ。我慢しなくていい。泣いていい。大丈夫だから……、大丈夫だから……」

 この子に日本語が伝われば……いや、きっと俺は日本語でだって、こんな言葉しか掛けてやれない。

 ――俺は、なんて馬鹿なんだろう。

 強い子だと思った。賢い子だと思った。

 たった独りで生き残り、見知らぬ俺に、泣き言一つ言わず付いてきた。

 きっと、あの村で恐ろしい思いをしたはずだ。だのに、俺やカイの前ではそんな顔を見せまいと振る舞う。

 それは、確かにこの子の強さではあるのだろう。

 だからって、強いからって、不安が無いわけがないだろう。恐くないわけがないだろう。悲しくないわけがないだろう。

 そんな大きなつらい感情を、こんな小さな身体に無理矢理押し込めて。

 そんなの……耐えられるはずがない。耐え続けられるはずがない。

 俺たちに付いてきた? ……違う。この子には、頼れるのは俺たちしかいなかった。この子は俺たちに、“付いてくるしかなかった”んだ。

 それを、この子は強いだの、賢いだの、勝手に決めつけて。そんなこの子なら、優しい人ばかりのこの世界ならどこでだって、新しい暮らしを始められるはずだなんて、勝手に思い込んで。

 ――そのあげくが、こうして、泣かせてしまった。

 あれだけ耐えようとしていたこの子を、俺は、そこまで追い込んでしまった。

 それはそうだ。俺がどう思っていようと、ミラをここに残すということは、彼女から見れば、手を差し伸べてくれたと思った大人が、今ここでその手を払いのけたように感じたとしても仕方ない。

 俺のすぐ耳元で、一度溢れてしまえばもう止め処が無いその泣き声が、耳に……いや、心に、痛い。

 言い訳なんて、意味がない。それがミラに対してのものでも、ましてや、俺自身に対するものなら。

 どんな理由、どんな経緯だろうと、俺が、俺たちが、もうこの子の“よすが”になってしまっているのなら、そうさせてしまった責任は、取らなければならない。

 ……違う。“ねばならない”なんていうのも、きっと言い訳でしかない。

 俺は、縁あって助けることができた、まだ幼く、弱くて、でも強い心を持ったこの子を、できる限りで護ってあげたい――ただ、そう思った。

 そして、俺は心に浮かんだその想いを、見ないふりせず、大切にするべきだと、そう感じた。

 その想いは、ミラのためなのか、俺自身のためなのか。どちらのためでもあるのかも知れないし、どちらでもないのかも知れない。

 だが、そんなものはどうであれ、ミラが望むなら。望んでくれるなら。

 俺は、ミラが望む限り、彼女の庇護者であろうと、心に決めた。

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