40.生きればこそ

「『治癒(子供)』!」

 ――生きている! そう思ったら、考えるより先に、魔法を使わなければ、という衝動に囚われた。

 治癒は内側からだぞ――いや、その前に傷を確認しなければ――違う、今真っ先に頭に過ぎった懸念は……地震災害の時に見た……そうだ、圧挫症候群だ。

 思わず魔法を使ってから、そんな思考が後追いでやってきて、少し冷静さを取り戻した。

 いったん魔法の行使をやめて、まず外見を確認する。年齢はまだ幼く、子供のいない俺には判断が難しいが、三歳から五歳といったところだろう。身につけているのは、もこもこした上着と、その下にワンピースだろうか、血に染まり元の色は判らないが、原形は留めていて、外傷はなさそうだ。

 腕や足もそっと触ってみるが、折れているような様子はない。ならば、他に考えなければいけないのは目に見えない部分だが、こればかりはどうしようもない。素人の俺にもできるのは――後は魔法を信じることだけだろう。……が、それでも、考え無しよりはしっかり考えた方が良いはずだ。

 この子の内側で起こっているかも知れないことを、無い知恵絞って考える――大の大人三人が上に乗っかっていたことから、圧挫症候群を瞬間的に連想したのは懸念としては間違いないのだろうけど、圧し掛かられていたのが未熟な子供であるからには、目に見えない骨折や内臓の損傷、呼吸不全やそれに関するダメージなど、もっと深刻に考える必要があるのではないか。

 とはいえ、医療の知識の無い俺に、そういった症状を治療するイメージなど持ちようもない。

 こうしてまごついているうちに、時間が敵になるのではないかという不安もわき上がってくる。

「『治癒(子供)』」

 結局、俺にできるのは、この子が元気に走り回るイメージだけだった。健康で、元気に、笑顔で。

 それはきっと――ただ、心からの祈りだった。

 この、地球かも知れない世界に、魔法なんてものをもたらした神のようなものが存在するなら、どうか届いてほしい。どうか叶えてほしい。

 魔法が、非現実的なことを実現してしまえるのなら、どうか、この無垢な命をこそ、助けてほしい。

 ――そんな祈りをありったけ込めて、幾度か魔法を掛けてはみたが、その日の内にこの子が目を覚ますことは、なかった。

 

 子供は『清潔()』を掛けてから、近くの無事だった家のベッドに寝かせた。服装から予想はしていたが、汚れが落ち、肩上まで伸びた髪が、その柔らかさと、ダークブラウンに近いブロンドを取り戻すと、やはりこの子は女の子なのだと見えた。

 その子の護衛をカイに任せると、俺は村の中を歩きながら、魔獣の死骸を焼却して回った。……望み薄ではあったが、生存者の探索も兼ねて。

 見つけたのは、クマの魔獣が、俺に迫って自滅した個体の他に二体。オオカミらしき魔獣は二十を超えて、他に、魔鳥化したタカ科だろうか、嘴や爪がいやに鋭い鳥が二羽。外で仕留めた魔鳥も同種だろう。

 被害が無いように見えた坂の上側は、入り口に近い一つの家屋だけ天井の大部分が破壊されていて、鳥の死骸はどちらもそこで見つけたものだ。……子供四人と、武器を握りしめたまま横たわる大人の女性二人の、亡骸と共に。

 坂の下側でも、俺やカイが仕留めることになった個体以外の魔獣は、文字通り必死の抵抗をしたのだろう人たちの亡骸と共に見つかった。

 被害者を一人、また一人と見つけるたび、心が冷えていくようだった。悲しみ、悔しさ、無力感。八つ当たりのように魔獣の死骸を燃やしたところで、それはほんの僅かたりとも慰めにはならなかった。


 翌日は、再び村中を周り、村の人たちを弔うことにした。女の子はまだ目を覚まさないし、逃げた人が戻ってくるかも知れない――そう考えて滞在を選択したが、多分本当のところは、じっとしていると精神が参りそうだったから。

 破壊された家屋の残骸から適度なサイズの板を選び出し、エア・キックボードの魔法陣を流用して『エア・台車』とでもいうものを作った。乗せられる亡骸は大人四人から五人分ほど。山積みにすればもっと乗るだろうが、往復する回数が増えるとしても、村の人たちを乱雑に扱う気にはなれなかった。

 教会的な建物は、子供達が集まって学ぶ場でもあるため、比較的大きなものだが、裏手の墓地共々、魔獣被害を免れていた。一瞬、ここに集まっていれば、という考えが浮かんだが、被害が人のいたであろう村のあちこちに分散していたことを思い出し、集まっていたらそこが真っ先に狙われるのだろう、と考え直した。

 墓地に十分な広さがあることを確認した後、なんとはなしに、その建物の入り口の扉を開いた。目に映った昨日と変わりない光景に、だけど、昨日は気に留めなかった、子供達が学んでいた“名残”が見出されてしまって、心がかき乱された。

 そっと扉を閉めて、その場を離れる。歯を食いしばって、ふいに溢れそうになった涙を堪えながら。


 ――解せないのは、“東の村”にせよ、この村にせよ、魔獣に襲われたのが小規模な村落であることだ。

 ルーメンでは、人の多いところの方が魔獣が引き寄せられやすいと聞いたし、だからこそ、周囲に点在する村落は避難場所のような役割も果たすのだと思っていた。だが、この村のようなことが起こるなら、一つ所に集まって、より強固な迎撃態勢を築く方が良いように思える。

 この、北部が特殊なのだろうか? それとも、今までの常識から外れた事態が起こっている?

 なぜこの村は襲われたのか? もしかしたら、既にメルトポゥも被害に遭っていて、その余波が襲いかかったのか? だが、“東の村”で同じような懸念を持ったが、ミコラビァは無事だった。

 グランは、魔獣とは、人の恐怖に応える存在だと言っていた。ならば、“東の村”やここでは、大勢の集まる街よりも大きな恐怖が生まれるような出来事があったのだろうか?

 ――わからない。限られた情報だけで考えたところで、それがわかるはずもなかった。

 それでも考えずにいられないのは、この村の人々を天に送る煙を前に、意識を思考に逸らさなければ、心が弱り切ってしまいそうだったからだ。

 ――いっそ、ゲームのような世界だったら……。

 魔法なんてものこそあれ、ステータスだとかレベルだとかスキルだとか、そういったものの無い比較的現実的な世界であったことは、不幸中の幸いだと思っていた。だけどもし、この世界が、魔獣の暴走が魔王的な存在のせいで、俺たちがそれを倒すために召喚された、なんて現実感の無い世界だったなら、こんな思いをせずに済んだかも知れない――それが現実逃避でしかないと解ってはいても、そう考えずにはいられない。

 チートを駆使して、魔王を倒したら、めでたしめでたし。そんな風に目標が明確なら、自分が努力さえすれば悲劇を無くせる――無くせなくとも、減らすことはできる。そう思い込めるだけでも、精神的にはどんなに楽だっただろう、なんて思ってしまう。

 今、俺が目指している東だって、東へ向かったところでそこに日本がある保証はないし、あったとしたって、そこで俺が何らかの納得を得るだけの“答え”が見つかる確証があるわけでもない。無駄足かも知れない、そんな不安は、この旅の中、心の底にいつだって燻り続けている。

 ……気が弱っているせいだろう、思考が良くない方に向かいかけている気がする……。

 結局、魔獣が小さな村を襲った理由も、俺の旅の先に待つものも、そんなものは理解も判断もできるはずもない。“わからない”というのは、不安だ。だからきっと、こんな詮無いことを考えてしまう。不安と向き合うこと、不安を抱え続けることは、しんどいから。

 だけど、そんなことは“当たり前”のことでもある。だって、俺はこの、魔法なんてものがある世界で、だけどその、どうしようもない現実で、“生きて”いるんだから。

 もしかしたら、あっちの世界でも、こっちの世界でも、不安なんて無く脳天気に生きることができる人もいるのかも知れない。だけど、残念ながら、俺はそうじゃないし、その方がどちらかと言えば“普通”じゃないだろうか。

 ――なら、“普通”でしかない俺は、悲しかろうが不安だろうが、等身大の俺のまま、がんばって生きるしかないじゃないか。

 そう自分に言い聞かせれば、俺の中の“覚悟”と言うには少し頼りない“決意”が、だけどほんのちょっとだけ、補強されたような気がした。

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