38.危地へ

 エア・キックボードの取っ手を捻るように引き倒し、底面を無理矢理前方へ向けて、ブレーキをかけた。

「『亜空間収納(キックボード)』!」

 ボードから飛び降りながら唱えると、ボードはその残った勢いのまま亜空間へ消える。

 小規模な集落なのだろうか、道なりに辿り着いた入り口周囲に槍壁のような目立った備えはなく、周囲を囲う柵の所々から水平に尖った先端が覗いている程度だった。

 そのまま入り口をくぐる。ここも土地の広さには余裕があり、見通しは良い。見た感じ、周辺には魔獣の姿も、大きな破壊の跡も無い。だが、ひっそりと静まりかえったそこに人の気配も感じない。

 一瞬、大声で呼びかけて生存者を確認したい気持ちが生まれたが、押さえ込む。カイが「襲われている」と言ったのだから、魔獣はいるはずだ。もし住人達が静かに身を隠しているのなら、俺が迂闊なことをして魔獣を呼び込むわけにはいかない。

「……カイ、魔獣は……?」

「……奥です」

 言われて、入り口から続く道の先を見る。ほぼ真っ直ぐ伸びる道の先には柵があり、その先は崖にでもなっているのか、その奥に建物などは見当たらない。

 カイが身を低くしたまま慎重に進んでいく。とはいえ、そのスピードは俺が早歩きするよりも速いほどだが。

 俺も身をかがめ、軽く駆けるようにその背中を追う。

 棒を握る手が力む。久しぶりに武器として使うことになるかも知れない。スペースの問題もあるが、そもそも素手で持つ、そして魔獣に直接叩き込む関係上、棒に魔法陣は付与していない。武器になる程度に頑丈とはいえ、無理に攻撃をしかけて隙を生むくらいなら、外套のエンチャントを頼りにした方が良いかもしれない。そう考えて、フードを深く被り直す。

 柵に近づくと、その先が坂道になっているのが知れた。道はT字に分かれ、右手に坂の下へ続く大きな階段がある。坂の下には村が続いていて、上よりもそちらの方が広い。とはいえ、見晴らしの良いここからなら村の端が見える程度の広さでしかない。

 見下ろした景色は、上とは全く様相が違っていた。

 地面のあちらこちらが凸凹と、おそらくは魔獣の足止めのための魔法だろう、壁や窪みになっていて、その周辺に動かない人や魔獣の姿が見える。

 建物も崩れたものが見え、中には焼けてしまったのだろうものも見えた。中には、まだうっすら煙を上げている場所もある。

 そして、村を縦断する大通りの真ん中に、オオカミか、キツネか、イヌ科っぽいシルエットの、魔獣であろう数体の群れが動いているのが見えた。

 ざっと見て、立ち上る煙の他に動く影はそれだけだ。ヤツらは周囲を警戒しているのか、その辺りをぐるぐるとゆっくり回っている。

 カイは、そちらを見据え、身を低くしたまま、牙を剥き出しに、喉の奥から唸り声を漏らしている。

「落ち着け、カイ。あれは魔獣だな?」

 カイの背中にそっと手を置き、尋ねる。

「……はい」

「ならまず、俺が魔法を使ってみる。もし失敗したら、頼む」

「……分かりました」

 手のひらから、強ばっていたカイの身体から少しだけ力が抜けたのが伝わる。

 ――幸い、ヤツらは同じ所に固まって、動く範囲も狭い。さっき魔鳥にやったことが応用できるかも知れない。

 頭にそんな発想が過ぎる。

 ならば今のうち、息の根を文字通り止めてやる。ヤツらも生物なら、空気、いや、酸素を奪えば良いはずだ。仕切りは円柱ではなくドーム型、酸素以外の気体だけを中に通し、酸素だけを排出する。

 それでいけるか? ……いや、ヤツらが何を警戒し、いつまで警戒してあそこに留まるか分からない。いざとなればカイを信じれば良い。迷うな。やれ。

「『酸欠(魔獣の群れ)』」

 唱えると、少し間を置いて魔獣達が動きを止めた。異変を察知したのか、首だけを巡らせているようだ。

 少しすると、魔獣達の動きが忙しなくなる。それでも、周囲を警戒しているのか、その場からは離れず、ぐるぐると廻るばかりだ。

 それが命取りになった。そう間を置かないうち、一体の魔獣がふらつき、倒れた。

 それに反応して残った魔獣達が身を低く構える――が、間もなく一体、また一体と倒れていく。緊張や興奮で心拍数が上がり、酸欠が進んだのだろうか。

 動く魔獣がいなくなり、少し待つ。ターゲットがみんな死に絶えれば魔法は解けるはずだが、目に見えない魔法の判断は難しい。そのまま魔獣が動き出すことがないのを確認して、念のため『break』を掛けておく。大丈夫だとは思うが、万が一魔法の効果が残っていて、魔獣以外が巻き込まれたら目も当てられない。

「下りてみるか……?」

 それは俺の独り言だったが、カイが反応する。

「下にはまだ魔獣がいます」

「……どこにいるか分かるか?」

「……ここからでは、そこまでは分かりません」

 村としては小規模とはいえ、決して狭いわけでもない。見た感じ動く影はないが、遠くにいるのか、あるいは、室内に潜んででもいるのだろうか? だが室内となると村の人たちが心配になる。もし建物内に隠れている人たちを魔獣が襲っているのなら、俺がここでまごついている間に救えるはずの命が失われることになりかねない。

「生存者がいるかは分かるか?」

「……いえ、それもここからでは……」

 なら、覚悟を決めるしかない。

「行こう、カイ。生存者の探索を優先してくれ」

「……それが恩人の望みなら」

 言って、カイが先行する。

「あっ、おい!」

 カイが俺の身を案じてくれているのは分かる。素早く探索を済ませて俺の近くに戻るつもりか、もしくは先に危険を排除するつもりなのだろうが、俺だってカイのことを案じているのだから、無茶はしないでほしい。

「お前は生身だろうが……!」

 思わず独り言ちながら階段を駆け下りる。実質、魔道具に身を包んでいる俺は、カイよりも安全なはず――今はそれを信じるしかない。

 村の人たちが既に逃げ出した後なら、それで良い。しかし、階段を下りきって少し進んだだけで、倒れて動かない人は両手で数えられる数を超えた。村の規模を考えれば、人口は百人はおろか、五十人にも満たないかも知れない。生存者がいても、ここに戻って暮らすのは難しいだろう。

 一番近い建物に近づくと、死角になっていた面に巨大な破壊の跡が見えた。

「……何の魔獣ならこんなことができるんだよ……」

 ルーメンで見たイノシシの魔獣が行った破壊の跡でも、ここまで酷くはない。材質の違いもあるのかも知れないが、それにしたって、木製の家の壁が俺の身長よりも高いところから破壊されているこの状況は解せない。

 耳を澄まし、物音がしないことを確認して、その穴から中を覗く。

「……ぅッ……!」

 荒らされ尽くした室内に、“人であったはずのものが散らばっていた”。動くものの気配は、無い。

 吐き気を堪えながら、目に映った次の建物へ足を向けた――が、少し進んで、地面に足を取られる。冬場だから判りにくいが、おそらくは畑なのだろう、道よりはずっと軟らかい土が結構な範囲に広がっている。

「クソッ!」

 思わず悪態をつき、最短距離を諦めて道へ戻る。無駄に体力を失いたくないし、足場の悪いところで襲われでもしたら不利なのは俺の方かも知れない。

 無性に、焦りばかりが胸に広がる。言いようのない不安に、追い立てられているようだ。

 だが、そんな自分の心理状態をちゃんと判断できている。まだ俺は冷静だ。


 ――だけど、そんな風に考えている時点で、冷静ではなかったのだろうか?


 道を軽く駆け、次の建物へ近づいた。息を落ち着かせてから庭を横切り、入り口手前のステップ三段を息を殺して上がり、扉へ近づく。そして、中で物音がしないか、聞き耳を立て――ようとした、次の瞬間。

 バガァン! という破壊音と同時、扉のすぐ横、俺が背中を向けた方の壁が吹き飛んだ。

 思わず身体を強ばらせる俺に、影が差す。

 反射的に見上げた俺の視界に映ったのは、立ち上がり、右の前足を高く振り上げた、“熊”だった。

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