37.エンカウント

 荒野に入って三日目の昼頃、景色に変化が現れた。

 進行方向の左手、つまりは海の北側遠方に、点、と緑が見えたのだ。あまりにも代わり映えのない光景の中、劇的とも言えるその変化は、決して見間違えではない。どうやらあの辺りは小高くなっていて、そのため遠くからでも見つけることができたのだろう。

 ほどなくして、地面にも変化が現れる。上手く言えないが、それまでの、乾ききって生命力とは無縁に思えた地面に、進むにつれて活力が宿っていくような印象。ここより先は、命を育むことができる“大地”なのだ、そんな、小さな感動を伴う安心感のような感情が湧き上がる。冬場でなければ、もっと明確に生命の息吹を感じられたのかも知れない。


 荒野を抜け、大地を進み、できるだけ平坦な地面を選んでどれだけ進んだか、やがて道に行き当たった。周囲よりは均されている、といった程度ではあるが、道は道だ。

 さて、メルトポゥは、荒野の東側では唯一ともいえる大きめの規模の街だというので、できれば訪れて情報や食料を仕入れたい。船の行き来があるということは、港があるということで、ミコラビァで聞いた話では、メルトポゥへは、その港から道を北上すれば、やがて辿り着くはず。

 しかし、だ。このまま海を見失わないように進めば、やがて港に辿り着くと思っていたが、さてはて、その前に出くわしたこの道を、どう判断するか。

 道は、大まかに見て東と北へ伸びている。東に進めば、おそらく港に辿り着くのだろう。だが、少なくともここからの目視では、港があるような様子は見いだせない。ということは、まだ港は遠いのだろう。

 そう考えれば、港から北上してメルトポゥに続く道は、もっと先にあるのだろうとは予測できる。だがもし、この目の前の北へ向かう道こそがメルトポゥへ続くなら、結局はこちらへ戻ることになるわけで、無駄な距離を進むことにもなりかねない。

 この北にはおそらく、今は傾斜で見えなくなっているが、先ほど遠くから見えた緑の木々が並んでいるはずだ。相変わらず寒いこの辺りの気候では、薪の存在は重要だろう。森林があるなら、その近くに人の営みが存在しても不思議ではないのではないか。

 そもそも、道があるということは、なんらかの人の住む村落は存在するはずだ。そこがメルトポゥでなければ、改めて向かえば良い――そう結論して、この道を北へ向かうことにした。


 ――結論から言えば、メルトポゥへ向かう、という目的に関しては、判断を誤った。

 だが、この選択自体は、決して、間違いではありえなかった。


 緩やかに上る道を進むうち、予想通り森林が見えてきた。緩い上りとはいえ結構な距離があったので、思っていた以上に高くなっているのかも知れない。荒野の遠くからでも緑が見えたのはそのためだろう。

 視界の前方左手側は、今上ってきた坂に比べるとずっと急な、でも崖というには緩い下り坂になっていて、その坂になる手前に森の端が整列している。坂の下を見渡せば、遠くに“荒野”と“大地”の境がグラデーションを描いているのが見えた。こうして俯瞰すると、土の質が明らかに違うのだと判る。

 ――荒野という強大な難敵に対して、森の木々達が隊列を組んで今にも挑まんとしている――そんな光景を連想した。いつかはあの乾いた土地にも命が芽吹くのだろうか? ……なんて、“荒野”のあまりの寂しさに、つい感傷的になってしまったが、気を取り直して歩みを再開する。

 道は森へと真っ直ぐ続き、道の通る部分は切り拓かれている。さすがにこれが自然にできあがったとは思えないので、その先に大なり小なり人の住処があることだけは確かだろう。

 森に足を踏み入れると、一気に薄暗くなったと感じる。相変わらず空には雲が多いが、日光が完全に遮断されるほどではないから、結構な密度で葉が生い茂っているということだろう。この寒さの中でもそうあるほどの木々の生命力に、畏怖にも似た静かな感動を覚える。

 木の種類は一種類ではないようだが、自分の知識では判別が付かない。だが、枯れている木は一本も見当たらず、常緑樹ばかりが集まっているのだろう。それが自然なのか不自然なのかは、やはり植生に関する知識のない俺には判断できないが。

 ただ、緑は茂っていても、それ以外の命の伊吹は感じられない。冬でなければもう少し違う様相が見られたのかも知れないが、今は静かで寂しく、少々不気味にも感じる。葉擦れの音ばかりが耳に届く薄暗い森の中、気がつけばキックボードのスピードはコントロールできるギリギリ近くまで上がっていた。


 森の終わりが見えてきた。とほぼ同時、見えた空に大きな影が舞うのを見た。

「……カイ」

「……魔の鳥です」

 道の先にまだ遠く、小さく集落らしき姿が目視できた。あの魔鳥はその手前の空を旋回……いや、ホバリングに移る。

 ――まさか、獲物を見定めたのか?

 そう思った瞬間、俺の中で、あの鳥をどうにかすると“決まった”。

 時間がない。キックボードの進行は慣性に任せ、頭をフル回転させる。

 直接の魔法は効果が薄い――上空を一気に冷やせば、ダウンバーストで叩き落とせるかも知れない。だが、地面に叩きつけられ拡散する気流が村に損害を与えかねない。却下。ならば、あの鳥が羽で掴むべき空気を失わせれば――言葉に変換すればそんな感じになるであろうヴィジョンが脳裡を走る。

 それを実現するためのイメージは、目に見えない、地面から伸びた、閉じた円柱。あくまでも魔法はその仕切り、そしてその仕切りが、中の気体全てを外へ一気に吐き出す。と同時に、外からの気体の侵入を阻む。

 賭けになる。イメージでは、あくまでも魔法的な現象は魔鳥に直接作用するのではなく、その周囲で起こるものになる。だが、閉じた空間の内側自体が魔法的な空間であるなら、魔鳥の抵抗力に干渉されかねない。

 そんな思いが頭を掠めながらも、アルゴリズムを構築。やることはシンプル、すぐにできる。ヤツが動き出す前に!

「『真空柱(魔鳥)』」

 俺がそう口にすると、一瞬の間の後、魔鳥は自由落下を始める。成功だ、間に合った!

「よしッ! カイ!」

 俺の声を聞いたか聞かずかのうちに、カイが一気にスピードを上げた。瞬く間にその姿は小さくなる。

「うはっ……やっぱ、今までもかなり抑えてたんだな……」

 本気のカイのスピードに、思わず変な笑いが出た。凄いものを見たという感動や、そのすごさに対する恐怖、そしてそれが味方であることの安心感。そんな思いが絡まり合った、複雑な心境だ。

 気を取り直し、他にも敵がいないか周囲に気を配りながら、改めて地面を蹴る。すると、そう間もなく、魔鳥を咥えたカイが戻ってくる。魔鳥の首は力なく垂れ下がっていて、それが致命傷だったのだろう。カイがやったのか、落下の衝撃のせいなのかは判らないが。

 スピードを落としてカイを迎えると、カイは魔鳥を口から放って、吠える。

「まだ魔獣に襲われています!」

「なっ……クソッ。『火弾(魔鳥)』! 行こう、カイ!」

 魔鳥というものがどういうものか、じっくり見てみたかった気持ちを断ち切るようにその死骸に火を放ち、その首尾を見届けぬまま、思いっきり地面を蹴る。

 ――俺一人が駆けつけたところでどうなるものか。

 頭に掠めたそんな思いを、恐怖に腰が引けた自分を正当化したいだけの言い訳だ、と、自分を叱咤して。

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