36.教訓

 ミコラビァの東には、ドニ・フルメという大きな河が北東から南の海へと流れていて、その東に延々と広がる荒野を、こちら側と隔てているという。

 ミコラビァからドニ・フルメ西岸の街『ベリィス』までが徒歩で三から四日、そこから河を渡り、荒野を横断した先、大きめの街『メルトポゥ』までが徒歩で一週間前後。ミコラビァ南の港からメルトポゥまでは、船で順調ならば、朝に出て翌日の夜前には到着できるそうだが、魔獣を警戒している現状を抜きにしても、そもそも冬季は船は動かさないらしい。となれば陸路しか選択肢はないが、俺には別の移動手段があるから徒歩の半分ほどの期間で踏破できるとしても、二回から四回ほどは何も無い荒野で夜を過ごす必要がある。

 そんなわけで、ミコラビァでは三日を使って、物品の整理やエンチャント付与など、念入りに準備を行った。とはいえ、荒野に魔獣が跋扈しているということもなく、むしろ魔獣すら近寄らない土地らしいので、メインは寒さ対策だ。

 魔獣が近寄らない荒野、と聞いて、俺はグランの聖域を思い浮かべたが、別に東の荒野は聖域というわけでもないらしい。理性を獲得した聖獣と違って、本能的に振る舞う魔獣は、たとえ食わずとも生きていけるとしても、獣本来の生態を大きくは逸脱しないのかも知れない。水場すらないという荒野では、どんな動物だって生きていくのは難しいだろうから。

 その点だけでいえば、俺たちにとって幸いなのは、この辺りは相変わらず空が多くの雲に覆われていることだろう。言い換えれば、それだけ上空の湿度は高いということで、魔法があればそこから水分を抽出することは可能だ。そこに不純物が混ざっても、大気汚染とは縁遠いこの世界なら、衛生面で大きな問題は無いだろう。……まあ、魔法の不思議パワーが飲み水に相応しくないものは勝手に弾いてくれるようだが。

 衛生、といえば、今更ながら、この世界に来てから病に縁がないのはありがたい(命に関わるというのに……本当に今更だ)。魔法で清潔を保てることや、暖かさを保ってくれる外套のおかげもあるだろうが、痩せ型のせいか冬場には体調を崩しやすかった俺が、この寒さでも体調は良い。

「……まあ、あの頃に比べたら健康的な生活だものな……」

 “こちら”に飛ばされる直前の、監査が入ればまずデスマーチと認定されるだろう状況(少なくとも現場の“精神面では”デスマってはいなかった。やりがい搾取と言われてしまえばそれまでだが)が思い出される。そりゃ、あれと比べたら大抵の生活は健康的だ。

 流行を知るためにいくつか読んだ“異世界もの”に、地球の人間の免疫では対抗できない病気を、心配したり、実際に罹ったりする描写があったのを思い出し、この世界がそうではなかったことに感謝する。

(……いや、油断はできないのか?)

 ふと、ルーメンで教わった『神話』を思い出す。確か、あれには病気に関わる記述があった。

 確か――『魔』は、病という形で多くの人を苦しめ、殺した――簡潔にすれば、そんな文言があったはずだ。

 その『魔』――つまり『魔素』は、人の思念に反応して魔法的現象を引き起こす。ならば、神話の記述にある『病』は、魔法的な現象だった?

 だが、人は、もっといえば、多くの生物は、魔法に対しては抵抗力を持つ。ならば、その『病』は、それを突破するほどの感染力や症状だったのか?

 逆かも知れない――ふと、そう思いつく。

 “かつての生物たちは、魔法的な病による絶滅を免れるために、それに対する免疫を新たに獲得したのではないか”。

 延いては、その“免疫”こそが、“魔法への抵抗力”ではないか。

 だが、その考えはすぐに否定される。でなければ、説明が付かないように思えるからだ。

 “なぜ俺も魔法に抵抗力を持つのか”ということに。

 俺だけがおかしいわけじゃないのは、保科君たちの存在が証明してくれる。彼らもまた、俺やこの世界の人たち同様、魔法への抵抗力があるのだから。

 ならばやはり、『魂』的な何か、あるいは生物が生きているときにしか持たない何か、それが魔法、あるいは魔素への抵抗力の源なのだろう。

 その考察が真実であるのかなんて、きっと、本当には解らない。だけど、その真偽よりも大切なのは、それを信じることなのだろう。

「……病は気から、か」

 魔素というものはそれを現実にしてしまえる。だがそれは逆に、俺の思い一つで、たとえ神話的な『病』が今も存在したとしても、抵抗できる、ということでもあるはずだ。

「……ありがとうな、カイ」

「……?」

 ガラチから北上する道で精神的に参りかけていたことを思い出し、改めてカイの存在に感謝する。

 当のカイは、急に感謝されたことに最初は首を傾げていたが、感謝されたこと自体は嬉しかったようで、その立派な尻尾をファッサファッサと揺らしていた。


 ベリィスに到着したのは、ミコラビァを発って二日目のまだ日が高いうちだったが、さすがにそのまま荒野へ突入するのは躊躇われた。ドニ・フルメの対岸には西岸よりは小規模ながら街の機能があるというので、そこで一泊させてもらう。

 その翌日から立ち入った荒野については、特筆すべきことは無い。本当に何も無いからだ。あるとしたら、地面や、傾斜や、景色や、空気がある――そんな屁理屈を捏ねるくらいではないだろうか。

 一応、ベリィスからさほど離れていないうちは、地面の割れ目に枯れ草と思われる残骸が見えたりもした。が、しばらく行けばもう、ただ乾いた土の地面が広がるばかりだ。道を見失わないため海岸を標に東進していたが、海岸沿いにも塩生植物の一つも見当たらない。

 ――あまりの殺風景さに『死の大地』という言葉を思い出す。

 地図を見れば、死の大地が広がるのはもっと北東になるはずだが、ここもその一部なのだろうか? あるいは、ここよりも『死の大地』と呼ぶにふさわしい地が存在するのだろうか?

 興味がないと言えば嘘になる。が、九つの命を持つ猫ならぬこの身を、好奇心に晒そうとは思えない。

 ――たとえこの世界での生が“二つめ”だったとしても、“その次”が存在する保証なんて、どこにも無いのだから。


 荒野を進む速度に関してだけいえば、とても順調だった。なにせ俺には『エア・キックボード“改”』があったからだ。

 これまではただ『T』字の取っ手があるだけだった前面には、湾曲した板が風除けとして加わっている。が、これはダミィのようなもので、本命はその裏側に焼き付けられた魔法陣『風防』だ。これは、魔法的な力で前方の気流を操作するもので、イメージとしては、目に見えない“新幹線の鼻”が前方に伸びている感じだ(あそこまで長くはないけれど)。

 とはいえ、それで物理的に空気を掻き分けるのではなく、あくまでもヘッドウィンド、つまりは日本で言うところのアゲインスト(ややこしいが、要は“向かい風”だ)を、直撃しないように受け流す感じだろうか。この辺りは言葉にするとあまり変わりないようにも思えるが、魔法で大事なのはイメージだ。空気全てを掻き分けて真空にしてしまえば、呼吸がヤバイ、そんなイメージを俺が持つか持たないか、重要なのはその点だということだ。

 まあ、寒さをどうしようか、と考えたときに、アクリル板的な素材なんか無くても、魔法でどうにかしちゃえば良いじゃない、ということに、遅ればせながら気付いたというわけだ。

 ――結果。

「ほっほーぅ!」

 向かい風が無いだけで、体感の寒さは段違いに緩和される。しかも、魔法的な力ゆえだろう、どんなにスピードを出しても空気抵抗を感じない。いくら新幹線が空気力学的に洗練された設計だとしても、抵抗がゼロなはずもないから、本当に魔法様様である。こんな物理法則を超越した現象なんて、当然初めての経験で、そりゃテンションも上がろうというものだ。

 ――だがしかし。

「……ひぇぇぇ……」

 さすがに生身のまま一枚の板に乗っているだけの状態でスピードが上がってくれば、普通に怖くなる。さらに、空気抵抗、加えて地面との摩擦抵抗も無い状況では、ブレーキもままならないのでは? ――ここに思い至り、心底肝を冷やした次第だ。

 結果的には、俺が呼吸している以上、空気はちゃんと周りにあって、それゆえに抵抗もある。空気抵抗がない、という感覚は、過去の経験知とのギャップによるものでしかない。ならば当然、地面を蹴るのをやめれば緩やかながら減速し、事なきを得たというわけだ(ちなみに、カイはこのスピードに平然と付いてきて、なおかつ楽しそうだった)。

 ともあれ、何事も調子に乗るものではない。そんな、情けない教訓を得た荒野の道程だった。

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