35.道急

 道の分岐に立つ、大きな丸太を削って作られた標によれば、緩やかな坂を上る細い道の先が目的地のようだ。

 オディサを発ってから三日目、なんとか日が暮れきる前に『ミコラビァ』と呼ばれる街(標の表記によれば『ミコラ・ヴィラ』つまり『ミコラ村』だろうか)に到着できそうだった。とはいえ本来は、徒歩なら目一杯急いでも五日以上かかるだろう、と聞いた道のり。それを三日で踏破できたのは、途中からエア・キックボードを利用したためだった――。


 それはオディサ出立一日目の夕刻、久しぶりに顔を覗かせていた空(それでも半分は雲に覆われていたが)も、ついに夜の帳に隠れようとする頃、野営するかどうか迷いながら歩いていた俺に、生活の光をようやく見せてくれた村(『オレン・トディス』という地域の、西の村だ、と教えられた。小さい村落が固有名を持たないのは、ままあることだ)で聞かされた話が原因だった。

「“東の村”が魔獣に襲われ、生き残った住人達は移住を余儀なくされたのだ」

 だからくれぐれも気をつけろ、という、強い忠告。俺が連れているカイが聖獣だと知らせていなかったら、出立をもっと強く慰留されていたかも知れない。それほど強い口調だった。

 何でも、今年は例年よりも寒さが厳しいが、寒くなれば沈静化するはずの魔獣の活動は、なぜか静まる気配はないそうだ。元々、南方と比べると魔獣被害は多いが、今年は異常だ、と。

 これが普通の獣なら、寒さのせいで得られる食料が少ないために人里に現れた、なんて説明もつくのかも知れないが、魔獣となれば訳が違う。その生態がつまびらかになっているわけではないが、聖獣のように魔素さえあれば生きてはいけるらしい。事実、魔獣が人以外を襲うことは稀だと言うし、つまり、食うに困って、という理由は考えにくい。

 ではなぜか、と聞いても、原因は分からないという。だが、この村の五十歳前後の男衆たちによれば、二十年ほど前に一度だけ似たようなことがあったそうだ。その時は、北の『クィービァ』というこの辺り最大の街とその周辺の村が甚大な被害を受けたそうで、今回は北から逃げてきた人はまだいないため、当時と同じようなことが起こっているのであれば、もしかしたら、被害に遭った東の村よりもさらに東にある大きめの街『ミコラビァ』が被害に遭っているのかも知れない、とのことだった。

 なるほど、東へ向かう俺たちを心配してのことだとは理解したが、だからといって引き返すわけにもいかない。

 幸い、俺にはカイが付いていてくれる。危険は十分承知の上、油断するつもりはもちろん無い。ただ、普通の人と比べれば、俺たちはずっと安全であることも事実だろう。

 ――ミコラビァという街に大きな危険があるようなら、急ぎ伝えに戻る。便りが無ければ、それが良い便りだと思って欲しい。

 一泊の後、彼らに礼と共にそう伝えて、急ぐ旅を開始した。


 できるだけ顔を伏せ、先行するカイの尻尾をしるべに地面を蹴る。エア・キックボードの取っ手には予備の外套を掛け、前面をカヴァしている。その予備の外套の魔法陣を起動せずとも、ただ向かい風の直撃を防ぐだけで、首から下の寒さはだいぶ凌げる。だが、首から上はどうしようもない。アクリル板のような素材があれば、と思うが、ガラスはあっても、そういった素材はない。あるいは化学式を知っていれば魔法で創れたりもしたのだろうか、なんて思うが、知らない以上はどうしようもない。過去に、何らかの合成樹脂の化学式が炭素や酸素や水素ばかりだったのを見た記憶はあるので、魔法を使えば材料自体はどうにでもなると思うのだが。

 ――なんて、余計な思考に気を逸らそうとしても、没頭はできない。だって、いくら寒さが凌げる、といったって、寒いものは寒いのだ。

 それでも、足を止めることは、できなかった。

 もし、寒さに負けて歩みを緩めて、それが致命的な遅れになったら――そんな考えが、地を蹴る力を弱めさせない。

 分かってはいる。大きな街のみならずその周辺にまで被害を生むような魔獣の攻勢に対して、俺一人が増えたところで、どれだけ被害を軽減できるものか。カイが魔獣を遠ざけてくれたとて、広い街でどれほど役に立つものか。

 そもそも、魔獣に襲われていると決まったわけでもない。だが、そんな楽観に堕してする後悔は、きっと、ベストを尽くしてする後悔よりも、ずっとずっと辛い。

 自己満足? 自己正当化? それでもだ。

 どんな動機だろうと、この世界で受けた数多くの恩に対して、俺が僅かなりとも還せるものがあるなら、上等じゃないか。

 ――そう自分を奮い立たせる。

 もしかしたら、既に――そんな弱気な思いも掠めるが、努めて振り払う。この世界では、そんな思念が現実に影響しかねない。ましてや、言葉になんてしてしまえば、それは魔法になってしまうかも知れない。

「魔獣が人の恐怖に応えるっていうなら、人の優しさが、勇気が、絆が、そんなもの凌駕してやる!」

 だから、敢えてそう、口にする。

 クサい台詞? 構うものか。俺がちょっと恥ずかしいくらいでこの魔法が実現するのなら、恥なんていくらでもかいてやるさ。……寒さのせいで、また少しおかしなテンションになっている自覚は、まあ、ある。

「ワァォーーン!」

 そんな俺の言葉を、行動を、肯定するように、前を行くカイが吠えた。


 その日のうちに“東の村”と思しき集落跡を見つけた。徒歩で一日半から二日ほどと聞いていたので、結構なスピードで進んできたようだ。

 細い方の分岐路の先、種類までは判らないが常緑樹なのだろう、雲間から射す光へ懸命に葉を延ばす木々が立ち並ぶ森を背に、それはあった。

 遠くから見れば、変哲の無い平和な村落に見える。だがその内へ立ち入り、奥へ進むにつれ、魔獣による破壊の跡が目立ってくる。焼け落ちた家であろう跡も見えた。火の処理をする間もなかったほど、魔獣の襲撃は突然のことだったのだろうか。

 辿り着いた広場には、地面に広がる焦げ跡の上に骨が山積みになっていた。魔獣たちのものであろうそれは、ぱっと見でも十匹やそこらでは済まない数だ。被害が大きいのはこの広場よりも森側で、建物の焼け跡もそちら側ばかりに見られる。逆側の被害は比較的目立たないので、ここを最終防衛ラインに食い止めたのだろう。

 警戒しつつ近づいた森の入り口には、大きな木が倒れている。いや、へし折られていた、というべきか。ここが魔獣の進入口だったのだろう。倒れた木は、見た感じ、俺が抱きついても両手の指は触れあわないような太さだ。それをへし折ったであろう魔獣の突撃力を想像して、ぞっとした。

 ここから広場までの建物は軒並み焼け落ちている。もしかしたら、魔獣を誘い込み、焼き殺すトラップとして利用したのかも知れない、と思いついた。魔法の火はレジストできても、自然の火であれば、魔獣も一応は生物の枠に収まっている以上、耐えきれるものではないはずだからだ。とはいえ、焼け跡をひっくり返してその推測の真偽を確かめようという気にはなれなかったが。

 村の広さは、俺が通っていた大学のキャンパスの方が広いんじゃないかというくらいのものだったが、万が一にも取り残された人がいないかと見て回るうち、日が傾いた。カイの、魔獣の気配は感じない、という言葉を信じ、その日は森からできるだけ離れた無事な家屋に宿を借り、翌早朝には村を後にした。

 そしてその今日、ミコラビァ手前に辿り着いたのだった。


 ――徒歩に切り替えて、ミコラビァへ続くという坂を上りきると、百メートルほど先に街の入り口が見えた。門の周辺には武器を持った人間が……見える位置には四人。彼らもこちらにすぐ気付いたようだ。

 俺は少し屈んでカイを撫でてやる。これで彼らにカイが危険でないことが伝わると良いが。

 近づくと、やはり彼らは警戒した様子だったが、カイが聖獣だと知れると一転、歓迎された。

 彼らによれば、“東の村”から逃げた人の一部はこちらへ身を寄せていて、魔獣被害はそこから伝わり、ここしばらくは警戒を密にしているという。聖獣が居る、ということが、たとえ気休めでしかないとしても、その気休めが今はありがたい、というのが今の状況らしい。

 とりあえず“西の村”の人が懸念していたような事態にはなっておらずホッとしたが、あまりの歓迎ぶりに、今度は出て行くときのことが心配になりつつ、俺たちは門をくぐった。

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