34.静かなひととき

 ここ『セクン・ドディサ』、あるいは、住人たちの普段呼びに倣えば『オディサ』と呼ばれるこの街は、グリセオ・マレの北西部に位置する。これまでおおよそ北上してきた海岸線は、この街の東部からおおよそ東へ向かう。この街がちょうどコーナに沿って存在する感じだろうか。

 街の単純な広さとしては、ルーメンやブーダには及ばないが、ボーナやルブヤナより広いかも知れないくらい。だが、街中はどこか物寂しい雰囲気だった。もちろん冬だから、人は外出を控えるし、植物の息吹も希薄になる。さらには天気も曇りがち。そんな環境というのもあるのだろうけど、ルーメンの冬はここまで寂しい感じではなかった。とはいえ、そもそもの寒さが全然違うため、比較対象としては不適格か。

 その寒さの象徴と言えるのかも知れない、この街や辺りの村落の風景の特色といえば、建物の屋根から突き出す煙突だろう。今までも煙突のある建物を見なかったわけではないが、ほぼ全ての建物に煙突が見える光景はこの辺りが初めてだ。

 とはいえ、そこから煙を立ち上らせているのは、見かけた建物五つあたり一つか二つの割合だった。誰も住んでいない建物というのは、これまで見て来た街どこでも、魔獣対策として用意しているのは常だったが、こうして人の生活の跡が明確に目に見えることが、この街に対して、もの寂しさを覚える理由の一つなのかも知れない。

 煙突が多い理由は、この寒さだ、推理するまでもなく、暖炉を利用するためだろうと想像できたが、それが正しいことは俺たちを宿へ案内してくれた女性の言葉が肯定してくれた。

「木炭や薪は遠慮無く使って、できるだけ暖炉の火は絶やさないでください。あなたに病気などされるほうが私たちも大変ですからね」

 と、言葉だけを見れば、ともすれば皮肉とも解釈できる言い回しだったが、その声音からはそういったニュアンスは感じられなかった。まあ、俺の翻訳、というか解釈が精確ではない可能性もあるが、なんにせよきっと、ここは油断すれば簡単に体調を崩してしまう気候であると、単に事実を伝えてくれたのだろう。

 ちなみに、その女性は門衛の奥さんで、その門衛も、曇り空の下でその窓に煌々と温かげな明かりを写す、入り口脇の小屋の中で待機していた。この寒さでは、それもむべなるかな、といったところだ。もちろんその小屋も煙突から煙を立ち上らせていて、加えて、窓に揺らめく明かりからも、無意識に暖炉を連想していたことは否めない。


 ルーメンやブーダで利用したような長屋的な建物ではなく、平屋の家屋が一軒一軒並んだ(とはいえ建物どうしの間隔は近くても五十メートル以上は空いている)区域、その内のあてがわれた家に入ると、事前に忠告があったせいで覚悟していた分、言うほど寒くない、という印象だった。顔に当たる風が無いというだけでかなり寒さは緩和されるのだ――なんて思って、外套を脱ごうとしたら、それが間違いであることが、正に身に染みた。

「ヒョッ!」

 外套を肩から下ろし始めるやいなや、首元から入り込んだ冷気に、思わず変な声が出た。

 ルーメンの冬は、部屋に入れば、防寒衣は脱いでも上着を重ね着する程度でしのげる寒さだった。そのせいで、部屋の中なら、という油断もあったわけだが、この寒さはちょっと比較にならない。今日もあまり日が出ていないことを加味してもだ。

 もしかしたら、ルーメンの住宅は断熱性が高い素材を使っていたのか、あるいは構造が断熱に優れていたのか、はたまた、部屋個別にエアコン的な魔道具は無かったが、俺が気付かなかっただけで、建物全体に作用するそういった魔道具でもあったのだろうか? ――そんなことを考えてしまうくらい、ここは寒い。

 慌てて外套を羽織り直し、暖炉へ小走りする。

 暖炉はぱっと見、いかにもといった感じの、レンガ造りのものだった。その脇には薪などがこれでもかと積んである。その手前、床に置かれた、口が広く底が浅めのバケット、その中から、おがくずを固めたものだろうか、先ほど、それが着火剤だと教えられた見た目のものを二つ手に取った。

 まずは教えられたとおり、暖炉の奥の“ふた”をずらし、吸気口だか換気口だかを確保。煙突に繋がる上部も塞がっていないことを確認。そしてようやく火起こしだ。暖炉の中央辺りに窪みがある。窪みの底は、暖炉の底面にいくつかあるスリットで外と繋がっているようで、おそらくは空気を取り込むためなのだろうと推察された。その窪みの中へ着火剤を置き、その上に、窪みを塞がないように間隔を開けつつ、燃えやすそうな枝や細い薪などを渡す。さらにその上に、もう少し大きめの薪を交差させるように置いていく。この際、窪みの周りにも、おそらくは空気の流れを確保するためなのだろう凹凸があって、これも教えられたとおり、そこを埋めないように気をつける。

「『着火(着火剤)』」

 ちょっと横着して着火剤に火を付けてやると、魔法のおかげなのか、あるいは燃えやすい材質なのか、着火剤はその全体から思いの外強い炎をあげた。炙られた上の枝などもすぐに火を上げ始め、炎が広がる。それは、その上の薪をじわじわと焦がし、そして燃やす。

「……おっと」

 慌ててトングのようなもので大きい薪をくべていく。つい炎が大きくなっていく様子をぼけっと見つめてしまっていた。いつか、焚き火には不思議な魅力がある、なんてことを聞いたことがあったが、ちょっと解ったような気がする。炎というものには人にそう思わせる何かがあるのだろうか。

 とはいえ、やるべきことはまだある。ぼけっとしている場合ではなかった。

「これ……しかないな。ON、っと」

 暖炉上部の魔法陣を見つけ、それを起動する。火が安定したら、これをしておかないと、最悪死ぬ、なんて脅されれば、暢気に火を見つめているわけにはいかない。詳しくは聞いていないが、魔法陣の中に『AIR(綴りは英語と同じだが、エア、ではなく、エル、という発音が近いか)』だと思しき形が見られるので、おそらくは、空気の流れをコントロールして、一酸化炭素中毒なんかを防ぐためのものなのだろう。ただ、旧い言葉なのかこの地域特有の言葉なのか、あるいは、そもそも俺が習っていない単語なのかは判らないが、アルファベットと見立てても単語として分からない部分もあるので、断言もできないが。

 まあ、考えたところで分からないことに思い煩っても仕方ない。そう気持ちを切り替えて、再び暖炉の口を覗けば、顔面を輻射熱がむっと襲う。さすがにまだ部屋全体が暖まるほどではないだろうから、すぐに外套を脱ぐわけにはいかないが、熱を放つ炎がある、というだけで、なんとなく人心地ついたような気分になった。

 カイはどうした、と見れば、暖炉の正面に設置された長椅子の上で丸まっていた。目を閉じたその表情は、安らいでいるように見える。寒さに強いとはいえ、一応はまだ生物である以上、やはり寒いよりは温かい方が良いのだろう。

 俺もそのとなりに腰を落ち着けた。さすがにふかふかのソファとはいかないが、思っていたよりクッション性のある座面の座り心地は、悪くない。

 柔らかいカイの毛並みを、習慣付いてきた感覚に任せて半無意識に撫でてやりながら、揺らめく炎を無心で見つめる。まだ暖まりきらない部屋の空気、その冷たさに晒された肌に、暖炉から届く熱は、少し、痛い。

 雪が降っているわけでもないのに、しん、と静かで、少し寂しい、だのに不思議と落ち着く――そんな時間を、食事を運んできてくれた人たちがドアノッカを鳴らすまで、しんみりと味わった。

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